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2.パプリカ美人論

 日曜日にもう1個、新タマネギサラダを食べて、快腸な月曜日を向かえた。

 便秘してないってだけで、こんなに世の中が違って見える。清々しい五月の風が私に優しい。口内炎も縮小してきた。

 高い高いって思っても野菜。外食したら、農薬まみれの輸入野菜の寄せ集めをサラダといって結構高い値段払って食べてる。友達や恋人とその時間を楽しむ外食ならいいけど、一人で食べる食事は、もっと自分の体のために贅沢していい気がしてきた。

 自炊して野菜を味わうなんて、専業主婦みたいな生活しなきゃ無理って思ったけど、切るぐらいなら出来る。素材が美味しければ、逆に調理なんかしなくていい。生でそのまま、チンしただけ、塩コショウで炒めただけでごちそうになる。

 熟読した有機野菜のカタログにかなりに感化されてしまったけど、そうだよなって思う。何をもって「ごちそう」って言うんだろうって考えてしまった。

 忙しいと言っても、作る気力もないほど働きまくってるわけではない。料理は苦手な方ではないけど、メニューを考えられなくて、簡単にできる合わせ調味料ばっかりに頼ってた。シンプルな味付けで満足できたら調味料もあんまりいらないかも。

 野菜の宅配を始めるとしたらおまかせ定期便かな。いちいちカスタマイズすると結局同じ野菜ばっかり選んでしまいそうなので、勝手に送ってきてもらおう。一人暮らし用に二週間分小分けの野菜が5~6種類入ってて1500円くらい。野菜はこれを食べきるようにして他に買わなければ、たいした出費でもない。そう簡単に計算を始めると、天秤にかけるのは美容液じゃなくて、ご褒美スィーツの方だと気付く。ついつい買ってしまうコンビニスィーツの回数を減らせば、なんとかなる。いや、むしろプラス。ここ二年で5kgは太ったのは、絶対これのせいだから。

 甘い物で心の栄養って思ってたけど、体にダイレクトに栄養が行き渡ったら、健康になって、痩せて、肌荒れも解消されたら若返ってしまうかもしれない。美容院に行ったら、ジェニックなファッション雑誌置いてくれるようになる。

 でもやっぱり、いきなり定期便を頼むのは自信がないので、まずは初回限定のお試しセットって言うのを申し込んだ。かなりお得だし、一週間ぐらいで届くみたいだ。


 会社に行くと、副島さんが復活していた。朝早く来ていたようだ。

「おはようございます。お子さん大丈夫ですか」

「ああ、おはよう。おかげさまで学校行ったよ。いろいろありがとう」

「いえ」

 ああ、先週までのわたしだったら、心の中で「ほんとだよ。まったく」と毒づいていたかもしれない。今朝は、許せる。

「高梨さんには相当迷惑かけちゃったみたいだから。これ、お詫びじゃないけど、よかったら食べて」

「え、そんないいです」

「友達が送ってくれて、初物。美味しいからお裾分け」

 副島さんは、ミニトマトが入ってたと思われる容器をさし出した。

「トマト?」

「中はサクランボ。佐藤錦」

 わたしは、まだ他の女子職員が来ていないことを確認しつつ、容器のふたを開けた。

 宝石みたいに光る赤いサクランボが、わたしを見ている。

「可愛い」

 サクランボの佇まいって永遠の少女みたい。実際、美少女アイテムって言うか、可愛い子は「サクランボが大好き」って言って欲しい。可愛い子のための可愛い果物みたい。

 ごくごく普通の、わたくしなんぞが頂いていいものか。いたいけな少女の大切なものを奪うような、それもまた甘美な戯れでエロくていい。

 わたしは、サクランボを一粒口に入れた。

 濃縮還元でもされてるのか、味がものすごく濃い。わたしの知っているサクランボの記憶と一致しない。これはサクランボではないと認証エラーを起こす。これは超サクランボだ。

