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5.ズッキーニの溜め息 

 梅雨入りして雨が続く。

 有機野菜の宅配も正式契約をして、またおじさんが届けに来てくれた。雨の中買い物に行くのも面倒くさいので、届けてくれるっていうのも便利だなと今更思った。

 今回は、タマネギ、レタス、トマト、ナス、カブ、ダイコン、ネギ。

 日本全国の契約農家から集められた野菜。温かい地域から早めに来たりするから、東京のスーパーで安売りされて気付く旬の野菜の時期とはズレてる気がする。これって冬野菜じゃないかったの? と勝手に思ってたけど、収穫期が二回あって、暑い時期は味が違うとか野菜の生態を改めて知るものもある。

 高い野菜を残さないようにと思うと、積極的に野菜を取れる。おかげで便秘も解消されて、いつの間にか口内炎も治ってた。美容液より有機野菜の効果をじわじわ感じる。

 一人暮らし用二週間分プランだったが、時々隆平も食べるので足りないぐらいだ。二人で暮らすことになったらもう少し増やそう。

 結婚か。

 金曜日の夜にでも菜奈に相談しようと思っていたが、残念ながらお休みだ。

 生理痛が酷いタイプで月に一度は休む。市販の薬じゃ効かないので婦人科にも通ってるみたいだけど、男社会のうちの会社では非常に言いにくい案件。契約社員に生理休暇なんてものないので、毎月定期的に有給取って何してるんだと陰口たたく奴もいる。理解出来ない人達に対して、菜奈をフォローすることもできず、わたしも辛い。

「生理用品のCMをキラキラ女子で楽しそうにするの止めろ。もっとリアルに痛みに苦しみ、不快な思いで頑張ってる気持ち分からせたい。花粉症の人が鼻を外して洗いたいってよく言うけど、子宮外して洗いたいよ。毎月毎月」と、よくぼやく。

 わたしは軽い方だし、痛いときでも市販薬で軽減できるレベルだから、世間に文句を言いたくなることはそんなにない。

 だけど、生理にまつわる誤解は都市伝説かって思うほど酷いものがある。震災で被災者に対して、生理用品なんて贅沢物だといった男性がいる聞いて卒倒しそうになった。下着の洗濯をしないですむために使うもんじゃない。いや、それ以前に生理というものが性処理と関連付けずにはいられないのかもしれない。生理不順とかそういう治療でピルを飲んでいる人に対して、避妊してるからいつでもヤれると心ない言葉を吐く人がいると知ってショックだったこともあった。男だからというより、知らないことに対する偏見が酷い。

 でも、誤解や偏見を作ってしまっているのは女なのかとも思う。マーケティング戦略の中で女だって納得いかないのに従っているのか、わたしも生理用品のCMは好きじゃない。女子目線で作ったつもりか何を神聖化してるんだと思う時がある。女子はどんなときでも笑顔を絶やしちゃいけないのか。

「坂井さんお休み?」

 副島さんが隣のシマの菜奈の席を見て言った。

「はい」

「昨日も辛そうだったもんね」

「はい・・・・・・」

 継続している痛み、不快感に耐えているということを理解している女性の言葉は、説明不要でありがたい。

「え? 坂井さん休みなの。なんで? 連休にして旅行にでも行ったのか」

 菜奈の席に対して垂直に席がある五十代の課長、もちろん男性、副島さんの言葉で今気づいたようだ。席が近いのに、何も気付かない。この人に、そういうの期待しちゃダメだって菜奈は言ってたから、菜奈の方が辛いところを見せないようにしていたのかもしれない。

「なんだよ、月曜の会議資料、今日中にまとめて先方にメールしておかなきゃいけないのに。使えねえな」

 最後の言葉は、聞こえないように言ったつもりだったが、副島さんとわたしにはしっかり聞こえた。

「あの、わたしの所に坂井さんからメール来てますんで、変更点あれば代わりにやりますから大丈夫です」

 菜奈に頼まれていたので、強く言い返した。

「あ、そう。なんだよ。だったら言っておけよ」

「CCで課長にも送ってますけどね。昨日の夕方には」

 わたしのパソコンを覗いて、副島さんが嫌味たっぷりに言った。

「え、そうだった?」

「使えねえな」

 副島さんは課長に聞こえないように、わたしに言った。

 わたしは笑いをこらえるために、うつむいた。


 菜奈にはなんの過失はなかったが、会議資料の内容が一部変更になり、代わりを買って出たわたしは残業することになってしまった。メールで送った後は、当日用に何部か印刷もしておかなければならない。おっさんたちの昔ながらの無駄に紙を使う無駄な会議。若い子達はお茶出しをさせられ、若くもない女子職員が主に資料作りに使われる。

