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3.ピーマンと女と男

「ごめん、それ、のろけにしか聞こえないんだけど」

 仕事帰り会社近くの居酒屋で、同期の菜奈に隆平の話をすると言われた。

「いや、全然嬉しくなかったんだってば」

「そのままで可愛い? 痩せなくていい? はああ」

「全肯定だけど、それってさ、頭良くなりたいから本読むって言い出した子に、どうせバカなんだからそんなことしなくていいよ、って言ってるようなもんだよ」

 菜奈は、大きくため息をついた。

「それでもいいじゃん。そんな幸せな台詞。あんたは言われ慣れて麻痺してるんだ」

「そうなの。少女マンガとか読んで研究してるんじゃないかってぐらい、甘い言葉をささやくのよ。あの低音で言われると、まあいいかって思ってしまう」

「やっぱ、のろけか」

「違う違う」

「さっさと結婚すれば」

「結婚か。一応はわたしとする気あるみたいだからな」

「へえ。いいじゃん。子供は?」

「なんか当然いるような口ぶりだった。俺、保育園の送迎するよって言ってた」

「隆平、仕事なんだっけ?」

「ホームセンターの従業員。一応正社員」

「じゃあ普通に生活はできるじゃん」

「まあね。隆平は実家暮らしだけど、両親まだまだ若いから、同居はしなくてよさそうだし」

「親的にもそんなに問題ない。結婚を阻むキャリアもない。好きなら迷う必要なくない? もう30なんだし」

「30か。高校生の頃は30で独身だったらヤバいって思ってたけど、実際、なってみると全然そうは思わない。そういうので焦って結婚してもしょうがないと思うし」

「それは、自分がいつか結婚できるとでも思ってるからでしょ」

「まあ、いつかはね」

 いつかは結婚して子供産んで、とは思う。

 その相手が隆平じゃないかもしれないとも思うこともある。

「甘いよ。隆平が最後のチャンスだね」

「え」

「それとも野菜食べて超美人になって、もっと上目指すのか?」

「いや」

 そんな向上心はない。

 結婚か。

「子供欲しいなら、迷ってる時間もったいない」

 菜奈の声のトーンが変わった。

 三年前、結婚した菜奈。妊娠したら仕事辞めるって言ったのに、なかなか子供に恵まれない。最近、不妊治療をしようかと思い始めていると言っていた。費用も掛かるので、結局ずっと仕事を続けている。

 ママ職員のしわ寄せを受けて、一番面白くない人。

「そういえば、副島さんの旦那って、高谷物産らしいよ」

 子供という言葉から、連想してしまったのか、菜奈は副島さんの話題を出してきた。

「そうなんだ。金持ちじゃん」

「だよね。旦那が高給取りなら、わざわざ働かなくてもいいのにね」

 一言では言い表せない、菜奈の不満を感じた。

 結局、女の敵は女みたいな、社会構造がどこかにある。

 もしも、わたしが隆平と結婚して、さっさと子供出来て仕事辞めたら、菜奈とは今まで通りの付き合いできるのだろうか。どういう真意で、迷っている時間がもったいないと言ってくれているのだろう。わたしも結婚したらすぐに子供は産みたいとは思う。

