7.青唐辛子の涙
女性の働き方を議論すると、男女による意見の対立が生じる・・・ように言われがち。でも、きちんと話してみると、それは主語を勝手にデカくして語る人達の根拠のない意見でしかない。
生物学的に女性だからみんな「女はこういう意見だ」ってわけじゃない。逆も然り。
「女は結婚して子供を産んで男を支える」そう思ってる男性がいる。女性もいる。なのに、全男の意見みたいに言って目くじら立てる女性は多い。女はそういうもんだとすり込まれてると、「私は男を支えたい」なんて言い出したら、一気にいい女になる。女から見れば強かでムカついてしまう。もともとそういう女がいるのに、ワンクッション余計な情報をすり込まれると敵意の対象になってしまう。
「笑顔を絶やさないカーリング女子は女子に嫌われる」そんなこと言ってるネットの記事を見つけた。妬みと僻みで自分よりウマく生きてるように見えて面白くないと思う女子が存在するってだけで、女子がみんな、ああいう女を嫌ってるわけじゃない。感情のコントロールできる人はみんなに好かれると思う。一体誰目線の意見なんだと、突っこみたくなるが、そういうものだと決めつけて最もらしく分析されるとそんな気がしてくる。
最近、自分はどうしたいのか、分からない。
生きていく上で、女だから、男だから、女の立場、男の立場、いろんなものがついて回って面倒くさい。結婚とか出産とか、女の人生の節目のことを考えると疲れてしまう。
いつの間にか梅雨が明けて暑い日が続く。
急激な暑さに耐えられず、わたしは体調を崩した。
週末に休みがとれた隆平が見舞いに来て何か出来ることはないかと言われたので、平日ためてしまった洗濯を頼んだ。
夕方、取り込んだ洗濯物は、しわくちゃゴワゴワだった。
お手伝いをしてくれた子供に対して母親が、ありがとうと言うように、一応感謝の意をしめすべきなのか。そうしないと二度とやらなくなる? 成人男性に対してもそんなふうに思わないといけないのか。相手のモチベーションをさげないように配慮して発言すべきなのか。やってもらったんだから。って隆平のものも入っている。
これは、完全にクレームとして怒ってもいいレベルだよな。
「隆平、もうちょっとしわ伸ばして干してよ。これじゃ袖通らないよ」
「あ、ごめん」
「もしかして、家で洗濯したことない?」
「ないよ」
「一度も?」
「うん。お袋と妹がやってくれるから」
お袋。成人男性が使う母親の呼称。そこには、ちょっとした敬意と距離を感じて、自分が大人になっているからこそ言える呼び方だと思っていた。
掃除や洗濯をしてくれるのは、お袋じゃなくてママだろ。英語じゃなくて幼児語の母親の呼称。そう言いたくなってしまった。
子供のお手伝い。本来自分がやるべき仕事じゃないのに、やってるんだという態度でいうるから、仕上がりの悪さを指摘しても逆に苛立ちもしないのだろうか。
結婚したら、わたしはママか?
「隆平、結婚しても、子供できても、わたしには働いて欲しいって言ってたよね」
「うん」
「お母さんだけじゃない面を持った女性がいいって」
「うん」
「じゃあ、家事は当然、分担してやっていかなきゃ無理だと思うんだ」
「え、なんで? だから、子供の送り迎えとかは俺やるから、家事は藍子が担当のままでよくない? ほら、向き不向きってあるし」
「え?」
何かが、おかしいと思った。
結婚した二人の生活を考えるのが怖くて、モヤモヤした何かあるのはこれだと思った。
女性が働くことを推奨しながら、男性側は何も変わろうとしないということ。
一見、女性のライフスタイルを肯定的に応援してるようだけど、女性の負担が増えるだけってことに気付いていない。女性が勝手に活躍する。そのことについて邪魔しないけど、自分の負担が増えてまで応援しない。
私の方が有能で収入が多くて社会的地位があるってわけでもないから、男も家事をしろと強く言える気がしない。あくまで分業であって、そこに向き不向きとか言われると、なんかウマく丸め込まれてしまいそうだ。
保育園の送り迎え、対外的にイクメンアピールしてるみたい。実際、通勤のこと考えたら父親が送迎する方が都合のいい場合あるけど、今から家事と担当分けして送迎ってなんだよ。そもそも保育園、何歳で入れるつもりだ。家にいる間、乳幼児の世話は母親の仕事とか言い出さないよね?
