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6.キュウリの自立

 二人のソフトクリーム記念日を指折り数えながら、野菜を美味しく食べる日々を過ごした。便秘をしなくなって、肌の調子がいいからか、最近、すべてが前向きに思える。

 正直苦手だった副島さんも悪い人じゃないと知って、むしろ、一緒にご飯を食べたい人と思え、自分の世界が広がったような気もする。

 専業主婦って思ったより息苦しそう。ドラマとかで「○○ちゃんのママでしかないわたし」と嘆く主婦を美人女優が演じてて、こんな主婦が普通にいねえよという見方と共に、専業主婦は社長令嬢並に別世界の人に思えてた。贅沢な悩みだとしか思えない。

 風邪で学校休んでそのまま引きこもり。そう言われると、外側から見る状況よりも実際は楽じゃないんだという気がしてくる。

 男性優位社会で、男性が働きやすいように家のことを全部やらされているのが、専業主婦。実際、世の中の専業主婦がそうしてるわけじゃないけど、そうするべきだっていう昔からの押しつけを感じながら生きてるんだなと思った。それに加え、子供のことも全部任せられたら、自分の人生なんてないよな。

 人の人生を支えることが生きがい。これぞ「母親」みたいな人は、そういう生き方が幸せななんだろうけど、副島さんはそういうタイプじゃないから、キツかったんだろうな。

 わたしも、自分自身に大きな夢があるわけじゃないけど「俺を支える存在になって欲しい」と言われたら、ちょっと考えてしまうかも知れない。支え合いたい、なんていうのは言葉の上での理想でしかないのかな。

 改めて考えると、母親以外の時間がある女性が好きで働くことを推奨してくれる隆平は、なかなか理解ある夫になってくれる気がしてきた。

 あと、副島さんと菜奈は、絶対に気が合うと確信する。今度は三人であの店に行けたらなと思った。


 月曜日、顔色の悪い菜奈が席にいた。

「大丈夫?」

「微妙。でも平気」

 今にも倒れそうだが、菜奈は今までにない穏やかな笑顔を向けた。

「藍子、今日のランチ、外出られる?」

「うん」

 結構雨が降っているのに、外にランチに誘うのは会社の人には聞かれたくないけど、早くきちんと話したいことがあるんだと直感した。

 もしかして?! ついに。

 わたしは菜奈の笑顔の意味を安易に推理した。生理痛で苦しんでいたと思っていたのが、実は「つわり」であって、妊娠報告なのではないかと期待した。

 この会社は、育休なんてものは存在しない。法的には存在しているのかもしれないが、理解がない。女性の正社員の採用はここ何年もしていない。女性は契約社員で、子供が出来たら辞めるのが当然。そういう空気が存在し続ける所だ。

 さっさと辞めて、子育てに専念したかった菜奈にとっては、後腐れ無くて非常に都合がいい職場だろう。だから、妊娠したというニュースだったら、喜びしかない。

 菜奈の旦那も、専業主婦になって欲しいとまではいかないが、子供が小さいウチは家にいて欲しいというタイプらしいし。やっと、やっと、だね。


 オメデトウの言葉を用意して、職場から数メートル先のビルの中にあるパスタ屋さんで、わたしは菜奈の報告を聞いた。

「離婚することにした」

「ええええ」

 口に運ぼうとしていたフォークを皿の中に落とした。

 うまく絡みついてたパスタがほどけ、トマトソースが血しぶきみたいに撥水性のテーブルクロスにはねた。慌てて横にある紙ナプキンで拭くと、赤いトマトソースが吸い付くように消えた。吸収力を示す生理用品のCMを思い出した。紙おむつもだけど、あんな青い水、体内から出たら恐ろしいのに、リアルじゃない色にすることで公に見られるんだなと、どうでもいいことを考えてしまった。

