8.クウシンサイと新しい風
土曜の朝、惰性で見ているテレビの情報番組で、サラリーマンの昼ご飯を紹介する特集をやっていた。男性職員が社内で調理している姿が映り「皮をむく技術が無いんです」と言って切っただけの野菜を鍋にぶち込んでいた。
皮をむくのは面倒くさい。昼休みの限られた時間ではそんな暇ない。皮には栄養があるから。そんな理由だったらいいのにと思いながら見ていた。
皮をむく技術ってなんだろう。
世のお母さんや奥さんは、野菜の皮をむく技術を搭載して生まれたのだろうか。皮をむくことが出来る人は、いつその技術を取得するのだ。特別な機会が得られて他の人と違うのか? 技術がない人はないままでいいのか。どうして出来るようになろうとしないのだ。
もちろん、男性職員に限った話じゃない。同じ事を女性が言ったらきっともっと納得いかない。
職場にもいる。その時代にまだ生まれてないから知らない。地方出身だから分かんない。検索すればいくらでも分かる情報を、出身とか年齢とか言い訳にして知ろうとしない。まるで知らないことが若さという売りかのように言う奴もいる。調子のいいこと言って逃げてんじゃねえよ、みんな最初から出来てたわけじゃないの!
ああ、こんな考え方するのって自分がおばさんになったから?
いやいや、この苛立ちは、隆平のせい。
家事は得意な藍子が担当。その理論が許せないまま時間だけが経った。
ソフトクリーム記念日も過ぎてしまった。付き合うことにした記念日にでも持ち越しされるのか、やんわりプロポーズを断られたと思ってこの先の予定を立てていないのか、向こうから特に連絡は無い。
こちらからもしていない。
「どこか得意なんだ!!!」
散らかった部屋の中で、クッションを壁に投げつけた。
掃除や洗濯、やらないで済むならやりたくない。料理だってできるだけ手抜きをしようと思って、ジャンクフードに頼った結果、便秘と口内炎で大変な目に遭った。
凝った調理しなくても素材の味で満足して栄養が取れるようにと、有機野菜の宅配を始めたんだ。美味しいから、瓶に入れて漬けたり味噌漬けて食べたり、たいした調理してない。
全然、家事、得意じゃない!
隆平個人の意見だと思いながら、言いやすい背景があるからなんだと思えてならない。
家のことは女がやるもの。そういう刷り込みは、あと何十年たったら抜けるんだろう。
よくスポーツ選手の奥さんが、手料理公開とかしてるけど、あれはなんの意味があるんだ。奥さんは、ただ精神面を支える存在でいいじゃないか。健康管理をする義務があるなら、優秀な栄養士と料理人を雇った方が、選手生命には貢献すると思う。
料理の上手い嫁をもらった者勝ちみたいな風潮、日本人は本当に好きだよな。
家事だって細分化して専門性を出していくと、男性の方が仕事としてやっている人は多い。どれも女性だから得意とする分野ではない。料理も掃除も洗濯も。
プロではない専門性のない仕事だから女にやらせとけ。お店の味や業者級の清掃やクリーニング店の仕上がりなんて求めてないんだからやれよ。ってことか? 勝手な解釈だけど腹が立ってきた。
そんな古い考え方、気にしなきゃいいのにと思いながら、いざ結婚して「あそこの嫁は家事をしない」という声に苦しめられる自分を想像してしまう。わたしそういうの気にしちゃうんだ。
はあ。
やっぱり、わたしは結婚したくないのかもしれない。
連絡が来ないことには、正直安心している。
隆平のことは好きだけど、同じ家にいたいと思うほど好きなのか分からなくなってくる。
最初は、好かれてる気がして勝手に盛り上がって、おばちゃんやチカというの女に嫉妬して、どこか意地になってた。最終的にわたしは選ばれた。それが嬉しくて一緒にいる。
ハッキリ言って、オクラ顔はわたしのタイプじゃなかったけど、ものすごく嬉しかった。それはきっと、大学時代の失恋と就職活動によって、自尊心がズタズタになってたからだと今は思えてしまう。
大学時代、好きになって告白して付き合うことになった彼に「一緒にいても面白くない」と言われてこっぴどく振られた。自分の相手はもっとハイスペックな女であるべきだ。どうしてこの俺がお前の相手をしなきゃいけないんだ。半年も付き合ってやっただけありがたく思え、そのくらいに罵られた。
