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ベジタブル・ジェニック  作者: 牧田沙有狸


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21/22

21.真っ赤なビーツに染まれ 

 火曜日、駅前のスーパーがお肉の特売をやっていたので明日のボルシチの材料を買っておいた。

 有機野菜の宅配を始めて、未知の食材に出会って食べたことない料理に出会う機会が多くなったなと思う。ボルシチを自分で作ろうなんて一年前のわたしには予想もしなかった。

 家に帰って隆平にLINEした。


わたし <ボルシチの材料そろえた>

隆平 <たのしみ。たのしみ>


 わたしはテーブルに置いてある、高谷物産の広報誌を見た。

・・・・・・なかなか煮え切らない彼を決心させるにはいい材料じゃない?

 副島さんの、他人事だから楽しんでるのが分かる無責任なアドバイスが、すごい金言のように頭の中を巡る。

 変な別れ方したらストーカーになるんじゃないかと思うくらい、純粋すぎる隆平の愛情。時々、自分がこんなに愛してるんだから藍子も同じくらい愛してるだろう? って母と子の絆級の半分責任感みたいなものを感じる。お互い無償に決まっているという形で逆に見返りを求めてるような、態度で示さなくても、自分が裏切らない限り藍子は裏切らないと信じ切られてる気がする。

 わたしが、そう思ってるからなのかな。

本当にお金だけの問題なのか、確かめたい気持ちに駆られる。


わたし <ねえ、もしさ~お金持ちの王子様が

「藍子はいただく」ってさらいに来たらどうする?>

隆平 <桜吹雪の~?>

わたし <サライじゃなくて>

隆平 <なんで、そんなこと聞くの?>

わたし <副島さんの妄想なんだけど、課長の息子の嫁候補にされてるらしい>

隆平 <玉の輿?>

わたし <ってほどの金持ちじゃないけど。高谷物産>

隆平 <やっぱり、さらわれたいのか?>

わたし <え、なんで>

隆平 <キレイになったから。自分のためとか言ってたけど、やっぱり男か>


 野菜を食べてキレイになるとわたしが言い出した時、言ってた。

 あの時、どうして男はなんでもかんでも女が男目線で生きてると思うんだ、と苛立った。ぶよぶよのわたしを全肯定して、そのままで可愛いと言ってたけど、やっぱり痩せてキレイになったと思ってるんだ。なんか都合がいいなと思えて、また褒め言葉なのに響かない。

 自分でふっかけておいたネタだけど、変な方向に発展するのが怖くてテキトウにはぐらかすスタンプでも送ろうと思ったら、電話がかかってきた。

 菜奈だ。

「もしもし」

>「ひさしぶり。今、平気?」

 風邪なのか寝起きなのか、ちょっと声が低い。

「うん。どうした?」

>「さっき、離婚届出してきた」

 ああ、そうか。

 そうなったか。

「ケリつけたか」

>「うん。やっぱり、ダメだった。離れたら変わってくれると思ったけど逆効果だった。新しい女連れ込んで楽しくやってるみたいでさ。万が一、その女に子供でもデキたら余計傷つくから、さっさと縁切ってきた」

「そうか・・・・・・」

>「向こうの両親も、自分の息子は悪くないみたいな態度なの。結局孫の顔見せられないから、わたしがダメな女なんだって。だったら別探してもいいだろって感じ。それそのまま言ったら、今度はうちの両親がカンカン! もう二度と関わらないよ」

 相変わらず、冷静だ。

 わたしに電話をかけてくるまでの間、いろいろあったんだろうなと感じる。

 これから結婚したいと願っているわたしに、何が言えるんだろう。

「お疲れさま。そうか。うん。じゃあ、仕事は? しばらく千葉にいるの?」

>「うん。でも、離婚ってなると、友達夫婦にも気を使っちゃう。いつまでも居られないかなって」

「仕事として割り切ってもダメか」

>「うん。強がり言ってたけど、心の奥の方ではやり直せるかもっていう思いで保ってたモチベーションだから、もう続かない。自分の体のためにはなったけど、妊娠しやすいとかそういう話聞くのも辛くなってきちゃった」

