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20/22

20.里芋の王子様

 11月は文化祭シーズン。夏休み同様、なんか作る系の企画展示で隆平は忙しい。具体的な貯金の設定額もないまま、お互い節約してるのか分からないが、ただ時間だけが過ぎた。

 今年は、二人で遠くに旅行とか行ってないから、大きな出費はない。つつましく生活してれば、それなりに貯まるかな。

 この部屋も三年目。二年更新だから、そのタイミングでどうにかなればいいか。

 いかにも文化祭とかやってそうな秋晴れの土曜日。

 足立君が来た。

 野菜の段ボールを受け取り回収段ボールを渡すと、またチラシを出してきた。

「あの、クリスマスにチキンとか召し上がりますか?」

「チキンですか?」

「はい。野菜以外にもいろいろやってて、家のオーブンで本格ローストチキンが食べられるっていうのがありまして。予約開始したのでよかったら」

 足立君は、赤と緑を基調としたちょっとリッチな感じがする広告を見せてきた。

 もうクリスマスか。

「オーブンですか。うち、トースターとレンジしかないから」

「ああ、じゃあ、もう焼きがあってて温めるだけってのもあります」

「へえ、美味しそう」

 チラシをじっくり見た。いろいろと種類があるようだ。

 クリスマスのチキン。ローストもフライドもある。

 絵本に出てくるご馳走みたいで見てるだけで幸せになる。

 最近では、コンビニでもスーパーでもそれなりに美味しいの売ってるけど、こういう本格的なのも憧れるな。いやあ、でも有機野菜の美味しい野菜倶楽部が契約してる酪農家のお肉でしょ。高級すぎだわ。まさにご馳走。

「あ、あの、この間、芋掘りにいたお友達って」

 足立君は顔を赤らめて、聞いてきた。

「ああ、チカ」

「チカさんて言うんですか」

「うん」

「たまにお会いになるんですか」

「いや、あれ以来会ってないかも。子供の世話が忙しいみたいで」

「子供」

 足立君の表情が止まった。

 わたしは笑いそうになるのをこらえた。

 いつか聞かれるかなと想像していたので、意地悪だけどなんだか嬉しくなってしまった。別にわたし嘘ついてないし。

「ああいう人がタイプなんですか?」

「はい。あのちょっと筋肉質な感じのサバサバした女性が好きです。でも、笑うととってもチャーミングで」

 チャーミング。そ、そうか。

筋肉質ね。そりゃ、そうだ。

「保育園の先生だから」

「保育園、あ、子供って」

「うん。忙しいみたい」

「そうですか」

 都合のいい解釈をして、足立君は嬉しそうに帰って行った。

 本気で惚れたのだろうか。

 可哀想だけど、その純粋な恋心みたいなものに癒やされる。

肥大する結婚願望で隆平を想う気持ちが曇ってきているわたしには、クリスマスのオーナメントみたいにキラキラしてて、見てるとワクワクして、忘れかけてたものを掘り起こさせるような気になる。

 ある意味、情熱のあるうちに結婚しないと冷めちゃって、結婚なんか一生できない気がする。何もかも整ってから結婚って「今更する意味あるの?」ってなりそう。

 支え合うために一緒になるんだから、何もないからこそ結婚じゃないのか。

 そんなバブル時代のハデ婚みたいなの望んでないし。田舎のやたらお金かかる結婚の儀式もないし。

クリスマスチキンのチラシを傍らに置き、わたしは野菜の段ボールを開けた。

「何これ?」

 巨大ラデッシュ? 紫がかった赤カブ一つ入っていた。

 単純に赤カブではないだろう、珍しい野菜シリーズの括りだろうと思い、紹介文を見た。

「ロシア料理ボルシチでおなじみの野菜。ビーツ」

 ボルシチ? 

