10.ゴーヤの向こう側
家まで一駅あるけど、歩いて帰ることにした。
道沿いに保育園があった。土日も対応しているようで、子供が何人遊んでいるのが見える。
一階の窓の前にプランターが並んでいた。そこからたくさんの葉を茂らせた緑色のツタが元気よく伸びて、二階の窓にまで届いている。よく見ると所々、立派な実がなっている。ゴーヤだ。
保護者や地域住民に説明するかのように「園児達が育ってたツルレイシ(にがうり)のグリーンカーテンです」と紹介パネルが端っこに立っていた。
ツルレイシ。にがうりってことはやっぱりゴーヤだ。ゴーヤもいろんな名前があるんだな。
みんなで一生懸命育てるのはグリーンカーテンなんだろうな。保育園児がゴーヤを喜んで食べるとは思えないし、ピーマンと違って食べられるようにさせたい野菜ではないだろう。わたしが幼稚園に行ってた頃は、ゴーヤなんて見たことなかった気がする。
正直、わたしはゴーヤが苦手だ。
自分では絶対買わないだろう。
宅配でゴーヤが来ていたことを思い出した。しかも結構大きなやつ。どうやって攻略しようか。
ゴーヤチャンプルも卵と肉に対して薬味的な苦みが大人の味って感じで美味しいんだけど、少しでいい。3、4切れで充分だ。
一本、どうするか。でも、有機野菜だからきっと結構いい値段なんだ。
このボコボコした緑色の物体、誰がいつ食べようと思ったんだろうか。果物みたいに中は実は甘くて美味しいってことはなく、見たまんま苦いし。
ゴーヤチャンプル以外で、きんぴらとか浅漬けとかレシピ見たことあるが、好きじゃないのにまるごと一本分食べられるもんじゃないだろう。この夏の親友、青唐辛子にどうにかしてもらうか。なんか、ご飯の友達ばっかり作っても、一気に食べるわけじゃないからそんなに日持ちしないものを作っても結局捨てることになりそうだし。
何が来るか分からない野菜の宅配、初めて困ったかも。
わたしは、グリーンカーテンの前でゴーヤの調理法を真剣に考えた。
さっき見たホームセンターでの光景をフラッシュバックしようとする自分を一生懸命邪魔している。隆平とチカのことを考えないように、目の前にある単純な問題に取り組んで、自分を守ろうとしてるもう一人の自分を自覚した。
そんな脳内の事情が他者にわかるはずもなく、わたしは保育園の前で園児を狙う不審者に見られたのか、中から初老の女性が出てきて声をかけられた。
「あの、何かご用ですか?」
「え、いや、ゴーヤが立派だなって」
「あ、ゴーヤですか」
園児をさらう精神的におかしい母親願望の強い女ではなく、興味がゴーヤにある人だと分かると女性はホッとしていた。ゴーヤを見る目が純粋で、犯行を悟られないようにゴーヤで誤魔化したようには見えなかったんだろう。
「これ、子供達食べるんですか?」
「ええ。食べますよ」
「苦いのに?」
子供みたいなことを言うわたしに、女性は笑った。
「ゴーヤチップスにすると、喜んで食べるの」
「ゴーヤチップス?」
「片栗粉つけて油で揚げるだけ」
「へえ」
「あ、半分に切ってスプーンで種とわたを取って、このくらいの厚さに切ってね。塩をまぶして5分ぐらい置いて水分を出してから片栗粉付けるといいわよ。小麦粉でも大丈夫。片栗粉を使うと表面サクサク。小麦粉使うと表面カリッと中柔らか。お好みで」
まさか、そのまま油にぶち込むとでも思ったのか、女性は下処理の方法を補足した。わたしが、それぐらい分かってるよという顔をすると、途中からジェスチャーを混ぜてポイント解説みたいに細かく説明してくれた。
「美味しそうですね」
「おやつに出したら、すぐなくなっちゃうわよ」
「やってみます。ありがとうございました」
保育園児にでも食べられるって、どんな味なんだろうと、わたしはゴーヤチップスのシミュレーションをしながら歩いた。
駅方面から歩いてきた女性をとすれ違った。保育園に向かう母親な気がして、わたしは振り帰った。保育園の中に入っていくところを見届けると、待っている子供の気持ちにでもなったか、妙にホッとした気分になった。
土曜日に仕事がある人も多いんだろう。
わたしの母は専業主婦だった。小学校に入るとパートを始めたけど、学校に行ってる間だけだから、保育園や学童保育にお世話になったことはない。
母が家にいない体験がなかったので寂しい思いをせず育ったかと言われると、他の体験がないのでなんとも言えない。一緒にいたって感じる孤独感というものがあるから、子供としてどうだったかは良く分からない。この人がいないと自分は生活できないと日々思ってたけど、無条件にただ「お母さん大好き」と思ったことがあるか微妙だ。
それは母親だけの問題じゃなくて父親が元凶なんだろう。母親という存在が好きになれなかったのかもしれない。家の事は全部母親が、女がするべきだという家庭だった。母親は絵本的に言えば、召使いと同じだと思っていた。母親自体も、家事を楽しんでいるように見えず、お父さんは外で働いてるから家の事をするのは当たり前、みたいなスタンスだった。
嫌だと思いながらその古い考え方に縛られている自分がいる。
家事は男もやるべき。
そう言いながら、そう思ってしまう自分は女としてダメなんだと罪悪感を抱く。
時代は変わった。
そう思っても、結婚すると召使いにされる恐怖を抱いてる。
その抱えきれない負の感情から抜け出したくて、隆平から逃げだしたけど、違う女がその役割を果たしてしまうかと思うと、もっと嫌だ。
そうと決まったわけじゃないけど。
なんで、仕事忙しくて恋人のわたしには会えないのに、友達には会えるの?
