名は体を表す
はっ。
女神様は堪えきれないとばかりにふきだし、あーっはっはっはっは、と首をのけぞらせて笑いだした。高らかな笑い声が耳に突き刺さる。おかげで私は、八島さんの色気に骨抜きにされる寸前で、女神様へと注意を引き戻された。
キラキラ舞い散る光の粉が大量に飛んできて、目を開けているのも辛い。やがて光の量が減ってきた頃、さんざん笑った女神様は、いまだ笑いを含んだ声で話しかけてきた。
「永遠のなんたるかも知らぬ人間風情が。まこと、浅知恵よのう」
そこまで言ったところで、ひょいっと後ろに飛びのいた。どうしたのかと思ったら、今さっきまで女神様のいらっしゃった場所に、ドス、と刀が突き立つ。
「口を慎め」
八島さんが低く言い放った。
……びびび、びっくりした。どうやら八島さんが投げつけたらしい。……たぶん。私を抱えて、玉手箱を持っていて、いったいどこから取りだして、どうやったのかまったく見当もつかないけれど。
「口より先に手が出るとは、短気な男よの。なんと野蛮な。おお、いやだいやだ」
嫌そうに口元を領巾で覆い隠し、大仰な口調で、目がニヤニヤと細められている。からかっているのが見え見えだ。
私はとりあえず、向き直ってペコリと頭を下げた。
「八島が失礼をいたしました」
「うむ。小娘がそう言うなら許そうぞ。たいそう面白い余興を供してくれた故にな。これほどの見物は、なかなかあるまいて。小娘の八島とやらがどうなるものか、ほんに楽しみじゃのう」
おーほほほほほ、と女神様は悪役女王様さながらに笑った。
「それで、まずはこの収拾をどうするつもりかえ? あれはまもなく壊れるが?」
見れば、男の人はいつ這い出てきたのか、穴の縁に座っていた。床に手をつき、やっと体を支えている。けれど、瞳は炯々として、玉手箱にそそがれていた。
私は八島さんを見上げた。彼はにこりと微笑んだ。
「何かお聞きになりたいことが?」
「……う……ん、ちょっと思ったんですけど」
自信がないというか、考えがまとまらなくて、考え考え口を開く。
「このお屋敷のものは、小石の一つ草木の一本まで私のもの、なんですよね?」
「そうでございます」
「じゃあ、この玉手箱も私のもの、ということでいいんですか?」
「もちろんでございます」
「その中身も?」
「はい」
「なんだとっ!?」
男の人が吠えた。怒りの形相だけれど、それ以上何かできるだけの体力があるわけではないらしく、よけいに体が前のめりになっただけだった。私は彼を無視して先を続けた。
「だったら、あの女の人は私のもので、その執事さんであるあの人も、」
「ふざけるな!! 我が主は俺のものだし、俺は我が主以外には従わん!!」
ぎゃあぎゃあうるさく言わずもがなのことを喚くのに、少々ムッとして、言い返す。
「私だって、あなたが欲しいわけじゃありません。八島さんがいてくれれば、じゅうぶんですから。ただ、えーと、」
何と言えばいいのだろう。言霊のはたらくこの世界で選ぶ言葉の重要さを、ひしひしと感じていた。誰に説明されたわけでもなかったけれど、わかっていた。
選びそこなったら、失敗する。
うーん、と考えつつ、怒っている男の人を見て、面白そうにしている女神様を見て、玉手箱を見て、微笑ましげにしている八島さんを見る。
八島さんは私にしか興味がないらしい。彼にとっては、どうでもいいことなのだろう。このままただの主持ちさんが死んでしまっても。少しの時間待ってるだけで、支配権が完全に転がり込むんだから。
と、ぼんやり考えるともなく考え、あ、と閃いた。そうだ!