「難しいね。今までにみたいに全く関係ない仕事がいい」

>「理想はね」

「わたしに権力があれば、戻っておいでと言うんだけどね」

>「あははは。それは望んでないから変な責任感じないで」

 

 新しい道を切り開いたと思った菜奈が、やっぱり戻りたいみたいな状態になってしまった。

 なんだか、菜奈の選択が間違ってたんじゃないかと思わされて悲しい。

 離れれば追いかけてくると思った元旦那。それは甘い甘い理想でしかなかった。

 そして、新しい仕事を始めれば開けると思った一人の人生、違う形で自分を苦しめてる。

 それから2時間くらい、菜奈としゃべくった。

 やっぱり、好きだけで結婚を急いじゃいけないんだと、何度も思わされた。

 でも、世間一般のイメージみたいに「結婚」が幸せの形だとは思って求めてるわけじゃない。そういうのに振り回されて結婚をしたいと思われたら嫌だと反論したい。

 結婚しない選択をしている人が不幸とは思わない。なんて言うと、相手が居る余裕で、最もらしい中立の意見言ってる嫌な奴に思われるんだろうな。それこそ自意識過剰な不安も襲ってくる。

 自分は違うと思いながら、今まで、結婚した人できた人は優位に立ってるように見えてた。どこか、学生時代にいた先に彼氏彼女がデキた子たちの態度に似てる。そのそれぞれの相手を見た時、全然羨ましくないと思ったのに、相手がいないってだけで見下されてる気がした。

 自分が見下す側になる、そうなりたいために結婚を焦ってるのかな。

 そう思われたら嫌だな。でも、心のどこかで思ってるかも。

 思っちゃいけないのか。いけないくないけど、思ってると思われたくない。

 そもそも誰にどう思われるんだ。

 分からない。


 翌日の午後、本社の人が来た。

 わたしと副島さんは課長に呼ばれて、本社の人達を交えた打ち合わせに参加することになった。

 テーブルのセッティングを頼まれたので、副島さんと二人で先に会議室に入った。

「副島さん、これ、どういう打ち合わせなんですか?」 

「詳しくは聞いてないけど、女性の働き方がどうのって言ってた」

「じゃあ、参考意見を聞くために呼ばれた要員ですかね」

「多分、その程度かね。なにも事前資料もらってないし」

 予想通りの気がした。

 女性の働き方と言っておきながら、本社から来たのはおじさんばっかりだし。

 わたしと副島さんが唯一の女性としても、何も聞かされずに参加させられて何が分かるんだ。

 女性の働き方について。働きやすい環境づくりには何が必要か。

本社が各支店にヒアリングをして、いろいろ改革をしようとしているらしい。

 そんなこと言っても、女性が働きやすいシステムは本社だけ取り入れて、それを会社全体がそうなってるかのように振る舞うんだろう。末端のうちみたいな、定年間際のおじいちゃんたちの再就職先みたいな所に、新しい風は届くまい。

