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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第七章 結

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灰吹きから蛇

「名残惜しいですが、ここにいつまでもおいでいただくわけにもいきませんね」


 人の不機嫌もなんのその、八島さんは、さらににこりと微笑んだ。

 ……そうだった。床は畳ごと陥没、座卓は割れ、床の間にも刀傷。素敵だったお昼寝部屋は、今や惨憺たる有様だ。八島さんの似非(エセ)口説き文句ごときに、ぷんすかしている場合ではなかった。


「どこから片付けましょうか……」


 私は八島さんの腕から逃れ、床の間を下りて、部屋を見回しながら溜息まじりに聞いた。八島さんもすぐに半歩下がった横に来る。


「修理に専任のモノを呼びますので、千世様のお手を煩わすまでもありません」


 それもそうか、と思う。あの穴ぼこの縁に立って、無垢材でできた高級座卓を引き上げるなんて、たとえ半分に割れていても、重くて私にはできそうにない。もちろん、修繕も。ということは、結局八島さんにやってもらうことになるわけで、だったら専門家に来てもらった方が、彼の負担が少ないだろう。


「そうなんですね。わかりました。よろしくお願いします」


 それじゃあ、これから何しようかな。いつもならこの時間は、何してるんだっけ。ええと、お客様がいらっしゃったのが、確か朝ご飯の後だったから……。


「私、カイちゃんと運動しに行ってきてもいいでしょうか」

「たいへん申し訳ございませんが、今日一日はお屋敷からお出にならないようにお願いいたします。先程の不躾な訪問で結界がほころんでおりまして、万が一危険があるといけませんので」

「えっ。それじゃあ、カイちゃんもお屋敷に入れてあげないといけませんね」


 外は妖怪やら妖獣やら荒魂(あらみたま)の神様やら危険な植物やらでいっぱいです、と聞いている。そんなものが入りこんでくるかもしれない危ないところに、カイを置いておけない。


「その必要はございません。カイは幼いと言えど、人狼の端くれ。番犬の代わりくらい勤められねば、千世様のお傍に侍る資格もございません」

「でも、まだカイちゃんは子供なんですよ」

「人狼は古来より、此岸においてはお犬さまと呼ばれ、守り神と崇められてきた種族です。カイはその中でも次期大口の神となりうる器。なんの心配もございません」

「え!? そうだったんですか!? そんな子、うちで預かってていいんですか!?」


 大口の神って、大きな口の神様って意味だから、たぶん狼の神様ってことだよね!? 

 うわあ。やっぱりカイちゃんは普通の子ではなかったんだ! どおりで、どことなく品があると思ってた!

 それじゃあ、偉い人狼になる教育とかあるんじゃないのかな。うちでは私と遊んでいるだけで、取ってこいぐらいしか教えてないのに。

 ……このままではまずいんじゃないだろうか。取ってこいしかできない神様……。ありえない。もしかしたら、ご両親や一族の方々が、ものすごく心配してるんじゃないのかな……。


「問題ございません。私が躾けておりますし、いずれどうしてもカイを祀りあげたいと言うならば、人狼どもが揃って千世様にお仕えすればよいだけです。だいたい、カイが千世様のお傍から離れたがらないでしょう」


 最後に当然だとばかりに付け加えられた内容に、ちょっと、いや、かなり、ウッときた。

 ……カイちゃんも、うっかり私が名前を付けちゃったんだもんね。

 あの時は、ただのワンコだと思ってたんだよ! ちっちゃくって、むくむくで可愛くって、まさか人狼だなんて、しかもいいところのお坊ちゃまだなんて、知らなかったんだよ!

 なんて言い訳は、やってしまった以上、なんの免罪符にもならない。


「か、かくなる上は、立派な主になるべく、精進します」


 ぐぐっと拳を握って宣言した。朝だって、お客様が来る前は、そういうことを相談しようと、八島さんを探していたのだ。

 わざわざ口にしてみたのは、不退転の決意にするためだ。でも、八島さんの目を見て言えなかったのは、あんまり自信がないから。だって、どんなのが立派かとか、どうすればいいかなんて、まったく見当もつかないんだもの。

 だけど、あてはあるんだよ! 女神様とお(うた)さん! 神様のアドバイスと、(あるじ)歴の長い先輩のお話をうかがえば、きっとなんとかなるに違いない。……と思いたい……。

 言った先から不安になってきて、口がへにょーっとへの字になっていった。

 いけないいけない。初めから弱気じゃ、成るものも成らない。私は、ぐぐぐと拳を強く握りしめ、意識して口角を引き上げた。

 笑う門には福来る、なのだ。(から)元気だろうと、大変な時ほど笑うのは大切だ。一発逆転なんて才覚はないけれど、諦めずにできるところからコツコツと積み重ねて、粘り勝ちに持っていくことならできる。