そこそこイケメンで、新しい彼女が、学祭のミスコンに選ばれてたトークも上手い超美人だったから、本気でありがたく思えてしまった。見返してやるという気も起きなかった。女としての尊厳が、どこかに消えてしまった。
その後、就職活動で、人間としての尊厳もボロボロになった。何十社目だったか覚えてないけど、どうにか今の会社に職を見つけた。けど、自分という存在が選ばれた気がしない。
新卒の女子学生。使い捨て、腰掛けとしてとりあえず採用しといてやろう、みたいな雰囲気で契約社員として受け入れられた。能力や意識の高い子はこんなところに長居しない。わたしの後から入った子がどんどん先に辞めていくので、どうにか席は確保され続け、30歳になっても辞めずにいる。
そんな場所にいて、仕事でも恋愛でも、自分が選ばれるってことが奇跡のように思えるようになっていたのかも知れない。
自分を全肯定する隆平は神みたいに思えた。
あ。
履歴に書くかのように、自分の精神経歴をおさらいして愚かさに気付いた。さっき投げたクッションに反撃されたかのように、みぞおちのあたりが重く感じた。
「わたし、何、言ってんだろう」
散らかった部屋をもう一度見渡した。
調子のいいこと言って逃げ続けてきたのは、わたしか。
知らないことを若さという武器にしてる子達は、新しい道を探しにどんどん出て行ってた。30歳になるまでの間に、とりあえずいられる場所で何も変わろうとしなかったくせに、何偉そうなこと言ってるんだ。やっぱりおばちゃん化してきてる。
自分の身なりや考え方がどんどん老化していくのを棚に上げて、子供や若い子の無知を上から目線でいちいち批判するおばちゃん。自分の気持ちをハッキリ言わないで、察してくれない男に文句を言いながら毎日過ごしている女。不平不満が募って、子供の希望も聞き入れられなくなって、キレイに彩られた弁当の栄養価を勝手に決めて、残り物詰めた弁当をお袋の味だと強いる母親。
それに近づいていく自分を感じて、ぞっとした。
ピンポーン
ぐちゃぐちゃの思考回路に警笛を鳴らすかのように、インターフォンの音がわたしを呼んだ。
「おいしい野菜倶楽部です」
応答する前にドア越しに声が聞こえた。
野菜が来る土曜日だったことを忘れていた。
「はーい」
わたしもドアに向かって答え、前回の梱包段ボールとプラスチック製の保冷剤を玄関に持って行き鍵を開けた。よれよれの部屋着と軽く束ねただけのボサボサ髪、まゆ毛のないすっぴんでドアを開けた。いつもの配達のおじさんに、どう思われようとかまわない。
え。
おじさんと同じユニフォームの、若い青年がいた。しかもイケメン。
「おはようございます。おいしい野菜倶楽部です」
「あ、どうも」
恥ずかしくて一瞬閉めようと思ってしまったが、そんな借金取りから逃げる人みたいなことしてどうするんだ。受け取るだけなのに出直すのもおかしい。
「あの、いつものおじさんは?」
「先月で退職しました。今月から、僕がこのエリアの担当になります。よろしくお願いします」
「そうなんだ」
「野菜、お渡ししていいですか」
「はい。ありがとう」
わたしは野菜を受け取り、回収段ボールと保冷剤を青年に渡した。
二十代前半の爽やかすぎる青年。青年と形容してしまう自分が、本当におばさん化しているなと感じるが、おじさんとのギャップにやられてしまった。若さが眩しい。
次週からは、ちゃんと着替えてまゆ毛描いておこう。
「ありがとうございました」
礼儀正しく頭を下げて、ドアを閉めてくれた。
ほんの、5分に満たないやり取りだったけど、わたしの中に新しい風が吹き抜けた。
カレーと一緒に食べた福神漬けみたいに、お寿司の途中に食べたガリみたいに、おしるこについてた漬物みたいに、単調だったり生臭かったり甘すぎたりして、続けられそうになかったことに、ちょっと刺激をくれた小さけれど大きな存在。