 菜奈の発した一言が想定外過ぎて、どう向き合おうか頭が時間稼ぎしているみたいだ。

「なんて言った?」

「だから、離婚する」

「えええ、なんで?」

「子供ができないから」

「子供できないから離婚って、旦那のご両親にでも約束させられたの? 跡取りを産まない嫁なんて離縁してしまえ、みたいな?」

「まさか。違うよ」

 わたしの時代劇風の台詞に笑ってくれる菜奈の姿に、ものすごい後悔の波が押し寄せた。

勝手にいい話だと思って気楽に捉えて、なかなか本題に入ろうとしなかった菜奈の態度を見誤って、さっきまでベラベラと副島さんの話をしてしまった自分を殴りたい気分だ。

 副島さんと気が合うと思う。なんて発想をしてしまったんだ。結婚ししてすぐ妊娠し、二人目もすぐできた副島さんに菜奈の苦悩が分かるだろうか。副島側が歩み寄れても、菜奈は心を開くだろうか。どっちの気持ちも分からないわたしが、何、二人のことわかりきったように断言してんだ。

 言葉が見つからない。

 わたしは、もう一度くるくるとフォークを回した。指が震えてパスタがうまく絡まない。

「今月も生理来ちゃったという思いと、激しい痛みで会社になんか来れなかった」

「そうなんだ」

「会議資料ありがとうね」

「うん」

 副島さんも手伝ってくれたし、というは止めた。

「それでね、旦那に、二人でちゃんと検査に行ってみない? って言ったの」

「う、うん」

「そしたら、俺は関係ないからって」

「なんで、不妊は男にも原因あるでしょ」

「わたしと結婚する前に、元カノ妊娠させたことあるから、って言われた」

「は?」

「まあ、学生だったから、堕ろしたらしいんだけどね」

「そう、なんだ」

「しかも、そのことを周りの人も知ってさ。自分は種無しじゃないって証明したいみたいで、旦那本人が会社の上司とかにまで言ってるって」

「はあ」

「結婚して二年経つのに子供できないから、拒まれてるとか、俺が機能しないと思われてるみたいで、嫌だから言ったって」

「旦那さんがそう言ったの?」

「うん。被害者みたいに言われた」

「それを嫁に申告するところも、またすごい。でもまあ、上司に言ったのは酒の席での話とかでしょ」

「酒が入ってれば、なに言ってもいいの?」

 店全体の空気が凍り付くような、鋭い口調で言われた。

「よくない」 

 わたしはフォークを置いて姿勢を正した。

 菜奈の旦那は、ちょっとチャラいというか、物事をあまり重く考えないタイプのようには見えた。だけど、裏がなくてものすごく正直で仕事はきちんとしている。いろいろと考えてしまう菜奈にはない要素であって、二人が一緒になるとうまくいくように思えた。

 でも、これは、さすがに酷い。 

「でも、離婚すれば、解決するのかな?」

 単純な疑問として、わたしは聞いた。

「分かんない。でも、もう旦那の子供欲しくないって思っちゃった。だって旦那にとって子供が、既婚男性として持つべきブランド品みたいになってるんだもん。二人で育てる意識もすごく薄いなって思ったし。跡取りとかそういうのはないけど、結局そういうこと気にしてる時代と同じで、女は子供を産む道具にしか思ってない気がして」

 無責任な他人から見れば、きっと子供が生まれたら、旦那さんも変わって一生懸命二人で育てるんじゃないかと思える。でも、その日がこれから先、確実に来る保証もない。子供がいる生活を夢見ながら手に入らず二年経ってしまった。

 大好きな人と結婚したはずの菜奈が、旦那の子供が欲しくないと思うようになるとは、もう愛情ではつなぎ止められない段階に来てしまったんだろう。

「そっか」

「なんかさ、結婚して子供産むことが目標になってて、自分の人生を生きてないなって思ったの。それこそ昔の時代の女だよね。自分でそうしてしまったのが分かる。ふと、自分自身の人生とか考えたら、今からでもやり直せないかなって思っちゃった。離婚して、一人になってもう一度、自分のために生きてみたいなって。何ができるか分からないけど、転職とかするなら今だなって」

 菜奈の笑顔は、新しい生命を宿したからじゃなかった。自分自身が生まれ変るために、新しい一歩を踏み出そうとしている決意によるものだった。今すぐ、離婚とか転職とか動けるものではないけど、もう「妊活」をするのはやめたと菜奈は清々しい顔で言った。