友達じゃないんだ。
隆平は、本当は、ずっとずっとチカが好きなんだ。
きっと、チカに誘われたら断らないんだ。
考えないようにしていたことが、どんどん押し寄せてきて、わたしは走った。
家に着いて、冷蔵庫からゴーヤを出した。
半分に切って中のわたと種をスプーンですくった。ガリガリと白い部分がなくなるまで掘るようにすくった。結構真ん中の部分が多いので、わたを取ると食べる分が半分くらいになってしまった。
裏返してトンネルみたいなゴーヤをまな板に置いた。緑色のボコボコが気持ち悪い。
5mmぐらいの薄さにした。結構な量になる。塩をまぶしてしばし置く。鮮やかな緑色だが、やはり美味しそうな食べ物には見えない。
ゴーヤのわたや種を生ゴミとして、まとめると涙が落ちた。
一工程終わり区切りがついたからか、蓋をしていた考えがあふれて流れ込んできた。
この、悲しい気持ちはどこか不純だ。
隆平のことが、すごく好きだから苦しんでいるんじゃない。
隆平に裏切られた。かもしれない、断片を見ただけなのに、自分という存在がまた否定され始めた気がしてしまう。自尊心が傷つけられる日々を、もう一度繰り返してしまうのではないかと思えてならないからだ。
自分が悪かった訳じゃない。
相手が求めているものと合わなかっただけ。
そう、何度自分に言い聞かせても、それを証明してくれる場所に出られなかった。最終的に就職できた今の職場だって、自分のやりたいことなんてひとつもない。
やりたいことから、できることに変わって、だんだん自分のやりたいことも分からなくなってきた。
隆平は、そんなわたしを受け止めてくれた。
受け止めてくれた隆平に裏切られたら、もう、立ち直れない。
男も家事をやるべきなんて思わなければよかったの?
これ以上考えると、被害妄想が半端なく広がってしまうので、わたしは頭を大きく振った。
「ゴーヤチップスに集中しよう」
涙を拭い、思いっきり鼻をかんだ。
塩で水分が出たゴーヤを軽く絞ってキッチンペーパーで水気を取り、片栗粉を入れたジッパー付きポリ袋に入れて衣を付けた。
油を入れて火を付けたフライパンに菜箸を付けると小さな気泡がでた。油の海に、ゴーヤをそっと入れた。
パチパチと鳴る油の音が、わたしに拍手をしてくれてるかのように聞こえる。頑張れ頑張れと。互いがくっつかないように、菜箸で丁寧に揚げていく。片栗粉だと白っぽく揚がる。
サクサク派なので片栗粉にした。
見た目でもサクサク感が出てきたゴーヤを引き揚げ、キッチンペーパーを敷いたお皿に置いていく。揚げながら、一つ塩を付けて味見をしてみた。
「うまっ」
ほのかに苦いけど、スナック菓子みたい。おやつだ。確かに子供でもいける。
これなら一本なんてあっという間に食べてしまう。
全部揚げて、全部一気に食べた。
食べてると、何も解決してないけど、なにか気が済んでいく気がした。
苦手な物を克服したみたいで、嬉しかった。小さな幸せ見つけて自分を褒める自己啓発本風に言えば「昨日より成長した自分」に出会えた。
その流れで、いい話風にまとめれば、さほど努力もせずに苦手なものを受け入れられた
この経験、違う世界の人の話を聞くこと、人の手を借りることも大事なんだよとゴーヤに教えられたとでも言おうか。
翌日、やっぱりトイレットペーパーの在庫が心配なので、ホームセンターに向かった。
本心は、ただ隆平に会いたい。
会えなくても、見たいと思ってしまった。
出会った頃と同じだ。
チカの存在を気にしながら、隆平に会いたくて店に行く。
ゴーヤチップスが美味しかったので、なんだかあのグリーンカーテンを見たくなったので、保育園の前を歩いて行った。
遠目で建物を見ると、電気がついていて人影が見えた。日曜日もやっているようだ。
二階の窓を開けて建物の中からゴーヤの葉やツルを整えている人がいた。エプロン姿の若い女の人。
建物の近くまで行くと、エプロンにひらがなで書かれた名札をつけているのが見えた。保育園の先生のようだ。
すっかりゴーヤに親近感を覚えたのか、これ、アパートのベランダでやったら怒られるかなと想像してしまい、わたしはゆっくりと歩きながらもゴーヤを整えている人の動作に見入ってしまった。
汗を拭うためにその人が前髪をかき上げ顔をあげた。
また、わたしは固まってしまった。
え?
見覚えのある顔だった。昨日見たばっかりの顔だった。
思い出さないようにしていた顔だった。
チカだ。
また、チカだ。
隆平の職場の近くで働いているのか。
わたしは足を速めて、駅に向かい電車に乗った。
またトイレットペーパーを買わずに、帰ることにした。




