9. ブロッコリーの熱量
子供達が夏休みの間は、ホームセンターはそれなりに忙しいらしい。自由研究の材料やネタ探しに親子連れが来るので、それに答えるべく企画を店側も色々考えているという。今年は、その企画担当になってしまったので、仕事がとても忙しいから会えないという事務的なメールが隆平から来た。
ケンカをしているという意識はあるのか、ないのか分からない。
プロポーズはどうなったんだ。
まあ、会えない時間が愛を育てるかどうか分からんが、会えない間に、自分を見つめなおそう。今さら「自分磨き」なんて言うとかっこ悪いけど、もっといい女になってやる。
この女の言うことなら何でも聞く。そのくらいになってやる。
自分に自信を持てたら、「男だって家事をやるべき。出来なかったらできるようにするのが普通だろ」って強く言える。
ダメダメなわたしを選んでくれた隆平にありがたみも引け目なんか感じない。他の人にも選ばれる女になるんだから。そう胸を張って言えるようにする。
引っ越しレベルの部屋の片付けをした。ヨレヨレの服や、いつ使うか分からない物は処分して、自分の気分が上がる好きな物だけを残した。俗に言うが断捨離ってやつか。
自分をよく見せたいというより、よく見られる場所に自分を置く。自分自身は、掃きだめの鶴でも、沼に咲く蓮の花でもないんだから、環境から作っていく。
キレイな人ってのは、顔の造形関係ない。雰囲気だ。きちんとした生活をしている美人オーラ出てる人になるんだ。
「なんか最近、藍子キレイになってない? 新しい男できた?」
昼休み、並んでハミガキをしていると菜奈に言われた。
「そういうの嫌いじゃなかった? キレイになるのに男は関係ない」
「男というより、新しいということに意味がある質問だったんだけど」
「どういう意味?」
「何か新しいこと始めて、生き生きしてる感じがする。単純に刺激を与えてくれる存在として、新しい男が出来たのかなって」
「鋭い」
「え、ついに、隆平捨てたの?」
「違うよ」
ただ、自分の中でゲームみたいなことを始めた。これから出会う人、出会ったばかりの人に、元々キレイな人だったと思わせるぐらい、自分を演出する。
具体的な目標は、野菜のイケメン配達員、ここに届けに来るのが嬉しいと思わせる。年下男性にキレイなお姉さん、憧れの女性に思われる。
実際、わたしになんか興味ないだろうけど、そう思うだけで楽しくなってきた。勝手に自分で自分を高めるために、イケメンを利用したっていいだろう。自分の中だけで楽しんでるので、人に説明はしたくない。
「別れてはないのね」
「うん。忙しくて会えないだけ。その間、一人を楽しんでるだけ」
「そっか」
菜奈が安心したように笑った。
その笑顔が、自分と同じ道を歩まないで欲しいと言ってるようだった。
「菜奈は? 転職活動うまくいきそう?」
「うん、ここは8月いっぱいで辞めることにした」
「新しい仕事決まったの?」
「仕事になるか分からないけど、友達夫婦が整体治療院始めることになって、手伝ってくれないかって言われてる。一応、医療事務とか資格もってるからさ」
「へえ。それはいい話だね」
「うん。で、友達は千葉に住んでるから、引っ越すわ」
「え、じゃあ離婚しちゃうの?」
「とりあえず、別居」
「別居か」
「旦那とのことは距離と時間を置いて、それでもダメだったら考える。純粋に整体に興味が出てきた。骨盤のしくみとか少しかじったら、生理痛が楽になったんだ。もっと詳しく勉強しようかなって思って」
少し迷いのある横顔は、旦那のことがまだ好きなんだと思った。
わたしとやろうとしていることは、似ていて少し嬉しかった。
「いいと思う。千葉って広いから、近いようで遠い気がして寂しくなるけど」
「海側ではないから、落花生と梨送るよ」
「楽しみにしてる」