 黒縁メガネかけて山に「うまい!!!」って叫びたい。

「美味しい」

「でしょ。近所の農園から直送してくれてるみたいで、けっこういいやつでさ。もう、この味を覚えちゃうと、その辺のスーパーで売ってるサクランボ買えないよ」

「ありがとうございます」

「いっぱいはないから、高梨さんだけね」

 野菜のおいしさに目覚めたせいか、今日のわたしには、美味しい果物お裾分けというセンスがもの凄く素敵に思えた。ここでわざわざ買ってきたスィーツを渡されても、子供のお駄賃みたいだし、なんかものすごく恩着せがましい感じがしてしまう。

 本当に、副島さん自体は悪い人じゃない。隆平じゃないけど、味方につけておく人なのかなと思った。


 仕事帰り、体が野菜を欲していたので駅ビルの地下にある自然食品のお店に行った。

 こういうところで、わざわざ買う人って、なんかキレイな人が多いイメージ。

何がジェニックだよ、インスタ映えだよ、現実盛ってるんじゃないよ。と思うけど、そうやって装って、美人気取るだけで気持ちが上がる。

野菜のコーナーに目をやると、黄色と赤とオレンジのパプリカが並んでいた。

 この鮮やかな色、おしゃれ野菜の代表みたい。これ食べてるってだけで、なんか美人に見えてくる。

国産の有機パプリカは、コンビニスイーツ1個と同じぐらいの値段。隣接するスーパーで売ってる輸入パプリカは、広告の品ということもあって、このパプリカの半分の値段だ。

 鮮やかでキレイな色だ。色の違いは栄養価も違うようだ。

 それぞれにPOPがついていた。

  <黄色 ダイエット 冷え性改善 カプサイシンが豊富>

  <赤色 疲労回復 美白・美肌効果 ビタミンCが豊富>

  <オレンジ色 黄色と赤のいいとこ取り ビタミンEも豊富>

 こう書かれるとオレンジ色買っておけば栄養的には良さそうだが、やはり赤と黄色の鮮やかさに強烈に惹かれる。パプリカって言ったらやっぱり、赤と黄色だよな。

 結局、三色買った。


 幼稚園の頃、母の作るお弁当は地味過ぎた。

「藍子ちゃんのお弁当って黒いね」

って友達に言われてすごく嫌だったので、母に文句を言ったら

「色がキレイなお弁当は栄養がないの」と、

見てもいない友達のお弁当が、見た目重視でどんだけ食品添加物で汚染されているのかってぐらいのことを言われた。

 色が鮮やかなものは栄養がないなんて、幼稚園生相手だからってテキトウなことをいいやがってと、思い出した今は反論できる。当時は母の言葉を鵜呑みにして、あの子は栄養が足りないんだ可哀想にと密かに思っていた。

 味覚が保守的な父親に合わせて、母親は定番の和食しか作らなかった。

なんでも醤油色に染まってた。色が濃くてもともと発色のいい野菜、ニンジンやインゲンも、煮物にしかならないから、いつもどす黒い朱色や深緑だった。卵料理は下手だった。友達のキレイにやけた卵焼きは黄色なのに、うちのはいつも焦げてるから茶色い。

 都会のスーパーで買った見切り品の野菜でも、好き嫌い無くちゃんと食べる子だったからか、見た目を可愛くするなどの工夫は一切やってもらえなかった。見た目は悪いけど、味がいいのがお袋の味。男が本当は好きな味は、そういう料理なんだ。みたいな昔の少女漫画的刷り込みが我が家には確実に存在してた。その思想を受け継ぎたくない。

 お母さんの地味弁って、よく上京ものドラマで見る。華やかな東京の生活が添加物のお弁当みたいに見えて、地元の味、地味だけど大好きな味、温かい、お母さんありがとう。って、心の支えアイテムに使われやすいけど、一人暮らしといっても田舎から上京してきたわけじゃないわたしはそういう気持ちにはなれない。どちらかというと実家の方が都心だし。