 すごく魅力的な働き方のシステムの話を聞かされても、どうせ関係ない。うちにまで話が来ているのは「一応やりました」っていうアリバイ作りのためのように思えてくる。

 でも、この話が本当ならば、お金の問題が少し緩和する。

 マルチ商法のウマい話のように、いいところだけ聞かされて会議は終わった。

 別に、わたしに意見を求められてるわけではないようだ。

 結局の所、どこの会社でもこうなのかなと、諦めを受け入れるしかない気がする。

 女性が働きやすい会社は、最初から女性が中心に作ったような会社で、昔からある男社会の会社が途中から変わっていくには、まだまだ時間がかかるんだろうなと思う。

自分が産んだ子供たちの時代に変わってくれればいいくらいか。まあ、自分の親世代も同じようなこと言ってて、だいぶ良くなった方なんだろう。

 わたし一人が意見を言ったところでどうせ何も変わらない。

 さて、家に帰ってボルシチ作ろう。 

 パソコンを閉じようとすると課長が寄ってきた。

「高梨さん、この後の食事会にも参加してもらえるかな」

「え、今日ですか」

 ボルシチが。

 わたしは副島さんを見た。

「すみません、わたしは子供のご飯何も用意してきてないんで」

「そうだね。お疲れさまです」

 課長は、君は呼んでないから大丈夫みたいな態度で、副島さんを見送った。あらゆる飲み会に参加しないから、それが当然になってる。

 まだまだ女性職員をコンパニオン化している職場、ここでわたしも帰りますとは言えない。しかも、今回の会議に参加した女性職員はわたしだけだ。

 会議では他人事のように思えたけど、実は今後のわたしの動向次第で変わる可能性とかあったりするのかな。これからが本番か? 

 嫌なプレッシャーを感じてきた。

「あの、女性はわたし一人ですか?」

「ああ、寂しいな。高科さんあたりも誘うか」

「お願いします」

 あの人がいれば、なんとかなる。

 高科さんを誘う課長を遠目で見ながら、隆平にLINEするためにスマホを出した。

 電池の残量が残り僅かになっていた。

 昨日、菜奈としゃべくった後、充電せずに寝てそのまま持ってきて気付かなかった。

 どうやら、高科さんも行けるような雰囲気だ。途中で抜けさせてもらおう。

 かろうじて、ゴメンのスタンプと

 <課長に頼まれて食事会にちょっと出席する。なるべく早く帰る>

 とだけ送れた。 



 食事会は、中華料理で二時間の予約だったので、思ったより早く解放された。

 高科さんがいて本当によかった。別に会議から発展した話はでなかった。

 マルチ商法みたいで、どこまで信じていいのか分からない。酔っ払いがその場の気分で都合のいいこと言っていたのかなと思えてくる。

 ボルシチを作ると約束したから、隆平はお腹をすかせてまっているんだろうか。

 こんなんだったら、昨日のうちに仕込んでおけばよかった。

 誰かに充電器借りれば良かった。

 わたしは早足で隆平が待ってる自宅に帰った。


「ただいま」

「藍子~」

 中から泣きながら血まみれの隆平が出てきた。

 手とシャツが真っ赤に染まっている。

「え、何?」

「藍子ぉ。藍子ぉお」

 テーブルに置きっぱなしの高谷物産の広報誌が目に入った。付箋が付いた経理部の癒やし系のページが開かれている。


    <ねえ、もしさ~お金持ちの王子様が

      「藍子はいただく」ってさらいに来たらどうする?>

 

