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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第五章 まだまだ転

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隠すことはあらわる

 カイとの距離は相変わらず微妙なまま、はや一週間。

 うーん。嫌われてはいないと思うんだ、わっふわっふしなくなっただけで。私が庭に出れば、いつでもすぐにやってくるし。無視するどころか、着かず離れず傍にいるし。それに、ずーっと尻尾はゆらゆらしているの。

 だけど、うまく言えないけれど、間に見えない壁が一枚ある感じで、迂闊にその向こうに踏み込めなくて、会ってる間中、一匹と一人で横目でお互いをうかがいあっている。


 八島さんの言うとおり、カイは今ちょっと難しいお年頃なのかもしれない。いろいろ境目と言うのか。それまでできなかった人型への変身ができるようになったりも、きっとその一端なんだろうと思う。その人型の姿があれなんだから、もう、きゃっきゃとはしゃぐような歳じゃないんだろうなっていうのも、推察できるわけで。


 ……こういうのも親離れって言うんだろうか。少し、ううん、だいぶ寂しい。

 彼岸の生き物は成長がはやくて、猫可愛がりできる時期が短くて残念だなあ。こんなことなら、もっとなでなでして、いっぱいぎゅっと抱きついて、すりすりしておけばよかった。……八島さんにはないしょで。

 私は隣ですましてお座りしているカイを横目で見て、こっそりため息を噛みころした。




 だからといって、そういえば子猫はどうしているかな、なんてことを、昼食に天ぷらとざる蕎麦をすすった後に思い出したのは、なにもモフモフに飢えていたからじゃない。

 子猫を預かったからには、ちゃんと面倒をみようと心に決めていたことを、唐突に思い出したからだ。

 ……いや、うん、今の今まで忘れていたわけだけど。

 昼寝時の猫の有無をとても気にしているようだった八島さんに、平素はそんなにこだわりませんと伝えたものだから、お昼寝は寝落ちが多いのもあいまって、結局あれからぜんぜん子猫の出番はなかったのだ。


 君子は豹変す、と言う。過ちだとわかったら、すぐに正すって意味だ。英語では、知者は時に心を変えるが、愚者は決して変えない、とも言うらしい。なんでこんなの知っているって、小学校五年の夏休みの一研究を、諺調べで終わらせたからだ。最終日に丸一日かかったんだ。あれは辛かったなあ……。

 それはさておき、凡人の私は君子には程遠いけれど、少なくともわかっていて愚者で居続けるほど愚かにはなりたくない。失敗しない人も、過ちを犯さない人もいるわけがないんだから、人間、リカバリーが大事だと思う。

 ごちそうさまでしたと同時に席を立って、あわただしくお昼寝部屋の襖を開けた。


「枕をお出ししましょうか?」


 お昼寝をすると思ったらしい八島さんに声を掛けられる。


「いいえ、掛け軸を見たいだけですから」

「ご希望のものがあれば、私がお出ししますよ」


 八島さんは片付けの途中にもかかわらず、すぐに立って私の傍にやってきた。


「いいんです、いいんです、子猫と遊ぼうと思っただけなので。一人で大丈夫です」

「さようでしたか。では、猫の掛け軸をお出しいたしますね」


 遠慮したけれど、八島さんは優しく微笑んで、すっと先にお昼寝部屋に入り、押入れから掛け軸を取り出してくれた。


「ありがとうございます」


 私はさっそくその場に座りこみ、紐をといて畳の上に広げた。

 木の下で毬で遊ぶ子猫に、思わず見入る。やっぱりすごい。まるで生きているよう。触れたら毛並みの感触がしそうだ。無意識に手を伸ばし、絵に触れかける。でも、あとちょっとのところで指を止めた。

 美術品の表面に素手で触れてはいけないと、とっさに自制心がはたらいたのだ。しかし、これはいわくつきの掛け軸で、たぶん紙の表面には触れられない、はず。

 あの時、八島さんは無造作に掛け軸の中に手をつっこんでいたように見えたけれど、本当にこのまま触って大丈夫なものなのか、ちょっと不安になる。

 私は横で控えて様子を見守ってくれている八島さんへと、問いかけるように顔を向けた。


「ええ。そのまま中の物をすくいあげるようにしていただければよろしゅうございます」


 一人で大丈夫なんて言ったけど、彼が傍にいてくれてよかった。私は安心してコクリと頷いて、思いきって掛け軸の中に()()()()()

 あるはずの障害がなく絵の中に手が入ってしまうのは、おかしな感じだった。戸惑いながらも猫に向かって手を伸ばしたら、柔らかい毛並みが指先に触れる。そうっと掴んでひっぱりだした。