似てると思いながら、自分の浅さをじわじわと感じる。
菜奈が医療事務の資格を持っていたなんて知らなかったし、自分の体調の悪さを逆にきっかけにしている姿はちょっと尊敬してしまう。地に足ついた新しい道を切り開こうとしている。自分は中学生級の妄想と、愛され女になる指南書に書いてあるようなことしかしてなくて、都合のいいスピリチュアルな世界に逃げているような気がしてくる。
しかし、ここで、じゃあ、わたしは野菜ソムリエの資格でも取って! などと思わないところが、わたしなんだよな。
部屋のキレイさは保って、緩く自分の居心地がいいレベルで美人になったつもりで過ごした。イケメン配達員がくる土曜日。
早起きして掃除をした。別にイケメンが部屋まで上がるわけじゃないけど、空間から浄化していこう。
そして、きちんとアイロンをかけた涼しげなカットソーにスカート。ナチュラルメイクという名のフルメイクで、きちんとした女を演出。
9時半すぎ、インターフォンが鳴った。
「おいしい野菜倶楽部です」
「はーい」
ドアを開けると、イケメンがいた。
「おはようございます。あ、お出かけするところでしたか?」
「いえ」
わたしは、すっとぼけた反応をした。確かに出かける予定はないけど。
「そうですか。今週の野菜です」
イケメンは事務的に野菜を渡し、段ボールを回収していった。
5分程度だった。
この瞬間にどう見られてるかに神経をかけている自分が、すごく虚しく感じた。
授業参観で頑張るお母さんみたい。
美人っていうか、ただの見栄っ張りじゃないか?
自分に色目使ってオシャレしてるって思われたら、ただのダサいおばさんだな。
やっぱり、無理やりにでもどこかに出かけようかと思った。
段ボールを開けた。
今日の野菜は、ブロッコリー、ゴーヤ、アスパラ、カボチャ、長芋、ネギ
宅配を始めて3ヶ月ちょっとだけど、春から夏にかけての旬の野菜だけかと思ったら、毎回いろんな野菜が来る。全国の農家が頑張っているから、冬野菜も夏に食べられる。
この人間の努力は野菜にとってはどうなんだろうか。自分は先祖同様冬に生まれると思ってたら、お前はもう夏に出来るのよって、無理やり育てられる。クリスマスのイチゴみたいに定番化されて、もうイチゴの方も冬にできるのが当然に思ってるかな。
そんなどうでもいい心配に補足してくれるかのように、ブロッコリーの茎の空洞化について、断り書きが書いてあった。
穴があるから虫食いと思われるかも知れませんが、これは生育が旺盛な時期などに起きやすい生理障害です。急激な温度の上昇や乾燥から多湿といった気象条件の変化で発生しやすいといわれています。品質には影響ありませんが、気になる方はその部分を取り除いてお召し上がりください。
生育が旺盛で中が空洞になってしまう。つまり、中身がおいつかないってことか? 本来冬野菜のブロッコリーにとって、夏は時間が短縮されて、さっさと成長させられて体ばっかりデカくなっちゃうってことか。でも、品質に問題ないって、やっぱり生産者の努力なんだろうな。
わたしは、理科の実験みたいに気になってブロッコリーの茎の部分だけを切り離し、縦に包丁を入れてみた。内側に薄くなっていく黄緑色のグラデーションが美しく、表面はなめらかに均一だった。
「空洞化してない」
なんだか分からないが安心した。自分のペースできちんと育てたのかなと思うと嬉しくなった。そもそも、今まで茎の部分を捨てていた。その部分を取り除いてお召し上がりくださいってことは、茎も普通食べるってことだよな。今まで捨てて申し訳ない気持ちになってきた。
わたしはブロッコリーの花の部分はビニールに入れて、他の野菜と共に冷蔵庫に入れた。そして、ブロッコリーの茎レシピを検索した。
<ザーサイ風 ブロッコリー茎の中華炒め>