    <副島さんの妄想なんだけど、課長の息子の嫁候補にされてるらしい>


    <ってほどの金持ちじゃないけど。高谷物産>


    <課長に頼まれて食事会にちょっと出席する。なるべく早く帰る>


 わたしが送ったLINEのメッセージを思い出した。

 え、もしかして、隆平勘違いして、やだ。

 え。

 出会った頃の隆平の顔を思い出した。

 わたしを全肯定して、決して裏切るようなことを言わない隆平の言葉。

 ただ、選ばれたことだけが嬉しくてなんとなく付き合ってた二年間と、有機野菜を始めたことをきっかっけに結婚を意識し始めたここ数ヶ月。

 結婚とか出産とか、女性の生き方働き方を考えながら日々迷ってた。

いろんな野菜食べて価値観変わって、チカの存在に振り回されてしばらく会えない微妙な時間もあって、いろいろあったけど隆平はずっと変わらなかった。

 わたしが勝手に苛立ってるだけで悲劇的な状況でもないし、大した事件も起きてない。

 ドラマみたいな奇跡みたいな幸運は舞い込んでこないけど、隆平の存在はちょっとずつ確実に自分の中に染み渡って、わたしを安定させてくれてた。

 野菜の栄養みたい。薬のように劇的変化もない代わりに副作用がない。

 野菜を食べると体の調子が良くなった。

 野菜を食べると幸せな気持ちになれた。

 野菜が自分の体を作ってるんだなと思える。

 隆平の言葉にいつも救われた。

 隆平といるとホッとする。

 隆平がわたしの心を支えてくれてるんだなって思う。

 いまさら、野菜食べない生活なんてできない。

 いまさら、隆平以外の人との生活なんて考えられない。

 わたしは、血まみれの隆平に抱きつき泣き叫んだ。

「隆平、大丈夫、課長の息子の嫁になんかならない。今日の食事会は、全然関係ないから、変な気起こさないで、って、どこ切ったのよ。死んじゃダメ!!!!! 死ななくても、わたしのために自分傷つけるようなことしないで。わたし、待ってるから、自分の都合だけで結婚したいとかもう言わないから」

 顔を上げて隆平の泣き顔を見る。母親に会いたくてしょうがなかった子供みたいに、ぐしゃぐしゃで最高に愛しく見えた。

 何かに欲情しちゃってるみたに、わたしはキスをした。

 わたしから離れていかないように、しつこいくらい。

 隆平は、わたしをぎゅっと抱きしめて

「藍子おおおおっおっ」

 肩をふるわせて泣いた・・・・・・いや、笑ってる。

 笑ってる。

 え、なに?

「どうしたの?」

「タマネギとビーツ」

「え?」

 隆平は台所の方を指さした。

 わたしはまな板に乗っているタマネギとビーツと思われる赤い塊を見た。

「俺、ボルシチ作ってみようと思って、タマネギ切ったんだ。そしたら、切るの止めても涙と鼻水止まんなくて、んで、ビーツっていうの? あの赤いの切ってみたら、なんかすげえ赤いのつく。うっわあえって軽くパニくってたら藍子が帰ってきてくれた。涙出やすくなってるから、泣けてきて。料理ってやっぱり才能だよ。俺向いてない」

「え」

 タマネギとビーツ。

 血じゃない。

「なに、それええええ」

 二人で泣きながら笑った。

「でも、嬉しい。ちょっと強引な藍子も好き、続きする?」

「バカ! もう手洗って」

 だんだん恥ずかしくなってきた。

「でも、よかった。課長の息子の嫁にならなくて」

「だから、副島さんの妄想だって」

「俺、ちょっと焦ったから」

「え?」

 隆平が広報誌に目をやった。

 その視線をたどると、経理部の癒やし系。趣味は「料理」と書かれた文字が目に入った。

「これ見て、料理してみようと思ったの?」

「うん」

「いきなりボルシチは無理でしょ。わたしも作ったことない」

「だよね」

「一緒に作ろうか」

「うん」

 そう言って笑う隆平が、本当に子供みたいで可愛く思えた。

「課長が言ってたけど、もう嫁候補いるらしいよ。高谷物産の受付嬢」

「なーんだ。よかった」

 わたしが、チカの存在をわざと元カノかみたいに言ってた隆平のささやかな駆け引きを思い出した。わたしはまんまと騙されて本音を言ってしまった。

 自分に好意を寄せているように見える人が、他の人に惹かれている可能性があるって知ると、自信が揺らいで焦る。

 副島さんは、そういう材料に使えと言ったのか。

 いやいや、そんなことまで考えてないか。


 二人で作ったボルシチの味は、正直よく分からない。

 今度ちゃんとロシア料理屋に行ってみようということになった。

 やっぱり、この赤い野菜は自分では買わないだろうなと思った。

 でも、わたしみたい。

 ビーツといえばボルシチ。ボルシチと言えばビーツ。

 きっと、ビーツが入ってなければ、ただの野菜スープ。

 これには、これがなきゃダメ。

 わたしには、隆平じゃなきゃダメ。

 そんなふうに思えた。

 



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