命あっての物種
「よっこらしょ」
人形は掛け声とともに、体を起こした。頭が箱の縁から出たとたんに、大きくなる。まるで、箱から頭だけが生えているみたいだ。ぎょっとして、とっさに体を引いた。
あれよあれよというまに人形の肩も大きくなり、胸も大きくなっていく。周囲にあった掛け軸をバラバラゴロゴロと押しやりながら、お腹、腰、ときたところで、ごん、と頭を押入れの枠にぶつけた。
「あいたたた」
人形は顔を顰めて、屈んで両手で額を押さえた。その間も下半身は大きくなり続け、しかも掛け軸用の棚が邪魔で押入れの中に居られるスペースがないせいで、とうとう玉手箱の中から押し出されるままに、わああああ、と声をあげて、押入れから落っこちた。
私は蓋を持ったまま飛びのいた。だって、怖かったんだもん! 呪いの人形だったら困るでしょう!?
人形は、うう、と痛そうに呻いて起き上がれないようだ。結っていた髪が衝撃のせいでばらけ、黒髪がざんばらに畳の上に散っている。
白いワンピースに、長い黒髪で、四つん這いで蠢いている女性。
いつかどこかで見た恐怖を誘う光景に、まさに背筋が凍った。八島さんに見つかる前に元の状態に戻そうという気力は、根こそぎ刈りとられた。
私は恥も外聞もなく八島さんを呼んだ。
「や、八島さん、八島さん、八島さーん!!」
叫びながらも、涙目になって、蓋を盾にしながら、じりじりと後ろ向きに下がる。
だって、背中を見せたとたん、飛びかかられたら怖いもん! 背中にがばあっと取りつかれたりとか、首筋にガブリッとか。ホラー映画なら、絶対にその展開だと思う。
「いかがなさいましたか?」
声と同時に目の前がかげったかと思ったら、体をすっぽりと抱きしめられていた。
八島さんだ!
私は彼の体に抱きつこうとして、その背中側に人形がいることを思い出し、腕を縮めたまま彼の胸に顔をうずめた。八島さんの体からはみ出た腕の先だけ喰いちぎられる映像が、頭に浮かんだのだ。
「八島さん、後ろ、後ろに、呪いの人形、出しちゃったんです~~~~っ、ごめんなさい~~~~っ」
「呪いの人形、でございますか?」
彼が上半身を揺らし、ちらりと一瞬だけ後ろを振り返るのを感じる。
「おんや、そちらさん、死者の国の女神ではないんか。あんたぁ、御使者じゃなかったんだな。……ああ、そうかあ、あんたも浪人者だったか」
人形がしゃべっている。ずいぶんなまっているけど日本語に聞こえるのに、まったく意味がわからない。
「なあ、萌黄はどうした? 殺したんか? なら、なんでおらだけ生きている? それとも、この体を娘っ子が言ったとおり、人形にしたんか? それにしちゃあ、ずいぶんあちこち痛いがなあ」
途中から声の位置が高くなったような、気が、した。ごそごそがらがらと何かがぶつかる音もしている。八島さんの体で見えないのがもどかしい。でも、顔をのぞかせた瞬間、頭から喰いつかれそうで、怖くてできない。
な、なんか静かになったよ! 映画だったら、数秒後に、があっとくる展開だよ! だから八島さん、私を見つめて、ニコニコしている場合じゃないかと!
「八島さん、人形が動いてるみたいですよ!」
「ええ」
ええ、と肯定したはずなのに、蕩けそうな笑顔になるって、どういうこと!?
甘すぎて、思わずもじもじしちゃうよ、そんな場合じゃないのに!
チキ、と金属が軽く触れ合う音がした。すらあっとこすれる音もしている。一連のそれに思い浮かぶのは、時代劇の殺陣のシーン。押入れの中には、布都御魂がある。今まさに鯉口を切って、抜いたんじゃないかと……。
「八島さん、危ないです!」
私はとにかく八島さんと体の位置を変えようと、彼の腕の中で動こうとした。ところが、彼はびくともしなかった。
あたりまえか! 八島さんは怪力の持ち主だった!
手足は動くし苦しくないのに、真綿でくるむがごとく、きゅうと抱きしめられたまま。それどころか、わたわたしている私の様子に、微笑みを深くする始末。
「八島さん、人形が!!」
「ええ、わかっております」
彼は私を右手だけで抱えなおすと、左側に体を開いた。その刹那に、彼の肩口に白刃がきらめき、私は悲鳴を呑みこんだ。
危ない、と叫ぶこともできなかった。八島さんが斬られてしまう恐怖に、目を見開くしかできない。
スローモーションに見える世界で、八島さんの左手が上がる。無造作に刃をつかみ、もぎ取る。
も、もぎ取……? 掌は切れていないの!?
八島さんの腕が横に振られ、太刀が投げ捨てられた。ドスン、と重い貫き通す音が、その先でする。どうやら、どこかそのへんの床か壁に突き立ったようだ。
空いた手がひらめき、血が出てない? と、信じられない気持ちでまばたきした次の瞬間には、彼の手に玉手箱の下の部分が握られていた。まるで手品のようだった。
「蓋をいただけますか?」
八島さんがこちらを向いて、物腰柔らかに聞いてくる。
「はぃい」
私は急いで蓋を差し出した。
「少々お待ちを」
左手で箱を、右手で蓋を持った八島さんは、抱きしめる腕をといて、私に背を向けた。あいかわらず、その向こうの人形は見えない。
「殺せ」
人形の声が聞こえた。
「殺せ、おらを殺せ!」
血を吐くような悲痛な声に、思わず一歩踏み出した。何をしようと思ったわけじゃない。ただ、そうせずにはいられなかったのだ。
八島さんが屈む。人形に向かって箱を近づけようとしている。
「八島さん」
いてもたってもいられなくて、その背に駆けよって、上着の布地をつかんだ。
でも。
「はい。千世様」
振り返った彼の手の上には、もう蓋の閉められた玉手箱があり、その向こうの押入れの前には、人形の姿はどこにもなかった。