このイケメンと素敵なロマンスが展開される第二章が始まるかもしれない! っていう意味じゃない。でも、ドラマで新キャラ登場みたいに、何かの流れが変わるような期待はある。今までの人生にいなかった人が、隔週でウチに来る。全く予想外の人物がわたしの世界に飛び込んできて、自分の世界はもう少し広いんだという気になってきた。
元彼と就職活動、職場の扱い。それだけがわたしの世界じゃないのに、それだけで、自分をどんどん下に落としてた。自分を低く置きすぎだ。
このままじゃ「30歳になっても結婚できない女、もらってもらえたんだから、旦那様の言うこと聞きなさい」っていう古い教えに飲み込まれて、結婚に疑問を持ちながら自分の人生こんなもんだと諦めて生きていくところだった。
まだまだ、整理していく余地はある。
わたしは野菜の段ボールを開けた。
今週の野菜は、
パプリカ(黄)、ナス、ジャガイモ、レタス、クウシンサイ、枝豆、
パプリカを見て思い出した。
少し変わっていく自分を楽しもうとしたのに、軽く否定されたこと。
有機野菜の美味しさに目覚めて「痩せてキレイになっちゃう」って言ったら、隆平に「痩せる必要もない。そのままで可愛いのに」と返されたこと。菜奈に話せばのろけ話で処理されけど、怠惰のデブがありのままのわたしと言われてるようで屈辱だった。
自分の奥さんがキレイになることを嫌がる旦那がいるという。自分に自信がない男が、既婚者としてのあるべき姿みたいな古びた常識で女を縛る。自分の支配下にいるはずの女が、勝手に他の男からも注目されるような存在になることは許さない。つり合った存在になれない自分の不甲斐なさを認めず、女の前向きな行動を否定する。そんな感じだったら嫌だ。
隆平と付き合い始めて、10kg太ってしまったわたし。その変化を知っていることが隆平にとって、二人のつながりみたいにでもなったのだろうか。ただ単に、実はデブ専だったのか。
有機野菜を始めて3ヶ月、運動量を増やしたりしてないのに4kg痩せた。
自分をハッピーにするものしか選ばない。ジェニックライフを満喫しているようなキラキラ女子。毎日、自分を高める物を集めてアップデートしてる。中身が伴って無くて、今はまだ見せかけの嘘っぱちでも、文句ばっかり言って停滞している女よりはずっといい。
よく見せたいっていう気持ちは、純粋に楽しい。
わたしは、他の野菜を見た。
「あれ?」
葉が細くて茎の長いほうれん草みたいな青菜を手に取ると、透明にフイルムに「ヨウサイ」と書いてあった。お届け野菜リストにはそんな名前はなかった。野菜とリストを照らし合わせると、クウシンサイが余った。
「クウシンサイのことか」
レシピが書いてある裏面を見ると、クウシンサイについての豆知識が書かれていた。
東南アジアなどの暖かい所で自生する植物。茎の中がストローのように空洞になっているのが特徴。クウシンサイ(空心菜)、ヨウサイ、アサガオナ、エンサイ、ウンチェーバーなど呼び名がたくさんある。
「へえ。そうなんだ」
確かに野菜の名前は国や地域によってそれぞれ違う。それって別に普通のことなのに、日本では日本名が浸透して他の呼び方がないような気になってきた。
他の場所でも他の呼び方が通用する野菜なんだ。場合によっては実態が分からないけど、それもなんか、かっこいい。
あれだ「○○ちゃんのママ」以外でも通用する女の人みたい。
母、妻、女。
場所によって、呼ぶ人によって、違うけど同じ。
いろんな名前をもった存在として、自由な風をまとってる感じがする。
何の予定もない土曜の昼ご飯。
わたしはオススメレシピの通り、クウシンサイをざくざくと切って、塩コショウで炒めて、少量の醤油をたらした。中華料理というか、エスニック料理の箸休め的な辛くない野菜メニューか、すごくシンプルな青臭い茎と葉っぱの炒め物。
子供時代のわたしにはこの味は分からないだろうな。その辺に生えてた葉っぱを炒めたような地味な見た目、ちょっとえぐみのある味が不思議と後をひく。美味しい。ご飯にも合う。この味が分かる自分は、国際的な大人になった気分だ。
藍子。あいちゃん。高梨さん。
全部、わたしだけど、全部、違う名前。
いつでも、同じ名前をひっさげて生きてるわけじゃない。
なりたい自分になろう。
クウシンサイを食べきって、わたしは部屋のかたづけを始めた。