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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第五章 まだまだ転

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二度あることは三度ある

 縁側の端に置かれた木でできた昔ながらの(たらい)をのぞきこむと、中に葉が一枚と、睡蓮の花が一輪咲いていた。微かに良い匂いがする。


「わあ。綺麗ですね」

「こちらは石鹸です」


 八島さんがすくいあげて見せてくれた。ピンクともオレンジとも言えない、まさにパパラチヤの薄い花弁が、繊細に重なっている。触ってみても、柔らかくつるんとしていて、生花としか思えない。


「これが、石鹸ですか?」

「はい」


 八島さんは花を一度水の中に沈めて濡らし、両の掌の中におさめて、石鹸を泡立てる時そのままに、もみくちゃにしてしまった。あ、もったいない、と言う間もあらばこそ、躊躇いのない仕草に、止める暇もない。

 彼の指の間から、見る間に白い泡があふれだしてくる。すると、優しい匂いが、ほわん、とただよった。


「お手を」


 両手をさし出すと、二つ一緒に八島さんの大きな手の中に包みこまれた。ぐるりと甲から掌側まで石鹸を塗りたくられ、右と左を外側からささえられたまま、こすりあわされる。ちっちゃな子が、お母さんに手の洗い方を教えてもらってるみたいに。

 八島さんにされるがまま、向かい合って、手を握られてするこれは。……なかなか気恥ずかしい。


「あの、あとは自分で洗えます」

「もう少しでございますから」


 あえかな微笑みで申し訳なさそうに言われて、そうじゃなくて、という言葉を吞みこんだ。

 そうこうしているうちに、右手だけをとられ、八島さんの指が指の間に入りこんできた。反射的に、びくっとする。そうされて、はじめて、ここが思いがけないほど敏感な場所だと気がついた。

 八島さんをうかがい見れば、気にした様子もなく、手を洗うことに集中している。

 指先からはじまり、つけ根を通って、反対側の指先へ。ゆっくり優しくなぞり、何度も繰り返されるそれは、くすぐったいだけではないざわめきを生じさせて、指から掌、腕の肌の内側を通り、肩口から胸元へと、広がっていく。

 なぜだか、とんでもなく恥ずかしい。ただ洗ってもらっているだけのはずなのに。

 だけど、やめてほしいとは言いだせなかった。きっと八島さんのことだ、「なぜでございましょうか?」と、何の含みもなく不思議そうにさらっと聞き返すに違いないのだ。そうしたら、私が答えられなくなるのは、目に見えていた。

 だって、首筋を舐めて齧られた時と同じ、もやもやぞくぞくした感じがするからなんて、言えないよ!

 手を引かれて、盥の中につけられる。石鹸の器代わりになっていた葉っぱが、ゆらゆらと揺れる。もうちょっとだ、と息を吐いた時、水の中で、八島さんに掌をするんとなでられた。


「んっ」


 くすぐったさが一瞬で心臓まで届いて、思わず掌を閉じる。八島さんの指を握りこむ形になって、これまたあわてて手を開いた。そろりと彼を見遣ると、目が合って、にこりと微笑み返される。

 その瞬間、頬に血がのぼった。なんでこんなに恥ずかしいのかわからないけど、とにかく死にそうに恥ずかしかった。

 私はうつむいて、あとは水差しから注がれる水で、もじもじと手を洗い流すことに一所懸命なふりをするしかなかった。




 茶器の載ったお盆をはさんで八島さんと反対側に座布団を用意され、彼と目を合わせられないまま縁側に座った。グラスに冷茶を注がれて、さしだされる。


「緑茶を水出ししたものでございます」


 馥郁とした香りのそのお茶は、ほんのり甘みすらあって、とても美味しかった。体のすみずみまで清涼感がいきわたっていく。おかげで、ぐらぐらと沸きたっているみたいだった体の中が沈静化して、なんとか少し落ち着いた気分になれた。

 お盆の上にはもう一つ、お菓子の器もあった。美しさに目を引かれる。白い平たいお皿に鮮やかな笹の葉が敷かれ、その上に薄ピンク色をした蓮の花をかたどったガラスの器が置かれているのだ。

 中には荒く砕かれた氷が盛り付けられていて、一口サイズの丸いものがいくつか鎮座している。見た目が涼やかでとても綺麗。はんなりとした色が付いたそれは、黄、ピンク、緑、白、紫と五つあった。


「これはなんですか?」

水羊羹(みずようかん)です。それぞれ、梅、苺、抹茶、白餡、紫芋を使っております」

「へええええええ」


 私は感嘆の声をあげた。美味しそう!

