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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第七章 結

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42/50

溺れる者は藁をもつかむ

 マウスのホイールをまわしつつ、無言で眉間をつまんで揉んだ。目の奥が痛い。

 今日の私は勤勉だった。午前中から日本神話を勉強、午後は途中寝落ちをはさんで、神社の参拝方法なんかも調べ、お夕飯後の今は、女神様への手土産を考えているところだ。

 手土産はお酒がポピュラーみたいなんだけど、のしアワビとか、昆布とか、塩もいいみたい。でもなんだか産地指定が入ってるようで、これはやっぱり八島さんに相談すべき案件だなと思う。

 とりあえずパソコンを待機状態にして、目のまわりをマッサージした。首や肩もまわす。うあー、なんかごりごりいってる。目的を持ってやれることがあるのが楽しくて、つい夢中になっちゃった。


「千世様。お疲れでいらっしゃいますね」


 ちょうどそこへ八島さんが入ってきた。私の傍らに膝をついて、見上げてくる。


「少しお休みなさるように申し上げましたのに。根を詰められすぎですよ」


 私は曖昧に笑ってごまかした。切々と心配を訴えられる前に、質問で話題を変えてしまおう。


「女神様への手土産なんですけど、こうでなければいけないっていう決まりはあるんですか?」

「千世様がそのようなお気遣いをなさらなくてもよいのですよ。お疲れになるほど悩まれることはないのです」


 そう言うと思ってた! 予想通りの返事に、まいったなあと思いつつ、八島さんを眺め下ろした。上と下の距離感に、急に話しにくさを感じる。

 私はソファを滑り下り、彼の前に座った。何となく正座。絨毯がふかふかで、アパートにあったセンベイ座布団より座り心地がいい。

 八島さんもそんな私を見て、膝立ちから正座になってくれた。そうすると、膝までの距離が三センチだった。……しまった。近すぎた。真正面から向き合うには、思った以上に照れる距離だった。

 私はかち合った視線を少し下げて、ネクタイの結び目あたりにうろうろ彷徨わせながら話しだした。


「ええと、ですね、手土産は、私が、持っていきたいんです。下着のお礼を申し上げたいし、これから慣れないこの彼岸で、末永くご指導ご鞭撻いただきたいから。……駄目ですか? 八島さんの主として、神様たちに示しがつきませんか?」

「示しがつかない、ですか?」


 八島さんが不思議そうに聞き返してくる。


「私が偉そうにしてないと、八島さんが恥をかくっていうか、神様たちに軽く見られて、支配するのが大変だとか」

「そのようなことはございません」

「それならよかったです」


 ほっとして、視線を上げて八島さんに笑いかける。彼の柔らかな雰囲気に、ゆるんだ気持ちのまま、つい愚痴をこぼしてしまう。


「偉そうにするのは苦手です。偉そうにできるほどの何かなんて、持ってないですもの」

「そのようなことはございません」


 即座にさっきより強い調子で同じ言葉が返ってきて、苦笑いがこみあげた。

 彼と私の間には、私に関する認識に、大きな見解の相違がある。彼は私の何もかもを全肯定してくれるが、ダメなところまで愛でられ、あまつさえ人様に誇らしげにされてしまったりすると、恥ずかしくていたたまれなくなる。

 そこはもうちょっとどうにかならないものだろうか、ならないんだろうな、と思いながらも、言うだけ言わずにはいられなかった。


「だって、私、ここでなんにもできてないですよ。だらだら毎日過ごしているだけです」

「いいえ。千世様が健やかにお過ごしになり、私に生気を分け与えてくださる。だから、神域(シマ)は平穏を保てるのです」

「それは、たまたま私が居合わせて八島さんに名付けてしまったからで、私に特別な何かがあったわけではないじゃないですか」

「いいえ、まさか」


 八島さんは、なぜか唐突に唇に綺麗な弧を刷いた。とたんに、ぶわっと艶やかな色気が立ち上った。

 うあっ。なんだなんだ!? 正座で腰が据わってなかったら、腰砕けになってたかもしれないよ!? やけに八島さんは嬉しそうだけど、どうしたの!?