 おなじみと言っても、わたしは自分が食べたことがあるだろうかと思った。

 少なくとも、実家の食卓には絶対出たことがない。

 わたしは、ボルシチを検索した。

 赤いスープの画像が出てきた。

トマトスープの朱色っぽい赤じゃない。深紅の赤。

 日本の食卓には馴染みのない赤だ。

 スープの中で毒々しく鎮座する血の塊みたいな真っ赤な野菜がビーツのようだ。

「美味しいのか?」

 この色鮮やかな異国の野菜を美味しいと認識できない自分が悔しい。

色とりどりの鮮やかな弁当を否定した母親の保守的な味覚を否定できないような、よく分からない敗北感が押し寄せてくる。

 ビーツといえばボルシチ。ボルシチといえばビーツ。

 初めましての野菜は、大道料理に挑戦するのが筋なんだろうなと思った。

 ボルシチに必要な材料は、牛肉、ビーツ、ニンニク、タマネギ、ニンジン、キャベツ、トマト、サワークリーム、ほか調味料。

 これは今までの珍しい野菜とは違って、他の材料に金かかる。隆平が来る日に作ってご馳走感を出そう。煮込み料理としては鍋と工程は変わらなそうだし。

<今度ボルシチ作るけど、夕飯ウチで食べられる日ある?>

 とLINEして、ビーツを冷蔵庫に入れた。

<木曜休みだから、水曜日に行く!>との返信が来た。


 月曜日、なんとなく社内の空気が違う気がした。

 課長がソワソワしているように見えた。本社の人が今週中に来るとか来ないとか、なんかやらかしたのだろうか。

 課長は若い頃に結婚して年上の奥さんの尻に敷かれているらしい。50後半だけど息子はもう32歳。出世コースから外れのらりくらりと勤めてきて、課長止まりでそのまま退職だろう。家で威張れない分、男尊女卑が残るこの職場、契約女子職員相手にしてるのは居心地が良さそうだ。

 副島さんの話がもしも本当だったら、自分の部下を息子の嫁にしたら、定年後も家で生きやすいのかも。どんな息子か知らないけど、もしも、とんでもないイケメンで高給取りだったら、とか想像すると楽しくなる自分がいる。

 隆平で妥協する必要ないよ。もっと上を目指していいんだよ。

 君にはそれだけの魅力がある。

なんて展開だったら、運命だから受け入れなきゃ、って気さえする。

「結婚願望」が肥大して、頭おかしくなりそう。

 冷静に考えて、課長がお義父さんになるなんて絶対ありえないんだけど。

 でも、なんで、そんなに聞くんだろう。

 やっぱり、息子関係なしに、この取り立て有能でもない、若くなくなってきた契約社員をこのまま飼っておく訳にはいかなくなってるんだろう。

 副島さんみたいにキャリアがあって、今後、妊娠出産による退職をする可能性がなさそうな人ならいいけど、何においても中途半端なわたし。

 ああ。男はさ、結婚しても子供がデキても仕事を平行してできるから、タイミングとかある意味考える必要ないもんな。

 妊娠して、子供ができて・・・・・・そういうこと考えると、お金貯まったらとか、そんな基準で結婚決められたら、わたしの体どうなっちゃうのよ。って不安になる。

 菜奈みたいに、子供がなかなかできない可能性だったある。

チカみたいになりたくないって言うけど、わたしが向こうの両親に反対されるとも思えないし、うちの両親には隆平をどうこう言わせない。今時、わたしが専業主婦でいられるかどかうかで男の甲斐性を計られたらたまったもんじゃない。そこは説得するし、そこで対立するなら、チャンスと思って自分の親とのわだかまりも解消できるよう頑張るしかない。

 ああ、副島さんが言ってた昔の上司の言葉、ホントにムカついてくる。

 そりゃ女だって、両方同時並行で手に入れようと思えば入れられる。リアルに産む時点で男よりも自分で手に入れた感は大きいさ。

 働き方改革。いろんな働き方があるから、妊娠中も出産後も活躍できる。

 できるよ。きっと、どうにかすれば。心置きなく人の手を借りる状況でいられれば。

 お互い様とか関係なく一方的に助けてもらっても問題ない関係なら。

 そのために必要なのは、やっぱりお金。

 お金が解決してくれる。金がなければ解決されない。

 だって、みんな慈善事業じゃないもん。

 対価がない労働に労力避けないことこそ、お互い様。

 お金。

 ああ、振り出しに戻ってしまう。

 結婚ってなに?

 ああ、もう面倒くさい。

 わたし、何考えてたんだっけ?

 わたしはこのままここで働けるのだろうか。

「高梨さん」

 副島さんが呼んでいた。

「あ、はい。すみません、呼んだの1回ですか」

「1回だよ」

「この間、考え事してて、高科さんに何回も呼ばれてて気付かなくて」

「うん。なんか、すごい怖い顔してた」

「えええ」

「うそうそ。今日、夜予定ある?」

「ないです」

 副島さんが夜誘ってくれる時は、たいてい隠れ家に行くとき。わたしは期待した。

「歓送迎会、あることになってるから」

「お供します」

 そういえば11月上旬に、辞めちゃった子と高科さんの歓送迎会あったけど、毎度の事ながら副島さんは来てなかった。


 

 今日のお酒も料理もお任せ。

毎度毎度思うけど、空手の先生のその強面な見た目から想像できない繊細な味にびっくりさせられる。芸術だ。秋だからそういう言い方したくなる。芸術だと思うと、こういう人の方がすごいもの作れる気もしてくる。

