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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第六章 もう一回、転

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意思の存する所方法あり

「これ。ならんと言うに」


 唐突に目の前に移動してきた領巾(ひれ)に頭から突っこみ、やんわりと押し戻される。


「その様子では、小娘かえ? あれに(ことわり)を曲げさせたのは」


 何の話だろうか。

 波打って浮いているそれは、意思を持ったように、いや、意思を持って、くねくねと邪魔をする。前に進もうとしてもまとわりつかれ、どうしても床の間から降りられない。私は苛立って領巾を両手でつかみ、女神様に要求した。


「申し訳ありませんが、お話は後で承ります。今は八島を止めないとなりません。これを退けていただけませんか?」

「できぬ」


 言下に拒否され、私は領巾を端から畳むことにした。ピクニックに行った時に使った羽衣は、広がった面積に比例して効力を発揮した。領巾も羽衣も似たようなものだろう。たとえそれが、女神様が操るものだとしても。

 失礼なのは承知の上である。どんな罰をあてられるかわからない。内心かなりびくびくしている。けれど、それ以上に八島さんが心配だった。

 まず、はしっこを右斜め上に織り上げ、今度は左斜め上に折った。右、左、右、左と繰り返していけば、綺麗な正五角形ができる。ちまちまちまちまと折りたたみながら、八島さんの様子をうかがう。

 彼は相変わらず男の人の背に立っていた。特に何もしてないように見えるのに、床下で、バキン、バリバリと砕ける音がしていて、いったい何をしているのか、不安と焦燥が増していく。

 なのに、領巾は果てしなく長く……、あああーっ、もう、しまったなあっ、もっと簡単な畳み方にしておけばよかったよ!!


「やし……」

「小娘」


 焦りに駆られて八島さんを呼ぼうとしたところを、女神様はわざとさえぎって私を呼んだ。思わず不満の目を向けてしまったら、やれやれという感じで溜息をこぼされた。


「わかっておらぬのか。ならば、教えてやらねばなるまいな。……よいか、小娘、よく聞け。『  』同士の争いは、どちらかが滅するまで行われなければならぬものなのじゃ」


 はっとして手を止めて、女神様を直視してしまった。眩しい。眩しいけど、目をそらすことはできなかった。

 女神様は、とんでもないことを仰った。……ううん、私も知っていたはずのことだった。知っていて、その意味をよく理解していなかったのだと、指摘されて気付いた。

 《『  』同士の争いは、どちらかが完全に消滅するまで行われる。》

 だからこそ、私は八島さんに対して怒ったのだ。危ないことをしないで、と。

 なのに、あの男の人、八島さんに支配地を奪われたはずの彼は、なぜ生きてここにいるのか。それは、本来ならあり得ないこと、あってはならないこと、あるはずのないことだった。

 事態の異常さに顔がこわばる。私の瞳に理解の色が浮かんだのを見て取り、女神様は頷いた。


「なぜそうせねばならぬのか、知っているか? それはの、そうせねば支配権は確定せず、支配が隅々まで行き渡らぬからじゃ。支配がゆるめば、神々は再び神域(シマ)の争奪戦をはじめるであろうよ。それが神々の(さが)じゃからの。神々は支配者がおるから相争えぬだけなのじゃ。『  』どもは、世界が安定のために生じせしめただけあって、均衡を崩す行いを厳しく律するからのう」


 そう。世界は、神々の争いによって崩壊せぬように、『  』種を生み出した。初めは神々の力の器としてその力を制限し、やがて時を経て、神々の支配さえ受けず、神域(シマ)を支配するモノへと進化した。

 それは、八島さんが語ってくれたこと。そして、神語の響きから読み取れたことだった。私は知っていたはずだった。


「為すべきことを為さぬ『  』など、世界にとってなんの価値もない。必要ないものは、世界に存在できぬ。それは必定。……小娘、おぬしの望みは何ぞ? 世界の(ことわり)を歪め、神々の争いを招き、破滅へと導くことか? それとも、あれと世界からはじき出され、消滅することか?」


 スケールの大きすぎる話に、すぐにはどう答えたらいいのかわからなかった。うまく説明できない何かが、お腹の中でぐるぐると渦を巻き、重苦しく(わだかま)っていく。

 私はただ、八島さんが無事でいてくれたらと思っただけだった。彼が危ないことをしないでいられるように、誰とでも仲良くすればいいと、単純に考えただけだった。

 それが、どんな事態を引き起こすか、知りもしないで。私は、自分がちゃんとわかっていないこともわからないまま、自分の常識や良識を振りかざしてしまったのだ。

 ……馬鹿だ。ものすごい馬鹿だ。私はきっと、また八島さんをとても危ない目に合わせている。

 でも。……でも。

 お腹の中で蟠るものが、一段と質量を増して、ぐうっと喉をせりあがってきた。私はその塊に押し開かれるまま、口を開いた。


「ですが、八島は、あの『  』を壊そうとはしませんでした。彼がここへ来て、女神様がけしかけるまでは」


 それがなんだというのだろう。言った先から、自分でもおかしなことを言っていると思った。もどかしかった。混乱している。けれど、この言葉の先に、本当に言いたいことが繋がっている気がした。