金曜日だけど別に今日は用事もないし、のんびりとやろう。

「わたしも手伝うよ」

 絶対に残業しない副島さんが声をかけてきた。

「え、大丈夫ですよ」

「でもさ、これじゃ終わんないよ。坂井さんいたとしても。きっと高梨さん手伝ったでしょ。

なんで、ギリギリになって変えるかね」

「そうですね。あ、でも、副島さんお子さんが」

「それ、もういいから。いつまでもお母さんキャラに縛らないで。子供だって男二人だけど小5と中1。自分でご飯食べて留守番できるから」

「え、そんなに大きかったんですか」

「そうだよ。まあ、マイコプラズマで入院は、さすがに年齢関係なくお母さん大変だったけど」

「副島さんって、いくつなんですか」

「43」

「うっそお」

「どういう意味?」

「いや、35ぐらいで、子供は低学年かと」

「そんなに若く見える。やだー嬉しい」

 見える。お肌つるつる。髪さらさら。ウエスト細い。会話も軽妙でおばさん感なし。その貫禄から年上だとは感じたけど、そんなに自分と大差ないと思っていた。13歳も上とは驚きだ。

「それに、子供の世話をするのは母親だけじゃないから」

「はあ」

「遅く帰ったらお子さんどうなるの? みたいな心配、母親にしかしないよね。共働きとかいいながら、家のこと子供のことは、まだまだ女だけの仕事だと思ってる。若い独身女性にもそういうこと言わせてしまう雰囲気がある世の中が悲しい」

 うわああ。副島さんって、菜奈と意外と気が合いそう。

「そんなに若くないですけど」

「30でしょ、若い若い。副島家のことは気にしないでいいから、仕事、終わらせよう」

「分かりました」

 

 副島さんは、去年の秋からうちの会社に来た。定時で帰るし歓迎会とかは来ないので、ほとんど話す機会がなかった。本社でバリキャリだったという噂と、結婚して辞めてからずっと専業主婦だったので仕事を舐めてるだろうという一般的な偏見で、めちゃくちゃ「嫌な女」を勝手に想像して、こちらから近寄ろうともしなかった。実際は、ブランクを感じさせることなく仕事が出来るので、先輩面して手も口も出す隙もなかった。

 五月の連休明け、子供の病気を理由に副島さんが休んだ。それをきっかけに、女性職員の中で、半分は嫉妬なのかもしれない副島さんに対する悪口が爆発した。

 子供も仕事も両方手に入れてキラキラしてる。

 憧れるには近すぎて、比べられてプレッシャーをかけられるだけの不愉快な存在だった。

 35歳に見える43歳は、人知れず努力を重ねているんだろうなと思う。高い美容液とか専業主婦だったから時間に余裕があるとか、そんな次元じゃなくて、常に意識を高い所においているんだろう。「意識高い系」じゃなくて、自分が掲げている目標の高さも分からないくらい、本当に意識の高い人。

「終わったら、夕飯一緒にどう?」

「え」

 家のご飯はいいんですか? と聞きそうになったのを飲み込んだ。

「実は、今日、送別会があるから遅くなるって言ってあるんだ。夕飯の準備も朝仕込んで、あとは自分たちでやってねって」

「送別会?」

「もちろんないよ。たまには、一人でゆっくり夕飯食べたいなって思って。なんか理由つけないと納得してもらえないしさ。だから時間的には全然問題ないんだ。あ、予定あった?」

「いえ。わたしも一人ご飯の予定でした」

「じゃあ、知り合いがやってるお店近くにあるんだけどどう? 息子の空手の先生が始めたんだけど、その奥さんの家庭料理でちょっとした隠れ家的な飲み屋なんだ」

「へえ。楽しそうですね」

 サクランボ以来、副島さんはわたしに好意的な気がした。

 相手が自分に好意を持っていると思い込んでしまうのは、隆平の時と同じで、本当は自分が相手に好意を持っているってことなんだけど、どこか認めたくない。副島さんに敵意を持たないで接するのは、周りの女性職員を裏切っているかのような気がしてしまうから、相手のせいにできたら楽だ。


 8時過ぎ、雨は止んでいたが蒸し暑かった。副島さんに連れられて、駅から少し離れた住宅街に入っていった。

「ここでーす」

 案内された店は、二世帯住宅っぽい二階建ての家。営業中の上りが出ているが、大きな看板もない普通の家だ。絶対ここにお店があるなんて思わない。知り合いに誘われなければ来ることはないだろう。