 色気にあてられて及び腰になった私に、彼は滔々と語りだした。……神語で。


「此岸では顕現(けんげん)できない神霊(しんれい)を見出すのは、とても稀有(けう)なことです。それどころか、知識もない状態で、神霊の怒りを買わずに名付けて受肉(じゅにく)させ、隷属(れいぞく)させる、それは奇跡にも等しい行いです。世の(ことわり)を見出し、彼岸へ働きかける(すべ)を得、自ら術者や聖職者と名乗る者たちでさえ、契約を良しとしない神霊の怒りに触れて、どれほどの数の者が肉体を裂かれて死んだことか」


 彼の発する一音ごとに、イメージがうわんうわんと押し寄せてきて、眩暈がした。

 その中で見えた八島さんの姿は光だった。たくさんの羽の連なりにも、渦を巻く何かにも見える。霊位の高い存在。神霊と呼ばれてきたモノ。


 元々、それを見出せたのは、(かむ)()ぎの才のある者だけだった。神霊を(よころ)ばせ、鎮められる者だけが、それらに名付けることを許され、力を貸し与えられたのだ。

 名とは、音にて本質を示すもの。もっとも強き呪。その名を握った者が、その存在を縛りつけ、隷属さえ可能にする。

 もしも気に入らぬ者が己の名を口にすれば、怒り狂った神霊は、呪を発した肉体を裂いて、無効にせんと欲するだろう。

 時代が下り、足りぬ才を知識と技術で補い、時に欲に駆られて、時に必要に迫られて、契約を交わそうとした者たちが、神霊の怒りを買い、殺された。


 体を引き裂かれ、血肉をまき散らし、死んでいく人々が見える。時代を変え、場所を変え、幾人も、幾人も、幾人も。

 どう、と音をたてて私の足元に死体が転がる。いつかどこかで起こったはずの事象。なのに、その体から飛び散った血肉が、足の甲にべちゃりと音をたててのった。


「きゃあああああっ」

「千世様」


 聞き慣れた呼び声が聞こえて、赤黒い世界に裂け目が入った。破れた場所から白い光が広がり、あたりが変わっていく。私は息が続かず絶え絶えに悲鳴をあげながら、呆然とその様を見守った。

 もうここはあの世界ではないと、恐ろしい死体はないと、光と共に現実感が戻ってくる。けれど、息は短く、は、は、としかできず、恐怖に体が震える。

 目の前で動くものにようやく焦点が合い、震える唇で呟いた。


「八島、さん」

「はい。千世様」


 自分の顔が、くしゃりと歪むのを感じた。私はやみくもに手を伸ばして、彼の体に抱きついた。彼の上着をぐしゃぐしゃにつかんで、しがみつく。力強い腕がしっかりと背中を抱きよせ、胸の中に囲いこんでくれた。いつのまにか、彼の膝の上にのっている。どこもかしこも彼にしか触れていないのに、それでも安堵するにはまだ足りなくて、彼の胸に顔をこすりつけた。


「ずいぶん怖い思いをなさったのですね」

「人が、いっぱい、死んで」


 内側から体が裏返るみたいに裂けて、ばらばらになって。

 思い出して体がガタガタと震えた。不規則に頬が布地にこすれて、濡れた感触に、はじめて自分が泣いていると気付いた。


「おいたわしい。ですが、それこそが、千世様が徒人(ただひと)ならぬ証」

徒人(ただひと)……?」

「神霊と正気(しょうき)のまま交感できる能力は、徒人(ただひと)には持ち得ぬもの。それを以て、千世様は、姿無きモノだった私を見出し、名を与え、この姿を与えられた」


 八島さんが言うような実感はなかった。私には、困り切った男の人が、深夜にガードレールに腰かけているようにしか見えなかった。

 でも一方で、神語によって幻視した、光としか認識できないあの姿も、八島さんであるのだと()っている。

 人を無慈悲に切り裂いていた、あの存在たちと同じモノだと。


 頬を撫ぜられ、ゆるりと上向かされる。優しい笑みを浮かべた彼の顔が近付いてきて、私は目をつぶった。涙の跡が舐め取られていく。

 それから、そこかしこに柔らかな感触が落ちてきた。額、頬、瞼、鼻、頬、こめかみ。慰めを与えようと丁寧に繰り返されるそれは、恐怖に冷たく凝った私の中に、あたたかな明かりを灯そうとしているようだった。


「何も恐れられることはありません。あなたには、愚者どもが自ら招いた破滅は、永遠に起こるはずがないのですから」


 やがて、唇にも触れて優しく食み、舌でつついてもっと奥まで熱を注ぎこんでこようとする。……彼にはわかるのだろう。体の震えは止まっても、まだまだ足りないって、もっとあたためてほしいって、私の心がいまだ震えているのが。


「あの時より、千世様は我が悦び。……我が唯一無二の主よ」


 私は与えられるままに受け入れたそれに舌を絡め、熱を啜り、意識を奪ってくれる感覚に、身をまかせた。

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