 子供か。

「ねえ、知ってる? 昔は、人間の情報は男だけが持ってて、女性は入れ物にすぎないって考え方があったんだって」

 菜奈は、ナムルの根付きもやしを箸でつまんで、泳がせるように動かしてわたしの小皿に乗せた。その比喩がふざけてるのか、真面目なのか分からない。

「何?」

「精子とか卵子とか受精卵とか、そういう系の本読みあさってたら、どんどん変な方向にいっちゃって見つけたんだけど」

「はあ」

「人間の始まりは、精子と卵子の核が合体してつくられた受精卵でしょ。男と女の共同制作」

「う、うん」

 菜奈は精子とか卵子とかいきなり語り出したので、わたしは思わず周りを見てしまった。

 別に、生命の誕生。何も恥ずかしいことは言っていない。酔っ払ったオヤジはもっと卑猥な単語並べて喜んでいる。

「受精の仕組みが分かったのは19世紀後半。それまでは、精子か卵か、どっちかにミニチュア人間がいて、それが大きくなっていくっていう考え方があったんだって」

「へえ」

「卵原説は月経の血が卵になって、精子がその発生を促す役割をしているとか」

「鮭の産卵みたいな感じ。雄がバーってかける映像みたことある」

「ああ、そういうイメージかもね」

「で、精原説っていうのだと、女は、精子というタネを植え付ける土壌。つまり、その体は植木鉢。入れ物にすぎない。ムカつく」

「わざと嫌な言い方しなくても。それに、科学の進歩でどっちも否定されたんでしょ」

「そうだけど、なんかさ、その男性優位な思想自体は残ってる感じしない?」

 菜奈は、もやしのナムルを思いいっきり口に入れた。

 正直、わたしはそれを食べる気がしなかった。

 菜奈個人のことで、土壌が悪いとでも非難されたのか。うちの会社の女性の扱いについて一般的な不満を募らせているのか。ものすごいいろんな比喩を内包した、男性優位論に対する不満を感じた。

 酔っ払ってくだ巻いてるようだけど、菜奈はお酒を飲んでない。

 ずっと飲まないようにしている日常が、人には分からない努力しているんだと言っている。わたしには、そんな昔の生命論にいちいち苛立つほど、追い詰められた菜奈の気持ちは分からない。

 なんて言葉をかければいいのか、分からず、私ももやしを食べた。

「隆平の王子様発言はのろけだけど、女性の行動を男性性目線で考える男性に納得できない気持ちは、分かる」

 菜奈のこと分からないと思っていたわたしのことを、菜奈は分かろうとしてくれていた。

「髪を切ったら失恋。ちょっとキレイになったら男ができた。可愛い服着てきたら今日はデート。逆に、その服、その髪型、その爪は男にはウケないよ。って、自分が好きでやってることになんでも男からめるな、って思う」

「分かる」

「鳥とか虫とか、動物的思考だよね」

「どういう意味?」

「例えば、クジャクって雄がキレイじゃん。交尾できるように雌の気をひいて、選ばれるようにするため。キレイな姿を見せるのは異性に対してやること。回り回って自分のためなんだろうけど、人間みたいに自己満足や同性同士楽しんでやってる動物っていなそうだよね」

「確かに」

「しかも、人間以外って雄の方がキレイなの多いんだよね」

「そういえばそうだね。なんで人間の場合、逆なんだろ。男のために女はキレイにしている。それが女として当たり前のような考え方がある」

「そう! そこに、優秀な頭脳を持った人間の、男性に都合のいいようにねじ曲げられた人類の、男尊女卑の歴史を感じるんだよね」

「男性優勢論に戻るのね」

「うん。あ、でも逆の逆っていうか、美意識が高くて他人にも要求してるのに、自分をキレイにしてるだけで、ナルシストとか言われちゃう男性の気持ちは分かる。そういう美容師さんいた。つまり、男女関係なく、他人のためのみに見た目を配慮している人が、常識人みたいな発想が納得いかないんだよね」

「うん。納得いかない」

「そういういのって、日本人的とか、また違う問題もあるんだろうね」

「あるね」

 菜奈の男性優勢論に対する不満に全面的に賛同は出来ないけど、なんとなくわたしのモヤモヤした気持ちの輪郭がはっきりしてくるような気がした。

 とても贅沢なことかも知れないが、自分がなりたい自分になるために努力をしている発展途上のわたし全部、そのままのわたしを愛して欲しいんだと分かった。

 そのままの藍子が可愛いといいながら、自分の知ってる藍子からみ出した藍子は藍子じゃなくなっていくかのように思われているのが嫌なんだ。

 変化さえも愛してくれなきゃ、そのままの藍子にならないんだ。



 隆平の休みは平日なので、予定が合わなくてしばらく会っていない。

 わたしの方から何かを言えば、いつも通りになるんだろうけど、特に連絡もしていない。

別にケンカでもないし、人に言えばのろけにしか聞こえない会話だけど、ずっと霧がかかったような状態だ。やり過ごしてきた二人の日常にけじめをつけなきゃいけないのかと思えてきた。