 凝った装飾もないごくごく普通の家の玄関のドアを開けると、壁一面に並ぶお酒の瓶とカウンター席が目に入った。中はお店だ。

「いらっしゃいませ」

 カウンター越しに、髪の毛はやや寂しい筋肉質な男性が出迎えてくれた。空手の先生か。

「こんばんは」

「あら、ちぐさちゃん、いらっしゃい」

 副島さんの実年齢よりちょっと上くらいの女の人が奥から出てきた。奥さんか。

ちぐさ。ああ、副島さん下の名前ちぐさだった。肉厚ピーマンと同じ。

「自分で作らなくていい家庭料理食べに来た」

 副島さんは実家にでも帰ってきたかのように、クツを脱いで靴箱にいれた。ここはカウンター席でもクツ脱いであがるんだ。本当に人のうちに遊びに来たかのようだ。わたしもクツを入れて、店内を見回した。隠れ家だからか、金曜の夜だが、他のお客さんはいなかった。

「どうぞ、どうぞ。あら、お友達」

「初めまして」

 奥さんは、美人で天然そうに見えて的確なアドバイスをしてくれる、お仕事ドラマに出てくる行きつけの店の「癒やしのおかみさん」みたいだ。

 カウンター席の真ん中に、おしぼりを置かれ座るよう促された。

 副島さんは手書きのメニューをちらっと見ただけで聞いてきた。

「料理はお任せで、いいよね」

「はい」

「お酒は? とりあえずビール派?」

「いえ、あんまり強くないんで」

「やっぱり。良かったー。じゃあ、お任せで」

 副島さんは嬉しそうに空手の先生にオーダーした。

「え? どういう意味ですか」

「私さ、お酒嫌いじゃないけど、あんまり飲めなくてさ。飲む人たちとの飲み会って軽く拷問なんだよね。だから、会社の歓迎会とか子供理由にして行かなかったの。酔っ払いの相手させられて、これが仕事外だなんて思うとお金もらいたいぐらいなのに、会費制とか割り勘でしょ。飲まない人、食べて~とかいうけど、そんなに大食いでもデザート女子でもないから絶対損してるし。あと、タバコは耐えられない。体質的に苦しい。仕事外でコミュニケーションの場が必要だっていうなら、一方が耐えるのが当たり前の環境でやることじゃないでしょ」

「そうですね。わたしもタバコは無理です。隣人のベランダ喫煙に耐えられず引っ越したぐらい」

「へえ。そうなんだ。ここ寿司屋みたいに禁煙だから安心」

「でも、副島さん、飲める人に見えた。めっちゃ強そう」

「よく言われる。だからなおさら嫌だ。いい年して可愛子ぶってんじゃないよって」

「わたしも言われます」

「そんな気がしたから、誘った」

空手の先生のごつい手が、カウンターに冷えたグラスを置いた。氷と炭酸水の泡の間に生キウイが入って涼しげで、小さな水槽に収められた美術作品のようだ。ほんのりレモンの香りがして初夏を演出しているような生キウイサワー。

この強面のおじさんが作ったとは思えない爽やかさ。酒飲めない女子は甘いのが好きとは限らないよ、ご飯食べるんだからジュースみたいなのも嫌だよ、じめじめした気候だからスッとしたいんだけど何かある? まだ言葉にしていないわたしのそんな気持ちを全部叶えてくれる、かゆいところどころか、美肌のツボまで刺激してくれてるような、焼酎と炭酸水と果肉の割合が絶妙でめちゃくちゃ美味しいサワーだ。

「美味しい」

 喉が喜んでいる。

「でしょ。でしょ。なんでも美味しいし、ここのお酒、悪酔いしないの」

 副島さんは、自分が作ったわけでもないのに誇らしげに喜ぶ。

 ある意味接待で、自分が偉いところの社長で、事前にわたしの好きな物をリサーチしている人に一生懸命もてなされてるような気分になる。

 そして、これまた絶妙なタイミングで、奥さんの白い手が小鉢に入った味噌と、輪切りのズッキーニをカウンターに置いた。

「生ニンニクが手に入ったから、ニンニク味噌にしてみたの。焼きズッキーニに乗せてどうぞ」

「生ニンニク?」

「ニンニクの収穫って、6月から7月にかけてで、生で食べられるのって二週間くらいしかないのよ」

「え、でも、ニンニクって1年中見ますよね?」

 奥さんは笑った。いい質問ですね、と番組進行的に聞いてる質問みたいだったようだ。

「スーパーで売ってるニンニクは日持ちするように乾燥させてるの。これは乾燥させないで、畑から収穫してそのままのものをすりおろして使ってから今の時期しか手に入らないよ」