 いそいそと添えられていた高級爪楊枝(黒文字)に手を伸ばしたら、その前に八島さんが摘みあげてしまった。優しい笑みを浮かべて、彼が聞いてくる。


「どれにいたしましょうか」


 え? と私は動きを止めた。黒文字と水羊羹と八島さんを忙しく何度か順繰りに見て、意を決して言ってみる。


「あの、自分で、」

「私がお取りいたします」


 うわ。最後まで言わせてすらもらえなかったよ! にこにこしてても、時々まったく人の言うことをきいてくれないことがあるけど、今回もそのパターンらしい。

 私は心の中で瞑目した。おもに、自分の常識と理性に。

 私は主で、彼は執事! しかも、異世界産! 此岸の常識なんてここでは絵に描いた餅も同じ! イケメン執事にあーんしてもらうからって、なんだというのだ! 私はこの涎の垂れそうな水羊羹が食べたい、今すぐに!


「抹茶をお願いします」


 彼が器を取り上げ、緑色の玉を刺す。どうぞ、と言われ、小さく口を開けた。羊羹が近づいてきて、唇の寸前で止まる。


「申し訳ございません、もう少し大きく開けていただけますか?」


 それにとうとう、カッと羞恥で心が焼けた。やっぱり駄目だ、恥ずかしい! 

 しかしそれを今さら言ったところで、八島さんが理解するとは思えなかった。なにより、羞恥ポイントを説明するとか、それこそどんな羞恥プレイだ! 

 よって、このまま何でもない顔をして続行するしかない。私は覚悟を決めて、唇を開こうとした。ところが、緊張して震えて、どうしてもうまく開けられなくて。

 上目遣いで羊羹から八島さんをうかがえば、彼はにこっとして、あーんですよ、と言った。……目と耳から蕩けてしまいそうな、甘く色気に満ちた、まなざしと声で。

 どんどんどんどん、ごまかしようもなく顔が熱くなっていく。耳の先まで熱い。腕も熱い。首も胸も熱い。心臓はばっくんばっくんしてるし、血潮はごうごうとめぐって、頭の中はぐるぐる。なんだかもう、涙目になってくる。


「はい。あーん」


 八島さんは羊羹で私の口を、ちょんとつっついた。その衝撃で、緊張状態が突き抜けた。おそらく私は一時心神喪失状態になったのだろう。反射的に、ばくりと羊羹に噛みついた。 

 抹茶のまろやかな香りが鼻腔へと抜けて、ハッと我に返る。口の中のつるつるした甘いものを、もぐりと噛めば、餡の上品な甘みと抹茶の深みのある渋みが合わさった、至福のハーモニーが舌の上に広がった。


「ん~~~~~~っ」


 私はたまらない美味しさに、左手で頬を押さえた。うっとりと溜息をつき、八島さんを見上げる。


「とても、とても美味しいです」

「お口に合ったようで、よろしゅうございました。お次は何にいたしましょうか」

「梅をお願いします!」

「かしこまりました」


 二個目は躊躇しなかった。鳥の雛よろしく、かぱりと口を開ける。

 羊羹が近づいてくる、それだけで華やかな梅の香りがした。舌の上に冷たい感触がのせられ、舌でぎゅーっと潰してみれば、甘く漬けられた完熟梅がとろりと出てきて、酸味と甘みの絶妙な塩梅に悶絶した。私は目をつぶって、ひとかけらたりとも美味しさを逃さぬように、もぐもぐと味わった。

