4.オクラ対抗意識
ピーマン昆布は美味しく食べてくれた。
隆平を前にすると、いろんなことがどうでもよくなる。それはとても楽であり、好きだからかなと、思うことにした。なんだかんだ、流れでイチャイチャしてしまうバカップルだなと感じることがある。その学生同士の恋愛みたいな日常が、結婚を遠い先においやる。
菜奈に言ったらのろけにしか聞こえないんだろう。
わたしの方も、相変わらずきちんとした生活をしていない。片付いていない部屋で、ゴロゴロしているのが落ち着く。何年着てるか分からないヨレヨレのTシャツに、ウエストがヒモだから楽なハーフパンツをはいて、色気なんて何もない。
だけど、隆平は機嫌のいいときの猫みたいにくっついてくる。
「藍子、なんかチクチクしてきた。オクラみたい」
わたしの脚を触って、楽しそうに言う。
「やだ、触んないでよ」
最近、体型が一番ぼかせるロングスカートばかり履いてて、ムダ毛のお手入れの間隔がちょっとあいていた。
「手は? 脇は?」
「ちょっと、やめてよ。もう恥ずかしい」
「可愛い」
からかいながら、わたしを抱きしめる。ヤバイとカワイイしか言えない女子高生並に、可愛いを多用するけど、その言葉でどれだけ救われているのか分からない。
隆平との出会いは、三年前の初夏。
わたしは、今のアパートに引っ越してきて、生活雑貨を買いに隣の駅にあるホームセンターに行った。そこが隆平の職場だった。
外の売り場では、花や野菜の苗木を売ってて、隆平の担当だった。
トマト、ピーマン、きゅうり、なす・・・・・・夏に収穫できる野菜の苗木が沢山並んでいた。
「藍子」
突然、名前を呼ばれた。
前のアパートで隣人のベランダ喫煙に耐えられず、引っ越しすることにした。通勤便利ってことで、今まで降りたこともなかった駅だけどいい物件を見つけた。こんなところで知り合いに会うとは思えない。誰だろうと、恐る恐る声がした方を見た。
誰もいない。
「藍子さん、藍子さん~」
今度は鼻歌が聞こえた。
横で、ホームセンターの従業員さんが、トマトの苗を並べていた。
トマトは「アイコ」という品種だった。
「なんだ、トマトか」
わたしは、思わず大きな声で言ってしまった。
従業員さん、隆平はびっくりしてわたしを見て
「はい。トマトです」
穏やかでゆっくりとした低音を響かせ、笑いかけた。
「アイコって言うから、名前を呼ばれたかと思って」
「え、アイコさん。あ、ごめんなさい」
「いえ」
「でも、なんか似てますね。卵形で、つるんとしてて、可愛い」
苗木についてる写真のトマトを見て言った。
「トマトに似てるって言われたの初めてです」
「そうですか。ボクは、オクラに似てるって言われたことあります」
「え、オクラですか?」
「前髪が長すぎて仮に結んだら、さらに顔が長く見えたのか、オクラっぽいって」
手で前髪をつかんでドヤ顔された。確かに、ホームベース型で顎の細い顔の形がオクラっぽい。
「トマトの中でもアイコは美人ですよ。ほら、他のトマトってみんな丸顔」
「美人ですか」
「はい、他とはちょっと違う感じがして僕好きなんです。アイコさん」
藍子にじゃなくて、トマトのアイコのことを言ってるのに、初対面で愛の告白をされたみたいな気分になってしまった。決してイケメンじゃないけど、ちょっとお姫様気分になれて、隆平との会話が心地よかった。
その屈託のない笑顔に、なんとなく好意を持たれてる気がして、わたしはホームセンターに無駄に出かけた。まとめて買えばいい洗剤を一つずつ毎日買いに行ったりした。
しかし、隆平の柔らかな物腰、その穏やかな言葉は自分だけに向けられているのだと勘違いしてるのは、わたしだけじゃなかった。
隆平はおばさま達に人気だった。ある意味、おばさん対応だったんだとさえ思った。
熟練された? 営業トークだったようだ。結婚して子育てに追われて、旦那以外の男性と会話をする機会がなくなったおばさんたちが、楽しそうに話しかけてる。大学卒業してから彼氏がいないわたし、まだ二十代ってだけで、感覚は同じかも知れない。おじさんばっかりの職場と家を往復するだけの毎日、若い男性と話す機会がほとんどなかった。
その寂しい日常を自覚したのは、隆平に「トマトのアイコは他のトマトとは形が違う」という話を4回された時だ。2回目は初めて聞くように対応して、3回目はテキトウに相づち打って、4回目は「他のは丸いですもんね」と先に言った。
沢山いる客の中で、そのほとんどがおばちゃんだというのに、わたしとの会話の記憶なんてないんだなと悲しくなった。
そして、隆平には、チカという彼女がいた。まんまるのミニトマトに千果っていうのがあったので、トマトかと思いきや、店の外で名前を呼び一緒に歩いているところを見てしまった。
