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11.モロヘイヤの誘惑 

 自分にとって都合の悪い話を人に説明すると、どうにも被害者になってしまう。実際は半分以上が憶測で、それを確かめることから逃げて勝手に自分が傷ついてることが多い。

 冷静沈着な菜奈がわたし側に寄り添って慰めてくれることなどない。分かっていながら、金曜の夜の居酒屋で、わたしは隆平とチカのことを菜奈に愚痴った。

「それは嫌だね」

「え」

「ムカつくね」

「え?」

「え? じゃないでしょ。何、驚いてるのよ」

「いや、菜奈だから、確かめればいいじゃん! とか一喝してくるかと思った」

「あらそう。まあ、確かめるべきだとは思うけど普通にムカつく話かなって。母親、幼なじみ、初恋の人、友達に戻れる元カノ、そういう昔の女には勝てないから卑怯な感じがしてしまう」

「昔の女か」

「子供出来たら隆平は保育園お迎えに率先していくと言い出したのは、職場近くの保育園にチカがいるからとか、藍子が大いなる誤解で、ものすごい被害妄想を抱いてたとしても、隆平の中でチカは大事にされてるのは確かでしょう。昔を知らない藍子は立ち入れない世界で思い出を共有している。それはしかたがないけど面白くない」

「相変わらず鋭すぎ」

 思った。すごく思った。チカのいる保育園に子供あずけて、その送迎を隆平がやるってなったら、チカと子育てしてる気分味わえるじゃんって。だからかー! って思った。

 それは考えすぎとして、隆平が仕事を理由にわたしに会えないと言っておきながらチカとは会っているその事実より、母親以外どれに属するか分かんないけどチカが昔の女で、チカの方の気持ちが分からないから問題なんだ。

 大好きなママ、仲良すぎる異性の幼なじみ、永遠の憧れの人、恋愛超越しちゃった元カノ、勝負を挑むだけ無駄だ。自分にも似たような存在がいればいいけど、そんな少女漫画的なソウルメイトみたいなのそうそういるもんじゃない。

 隆平にとってチカがどんだけの女か、分からない。

 見た目の印象は、到底適わない美人でも、わたしのが上だ! と言いきれるレベルでもない。微妙なライン。サバサバしてるけどエプロンが似合てって、まさに保育園の先生って感じ。野菜の花みたい。実はキレイに咲くのに自己主張しない、派手さはないけどその場を明るくするお花みたいな人だった。

「あ」

 チカの顔を思い出して、気付いたことがあった。

「どうしたの?」

「保育園の先生だったんだけど、名札が違った。チカじゃなかった」

「なんて書いてあったの?」

「あい先生」

「あい。苗字?」

「え、でも保育園とか幼稚園って下の名前で呼ばない? あいこ先生とか」

 自分で言って微妙にかぶっていることに気付いた。嫌だな。

「その人、本当にチカなの?」

「そう言われると自信ないけど、隆平と話してた人と同じ顔だったよ」

「実は、双子の妹とか」

「何、そのベタな展開」

 菜奈が嬉しそうに笑い出した。

「やだ、面白い、やっぱり確かめてみようよ」

 女子中学生が好きな人の秘密に近づいた時のようなノリだ。解明したい謎はありふれたミステリー小説みたい。そっくりさんとか、双子とか、整形とか、あり得ないから。

「どうやって?」

「保育園に聞くとか」

「ああ、そっち」

「そっち以外ある? え、隆平に聞くつもりだった?」

「うん。だから聞けないと思った」

 同一人物だろうと、なかろうと、チカの存在が面白くないのは変わらない。チカによって心乱されていることを隆平に分からせたくない。悔しい。

 でも、傷つけられるなら、先に知っておきたい。

 耐えられる自信がないから。

 ああ、いっそ探偵でも雇ってこっそりと全部調べて欲しい。

 何かを察知したかのように、テーブルに置いてあったスマホが振動した。

「やだ、隆平。なにこの展開」

「出なよ」

「う、うん」

 ケンカしてから一ヶ月近く話していない。

「もしもし」

-「あの、俺。あ、久しぶり」

 微妙に緊張しているような隆平の声。

「ひさしぶり」

-「あのさ、大事な話あるんだけど、今から会えない?」

「大事な話?」

 面接を受けた会社から来た電話に出ているような気分だ。たいていがメールで不採用を知らされる中、丁寧に電話が来ると期待を寄せてしまう。しかし、決まり切ったあいさつのあと、残念ながらと、二人の未来がないことを告げられる。