結婚か。

予定のない土曜の午前中、洗濯をしていた。六月に入ったけど、梅雨入り前でいい天気だ。今週は隆平が来ていないから、洗濯物が少ない。

結婚して二人で住んだら、常に二人分なのかな。

ピンポーン

「おいしい野菜倶楽部です」

インターフォンが鳴り応答する前に、ドア越しにおじさんの声がした。

おいしい野菜クラブ。ああ、低農薬無農薬野菜の宅配「おいしい野菜倶楽部」。そんな名前だった。名乗られるとちょっと恥ずかしいが、それ以外言いようがないんだよな。

わたしは、ドアを開けた。

いかにも農家のおじさん、みたいなおじさんが、段ボール箱を持っていた。

「おいしい野菜倶楽部です」

「ありがとうございます。思ったより早く来た」

「この辺の配達は、土曜日の午前中なんで」

「そうなんですか。あ、そっか自社便だと曜日決まってるんですよね」

「はい。だいたいこの地域はこの時間にお伺いします」

「分かりました。どうも」

 おじさんは、忙しそうに去って行った。農家の人っぽいのは見た目だけで、配達専門の人だろう。次があるので急いでいるようだ。自社便だから受け取り印もいらない。

 ミカン箱くらいの段ボールを受け取った。結構重い。

 中を開けると、野菜とプラスチック製の保冷剤、産地と生産者一覧、ちょっとしたレシピが書かれた紙が入っていた。

 野菜は、ニンジン1本、ジャガイモ2個、小松菜一束、ミニトマト1パック、キュウリ2本、ピーマン2個、オクラ5本。お試しで1000円のセット。

 正直、高いのか安いのか分からない。でも、コンビニスイーツ3~4個我慢でこれだけ食べられるならきっと安い。

 レシピ以外にも、読み物っぽい紙がもう一枚入っていた。

「ジャーガルちぐさ? なにそれ」

 どうやら、ピーマンの説明書のようだ。

 沖縄本島南部にアルカリ性を示す「ジャーガル」と呼ばれる土壌がある。そこで作られた「ちぐさ」というピーマン。「ちぐさ」は半世紀前に開発された古いピーマンで、大ぶりで肉厚、みずみずしく苦みの少ない、主役になれるピーマン。

 現在のピーマンは、薄く、小さく品種改良が行われている。「ピーマンの肉詰め」のために薄皮で火の通りをよくしてある。

 <現在主流のピーマンは肉詰めの容器に成り下がったピーマン・・・かな>

と、生産者の心の声みたいな一文がそえられ、ピーマンにドラマを感じた。

「へえ。容器か」

 菜奈の女性の体が、入れ物にすぎないという精原説の話を思い出してしまう。

 わたしは、「ちぐさ」を手に取った。

 小ぶりな緑色のパプリカ。そんな感じだ。

「苦みが少ないなら、隆平もピーマンと気付かずに食べるかな」

 わたしは、ピーマン以外の野菜を冷蔵庫に入れた。もうすぐ来る梅雨にそなえて、とりあえず根菜でも芋類でも全部冷蔵庫に入れておこう。

 

 ピーマンをまな板に載せて縦半分に切った。

「入れ物じゃねえよ」と言っているかのように、その形が子宮みたいに見えた。

 「ちぐさ」は本当に肉厚だ。

 ピーマンらしさを隠すために横に薄く切った。

 ジッパー付きポリ袋に、切ったピーマンと塩昆布を入れて閉じて袋を振って混ぜる。

 終わり。

 ピーマン塩昆布、簡単で美味い。薄いピーマンだと何個か入れないと寂しいけど、このちぐさなら、1個でも満足できそう。

 しばらく置いておいた方が、味が馴染んで美味しいけど、一口味見した。

「ピーマンっぽくないけど、ピーマンの味で美味しい」

 意味の分からない食レポをだが、やっぱり、ただ美味しかった。

 体が喜んでいる。

 ピーマン嫌いでもきっと美味しいって言って食べられる。

 その人のことを好きかどうか、分からなくなった時の判断基準。

 美味しいもの食べたとき、キレイな景色を見たとき、その瞬間を共有したいと思えるかどうか。

 わたしは隆平にLINEした。

<美味しいピーマン食べに来て。一緒に食べたい>


<参考>

 らでぃっしゅぼーや

「チカラのある野菜・ジャーガルちぐさ」紹介文


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