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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第七章 結

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旅の恥は掻き捨て

「千世様、……千世様」


 ゆらん、ゆらん、とかすかに肩を揺すられ、呼びかけられる。瞼の向こうが明るい。朝が来たらしい。


「ん……むぅ……」


 八島さん、おはようございます、と言ったつもりが、自分でもわけのわからないうめき声に変換されて出てきた。眠い。底なし沼のように眠い。浮上できる気がぜんぜんしない。


「朝湯の用意をしてございます。お食事の前にいかがでしょうか」


 お風呂なんかいいからまだ寝ていたい。だけど、お風呂でも入らなきゃ、この眠気は飛びそうもないとも感じる。こういう時には決まって用意してくれてあるから、私の体調をわざわざ慮ってくれているんだろうなと思う。

 八島さんの気遣いを無下にはできないなあ……、すごくすごく眠いけど。


「んん……」


 全力で、かすかに頷いた。そこで力尽きた。が、さすがデキる執事の八島さん、私の意向を汲みとってくれた。


「承知しました。では、浴室までお連れいたしますね。……失礼いたします」


 上掛け布団がめくられ、音もなくベッドが沈む。衣擦れの音が近づき、首の下と膝の裏に腕が入ってきた。ふわりと抱き上げられ、ちゅっと音をたてて額に口づけられる。

 朝から甘い! とか、これもすかさず愛を乞われてるのかな!? とか、とりとめもないことが頭の中に浮かんだけれど、ベッドの中より寝心地のいい八島さんのお姫様抱っこに揺すられているうちに、私は再び、くーっと眠りの深みへ落ちていってしまった。


「千世様、千世様」


 呼ばれて肩を揺すられ、ハッと意識が覚める。

 頭や体の下がなんとなく硬い。ベッドや居間のソファじゃない感じだ。ここはどこ。……そういえば、さっきも八島さんに起こされた気がする。それで、ええと……?


「脱衣所にまいりました。……まだ、だるそうでいらっしゃいますね。パジャマを脱ぐお手伝いをいたしますね」


 ああ、そうだった、朝風呂を用意してくれたんだった。

 胸元の布地が、そわ、そわ、と動き、少しくすぐったい。それがお腹のあたりまで順番に下りてきて、するる、と両側に落ちていく。


「左腕を抜きますね」


 肩口にあたたかい手が滑りこんできた。腕の方まで入りこんで持ち上げられ、窮屈に布地がこすれる。手が離れていき、キャミソールだけで剥き出しになった肌が、少し寒く感じられた。

 ……あれ? 寒い? 腕を抜く? キャミソール?

 んんんんんんんん!?

 必死で目をこじ開けた。目の前には八島さん。にこりと微笑みかけられて、次は右腕を抜きますね、と当然のように右肩の肌に直接触れられて。


「やあああ~っ!?」


 今度こそ、覚醒した!! 奇声を発して飛び起き、その拍子に卵の殻を剥くようにツルンと脱がされ、ストンとパジャマが籐椅子の座面に落ちる。


「なーーーーーっ!?」


 私は叫んで胸元をあわてて両手で隠した。


「も、もう、もうっ、自分で脱げます、一人で脱げます、お手伝いはけっこうですー!!!!」


「まだ眠くていらっしゃいますでしょう。寝ていてくださってよろしいのですよ。湯船までお運びいたしますから」


 湯船までって、いやいやいやいや、まさか丸裸にするつもりなの、この人は!?


「目は覚めてますよ!! もう、ぱっちりです!!」


 なんでこんなマヌケな説明しかできないかなあと思うけれど、あとは引き攣った笑顔しか出てこない。起きたばかりのせいなのか、のったりとしか頭が働いてくれないのだった。

 八島さんが気づかわしげに私の顔を覗きこんできた。そっと頬に触れてくる。体がびくりと反応し、カ、カ、カ、カ、カ、と胸の真ん中から熱が生まれて、あっというまに体中に広がっていった。

 だって、こんな心許ない格好でひたと見つめられると落ち着かないよ! なのに、さらにこんなふうにされると、長椅子と彼にはさまれて逃げ場がない感じがして緊張するっていうか、っっっ、ぎゃああっ、ほっぺた撫でないで、包み込まないでっ、あまった長い指の先で耳たぶ(もてあそ)ばないでぇぇっ!!


「そうですね。仰るとおり意識は覚めていらっしゃいますが、本日は特に深い眠りだったため、ご自分で認識されているよりお体は目覚めておられないようです。浴室で濡れたお足下に、裸のまま転ばれたら危のうございます。どうか私にお体をお預けくださいませ」


 お体をお預けくださいって、意味深すぎる響きに、思わず赤面する。わかってる、八島さんに他意はないって! でも、他意はなくても、裸でお姫様抱っことか、無理ですからぁっ!!!