「へえ。そうなんだ」

 ニンニク味噌。

 副島さんは、さっさとズッキーニに味噌を乗せて食べている。生ニンニクの話は知っていて毎年のお楽しみだったのかな。

 わたしは、副島さんと同じくらいの量の味噌を乗せてたズッキーニを口に入れた。

なにこれ。

 これは、やめられない止まらない系の中毒性のある味だ。美味しい。スゴく美味しい。舌で味わうとか言う前に、次を口に入れたくなる。いや、もう入れている。そして、これ、生キャベツにもキュウリにも、茹でインゲンにもニンジンにも、ご飯にも、なんでも塗りたいと思った。

「この味噌あれば、無限野菜でしょ」

 副島さんは、わたしの思いを四文字熟語?で表現した。まさにその通りだ。

「はい。ヤバイですね。これ」

「ズッキーニも何本でもイケるわ」

「はい」

 女子高生みたいな会話になってるぞ、わたしたち。

「ズッキーニってキュウリの仲間ですよね。やっぱり味噌合いますよね」

「違うよ」

「え、じゃあナスでした?」

「カボチャだよ」

「え」

 わたしは副島さんが信用できなかったわけじゃないけど、奥さんを見た。

「カボチャよ」

「そうなんだ。へえ」

 わたしは、輪切りのズッキーニをまじまじと見ながら、口に入れて食感を確認するように食べた。

カボチャかあ。

その後、奥さんの家庭料理がいろいろ出てきた。家で出てきそうなメニューだが、決して家じゃ作れないお店の味。美味しい。

 常連さんらしいお客さんが二人来た。先生や奥さんがそっちの客に対応していると、副島さんは少し改まって語り出した。

「ほんと、先月は迷惑かけてごめんね」

「いえ、大丈夫です。それに、サクランボ美味しかったです」

「ほんと? よかった」

 自分のせいでないとはいえ、結構気にしていたんだろうか。

「あの時、二週間近く休ませてもらったじゃない?」

「はい」

「なんで。わたしだけが休まなきゃいけないんだよ、ってずっと思ってた」

「わたしだけ?」

「旦那は一日も休んでない」

「はあ」

「子供の世話はお母さんがする。女がする、それが当たり前なことにイライラしてたけど、この間まで専業主婦だったからしかたないんだよね」

「はあ」

「ごめん、何言ってるか分かんないね」

 副島さんが言わんとしてることというより、謝る理由が分からない。

「あの、旦那さんって高谷物産にお勤めって聞いたんですけど」

「そうだよ。おかげさまで高給取りですよ。だからといって、お気楽な専業主婦だったわけじゃないから」

「お気楽だなんて」

「私ずっと働きたかった」

 お気楽だなんて思ってない、と言おうと思ったのに遮られた。社交辞令でそんなこと言われたくないと、はねのけられたようだ。

 生活に支障なくて働かなくてすむ専業主婦なんて超憧れなのにと、思ったが言ってはいけない気がした。

 お酒に弱い副島さんは、それなりに酔って語りたいのかもしれない。

「仕事辞めて、子供産んでさ、ずっと家にいる生活になった時、風邪引いて学校休んでるみたいだった。所属を離れて、時間割通りに生活しなくていい存在になって、ちょっと楽しかった。特別な感じがして」

「へえ。そういう感覚なんですか」

「最初わね。でもそれが十年もたつと、引きこもりと同じ。世間から隔離された、社会に役割をもらえない存在。子供関係の世界しかなくて、母親以外の役割を与えてもらえない。子供がいないと存在意義がない」

 それになんの問題があるんだろう。頭の古いおじさんに支配された会社の契約職員よりもお母さんの方がものすごい存在意義を感じられそうなのに。菜奈がわたしと隆平のことを言うと、のろけ話にしか聞こえないっていうのと同じか。人には贅沢な悩みにしか聞こえないモヤモヤ。

「旦那の給料いいんだから働く必要ないのにって、陰で言われてるの知ってる。独身の若い子達からしてみれば、責任逃れのために、わざといろんなもの抱えてるように思われてるかもね。学校では仕事してるから。仕事場では子供がいるからって言い訳できるように」