 庶民の味。地味なお袋の味が愛情も栄養も満点なんて呪縛から抜け出したい。

 友達の弁当を批判する母の思考回路が、キレイな人は性格が悪いと決めつけるブスみたいに思えてくる。見た目も中身もキレイじゃ勝ち目ないから、どこか劣っていて欲しいと思う僻み根性が、目に見えない部分を勝手に悪いものにする。そういう発想する方が性格ブスだってこと、ブスは気付かない。

 母がパプリカを見たら、栄養なんかさほどない。とか言いそうだ。

もちろん、食卓に出たことは一度もない。

 色鮮やかなパプリカ買ってるだけで美人にはなれないが、偏見ブスにはならない気がする。そして、三色一気に買うことが、大人買いみたいで、コンビニスイーツ以上に心が満たされている。



 地上に出ると隆平から電話が来た。

「今、どこ?」

「駅ビルの入り口」

「やっぱり、そうだ、そこで待ってて」

 わたしは、あたりを見回した。

「藍子~」

 隆平が手を振って向かってきたので、わたしはスマホを切った。

「そんな近くにいたの?」

「改札出たら丁度、エスカレーターで上がってくるの見えた。何買ってきたの?」

「地下の自然食品のお店でパプリカ買った」

「えー。パプリカって、ピーマンの仲間だろ。俺、ピーマン苦手」

「何、子供みたいなこと言ってんのよ」

「苦手なものはしょうがない。わざわざ買ったの?」

 自分が食べさせられるとでも思ったのか嫌そうに聞く。

「パプリカって、ダイエットや美肌効果があるんだって、食べるだけでキレイになっちゃうかも。薬に頼らず野菜食べようと思ってさ」

「なんでキレイになる必要あるの?」

「え」

「俺がいるのに」

「え?」

「痩せなくていいよ、藍子は今のままが可愛いよ」

 まただ。

 ダメダメなわたしを包み込んでくれるはずの、全肯定の言葉。

 なのに響かない。

 ありのままの、わたしを愛してくれて、他の誰がなんと言おうと可愛いと言ってくれるスゴい言葉なのに、嬉しくない。

「でも、自分的にはもう少し引き締めたい。ハッキリ言ってこの二年で太ったから。じゃあさ、隆平のためにもキレイになりたいって思うのでもダメなの?」

「俺が、今のままでいいって言ってんだからいいじゃん」

「なんでかな。別に、世間の基準に合わせて無理してるわけじゃないよ。それとも付き合い始めた頃のわたしは可愛くないの? このたるんだのがいいの?」

 長袖で隠されているけど、二の腕を振ってみた。

「いや、そういう意味じゃなくて」

「じゃあ、美人になって他の男に取られるとでも心配してるの?」

「取られるというか、藍子の方が取られたい願望があるのかなって」

「ないよそんなの。なんで男目線考えるの?」

「それ以外ないだろ」

「あるよ。自分が自分のためにキレイにしたい。いけない?」

「自分のためってなんだそれ。絶対に男の目にどう映るか意識してないって言うのか?」

「してない」

「ウソだ」

 なんでそうなるんだ。

 ここで、肌に効くから口内炎にもいいとか、疲労回復とか健康面の方を言えば、野菜を食べるわたしを歓迎してくれるとも思ったけど、キレイになりたいという気持ちを隆平の機嫌を取るために封じ込めるのも嫌だった。

「信用しないなら、いいよ」

 女がキレイになることが、男によく見られたいからという解釈しかできない隆平に、何かものすごく残念な気持ちになった。

 出会った頃の体重に戻したいだけなのに。この怠惰で太ってしまったわたしを、隆平は自分の所有物のように思っている。わたしの意思でキレイになりたいのに、戻るにしても今の状態から変化するならば、自分の許可が必要だと言っているように聞こえる。

 それは、わたしを独占したいという愛情じゃなくて、わたしをものすごく低いところに置いているように思えた。

 隆平にとって、今までわたしがオシャレをしていたのは、全部自分を喜ばせるためのものであり、女のオシャレは本来そういうものだと思っている。そもそも、女は男を喜ばせるためだけの道具だろ、とまではいかないが、そのぐらいに考えているんじゃないかと怖くなった。