「それは、小娘がそう望んだからであろう? だから見よ、あれは未だ壊せずに、ああして押さえつけて力尽きるのを待っておる。ただの主持ちは、ほとんど力が残っておらぬからな」


 八島さんに目を向ければ、彼は先程と寸分も姿勢を変えていなかった。なにもせず、ただの主持ちさんの背の上に立っているだけ。

 けれど、床下の音は、小さくとぎれとぎれになっていた。その音の正体に、ようやく気付いた。

 ……あれは、なんとかしようと、ただの主持ちさんが足掻く音だったのか……。

 かわいそう、という気持ちが、どこからか勝手にわきあがってくる。この状況で、まだそんなことを思う自分のどうしようもなさに、ぐっと歯を食いしばる。

 それでも、八島さんが私にしてくれたことが頭の中をめぐって、ただの主持ちさんの姿と重ねてしまわずにはおれなかった。

 もしも私が攫われて閉じ込められてしまったら、八島さんもあんなふうに探しに来てくれるにちがいないのだ。あそこにいる彼と同じに、自分が壊れてしまうまで取り戻そうとしてくれる。


 不意に、玉手箱を開けた時、ただの主持ちさんの主が叫んだ声が、耳によみがえった。

『殺せ』

 ………彼女は、自分も殺してくれと、言ったのだ……。

 涙が急にあふれだして、前が見えなくなった。

 だって、わかる。私だって、八島さんが死んでしまったら、殺した相手に刃物を向けて、そう言いたくなる。きっと、きっと、きっと。絶対に。

 胸が痛くてたまらなかった。同情なのか、自分の想像に涙しているのか、わからなかった。ただただ、涙が止まらない。


「千世様」


 八島さんに呼ばれた。……それだけで、痛みに優しく触れる温かさを感じて、胸がいっぱいになり、もっと涙がこみあげてくる。


「はい」


 私は鼻をすすりあげて返事した。


「お泣きにならないでください」


 涙に滲む視界が急に暗くなり、ふわりと体を包み込まれた。触れ慣れたぬくもりに体重をあずけ、無意識に顔を胸元にこすりつける。女神様の領巾を持っていたのも忘れて、彼の上着をぎゅっとつかんだ。領巾はころころと空中で転がってほどけて、女神様の許へ戻っていった。

 八島さんが、またお仕事を途中で放り出して来てくれたのだった。……それとも、


「あの人、死んでしまったんですか?」

「いいえ」

「じゃあ、背なんか向けたら、危ないんじゃ……」


 あわてて彼の背後をのぞこうとしたら、背中を撫でられて止められた。


「もとより攻撃はしてきません。我が手元にこれがあるかぎりは」


 艶やかな微笑とともに掲げられる玉手箱。

 それを見て、そうだったのかと理解した。八島さんは、危ないことを本当にしていなかったのだ、と。

 あの人の主を拉致して、ここに閉じ込めて、反撃できないようにして、神域(シマ)を取り上げた。それは、此岸では犯罪だし、悪役の手口かもしれないけれど、私は八島さんを責める気持ちには、ぜんぜんならなかった。

 だって、彼は、厳しい状況の中で、ちゃんと私の願いどおりに、約束を守ってくれていたのだ。

 ……だから。

 だから。

 だから。

 馬鹿みたいに同じ言葉が頭の中で繰り返される。さっき女神様に言った、自分の言葉の続きを探す。体の中にぐるぐると蟠っている不満。女神様の言い分に、違う、そうじゃない、とずっと感じていた。

 それは、なぜなら。

 ……そう。そうなのだ。

 だって、八島さんは、いつだって約束を守ってくれる。私の願いをかなえてくれる。

 だから。


「八島は私に、永遠を約束してくれました」


 女神様への答えだったが、私は八島さんを見上げて言った。

 毎日見ても、何度感嘆しても、まだ新しい感動に襲われる美しい笑みが、私を見つめて深められる。


「だから、世界は壊れたりしないし、私たちも消滅したりしません。それが、私の望みですから」


 彼の瞳に妖しいほどの色気が灯る。


「千世様。我が唯一無二の主よ。その願い、たしかに承りました」


 私は、八島さんのまなざしに囚われながら、脳髄を蕩かす声を聞いた。

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