 あの時の、ドキドキと同じ。電話口から感じ取れる相手の申し訳なさそうな空気が、最後まで言わなくても分かるよと切りたくなる。

 そして、電話を取った瞬間に戻りたいと思う。あの一言を境に自分の置かれている状況が変わってしまったことに絶望する。ほんの一瞬期待を寄せたせいで、ものすごく落ち込む。その繰り返しで傷ついた心は、いい期待をしないようになった。だんだん麻痺してきて、大事な話と言われて、嫌な方向にしか思えなくなってしまった。

-「会って話したい」

「あ、ゴメン、今日は無理」 

 わたしは菜奈の方を見た。菜奈はまゆ毛を動かして、なんで? と聞いている。

「菜奈、会社の友達がね。今月で仕事やめるの。今日、送別会だから」

 菜奈は思いっきり首を横に振って、スマホを奪おうとした。

 わたしは両手で抱えて壁際により、菜奈に取られないようにした。

-「そっか。俺土日だめだから、じゃあ、来週、また連絡する。今日は友達につきあって」

「うん。ありがとう」

 スマホを切るなり、菜奈が怒った。

「全然、無理じゃないから! 何、送別会とかいってまだ半月あるし」

「だって、大事な話とか怖い。別れ話だったら心の準備ができない」

「プロポーズかもしれないじゃん」

「それも怖い」

「なんで?」

「分かんない」

 永久就職。結婚することをそんなふうに言ってた時代があった。女の働き口が主婦で、女の子の将来の夢がお嫁さんとか言ってた頃。

 そんなふうにはならないけど、同じくらいの覚悟があると思った。古い時代の思想を語る両親にすり込まれているからだろうか。

 隆平が結婚を考えていると聞いて以来、わたしの心は落ち着かない。ただ好きな人と一緒になるという単純なものに思えない「結婚」という重圧に、勝手に疲れている。

 就職先として、本当にここでいいのか。

 わたし以外でもどうせいいのだろう。今の職場と同じような扱いなんだろう。自分の意思はどこかに置き去りにされて、相手に選ばれたどうかばかり気になってしまう。

 チカの存在に苛立ちながら、チカによって傷つけられたという負い目があれば、隆平はわたしを選ばずにはいられなくなるのかなとか考える。

 だったら、真正面からはっきり自分の気持ちぶつけたりしないで、そのままにしてもっと最悪な状況になればいいのにとか、わざと不幸になる自分を想像したりしてしまう。

「マリッジブルー?」

「え?」

「いや、幸せを前に怖じ気づくというか、結婚ってそれなりに人生変わるから」

「そうなのかな」

「心の準備が必要なら、引き延ばしてもいいよ」

「うん・・・・・・」

 マリッジブルー。

 自分も他者もなんとなく納得させる、そんな素敵な名前があったのか。

 そうなのかな。



 結局、次の週になっても、仕事が忙しいのでまた改めて連絡すると隆平からメールが来た。

 相当、大事な話で、早く話せばいいてもんじゃないんだろう。

 また予定のない週末が来た。

 キレイな人のジェニックの生活はどこにいったんだという部屋で、わたしはいつまでも布団から出られない。

 インターフォンが鳴り「美味しい野菜倶楽部です」という元気な声がした。

「やばっ」

 野菜が来る土曜日になっていた。淡々と過ごす変化のない毎日はあっという間に時間が過ぎる。

 まゆ毛のない顔で、とりあえず髪だけ束ねてドアを開けた。イケメンにどう思われようといい。

「どうも」

 生気のない顔で対応すると、イケメンは軽くビビっていた。

「大丈夫ですか?」

「ええ、まあ」

「ちょっと重いので、中に起きましょうか」

「ああ、お願いします」

 わたしは、イケメンを玄関にいれた。

 がっしりした背中を横目で見て、抱きつきたい衝動に駆られる。

 自分より大きな存在にひっつきたい。子供みたいに守られる側になって安心したい。この背中貸してくれないだろうか。

「じゃ、失礼します」

 何かを感じたのか、イケメンは逃げるように外に出て、お辞儀をしたまま静かにドアを閉めた。

 なんとも言えない恥ずかしさと虚しさがこみ上げてきた。

 年下の男を襲おうとしてた欲求不満のおばさんか。

 わたしはゆっくりと段ボールを引きずりながら移動させ、冷蔵庫の前で蓋を開けた。

 キャベツ、カボチャ、ニンジン、モロヘイヤ、レンコン、タマネギ

 重量のある野菜が多い。カボチャは前回も来たが、また種類が違うようだ。 

有機野菜を食べ始めた頃、キレイに彩られたお弁当のように、華やかな自分の人生が作られていくような気持ちだったのに。だんだん、普通になってきて、美味しいのが当たり前で感動も薄れてきた。冷蔵庫に野菜を収めていく。前回の野菜も少しずつ残っているので、整理するように入れた。

