コップの中の嵐
「ふふーん? それで、あの下郎に何をされて泣いたのじゃ?」
女神様に聞かれて、お詩さんと双子のように振り向く。女神様は立てた膝に腕をのせ、興味津々前のめりだ。なんとなく横目でお詩さんをうかがうと、示し合わせたように視線が合って、そのおかしさに一緒に小さくふきだした。
女神様をそっちのけで意気投合しちゃったよ。
どちらからともなく、手を自分の膝の上に引っこめた。お詩さんがそのまま私の隣に腰をおろそうとすると、気配もなく寄ってきた萌黄さんが、彼女のお尻の下に座ろうとして、どつかれた。彼女は草の座布団だけ取り上げて、ちょっとだけあけたお尻と床の間に押しこんだ。
私は背筋を正して座りなおした。女神様がお聞きになった、まさにそれについて助言が欲しくて、ここに来たのだ。
「……八島が屋敷にいない時は、私は寝室で眠りっぱなしのようなんです。もしもその間に、八島が、しょ、しょう、……」
消滅って言いたくなくて、なんとなくどもってしまう。
「よい。わかった。口にするな。負の言霊は、発さぬに如くはない。それで?」
「はい。……あの、それで、そうなったら、破綻した契約が、呪い返しで私を襲うって。それを防ぐ呪を寝室に施してあるから、八島の他は、誰にも寝室を開ける許可を与えてはいけないと、言われて」
「ふむ。なるほど。それで?」
私は、うぐ、とつまった。
女神様は、それの何が問題なのだと問うておられる。……やはり彼岸の常識では、そっちがスタンダードだったらしい。
女神様は、にやりとなさった。
「面白いの。そのどこに泣いて結界を壊す理由がある? 永遠を望んだのは小娘ぞ。言葉どおり望みを叶える呪だと思うが?」
「私は、そんな永遠、望んでいません!」
「ほう? そんな永遠、とな? なにが不満じゃ」
「一人きりなんて、嫌です。世界が滅んでも、あの部屋で眠っていれば大丈夫だなんて、……永遠に仕えるって、先に言ったのは、八島さん、なのにっ」
途中から気持ちが昂って、目頭がまた熱くなってきた。涙声になりそうになったところで、私は視線を伏せて、唇を引き結んだ。
「共に滅んだ方がよいと?」
こくりと頷く。
彼が、ずっと一緒にいてくれるって言ったから、永遠でも、まあいいかと思ったのだ。そうでなければ、そんな得体の知れない恐ろしいこと、したいなんて思えない。
若輩者で生きた経験の少ない私にだって、想像がつく。いつまでも続く毎日。終わらない生。いつか飽きてしまうかもしれない。嫌になってしまうかもしれない。酷いことが起きて、辛いことを背負ったまま生きていくことになるかもしれない。その時、きっと、永遠は苦痛でしかないものになる。
それでも、彼がいてくれるなら、我慢できるって。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも友達も、みんなみんな死んでしまって、誰も私を知ってる人がいなくなってしまっても。生きていってもいいかなって。思った、のに。
喉も胸も焼けたみたいになって、涙がこみあげてくる。
「はあ。これはまたなんとも、聞いているのが馬鹿らしくなってくるような、惚気じゃの」
溜息とともに、女神様が呆れかえった声音で言った。
私は驚いて顔を上げた。溜まった涙がぽろりとこぼれ落ちて、恥ずかしく思いながら、ごしごしこすり取る。そんなふうであっても、言い返さずにはおれなかった。
「惚気てなんかいません! だいたい、私たちただの主と『 』です。どうしたら、毎回人の言うことを曲解して、とんでもないことをはじめようとする『 』を思い返させられるかと、ご相談したくて参ったんです!」
「そうなのか? 人は好いた相手と死にたいと願うのではないのか?」
え?
私は目を見開いて、絶句した。
耳から体の中にぽいっと放りこまれた女神様の言葉が、内側でじわじわと大きくなり、体に溶けこんでくる。
好いた、相手?
一緒に死にたいって願うほどの?
そ、そうだよ。たしかに八島さんは、そういう人だけど。
で、でも、それって。好きって言うか、普通そういうのを、愛してるって
そこで思考が止まった。というか、耐えきれず止めた。ぶわわーっと顔に熱が集まってくる。私はあまりの恥ずかしさに顔を覆った。体をくの字に折って、膝の上に突っ伏す。
うわあああああああーっ!? !? !?
「なんじゃ、小娘、どうした」
不思議そうに聞かれるが、答えられない!!
「詩だってそうだよな!」
横で衣擦れの音がして、ちょっとやめんか、とか、やだ、抱っこしてたい、とかいうやり取りが聞こえてきた。
「主と『 』以上に強い絆なんかあるもんか。俺は、かぎりなく無限に近い世界と時の中から、詩を見つけた。俺の詩! 生気を共有し、命を繋げられる俺の唯一! 正しい相手じゃないと、一発で相手が死ぬからな、すぐ違うってわかるぞ! 繋げられるのは奇跡みたいなもんなんだからな!」
「は!? おまえ、先にそれ言わなかったじゃないか! もしかしておらは死んでたかもしれないのか!?」
「ははは! 俺は詩なら大丈夫だって、ちゃんとわかってた!」
「一発で死ぬからすぐ違うってわかるって、今、言っただろうが! 失敗したことがあるんだろうが!!」
「俺を呼び留めようとした愚かモノに思い知らせてやっただけだ」
「意味がわからん! とにかく、おまえがはじめから自分勝手に好き勝手してたことはわかった! 触んな、おろせ、しばらく傍に寄るな!」
バタバタと騒ぎが大きくなっていく。今はその痴話喧嘩がありがたかった。このまま、何もかもうやむやにしてしまいたかった……。
「それで、答えは?」
唐突に耳元で艶やかな美声で囁かれ、びくっ、がばっと起き上がった。生真面目な顔で、女神様が横でしゃがんでいらっしゃった。
「こ、答え?」
「小娘は、支配者と共に死にたいと思うほど好きなのであろう? 他にも証拠はあるぞ? 奴の消滅は口にできなかったくせに、世界の滅びは簡単に口にしおった。よほど世界より奴が大事なのじゃな?」
至極真剣に自分の論の正しさを披露してくださる。
やめてやめてやめてくださいお願いしますーーーっ!!! と心の中で叫んだが、私は一言たりとも口を利けなかった。最早、爆発しそうなほど顔を赤らめただけだった。絶対、頭の中まで赤いにちがいなかった。
「まだ論拠が足りぬか? ならば、永遠を共にしたい相手が嫌いなわけがない、というのはどうじゃ。ああ、それに、泣くほど一人にされるのが嫌だったのだな! どうだ、惚気じゃろう?」
美しすぎて迫力満点のドヤ顔で迫られる。適当な言い逃れは、どうあっても許してもらえそうになかった。これ以上、微に入り細に入り、自分で気づいていなかった彼への気持ちを赤裸々に解説されたら、羞恥で死ぬ。
私はたまらずに叫んだ。
「はい! そうです! 惚気てたようです! だからもう、勘弁してください、お願いします~っ」
私は、熱くてどうにもならない顔を再び覆い、できるものなら空気になってしまいたいと、心底願った。