一番外側の皮? 硬い部分はむいて、中の黄緑色の部分を薄く切る。
鷹の爪を入れたごま油で炒めて、中華だしの素、砂糖、醤油で味をつける。
鷹の爪は赤唐辛子だけど、ウチにない。冷凍して残しておいた青唐辛子を細い輪切りにした。チューブの中華だしの素を入れて炒めた。青唐辛子の方が辛いだろうから、砂糖をちょっと多めにしてみた。
味が馴染んだ薄切りにした茎を一つ、味見してみた。
ザーサイって敢えて買って食べたことない。お弁当についてたり、中華屋さんで添え物的に出てくるから、これぞザーサイというものがどんなものか正直分からない。
「ザーサイかどうか別にして、いいかも」
この夏、わたしにとって青唐辛子はなんでも親友にしてくれる。ご飯食べたい。
今まで捨ててた茎を食べながら、部屋の隅にあるゴミ袋を見た。まだ回収日じゃないので置いてある。
勢いでぶち込んだけど、本当に全部いらないものなのか不安になってきた。
捨てる前にもう一度確認しようかなと思ってしまう。そういう未練たらしいところが、よくないんだけど、そこを潔くできるのがいい女の第一歩だと思えるんだけど、ちょっとは成長しようよって思うんだけど、それで自分の中が空洞になっちゃうなら、成長しなくてもいいかなと思えてきた。
夏にも冬野菜を食べたい人達のように、成長したわたしを喜んでくれる人が、確実にいるなら頑張るけど、なんかわたしのやってることはそういうことじゃない。
いるのかいないのか分からない「いい女」の真似をして、自分だけを満足させようとしている。ブスっていじめられた子が大人になって美人になって見返してやる! みたいな、負のエネルギーを集めて走ってる。だんだん目的がよく分からなくなってきてる。
自分の中身が、心が追い付いていかない。
無理しなくていいんじゃないかと思えてくる。
いい女を目指すとしても、くだらない意地を張らずに隆平に向き合っていけばいい。
成長過程を見せて、説得していく。いや、一緒に成長していこうよって、言えばいいのに。
わたしは隆平の勤めるホームセンターに出かけた。
仕事が忙しくて会えないなら、わたしもお客になってやる。
トイレットペーパーの在庫が少なくなってきてる。あ、台所洗剤ももうすぐ無くなる。
隆平と付き合い始めてからお店に行かなくなった。他の従業員にチラ見され「あれが彼女だよ」みたいに陰で言われてるのが想像できるのが、恥ずかしくて嫌だった。
久しぶりに行くホームセンターは、いろいろとレイアウトが変わっていて新鮮だ。冷房がガンガン効いていて、入り口に浮き輪やビーチボールがたくさん吊されている。あのビニールの匂いが、子供の頃の夏休みを思い出させわたしを刺激する。
なんだか、わくわくしてきた。
久しぶりに来て、働いてる隆平を見るのもなんだか楽しい。
文房具売り場の近くで、隆平の声がした。
見本としてパイプハンガーに掛けられてる冷感シーツの陰から、そっと見ていた。心なしかちょっと引き締まって、髪型も変わって、遠目で見ると案外イケメンだ。
話しかけようと一歩前に出ると、女性客が、隆平に近づいた。わたしはなぜか反射的に冷感シーツの陰に戻った。
まあ、いいや、こっちは彼女だ。
と、余裕の気持ちで客に対応する働く隆平を見ようと思ったが、わたしの体は固まってしまった。
どこかで見たことのある女性客。
隆平が笑っている。自然な笑顔を向ける女性、客。
あの女は、チカだ。
「じゃ、7時ね」
「うん。遅れるかもしれないけど、その時は先食ってて」
「もちろん」
「飲み過ぎるなよ」
「了解~」
チカはいつもやっているやり取りといった感じでテンポ良く答え、隆平から離れた。
明らかに夕飯を一緒に食べる約束をしていた。
仕事が忙しくて会えない。
わたしには、会えないってことだろ。
わたしは、何も買わずに帰った。