 ……今日はそのために、何ができるだろう。


「それほど思いつめられなくてもよろしゅうございますのに。ああ、おいたわしい、爪が食い込んでおりますよ」


 真剣に考えこみかけたところで、左の拳をそっと包まれた。優しい感触に、緊張がふっとゆるんでしまう。

 ほどけた拳の間に八島さんの指が入りこんできて、掌を重ね合わされた。あたたかくて、心地いい。掌の触れているところから、何かが通いあってる気がする。気のせいかな。気のせいなんだろうな。敏感な場所だから、ことさらよく八島さんが感じられるだけなんだろう。……そうとわかっていても、どきどきする。

 手を繋いでいるだけなのに、なんだかとても恥ずかしくて、彼の方を見られずにいたら手を引かれた。反射的に顔を向けると、目があって微笑まれる。そうして視線を釘づけにされたまま、彼の口元まで引き上げられた拳にキスされた。

 心臓がひときわ大きく鼓動をうった。胸から腕に疼きがはしって、く、と息を吞む。……そんな私の様子を察して、八島さんが蕩けそうな笑みを浮かべた。

 出たー! ナチュラルハイスペック女殺しのテクニックが!

 表情や仕草だけじゃない。生気を通して、全部筒抜けなのだ。そんなのは、わかってる。わかってるが、私は全力で無表情を顔にはりつけた! ここで照れたり、怒ったら負けだ! また、ぎゃふんと言わされる!

 ぬぬぬぬ、と小難しい顔を心掛け、私は彼の手の中から拳を抜きとった。


「そうやって私を甘やすのは、駄目なんですよ! このままじゃ、私、カイちゃんに取ってこいしか教えられない、駄目(あるじ)のままです!」

「あれは取ってこいをするのが好きなのですから、それでかまわないと思いますが」

「そういう問題じゃありません! だいたい、八島さんにだって、私、いつもおんぶに抱っこで、ものぐさ(あるじ)で、面倒ばっかりかけてるじゃないですか。私にもうちょっとこうして欲しいとか、ああなってほしいとか、何かないんですか!? ……あ、そのままでいいってのは、なしですよ!」


 八島さんが、今にもそのままの千世様で満足でございます、と言いそうなのに釘を刺す。甘やかされておいてなんだが、私の駄目(あるじ)っぷりの原因の一端は、八島さんにもあると思う。いくら優秀だからって、なんでもほいほいやってくれすぎなのだ。

 これから長く付き合っていくんだから、片方の負担にばかりなっている関係は良くないと思う。八島さんの無理や我慢の上に胡坐をかいてるなんて、そんなのできないよ。


「一つでいいですから、いえ、たくさんあっても全部聞きますので! 正直に、八島さんの理想の(あるじ)に足りないところを言ってください!」


 困ったように口を噤む彼に、私は焦れて詰め寄った。


「なんでもいいんですよ!? 遠慮はいりません! 朝、ちゃんとさっさと起きてほしいとか、すぐにうとうとお昼寝をはじめるのはいかがなものかとか、やっぱりトイレ掃除はしてほしいとか」

「いいえ、とんでもないことでございます。朝は寝ぼけたお可愛らしい様子を堪能したいですし、昼寝なさっている気持ちよさそうな無防備なお姿を拝見するのもまた格別ですし、千世様がお使いになる姿を想像して、喜んでいただけるよう自らの手で調えるのは私の楽しみです」


 !?

 私は抉りだされた己の駄目っぷりと、それらを有効に楽しんでいるらしい八島さんの問題発言に、羞恥で黙りこんだ。

 私、朝は朦朧として毎日どうしてるかよく覚えてないんけど、やっぱり寝ぼけてたんだ!? それに、昼寝姿を観察されてる!? あと、私が使う姿を想像してって……、いや、「喜んでいただけるよう」にかかる言葉だってのはわかるんだけど……。

 もしかして、八島さんは駄目な主の方がいいの!? 駄目なら駄目なほど喜ぶの!? だとしたら、私、どうしたらいいの!?


「ああ、ですが、できましたら、一つだけ」


 八島さんが思いついたように、遠慮がちに言いだした。


「はい。なんでしょうか!」


 私は彼の申し出に飛びついた。駄目主を極めるくらいなら、なんでもする、努力するよ、精一杯!