 確かに、副島さんの働く理由を勝手に分析して「責任逃れ」って言ってた人いた。正直、わたしも納得してた。すごく都合がよくて楽なポジションにいる、世間では「働くお母さん」みたいに見られ、全てを手に入れた女性の生き方を謳歌してるように見えて、ものすごくムカつく存在だった。

 うわ。もしかして、これは給湯室で悪口を言っている女子職員たちに対する宣戦布告? 手始めに一番弱そうなわたしに言ってきたってところか。

「別に責めてないから。そう思われてもしかたない。攻撃的に聞こえてたらごめんね」

「いえ、あ」

「わたしが、働いてるのは、存在証明が欲しいからかな」

「存在証明?」

「うん。久しぶりに働いて自分自身にもらった給料で、ここで、一人でご飯たべたの。隔離されてた世界から抜け出して、社会から認められた気がした」

 初めてバイトした時みたいな感じかな。自分で自由にできるお金を正当な手続きで手に入れて、その使い道を親にとやかく言われない。対した額じゃないけど、ものすごく自由を手に入れた気がした。親の手を介してない自分で稼いだお金で買うことが、直接社会の一員として認められたような、大人になったような気がした。あの感覚。

 副島さんが、そのささやかな幸せのために働いているのかと思うと、もっともらしい持論を掲げて、副島さんを悪役に仕立て上げてたことに虚しさを感じた。

「旦那は専業主婦でいることを望んでた。だから、子供が四年生になるまでは家にいた。学童保育にも行ってない」

「そうだったんですか」

「ま、そんなに働きたきゃ、主婦らしく学校行ってる間の時間、時給のパートでもいいじゃんってなるけど、やっぱり、昔の自分のプライドというのが捨てられない部分があってさ。そこがムカつくんだろうね。結局選んでる、選べる立場だからだろって。でもそれは独身時代の実績あってだから」

 副島さんは、何周も先に走ってるのに、気付かないふりして黙って見下されてた。それを知らないで、言いたい放題だった自分たちの未熟さが恥ずかしい。

 ちょっと副島さんのイメージが変わった。

 ズッキーニみたい。

 キュウリやなすの仲間かと思ってたら、カボチャの仲間だった。

 属性を勝手に勘違いしてた。そういう人は、こういう人だというよくあるパターンに当てはめて、勝手に敵視してたかもしれない。

ナスが苦手でカボチャが好きな人に、ズッキーニはカボチャだと言ったら食べる気になるだろうかは分からないけど、イメージは変わるだろう。とりあえず、食べてみようかなと思うかも知れない。


 

 翌日、土曜日。今週、野菜は来ない。

 ニンニク味噌のあまりの美味しさに、まがい物でもいいから作ってみようと思った。 お店で出たニンニク味噌は、生ニンニクのすりおろし、砂糖、味噌、水のみ。それを鍋で煮たてただけだと。

 ウチにある材料でやってみよう。

 パプリカ炒めたときにも使ったチューブのニンニク。砂糖。味噌。水。

 それぞれの量はネットで調べて、同じような材料で作っているのを参考にした。

 材料を入れて煮詰めた味噌を指で舐めた。

 あの味ではない。でも

「ありだ」

 チューブのニンニクは純粋なニンニクじゃないからか、開封して時間経ってるから風味が落ちてるくせに主張しすぎであざとい感じがするが、それもまた一つの味としていい。

味噌も今たまたまウチにあるのがこの味だけど、いろいろ種類が違うのでやれば違う味になるだろう。そういう意味でも、ニンニク味噌と言っても、作り方も中に入ってるものも、ぞれぞれだから、わたしのニンニク味噌としては、これでいい。

「店とは違うけど、これも無限野菜できる」

 つける野菜はないかと、冷蔵庫を探した。ズッキーニが食べたかったが、そう都合良くない。本体だけ食べて葉っぱが残っている、カブの葉っぱがあった。葉っぱも有機野菜だから残さず食べなきゃと思ったが、細かく切ってご飯似入れて菜めしにするか、味噌汁に入れるかでそんなに量を使わず残っていた。

 カブの葉っぱに味噌を付けてたべてみた。

「うまっ」

 これは、一番かも。

 この味噌に一番合う。

 ちょっと苦みのある柔らかい青菜。この味噌がなかったら、シナシナになって半分くらい捨てちゃってたかもしれない。葉っぱだけ売ってないかしら本気で思うくらい、延々と食べていられる。自分はウサギになったかのような勢いであっという間に葉っぱを食べてしまった。

 粗熱が取れた残りの味噌は、菜奈の結婚式の引き出物カタログでもらった、ふた付き小鉢に入れた。






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