 どうしよう。もう、美味しさのあまり、どうにかなってしまいそうだ。

 目を閉じたまま、深い深い溜息をついた。


「どうなさいましたか?」


 私は物憂く八島さんを見上げた。


「美味しすぎて、胸がいっぱいです。八島さんは本当にお料理が上手ですね。こんなに美味しいものを食べられて、とても幸せです。作ってくださって、ありがとうございます」

「いいえ、お褒めにあずかるようなことはなにも。ただ私には、そうして千世様が喜んでくださるのが、何よりの喜びなのです」


 彼の言葉は、謙虚でも謙遜なのでもなかった。私を真っ直ぐに見つめる彼の瞳の色に、それがよくわかった。誰か人の男が言ったなら、何を大仰(おおぎょう)なと、口のうまさを笑うところだろう。でも、『  』種である彼が語れば、それ以上でもそれ以下でもない、彼の在り様そのものでしかないのだった。

 そんな彼の在り方が、すとん、と私の中に落ちてきて、ああ、これを腑に落ちると言うんだな、とぼんやりと思った。理屈だの原理だの難しいことは飛び越して、まさに腑、腹の中、体の中心から納得がいく。

 彼が私を食べない(・・・・・・・・)と言ったら(・・・・・)食べないのだ(・・・・・・・)

 だって(・・・)他ならない彼が(・・・・・・・)永遠に私に仕(・・・・・・)えると(・・・)誓ったんだから(・・・・・・・)それが真理(・・・・・)

 なあんだ、と安心した。だったら、いくら噛まれて舐められても、食べられたりはしない。犬の甘噛みと大差ない。


「……時々なら、」


 無意識に八島さんに話しかけて、私はハウッと口をつぐんだ。

 ……何を言うつもりだった、私。


「時々なら?」


 八島さんが鸚鵡返しに問い返してくる。

 私は、そろ~と目をおよがせた。

 ……いや、その、さっき手を洗ってもらいながら、その丁寧さに執拗さを感じたというか、またカイだけに好きに舐めさせてと口惜しく思っているとか、……たぶんだけど、八島さんも舐めたいと思っている、とか、そういうのがなんとなーく伝わってきた気がして。

 いや、うん、全部気のせいかもしれないんだけど。……すこーし気になって。……だから、その、でも、だったら、時々なら、いいかなって。ちょっと思っただけで。

 私は迷いに迷って、八島さんに目を向けた。

 ……これを言ったら、すごく喜ぶだろうな、と思う。喜ばせたいな、喜ぶ顔を見たいな、とも。

 そして八島さんを見てしまったら、なによりも、嘘も偽りもない彼の在り方に、私もきちんと真っ直ぐに応えたい、と思ってしまった。強く、強く、そうしなきゃ、って。

 だから、ためらいを捨てて、告げてみる。


「と、きどき、なら、舐めても、いいですよ」


 八島さんがわずかに目を見開く。それに気恥ずかしさが増して、早口で付け足す。


「でも、齧るのは、痛くしないでくださいね!」

「……はい」


 八島さんが、はにかんだように笑った。

 うわあ、新機軸だよ、なにこれ、初々しさに色気を感じて、すっごく萌えるよ、可愛いー!!

 私の頬もゆるんで、つられて笑う。彼が喜んでくれると、私も嬉しい。


「では、今、よろしいですか?」


 八島さんが、じっと私を見て言う。

 今。まあ、そうくるよねと思った。私だって、望んでいたことを許されたら、とりあえずやってみたくなるもの。


「……少しだけなら」

「はい。少しだけですね。承知いたしました。それで十分です。さきほどから、ずっと気になっていたんです。羊羹が付いて、光っていて」

「羊羹ですか?」


 私は頬を手で触ろうとして、やめた。彼が、羊羹の付いた所を舐め取ると言っているのだろうと判断して。


「はい。……どうぞ」


 ちょっと、……ううん、だいぶ恥ずかしいから、目をつぶって待つことにする。八島さんの動く気配がして、顔の前の空気が揺れた。それを肌で感じて緊張していたら。

 ぺろりと。

 一度で取れなかったのか、それからまだ二回、ぺろりぺろりと。

 唇を舐められたああああああああっ!?

 びっくりして、目を開け、両手で口を覆う。

 目が合った八島さんは、いつもの微笑みで、にこりと笑った。


「甘いですね」


 甘いですね、じゃなーーーーーーっい!!

 私の魂の叫びは、何も気にしていない天然性悪執事の前に、心の中だけで叫ぶことを余儀なくされたのだった。

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