 長い歴史の中で、女が自分のためにオシャレをするという考え方は、比較的新しい思想なのかも知れないけど、なんだかとても悲しい気持ちになった。

「え、怒ったの? 藍子、ゴメン」

 また、許しを乞う少年のような顔する。

 隆平はすぐ謝る。すぐ優しい顔する。

 ズルい。

 その場をしのいで、わたしの嫌な気持ちを無かったことにしていく。ケンカになることを恐れて、とりあえず謝る。自分が悪いなんて思ってないのに、謝る。

自分の発言やわたしを不快にさせた考え方を変える気は全くないくせに謝る。

 ある意味、仕事でのクレーム処理みたいだ。

 怒っているわたしはただのクレーマー。

 多分、家に来るつもりだったんだろうが、わたしが怒ったままなので、隆平は「ちょっとでも顔見えてよかった」など甘いことを言って、元々用事があったかのようにどこかに行ってしまった。

 はあ。

 何か引っかかりながらも、無邪気な笑顔と少女漫画的な台詞を恥ずかしげも無くいう隆平に、わたしにはこの人しかいないのかなという気にさせられてしまう。


 家に帰ってパプリカを見つめた。美人三姉妹って感じ。

 この子たちのせいで、隆平が来なかったみたいで、なんともやりきれない。

 いやいや、駅で会わなければ今日は会わない日だったのだから関係ない。

 予定通り、一人の食事の質を上げよう。

 さて、どうやって食べようか。

三色同時に食べたいから、半分ずつ使おう。

 パプリカの栄養を効率よく吸収するには、油と一緒に調理するのがいいらしい。

 野菜本来の味を消さないようにシンプルに、チューブのニンニクを少し入れたオリーブオイルで、鶏もも肉と一緒に炒めてみた。塩コショウのみで味付け。

 マヨネーズのCMみたいに彩り豊かで美しい。これに栄養がないなんて言わせない。

 何も言わずに出したら隆平は食べたのかな。今までピーマン料理やったことなかったかな。無難な和食ばっかり作ってて、隆平もそれを好んで食べていたかも。

 わたしは、ほんのりニンニクが香るパプリカを口に入れた。

「ピーマンと全然違うよ」

 別にピーマンは嫌いじゃないけど、ピーマンと一緒にするなと反論したくなるくらい、まったく違う甘みを感じた。果物みたいな肉厚の感触がごちそうだ。鶏肉の方が添え物に感じる。

 一人で食べる食事の質を上げているのだから、これでいいのに。

 なんだか寂しかった。

 美味しければ、美味しいほど、いろいろな思いが伝わらないもどかしさに、悲しくなった。

 食べ終えて、残り半分は違う料理に使おうと、わたしは冷蔵庫の前に座って中を見た。

 ドアポケットに、五月の連休中に隆平と手巻き寿司をした寿司酢が半分残っていた。

 ラベルの原材料を見た。寿司酢って、酢に砂糖と塩が入ってる。

「ピクルスにするか」

 要するに酢漬けなんだけど、ピクルス液ってワインビネガーに砂糖とか入ってて、寿司酢と似たようなもんだった気がする。

 わたしは、ジャムの空き瓶に、三色のパプリカを縦に切って入れ、寿司酢を注いでふたをした。隆平との思い出がパプリカを美味しくしてくれそうな気がする。これだったら、ピーマン嫌いも食べてくれるかもしれない。日持ちもする。

 瓶に収まった赤や黄色やオレンジ色のパプリカピクルスは、飴細工みたいでサクランボ級に可愛い。見てるだけで栄養をもらえそうだ。ビタミンカラーってやつか。


 翌朝、一晩漬けたパプリカは、食べたら止まらないほど美味しかった。

 隆平に食べさせることなく、瓶は空っぽになってしまった。

 


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