潤いなき幕開け
「王よ! ついに準備が整いました!!」
そんなことを言い放ち、いかつい鎧と刀剣に身を包んだ男たちが現れたのは、俺が朝の洗面をしている時だった。
貧民街にある共同水場で、「おお、さむっ」と手拭いで顔をふいた後に、冷たい風雪とともにそいつらは吹き込んで来たのである。
「長き年月を耐え忍び、本日とうとう、逆賊オンゴウル王を討つ算段が立ったのです! さあテーラード殿下、出立の準備を!!」
「いや・・・」
俺はわけが分からず、後ずさっていた。
「あんたら何言ってんの? 人違いじゃない?」
そんな返事しか返すことはできないが、目の前に並ぶ精悍な顔つきの男たちは、さらに詰めよってくる。
「何をおっしゃる! 私ども臣下は、幼少の頃より殿下を御護りし、母子が饅頭一つで過ごさねばならないひもじい日は、そっと水をそばに置き、殿下が八百屋の果物をかっぱらってオヤジに叩かれた後は、オヤジにちゃんと言い聞かせてきたのですぞ!?」
いや、それほとんど助けてないからね?
そんなことはどうでもいいとばかりに、臣下の男たちは支度を迫ってきた。
どうやら、今日を逃せば、兄王を殺して玉座を簒奪した”オンゴウル”を、討ち漏らしてしまうようなのである。
「彼奴とその息子めは、この数十年、圧政と重税で民を殺しに殺し、放蕩をほしいままにしております。いま正義の主ーー『誠王』と呼ばれたお父上の血を継ぐ殿下が立たねば、この国は終わりなのですぞ!」
どうにもならない勢いで押され、俺はぎこちなく首を縦にふりそうになった。
・・・何のことかよく分からないが、こういう手合いに楯突くと、ロクなことにはならない・・・
だが。
「・・・お前ら、俺の歳、分かってないだろ?」
その疑問だけを口にして、パシパシを頬を叩いてみせてやる。
自慢ではないが、もうとっくに人としては引退してもいい頃なのだ。
「詮なきこと! 御身は御歳78! むしろ絶好の出立日和ですぞ!!」
遅すぎるわぁー!
俺の枯れた叫び声は、スラムの隅々にまで響き渡ったのだった。
ーーーーーーーーー
革命は疾風怒濤だった。
王に叛意を抱く貴族の仲間に、内密にするよう連絡して軍を通させ、音もなく深夜に王都を取り囲み、さらに暗殺という手段を使って主を抹殺したのだ。
もはや何を騒ごうが復讐の達成は動かない。
あとは、タチの悪い元王”オンゴウル”の残党一派を城から追い出して、国は病魔を克服したのだった。
・・・ここに、新王は即位した・・・。
ふっははあ! 今日から俺が王さまだ!!
などと、ふざけた宣言をしてみたい所である。
「・・・」
だが、まあ賢明な方ならば、もうお分かりかもしれない。
”物語”と”現実”は、まったく別のものなのだと。
そう。
俺は、とにかく愚かだったのだ。
現実というものは、その王位返還が成された、美しい一日の後にやって来るものだと、知らなかったのだ。
ーー長年 日雇い労働者としてやって来た、タフなはずの自分。
そんな俺でも耐えられない、惨めで先の見えない毎日は、すぐそこまで来ていたんだーー
「ーーねえ、新しい王様、お世継ぎはまだなんだって?」
「そうねえ・・・。一体どうするんでしょうね。あんな高齢の、後がない老人を王にしちゃって」
即位から数日後。
健康のために城の中庭を散歩していた『新王』は、そんな世知辛い噂話を聞くこととなっていた。
老人になると耳は衰えると思っていたが、その逆である。むしろ冴え渡るいっぽうで、欲しくもない音をどんどん拾っていってしまう日々である。
「んっ、んん!」
喉がつまったフリをして、軽い咳払いをしてみる。
ーー!
植え込みの向こうで渡り廊下の掃除をしていた侍女が、キツネが耳を立てるように固まった。
何やらいたたまれない気持ちにはなったが、彼女らは持ち場を離れるわけにはいかない。
仕方なく俺がその場を遠ざかるように歩いて、また運動を再開したのだった。
(王様になったからって、好きにふるまっていいって訳じゃないんだよなあ・・・。まあ出来なくもないけど、それをやってるとけっきょく未来の自分の首をしめることになるし・・・)
スゴスゴと自室に戻りながら、俺はまた夜の仕事のことを思い出していた。
あの、絵巻物に収められてもいいような、”栄光の一日”はすでに過ぎ去ったのだ。
『傀儡』王としての役割など、もはやないだろうと高をくくっていたのだが・・・それはやはり見込みの甘さにすぎなかったのである。
・・・いま、自分に課されている課題・・・
それは、毎晩違う美女を抱かねばならないことである!
ーーおっほん!
・・・まあ、ねえ?
俺がまだ若かったら、「いろんな女に子供産ませまくっていいの!?」とノラ犬のように喜んだだろうが、
「毎晩3度は、女性の身体の最奥で果てるようにして下さい!」
とノルマのように女をあてがわれ、毎日の食べ物も”精のつく”これ見よがしな鰻、ニンニク、スッポン・・・
もううんざりしてくるのだ。
「まあ確かに、これで世継ぎができなければ、せっかく玉座を取り返したのに三日天下になっちゃうんだろうけど・・・」
はああーー
盛大なため息をついて、俺は中庭を通り過ぎたのだった。
結論から言えば、新王の生涯はその二年後に幕を閉じた。
別に突然死などではなく、自然に、土に還っていくような老衰である。
家臣の間では、「お主があれほど床を勧めるから・・・!」とか、「いや、そう言うお主こそ、美女を見つけまくってきて、一度で孕めぬ女に用は無し! とベッドを回転させまくっておったくせに・・・」などと罵り合いが起こったが、まあそれもただの茶番である。
いちおうは、一年過ぎたところで三人の女性が懐妊し、俺の”連続美女大回転”も、ゆるやかなものに変わっていったのである。
晩年・・・いや、『最晩年』は、貧民街で仲のよかったジイさんを何人もこちらに呼びよせ、日がな一日、盤遊戯に興じていたくらいだった。
・・・まあ、どんなに立場が変わっても、結局人間やることはあまり変わらないのである。
そうそう。俺が唯一まともな仕事をしたといえば、恐らく福祉関係になるだろう。
貧民街に長く住んでいたせいで、俺はそこで遊ばせておくには惜しい優秀な人間を、何人も見てきたのだ。
そこで、前王”オンゴウル”が浪費しまくっていた税で救済機関と奨学機関を立ち上げ、後に国を大いに発展させてゆく人材の発掘に、成功したのである。
かつて旧世界にいたという、貧しい者の心を救った偉大な人物の名から、俺は後に『ファザー・テレサ』と呼ばれるようになったのだが、正直それはどうでもいい話だ。