 それだけの作業に何分掛かってるんだってぐらい、すべてにやる気がない。

 最後に、唯一軽い野菜を手にした。

 モロヘイヤ。これもゴーヤ同様自分では買わない野菜だ。こうゆう野菜を見ると少しだけ新鮮な気持ちになる。見た目はその辺に生えてる葉っぱだ。わたしはモロヘイヤの下処理の仕方が書いてある紙をみた。


        柔らかい細い茎と葉っぱ部分が食べられます。

        茹でて冷水にさらし、こまかく刻むと粘り気が出てきます。


「太い茎は食べなくていいんだ」

 ちょっと前に、モロヘイヤの鞘、種子には毒があるというネットの記事を見た。栄養価が高くて「野菜の王様」と言われ、家庭菜園で流行っているけど気をつけるようにという内容だった。

 このただの葉っぱ、ここは毒があるけど、ここは栄養満点とか言われても、怖い。わたしは床に転がりながらスマホを手にして、モロヘイヤの毒について検索した。

 鞘や種子には毒があって、茎にも毒はある。しかし、スーパーで売ってるモロヘイヤの茎は大丈夫とのこと。有機野菜で、それについてるレシピに、葉っぱと柔らかい細い茎と指定があるのだから、この茎は捨てた方がよさそうだ。

 起き上がり、モロヘイヤの茎をも見た。

「そもそも美味しくなさそうだから、いいや」

 わたしは、台所に立ち鍋に湯を沸かした。その間、太い茎から葉っぱを一枚ずつ摘んだ。

 鍋の中にモロヘイヤを入れていく。ただの葉っぱに見えて、小さい頃砂場で、水を入れたバケツに葉っぱを入れた時を思い出す。ママゴトみたい。

 緑が濃く鮮やかになっていく。すぐに引き揚げて冷水にさらした。

 水気を切ってまな板に並べた。

 わたしは、最近のこじれた思考回路を断ち切るようなイメージで、まな板を叩いてモロヘイヤを刻み始めた。粘りが出てきて細い糸が時折見える。

 刻まれてバラバラになるのに、新たなる糸でつながって行く。

 わたしは、どうしたいんだろう。

 ネバネバをまとった緑色の物体を口に入れた。

 青臭い。

 醤油とか鰹節とかかけたら美味しいんだろうな。

 他のネバネバものと一緒に食べるといいのかな。納豆、めかぶ、とろろ芋、オクラ。

「オクラ・・・・・・」

 わたしは、どこか官能的なモロヘイヤの粘つきを指でいじった。

 もの凄く安っぽい種類の、寂しいという感情がこみ上げてきた。

 引きずり込まれる負の感情を断ち切るように、インターフォンが鳴った。

「おいしい野菜倶楽部です」

 野菜の配達イケメンの声がした。

 玄関に置き去りにされた先週の回収段ボールが目に入った。段ボールは繰り返し使われているので、回収しないとどこかで足りなくなってしまうのかもしれない。

 わたしはこれを回収しにきたのだと思い、ドアを開けた。

「あの、本当に大丈夫ですか? 心配になってしまって」

「え?」

「あの、おいしい野菜倶楽部では配達をしつつ、お客様の健康状態もお伺いしてるんです。配達スタッフは、ホームヘルパーの資格も持ってて、万が一対応もできるように研修を受けてます。お年寄りや持病をお持ちの方は、遠方に住む家族が契約されてたりするんです。毎週、元気かどうか配達スタッフがお伺いして、お伝えしてます」

「はあ」

「だから、高梨さんのご様子も二週間に一回ですが、僕、見てます」

「え」

「元気なさそうだから、この時間帯の配達終わったんで、寄らせてもらいました。大丈夫ですか」

 なにそれ。

 このくらいの元気のなさ、普通なのに。いい女風の演出が基本ベースになったのかな。

 でも、嬉しい。

 隆平に、具合が悪いから帰れと言ったのはわたし。あの時は帰って欲しかった。でも、それから来てくれない。それは彼なりの優しさで、本当に忙しくて動けないのかもしれない。

 でも、どこかで、こうやって、強引に来て欲しかった。

 わたしの言葉を鵜呑みにして会わないなんて、隆平の方が会いたくないんだと思ってしまう。

 会いに来ればいいのに。

 話があるなら、来ればいいのに。

 わたしは、モロヘイヤがついた指のまま、イケメンの手を握り、玄関の中に引き入れた。

 ドアを閉めて、勝手に胸を借りて泣きだした。


 モロヘイヤには、毒があるかも知れない。


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