大いなる勘違いの末、わたしは軽く失恋をした。
大してイケメンでもないので、なんだかもの凄く悔しかった。
生活雑貨は揃ったし、消耗品は違う店でも買えるので、わたしはホームセンターに行くのをやめた。
約一年後、運命のイタズラか、そのホームセンターで買った壁掛け時計が壊れた。日にち的にはギリギリ1年以内だったので、保証が効く。時刻を知るだけなら100円ショップで事足りるなか、わざわざちょっといいやつを買ったので、ちゃんと修理に持って行くことにした。
隆平は、園芸売り場からお客様サービスカウンター担当に異動していた。
「あ、アイコさん」
顔を見て名前を呼ばれた。サービスカウンターでトマトの名前を呼ぶわけがない。わたしは遠目からでも、そこに隆平がいるのを分かっていながら、きょとんとした顔をして隆平の存在なんか覚えてませんでしたというように振る舞った。
わたしだって、ただのホームセンターの店員の事なんかいちいち覚えてませんよ。他の人に埋もれて忘れちゃうぐらい沢山の人と出会って別れて繰り返しているんですと、よく分からない対抗意識が芽生えていた。
「覚えてるわけないですよね」
「ああ、確か、園芸売り場で」
記憶の糸をたどっているかのようなジェスチャーをした。
「覚えてます? 俺、トマトの中でアイコが一番好きで、アイコって他の」
「ああ、言ってましたね。好きなトマトはアイコなんでしょ。でも女はチカでしょ。まん丸トマトと同じ名前の」
5回目は聞きたくなくて、調子のいいナンパを交わすかのように、チカのことをわざわざ意地悪っぽく言いたくなった。我ながらバカだ。そこまで覚えているんだったら、今思い出したかのような振る舞いをした意味が無い。
「チカ?」
「そう名前を呼んでる女の子と一緒にいるところみたんで」
「ああ、チカ」
「違うんですか」
「チカは僕のことなんか相手にしてくれませんよ。とっくに振られてる。友達として会えば普通に接してくれるけど、完全に対象外らしいです。って、なんで僕こんな話してるんですか」
「知らない」
いや、その事実を知れて、わたしはドキドキしはじめた。
本当は隆平の存在を気にしていたことが分かってしまうようで、なんとも言えない微妙な空気が流れた。
隆平も恥ずかしそうにして、時計の動作確認を始めた。
「電池の接触悪かっただけみたいですね。ここ緩んでて、角度変えたら動きますよ」
「うそお」
コチコチと正常に動いている。わたしと隆平の新しい時間が始まったかのように。
「ありがとうございます。あの、これ、修理代とか」
「外の売店のアイスでいいですよ」
「え?」
「俺、本当は今日6時で終わりなんで、個人的に直したってことで」
壁に掛かっている時計を見ると6時10分すぎだった。上がろうとする隆平をわたしは引き留めてしまったらしい。
「一緒に食べません? アイス」
「え」
オクラが赤くなって、さらに汗をかいている。
従業員としては最低な対応だが、流れできっかけを作ろうとしている男子のけなげさが垣間見えて、久しぶりにキュンとした。この一年間、この人の中に「アイコ」は何回登場したのかなと想像すると嬉しくなった。
修理代と言っておきながら、おごってくれて外のベンチで並んでソフトクリームを食べた。
それが、二人の始まりだった。
そこから月日が過ぎ、もうすぐ二年。一緒にいるのが当たり前になった。
「ねえ、隆平、この間の話だけど」
「この間って?」
「結婚する気あるって」
「ああ、あれね、もう少し待って」
「え?」
なんだよ、もう少しって。
「もうすぐ二人のソフトクリーム記念日だから、その時、ちゃんと」
え。そのまますぎる微妙に恥ずかしい名前だけど、隆平の中では記念日として記憶されていたんだ。
そういう意味のもう少し。
うわあああ。指輪とか素敵なレストランとか、そういうの妄想が果てしなく広がる言葉。
「分かった。待ってる」
二人の結婚生活はリアルに想像できないけど、プロポーズの瞬間は、この上ない幸せな時間に思えた。クリスマスや誕生日を楽しみにする子供の時のような気持ちになった。
「そうだ」
わたしは、宅配有機野菜の中にオクラとトマトがあったことを思い出した。
まな板に、オクラを載せた。塩を振りゴロゴロ転がす。
板ずり。これで、オクラのチクチクを取る。
ちょんまげの生え際みたいな「がく」って言うところを、包丁で一周して取った。
爪楊枝で穴を数カ所開けて、トースターで軽く焼く。
トマトと一緒に、めんつゆのプールに泳がせた。
オクラとトマトのめんつゆ浸し。
「オクラとトマトって相性抜群!」といいながら二人食べた。
トマトはアイコじゃないけどね。