私はただの主持ちさんに再び目をやった。しっかり正面から見据え、彼に語りかける、……ううん、それじゃ足りない、宣言、するくらいじゃなきゃ。意気込んで、息を大きく吸い込んだ。
「私はあなたを、支配……」
と言ったところで言葉につまり、のっけから言いよどんだ。支配したいわけじゃない、と引っ掛かってしまったのだ。えーとえーとと忙しく考え、すぐに言い換える。
「支配下に置きたいんです。私の大切なものに、危害を加えないように」
それからまた少し考えて、ちょっと足りないなと思い、付け足した。
「私にも危害を加えられないように」
これで間違ってない、気がする。でも、口に出しただけでは確定するには弱いようだ。何かが変わった感じがちっともしない。私は助けを求めて、八島さんへ顔を向けた。
「では、こちらに名をくれてやってくださいませ」
八島さんが玉手箱を私の胸元に持ってきて、紐をするっと解いた。
「名、ですか?」
「私に八島と、人狼にカイと名付けたように」
彼の説明に、あれっと、何かが気になる。けれど、それが何かとつかみきる前に、女神様に話しかけられて、ぱふっと散り散りになってしまった。
「小娘、一つ教えておくとのう、それが開いた瞬間、主の生気があの『 』に流れ込むぞ」
女神様が顎をしゃくり、ただの主持ちさんを指し示した。彼は鋭いまなざしでこちらを注視しており、確かにその瞬間を待っているようだった。
「千世様、あれの戯言に耳を貸す必要はございません」
八島さんがそう言ってくれたけど、女神様は彼を黙殺して、畳みかけるように言葉を重ねる。
「ほんの間が勝敗を決するぞ。せいぜい急ぐが良いぞ」
うう~ん、やっぱりさっきから意地悪されている気がする。どうしてだろう。私、そんなに女神様に失礼なことしたかな。
……いろいろ反芻してみて、自分に敬意が足りない気がしてきた。それに、そもそも八島さんがさんざん失礼な態度をとり続けていることにも気付く。
……ということは、たぶんこれは、焦らせて失敗を誘う手なんだろう。惑わされてはいけないとわかっていても、嘘は言ってないようだし(基本、真面目なお方なんだろうなと感じる)、アドバイスしてくれているようだしで(そういうところが憎めないなと思う)、心配になって、どきどきしてくる。
「もう一つ教えておいてやるが、本質を含まない名は、名として機能せんぞ。実物を観察して、ようく考えることだな」
女神様は口元をすっと隠しながら(どうやら、ニヤニヤ笑いが抑えられなくなったらしい)、これがとどめだとばかりに宣った。
えっ? そうなの!? 開けるのを待ってもらって、名前を先に考えようかと策をめぐらせていたところだったのに、その手は使えないんだ!? どうしよう。本当にすっかり自信がなくなっちゃったよ。
「心配なさることはなにもございませんよ」
八島さんは玉手箱の蓋を離して、その手で私の頬を包んでくれた。肌を覆うぬくもりに、心が落ち着く。
彼は目を奪う鮮やかさで笑んだ。
「私があれに後れをとるとお思いですか?」
「いいえ」
私は迷わず即答した。八島さんは、危ないことを私に勧めたりしない。なあんだと、いっきに気が楽になった。
安堵に笑みがこぼれた私に、八島さんは頷きかけてくれた。私も、もう大丈夫ですと、頷き返す。
頬から離れた手が、蓋をつかみ、引き上げた。
中にいるのは、異国風の衣裳をまとった、人形と見まごう黒髪の美しい人。
その人が、目を開ける。おぼろげだった瞳が、覗きこむ私を認識して、光を宿す。
「あの浪人者の主」
憎しみか、悲しみ故か、彼女は顔をくしゃりと痛みの形に歪めた。彼女の顔は、歪められても美しかった。けれど、私の中に響いて訴えかけてきたのは、彼女の発する声だった。
なんて美しいんだろう。風が梢を揺らし、野を渡り、水面に波紋をたてて、奏でているような。
思い浮かぶままに、彼女を表す音を口にする。
「うた」
うた、ウタ、歌、唄、詩。古今東西、世界を渡った風が、かき鳴らすうた。
「彼女の名は、お詩さんです」
私は、八島さんに、女神様に、ただの主持ちさんに、そして、耳をすまして聞いているだろう『世界』に、彼女の名を告げた。