 今日は紅茶のリキュールで作った柿のカクテルだった。

 日本の大人のたしなみ、そんな気分にさせてくれる。

 大人の楽しさをだんだん分かるようになってきた。

 まったりとしているわたしを叩き起こすかのように、副島さんは仕事でも始めるみたいにグラスをちょっと遠い所に置いて、カタログを出してきた。

「今日誘ったのは、ここのご飯食べたかったのが一番なんだけどさ、これ見せたくって」

「なんですか?」

「うちの旦那の会社の広報誌」

「高谷物産の? へえ、こんなオシャレなんだ、すごい」

「うん。去年のなんだけど、そこ、付箋貼ったページ見て」

 黄色い付箋が貼ってあるページを開くと、純朴そうな青年がいた。柔らかそうな髪質だけど短く刈り込んでて、面長の逆三角形の輪郭が里芋みたいな印象を受ける。

 毎月、一人一人にインタビューしつつ社内の人間関係を広げようみたいなページだ。

「経理部の癒やし系 里田純也 誰ですか?」

「課長の息子」

「ええええええ」

 そういえば課長。里田って名前だった。

「高谷物産だったんですか」

「そう。この間、課長に聞いてびっくりした。なんか、里田って人、どっかで見たことあるなーって思って探したら、これだった」

「へええ」

「どう?」

「何がです」

「この人の嫁にって言われたら」

「え、その話、本当なんですか」

「4月からの高梨さんの対応を考えているって言てった。でも、絶対に悪いようにはしないからって。ただ、結婚とかまだ考えてないよね、ってしきりに聞くからさ」

「なんですか、それ」

「ウチの旦那がそうだから勝手な想像だけどね。大手に勤めてる男って、自分と同じキャリアの女性って選ばないと思うんだよね。だから、ものすごく丁度いい」

 副島さんはわたしの肩に手を置き、ゆっくりと頷いた。

 ないないないない。

 全部、副島さんの妄想!!!

自分はいろいろやり切ってしまってそういうのないから刺激が欲しい。子持ち故、人の道に外れたことは絶対できない四十代の女性、人の恋愛でドキドキしたいだけだ。

 たとえ違っても「なーんだ、つまんない」で終わらせるんだ。人ごとだから面白い。

 チカに恋心を抱く足立君の反応を楽しむわたしと同じだ。

「副島さん、わたしで遊ばないでください」

「いや、でも、なかなか煮え切らない彼を決心させるにはいい材料じゃない?」

「え」

「お金の問題で結婚できないなら、金持ちに横取りされても文句言えない」

「あ、」

「これ、あげるから」

 副島さんは、高谷物産の広報誌をわたしのカバンの上に置いた。

 決心させる材料・・・・・・。


「はい、里芋のコロッケ」

 奥さんの白い手が揚げたてのコロッケを差し出した。

 家庭料理と言いながらも、この均一な焼き色はやっぱりプロの仕事だ。

 ケチャップが添えられて、おかずというよりおつまみぽい。

「待ってました!!」

 副島さんは子供のようにコロッケを自分の近くに寄せ、嬉しそうに箸を入れる。白くて細い湯気が中から立ち上る。里芋特有のねっとり感が、柔らかいけれど型崩れをさせない。

「おいしいいいいい」

 全身で美味しさを表現する副島さんの無邪気さが、ものすごく羨ましい。わたしも、早くここまで到達したい。

「高梨さんも食べて。食べないと全部わたし食べちゃうよ」

「食べます」

 本気でなくなりそうなので、熱々の里芋コロッケを口に入れた。

 周りはさっくり、中はねっとり。

コロッケと言えばジャガイモやカボチャのホクホク感という思い込みを覆す。

「おいしい」

 喉を通過して、そのぬくもりがそのまま到達しているのか胸がキュウとなる。訳の分からない悲しさがこみ上げてくる。

 里芋と言えば、煮物ぐらいしか知らなかった。

 逆に言えば、煮物は里芋だろってぐらい、それしかないと思ってた。

 地味で控えめな、おかず。嫌いじゃないけど、幼稚園生のお弁当には渋すぎるおかず。おせち料理も出てくる由緒正しい昔からある料理だから、嫌だった。

 煮物以外の里芋、子供の頃出会いたかった。

 里芋がわたしをこんなに幸せな気分にさせるなんて、思わなかった。


 里芋が本当の王子様だったら、どうする?

 わたしは、高谷物産の広報誌をぼんやり見て考えてしまった。


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