 最早言葉にならず、ぶぶぶぶ、と横に小刻みに頭を振るしかできなかった。そんな私を見て、八島さんはほんの少し首を傾げた。じっと私を見つめること、呼吸三回分くらい。ふと、視線を伏せる。その色っぽい表情に、どきっとした。


 何一つ瑕疵のない完璧な美しさが彼にはある。ある意味近づきがたいほどの。けれど同時に、どうしようもないほどに近づきたくなるような。

 道端で綺麗な花を見つけたときみたいに。あるいは、水の中で光る綺麗な石に手を伸ばしてしまうように。

 この手に取ってみたくなる。触れて確かめてみたくなる。その存在を感じてみたくなる……。


 彼の視線がわずかに上がり、顎のあたり、ううん、口のあたりかな、を見られた気がした。頬を包む掌がうなじにまわる。と思ったら、すいっと迫った八島さんに、唇で口をふさがれた。

 合わせ目をぺろりと舐められ、唇からぞくりとしたものが背骨を奔り抜けていく。

 私は既視感を覚えて硬直した。

 ……この心地よさを知っている。

 八島さんが唇を離して、吐息のかかりそうな距離で瞳を合わせてきた。色気だだ漏れの、心まで見透かすようなまなざしに、わーっと叫んで猛烈に逃げだしたくなる。

 ……なぜって、昨夜。

 …………怖くて怖くてたまらなくて、抱きしめてもらって、それでも足りなくて、他に何にもわからなくなるくらいディープなキスで意識を奪ってもらって。

 ………………文字通り、意識失うまで、八島さんと、あんなふうや、こんなふうにして、ずっと、ずっと、もっとって、何度も、何度もねだって、ねだ……、ねだ……ったよ、私……、……ぎゃああああああっっっ。

 回想に耐えきれず、心の中で叫び声をあげた。何にも思い出したくない、考えたくない、これ以上は悶死するー!!


「もう口づけはいりませんか?」

「はい!?」


 表情を確かめるように尋ねられて、裏返った声で反射的に聞き返した。

 八島さん何言っちゃってんのかなああああっ!?


「先ほどは口づけをねだるお顔をされてましたが、今はそれほどでもないようですので」


 いやああああああっっっっっ!!!!!

 私はとっさに逃げ道を探した。前と左右は八島さんのせいで経路を確保できなさそうだと感じた瞬間、身をひるがえして腰かけている籐長椅子の上によじ登った。背もたれ(幅五センチ)に足を掛け、その上を二歩走って、床に飛び降りる。

 目に付いた最も近い扉に走り寄り、ガラリと開けて飛びこんだ。脱衣所だ。そのまた向こうにもう一つ、浴室の扉がある。私は飛びついて開け放ち、踵を返してピシャリと閉め、そのままふーふー息を荒げながら、渾身の力で扉を押さえつけた。


             『口づけを』


                           『ねだるお顔』


         『口づけをねだるお顔をされてましたが……』


  『されてました』

                                『口づけを』


                   『ねだるお顔』


 やだやだやだーっ!!!!

 切れ切れに八島さんの声が耳によみがえっては頭の中でエコーして、扉を押さえる手に、ますます力が入る。

 扉のガラスに人影が映り、私は枠に片足もかけた。絶対、絶対、開けさせられないー!!


「千世様、お召し物を、」

「後で脱ぎますーっ!!」

「では、もうしばらくいたしましたら、シャンプーを」

「いりませんっ、今日は石鹸で洗うので!!」

「ですが、」

「自分でっ、洗いたいんですううううっ!! 八島さんは、朝食の用意をしていてください!!」


 扉の向こうの人影が黙った。動かない。祈るような気持ちで、それを見つめる。やがて。


「……かしこまりました。それでは、お着替えだけご用意しておきます」

「はい! それでお願いします!!」


 人影が遠ざかっていく。目を凝らして、耳をすまして、気配がなくなるのを全力で追って、もう大丈夫だろうと思ったけれど、とりあえずもう百数えておくことにする。


「……きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう、(ここでもう一回気配をさぐり)……ひゃーく」


 そろり、と扉から手を離してみた。……八島さんは出てこない。朝食を作ってくれているらしい。

 どおっと脱力してその場で座り込んだ。力いっぱい突っ張っていた手や足が、がくがくしている。

 ……ひとまず、一難は去った。去ったが、しかし。


「どんな顔して会えばいいのおおおおおっ、ああ、もう、やだあああああっ」


 私はタイルの上につっぷして、羞恥に一人身悶えた。

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