 

 テレビで、生活保護を受けていた人が復帰したドキュメンタリーをやっていた。働けるようになって生活保護を卒業し、自分の給料で少し大きな買い物ができるようになって自分で自分に感動したと言っていた。副島さんの話に少し似ているなと思った。 

 高校生の頃のバイト経験を思い出して、副島さんのことを分かったような気になったが、追い詰められた時間は、この人の方が近いのかなと思った。

 家族という小さな社会を作るには、内向きになってどんどん閉鎖的になっていく部分があるから成り立つなんだなと思う。それが恋人や友達同士の秘密みたいに楽しいものじゃなくて、いろんな責任がついて回るんだなと、いろいろ考えてしまう。

 なんて最もらしく悩んでみたけど、正直なところ、菜奈が離婚話を聞いて、ソフトクリーム記念日が来るのが少し怖くなってしまった。

結婚なんてしてみなければ分からない。一緒に生活してみなければ、わからない。最初から分かるなら、結婚なんてする意味ない。とは思うけど、なんだこのモヤモヤした気持ちは。

 わたし、隆平のこと本当に好きだよね?

 家族になるなら、燃え上がるような恋愛じゃない方が、逆に長続きするとは思う。

 ひいおばあちゃんぐらいの時代なんか、結婚式まで相手の顔知らなかったとかざらだ。いや、でもその頃の結婚は、女が生きていく手段みたいで、就職するのと同じようなもので、成人女性の義務みたいなところあったのかな。

 プロポーズの瞬間は、めちゃくちゃはしゃぐだろうが、その先にある生活をリアルに想像すると、先のことは考えたくない、考えるのをよそうと思うようになった。


 土曜日。野菜が来た。

 とうもろこし、ズッキーニ、キュウリ、キャベツ、青唐辛子、チンゲンサイ

 ニンニク味噌ですぐ無くなってしまいそうな野菜たち。

そしてまた、肉厚ピーマン「ジャーガルちぐさ」みたいに、別紙がついてる野菜があった。


「自根キュウリ」

 野菜も一昔まえまでは、みんな自立していました。

 自立とは、自分の根っこで生えている、ということです。

 今日、多くの果菜類は、収量の安定確保や新たな土壌病害の蔓延、大雨、高温の対策のため、根の部分だけ他の植物に援助されて育っています。

 ナスでいえば、二種類の苗を根の上で切断し、根の強い種類のナスの根を、実を取るナスの樹の下に継いでいます。

 自根キュウリは、他の協力を得ずに自立して育ち、果肉が緻密。キュウリ自身の風味が一層際立っています。


「へえ。そうなんだ。野菜も支え合ってんだ」

 わたしは、他の野菜を冷蔵庫にしまい、自根キュウリを一本洗った。

 確かに、身がぎっしりしまっているような感じがする。横に半分に切り、手巻き寿司の具ぐらいの細さに縦に何本かに分けた。

 小鉢に取り分けたニンニク味噌を付けて少しずつ口に入れる。

「これは、また止まらない」

 美味しい。スーパーで安く売ってるキュウリより味が濃くて、これが本来のキュウリの味なんだよって言ってる。なんでも昔がいいわけじゃないけど、昔ながらの伝統の製法で作られた、丁寧に育った由緒他正しいキュウリ。このキュウリを食べずとしてキュウリを語るなって言われてるような気がしてくる。

 でも、なんだか寂しくなった。 

擬人化の逆。人間をキュウリ化してしまった。

 自分の根で立ち、自分だけのために栄養を吸い上げて、充実して育つ自根野菜。

 他人の力借りて生きてる多くの果菜類。みんなで支え合ってるから外敵にも強くて、家族や友達は沢山いる。

 どっちが、人間として充実してる? って言われても答えは出ない。

 独身で一人の人生を楽しむのも生き方。

 結婚して家族増やすのも生き方。


 分からないけど、止まらなくて、誰かに分け与えたいと思う間もなく、キュウリは全部食べてしまった。

 


<参考>

 らでぃっしゅぼーや

「チカラのある野菜・自根きゅうり」紹介文


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