「千世様から口づけをいただきたいです」


 私は目を見開いた。思いもよらない発言にすっかり泡を食って、裏返った声で聞き返す。


「くちっ、づづけっ、ですかっ!?」

「はい。難しいこととは承知しておりますが、いつか、私から愛を乞うばかりでなく、千世様から与えていただけたらと」

「あ、愛を、乞う!?」


 愛を教えて欲しいとは言われていたけど、そんなに愛を乞われていたっけ!? 確か、不慣れだからどうしたらいいかわからないってお返事をして、わかったと言ってくれたと思ってたんだけど!?


「はい。千世様も愛には明るくないと仰っていましたので、縁結びを司るモノに詳細を聞きに行ったのです。そこで、男ならば気持ちは機会があるごとに行動で示すものだと助言を受けまして。……あの程度では、まだ伝わっておりませんでしたか?」


 あ、あの程度って、どの程度!? ここで、どれのことでしょうかなんて聞いたら、恐ろしいことになりそうだ。ただでさえこの頃極甘なのに、……って、あれだったの!?

 う、うん、確かに、どうしたのかなって、思ってたよ……。


「伝わっておりませんでしたか」

「いえ、いや、そんなことは、あの、その、」


 疑問形ではなく確認口調で聞いてきた八島さんに、私は意味もなく手を振りながら、あたふたと否定する言葉を並べた。でも、それ以上が続かなかった。


「さようでしたか。難しいものでございますね」


 反省しきりな様子で、私からまなざしを斜めにそらして伏せる。いや、反省しないでください、あれ以上甘くなったら、本気で本当に、心臓がもちませんから! 何かは伝わっていましたから!

 と言う前に、八島さんが一歩私に近づき、腰を抱かれた。えっ!? と驚いている間に、後頭部も掌で包まれる。


「良い機会ですので、今一度、しっかりお伝えしてもよろしいですか?」

「え? なにを、」

「なにぶん不慣れでございますので、しっかりお伝えできるよう、足りぬところを教えていただけるとありがたいのですが」

「だだから、なななになにするるつもりですかぁっ」


 うわあっ、焦って口がまわらないー!

 八島さんは少しだけ首を傾げた。


「人は好意を唇で触れたり舐めたりして愛を交わすと聞いておりますので、」


 ああああああっ、それですかーっ!!! まだその誤解、といてなかったーっ!!!

 てことは、さっきちゅーちゅーしたのも、それだったの!? あれは言葉じゃなくて、行動で示していたの!? 言ってくれないから、ぜんぜん意味がわからなかったよ!

 どこの神様だーっ、超初心者によけいなアドバイスしてくれたのはーっ!!!


「八島さん! それは上級者のやり方ですから! 初心者は、まずは会話や手紙で意思疎通をはかるものですから!!」

「そうなのですか?」

「はい。最も古いやり方は、歌のやり取りです! 相聞(そうもん)()といいます! その後、時代が下ってラブレターのやり取りがポピュラーになり、私の生まれる少し前には、交換日記も有効だったと聞きました!」


 自分でもなんだかよくわからないけれど、豆知識とホラがべらべらと口から飛び出してきた。

 八島さんは私を見つめて考えこんだ。黙って、黙って、見つめて、考えこんで、一つ瞬きすると、口を開いた。


「では、意思確認はすみましたので、次の段階へまいりましょう」


 なんでそうなるの!? 私は咄嗟に叫び返した。


「違いますーっ!! 中級段階は、お手手つないでデートですーっ!!」

「そうなのですか?」

「そうなんです!!」

「では、デートとやらの用意をしなければなりませんね」


 八島さんは納得したように、ふむ、と喉の奥で唸った。


「承知しました。さっそく準備にとりかかりましょう」


 そう言ったかと思うと、ひょいっと私を抱え上げ、すたすたと歩きだす。ぴょいっと穴を飛び越して隣の居間へと移動し、ソファの上に下ろしてくれた。


「本日はこちらでお過ごしください。……後ほど茶菓をお持ちしますね。ご希望の品はございますか?」


「え、えと、フィナンシェと紅茶を」

「かしこまりました。十時ごろでよろしいでしょうか」

「はい……」

「では、私はしばらく下がらせていただきます」


 にこやかに言った八島さんは、展開についていけず落ち着かない私の顔をじっと見ると、ふわりと笑って顔を寄せ、頬に一つキスをした。


「ご用がありましたらお呼びください。すぐに参りますので」


 そして優雅に一礼して、颯爽と部屋を出ていってしまった。止める暇もなかった。……止めても、彼を諌める屁理屈もホラもひねりだせそうになかったけれど。

 ……もしかして、私、近々八島さんと、人生初のデートですか!?

 私はキスされた感触が未だ残る頬に指で触れ、止まらないドキドキとそれを上回るハラハラに、胸の中心からもげてころがり落ちそうに踊っている心臓の上に、手をあてた。

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