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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第二章 承
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瓢箪から駒

 私は八島さんを見たまま、むにーっと自分の頬を引っ張ってみた。痛い気がする。気のせいじゃないことをよく確かめようと捩じってみたら、自然と顔がしかめられてしまうほど痛い。


「いかがなさいましたか?」


 優しく聞かれて、私は手を頬から離して、彼の頬を触ってみた。ひたりと吸いつくような肌理の細かい張りのある肌。


「なんでございましょう?」


 彼がしゃべると、掌の下の肌もリアルに動いた。その感触に、びっくりする。


「あ、あれ? 夢じゃない?」

「はい。夢ではございません」


 八島さんが頬に当てた私の手を取り、微笑みを深くして言った。


「え、だ、だって、どうやって部屋まで戻ってきたの? 靴はいつ脱いだの? それに、昨日だって、どうしてあの駅で私が降りるってわかったの?」

「それは、あれだけ呼ばれれば」


 彼は、くすっと喉の奥で笑って、顔の横で握ったままだった私の手を引き寄せると、ちゅっと指先に口づけた。

 私は考え込んだ。彼と目は合ったままだ。穏やかに微笑んで、いつもどおりの態度だ。ということは、これは執事として当然の行為で、男の人に手を握られて指にキスされてドキドキするとかいう反応は、お門違いになるのだろうか。

 ……きっとそうだ。何しろ女主人の夜のお相手もするくらいだもんね。

 私は無言で彼の手の中から自分の手を抜き取った。目をそらして、一歩下がって距離をとる。


「会社行かなきゃ。遅刻しちゃう」


 いや、もう、遅刻だ。

 でも、どうやって行けばいいんだろう。この格好では失敗した。あ、そうだ。タクシーで行こう。アパートの下に来てもらって、会社の前で降ろしてもらえばいい。ドアtoドアなら大丈夫だろう。お金がかかるけれど、しかたない。

 だって、こんなことで会社やめちゃったら、八島さんがいなくなった時に困るもの。なんとしても、仕事だけは続けなくちゃ。

 ……それと。


「八島さん、あの、お昼はいただきますけれど、もう、お夕飯からお食事の用意はいりません」


 さすがにさっきので懲りた。変装で外を出歩けるならと思っていたけど、どうやら私の美人オーラはそのくらいではごまかせないらしい。八島さんのご飯を食べると美女になっちゃうというなら、すっごく惜しくて悲しくなってくるけれど、諦めなければいけない。

 ところが。


「それは承知いたしかねます」


 思いのほかきっぱりと拒否されて、私は驚いて彼へと顔を向けた。


「ど、どうして、ですか」

「千世様の健康と長寿をお守りするためです」


 ああ、そうだった。私の健康が彼の健康につながっているんだもんね。私が健康でいないと、この人が困るんだもんねっ。


「あの、ですね」


 私は意を決して、彼を見据えた。ぐっとお腹に力を入れる。先に延ばしても、同じことだもの。どうせなら、早く言った方がいい。


「はやく新しい(あるじ)(かた)を探してください。私では、あなたの主として足りてません。いろいろ不出来で、今までごめんなさい」


 これまでの感謝と謝罪を込めて、深く深く頭を下げる。


「……それは、契約を解消したいということでしょうか」

「はい」

「……そうでございますか」


 八島さんが、すうっと一歩分離れていた距離を縮めた。さっきまで抱き付いていた距離に戻る。触れるか触れないかのあまりの近さに、どうしたのかと恐る恐る体を起こす。

 けれど彼の顔を見れなくて、うつむきかげんに目の前にある胸元あたりを所在無く眺めていると、八島さんに聞かれた。


「私の何がお気に召さないのでしょうか」

「お気に召さないなんて! そうじゃなくて、私なんかじゃ、八島さんが役不足です!」


 ま、間違ってないよね。確か『役不足』はその人に対して役が軽すぎることを言うって、新聞に載ってた。私、反対の意味で使ってたから、うわー、赤っ恥ー、と思ったのだ。


「では、ご不満はないと?」

「ないです、ないです、全然ないです! ……ただ、だからよけいに、っていうか、……その、このまま甘えていると、いざ八島さんがいなくなる時に、生きていけなくなっちゃいそうで、困るっていうか」

「私が千世様のお傍から離れる、と?」

「はい。新しいご主人様が見つかるまでってお約束なのは、ちゃんとわかってますから」

「それは、千世様がそう望まれたからです。私の意思ではありません」

「え?」


 私は思わず八島さんを見上げた。


「千世様が、そう仰ったんです。執事など必要ないから、と」


 八島さんと目を合わせてしまったのは失敗だった。至近距離で表情を消した瞳で──傷ついた瞳で、淡々と言われると、罪悪感にしどろもどろとしてしまう。


「その、違うんです、必要ないっていうか、えと、私にはいらないっていうか」


 って、私同じこと言ってるよ!


「あああ、そうじゃなくて、そうじゃなくてですね、執事さんっていうのは、もっとすごいことをする偉い人に付いているべきだって思うんです。私なんて、自分が生きていくだけで精いっぱいで、他の誰かのためになる大きなことなんか、できないです。……私の方こそ聞きたいです。八島さん、これまで立派な方たちのところで働いていらっしゃったんじゃないんですか。なんで私なんかに仕えようなんて思ったんですか?」

「千世様が縁だと仰ったのではありませんか」

「縁?」


 そんなこと言っただろうか。覚えがなくて少し首をかしげると、ああ、そうでした、と八島さんは頷いた。


「千世様は酔っておられましたから、覚えていらっしゃらないかもしれませんね」


 あああああ!? まさかの新事実! 私が彼に執事になれと説得したの!? 嘘ぉっ!? 当日の私、ほんっと、何やらかしてたの!! 酔っぱらってたからって、していいことと悪いことがあるでしょう!! ああ、もう、自分が自分で信じられない、もう二度とお酒なんて飲まない、絶対飲まない!!


「それに、私は他のモノになど、仕えたことはありません。彼岸と此岸を主を探してめぐり歩き、私が主にと望んだのは、千世様だけです」


 私は、ぽかんとして彼を見つめた。私が八島さんの初めてのご主人様なの?


「千世様」


 すごく傍で見つめられて、縋るような声音で名前を呼ばれて、息を吞んだ。

 かーっと頬が熱くなってくる。とにかくいたたまれなくて、視線をうろつかせて、正面から向き合っているのから逃げるために、斜めに左足を引く。

 なのに。

 伸びてきた彼の手に左の頬を包みこまれ、彼の方へと向かせられる。及び腰になった腰もしっかりと捕えられ、心持ち屈んだ彼に目を覗き込まれる。

 そうして。


「どうか、このままお仕えすることをお許しください。私には、あなた以外の主など考えられないのです」


 憂い顔の八島さんに、吐息のかかりそうな距離で懇願されて。

 私はその威力にすっかり腰砕けになって、馬鹿みたいに、うん、と頷いてしまった。

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