外面外だけいい、何もしないのにイクメンぶってる父親。他のことは何もしないのに見るからにダメオヤジじゃないから、非難しづらい。
体調が悪いから、そばに隆平がいてくれる。それだけで、少し安心で、だんだん治ってきたような気がしてたけど、隆平は本当にいるだけだった。
昼ご飯を買ってきたり、ゴミを出したり、そういう外で何かすることは進んでやってくれるけど、家のことは何をしたらいいか分からないみたいだ。
洗濯を頼んだときも「そいう意味じゃなくて」と言っていたが、聞こえないふりをした。
最初からやりもしないで、向き不向きってズルくないか。
「なんか、おかしくない?」
「おかしい?」
「それじゃ、わたしの負担が増えるだけじゃん。旦那が稼いでくれるならまだしも共働きで、家の事は女がやるって」
「いや、女がっていうか、得意なほうがやった方がいいじゃん。ほら、俺が干すとこんなだし。料理もできないし」
「え? なにそれ、わたしが最初からなんでもできたとでも思ってるの?」
「うん。藍子ならできそう」
いつもの隆平の穏やかな笑顔を向けられた。
わたしを無条件で褒める笑顔。
言わずにはいられないほど可愛い容姿でもないし、感動するほどすごいセンスを持って何かを作り上げたわけでもない。
結婚までの餌なのかなと思ったけど、きっと続く予感がする。
褒められてるんじゃない。操られている気がした。
そうやって、おだてておけばこの女、俺のために働くんだ。
金を払わせようと美辞麗句を並べ立てるホストか。
褒めてモチベーション上げてお手伝いをさせる母親みたいなことしたって無駄だ。こっちが先にやられてる。
具合が、もっと悪くなってきた。
あくまで、隆平の意見だ。
世間一般の男性を非難する気は無い。
「なんか、ズルい」
「ズルい?」
「ごめん、今日は帰って」
「でも、具合悪いんだろ、一緒にいるよ」
「具合悪いから、帰って」
「でも」
隆平は、なんとなしにカレンダーを見た。
明日はソフトクリーム記念日だ。
だから、休みを合わせたんだ。
わたし、プロポーズされるんだ。
逃げたい。
いや、いずれ、一緒になりたいと思うけど、今はまだ、受け入れられない。
もう少し、自分の納得いく関係を、結婚を視野に入れた生活を考えてからにしたい。そうじゃないと、これから先の人生、操られてしまう気がする。
菜奈を見て、人の家庭は子供が出来れば変わるだろうって思ったけど、わたしと隆平の間に子供が出来たら、もっと自分の負担が増えて苦しくなる考えしか浮かばない。
いろんなもの乗り越えて行けるほど、この人と一緒になりたいと思えない。
隆平のことが好きかどうか分からなくなってきてしまった。
わたしを褒めてくれるから離れられなくなってる。
でも、わたしのこと好きだから褒めてるわけじゃないかったら? と思うと、怖くなってきた。
「ごめん、帰って。記念日とか、そういうのいいから」
「そんな」
「体調悪いんだからしょうがないでしょ」
いつになく怒りを顕わにしたら、隆平はしかたなさそうに頷いた。
「わかった。ゆっくり休んでね」
きっと、機嫌の悪いクレーマーぐらいにしか思っていない。
日を改めたら、わたしの考えが変わっていると確信するかのように、時間をおいた方がいいと納得しているようだった。
隆平が帰って、一人になって妙にほっとした。
冷蔵庫を開けた。
今週の野菜に入っていた青唐辛子がぽつりと入っていた。
自分じゃ絶対に買わない。というか、これは生ニンニク同様に季節物で、欲しいからちょっとスーパーで買ってこようと思ってもいつでも手に入らないということに気付いた。
たいてい売ってるのは、完熟した赤唐辛子。調味薬味として一年中あるのはさらに乾燥した赤唐辛子だ。
赤くなる前に収穫した青唐辛子。辛いのがたまにあるシシトウとの違いがよく分からないけど、せっかく旬のものだから、その辛さをほどよく味わいたい。
絶対辛いって分かってるけど、ひと囓りしてみた。
「ひいいいいいい」
涙がでた。
めちゃくちゃ辛い。
舌がヒリヒリして、血行が良くなって、汗がじわりと出てきた。
分かっていながらバカなことをしてることが、血を見て自分が生きていることを実感する自傷行為って、こんな感じなのかなと思った。
どうでもよくなっても、わたしは生きている。
自分の中できちんと血が流れてるんだなって思った。
加熱すると辛みが和らぐらしいので、わたしは生のままの味を生かせる青唐辛子のレシピを探した。
<青唐辛子とミョウガの醤油漬け>
青唐辛子を輪切り、ミョウガを細切りにして瓶に入れて浸るぐらい醤油を注ぐ。
一晩置く。 以上
「ご飯の親友だ」
白いご飯にめちゃくちゃ合う。冷や奴や刺身、ソーメンの薬味にも間違いなく合う。
もはや一人の夕飯は、ニンニク味噌野菜と青唐辛子ご飯だけで充分だ。
秘伝のタレみたいに、その中に新しい唐辛子とミョウガを足して、青唐辛子がある限り楽しもう。