 はたして、持ち上げた手の中に子猫はいた。掌からこぼれた手足をぶらーんとさせ、人懐こく、にゃあと鳴く。


「かわいい」


 私は大喜びで、両手で抱きかかえて頬ずりした。

 八島さんも掛け軸の中に手を入れ、中にあった毬と赤い紐も取りだしてくれた。どうやら、小道具も一緒に閉じ込められていたらしい。


「どうぞこちらをお使いください」

「はい。ありがとうございます。あの、もう、ここはいいですよ。私、子猫と遊んでますから」


 隣の居間には、まだお昼の器がそのまま放置してある。器の片付けぐらい、本当は私がやりたいのだけれど、あいかわらず絶対にさせてくれない。

 こんなにお屋敷は広いんだもの、一人で管理するより、二人でやった方が楽なのに。しかし、八島さんは、頑としてそこは譲らないのだった。

 だから、忙しい彼に自分のお仕事に戻ってくれるようにと、遠回しに言ってみたのだった。


「承知しました。では、少々下がらせていただきます」


 八島さんは一礼して部屋を出ていった。




 毬を転がし、紐にじゃれつかせ、膝の上に抱いて思うぞんぶんなでていたら、そのうちゴロゴロいいながら丸くなって、子猫は寝てしまった。

 ふすー、ふすーと寝息をたてている。かわいい。細い脚を掌に握るように持って、そっと肉球を押す。にゅっと爪が飛び出した。おもしろい。にゅ、にゅ、と何度かやってみる。

 いたずらはそのくらいにして、頭をなでてから膝の上から抱き上げ、掛け軸の中に戻した。

 すると、自然にいつもの獲物を狙って手を出して遊んでいる姿勢になる。あ、小物、と思いだして、子猫の前に置くような気持ちで、毬も紐も戻した。自動的に、毬も紐も定位置に戻る。

 ちょっとそのまま眺めた。

 どうしてかな。やっぱり、かわいそうという気持ちがわきあがる。子猫は辛いこともお腹がすくこともなく、こうやって永遠に遊んでいられるのに。

 少し考えて、すぐに答えが出た。

 でも、反対に言えば、それだけの存在でしかないのだ。……永遠に。


 私はしゅんとした気持ちになって、端からくるくると掛け軸を巻き取った。紐に留め具をはさみこみ、立って、押入れの中の掛け軸用の棚に戻す。

 隣にある滝、雷は、例のあれだ。山水、牡丹、山鳥、蝶、鯉。このへんは、飾ってもらったことがあるから知っている。べつに、全部が全部、中身を取り出せるわけじゃない。……と思う。

 ああっ。幽霊がある! 八島さん、真夏に掛けるつもりなんだろうか。これだけはごめんこうむりたい。竜とか虎とか麒麟とか鳳凰とか玄武とかは、まあ、いいんだけど。

 他に怪しい掛け軸はないかと、一本一本書付を確かめる。朝顔、鈴虫、萩、月、雪……。大丈夫、かな。


 あれ。この箱なんだろう。

 奥の方に、蒔絵で絹の組紐で蝶々結びにされた、立派な箱があった。昔話でよく出てくる玉手箱みたいなやつだ。

 持ち上げると軽かった。ほんの少しだけゆすってみる。音はしない。

 ぴっしりとしめられた赤い紐が、開けるなと言っているように見える。けれど、開けろー、開けろーと誘惑しているようにも見えた。

 私はまさに、浦島さんの気持ちを追体験していた。いわゆるあれだ、してはいけないことほど、してみたい。

 私は悩んだ。開けるべきか、開けざるべきか。

 浦島さんは、誘惑に負けた。しかし、私はこれを開けてはいけないと注意されてはいないし、そもそも、草の一本、小石の一つまで、この屋敷のものは私の物と八島さんに言われている。開けていけない道理はない。……たぶん。

 好奇心におされるままに、つうっと紐の端をひっぱってみた。紐は、するすると解けて、くたりと箱の横に落ちた。

 ごくりと唾を飲み込む。

 蓋の横を、両の手でつかむ。くっと引っぱりあげ、抜き取る寸前で息を止めて手も止めた。何も起きないかうかがう。

 うん。何も出てこない。煙がぼわんとなりそうになったら、すぐさま閉めようと思ったんだけど。

 そこで私は、すうっと蓋を抜き取った。

 中には、お人形さんが入っていた。


「うわあ……」


 感嘆の声が漏れ出た。とにかく、とても綺麗だったのだ。

 まじまじと見入る。

 海外の昔話に出てきそうな、白くて簡素な服に金色のベルトをしていて、真っ黒い艶やかな髪をゆったりと結い上げてある。髪型も、服も、面差しも、とても精巧にできていて、まるで今にもぱちりと目を開けそうだった。

 ……まさか、ね。

 見入っているうちに、長い睫毛が柳眉とともに、ふるりと震えたように見え、私は思わず、蓋に手を伸ばした。

 よく考えたら、いや、よく考えなくても、この屋敷に集められたものは、いわくつきの物が多い。この綺麗な人形だって、そうに違いない。ようやく私は、それに気付いたのだ。

 私が喜ぶものなら、八島さんは真っ先に見せてくれただろう。そうせず、厳重に紐を掛け、押入れの奥に入っていたということは。

 ……これは、私が触ってはいけないものだった?

 いそいで蓋を翳す。だけど閉める前に、人形がゆっくりと瞼をあけた。

 目が合う。

 気のせいじゃない。確かに人形と目があった。

 私は恐怖に硬直し、どっと背中に冷や汗がふきだしてきた。

 人形が、ゆうらりと小首を傾げる。


「おんや。ヘルは年増だと思っていたに、ずいぶんめんこい娘っ子だなあ」


 人形は真っ赤な唇の端をつりあげて、にいっと笑った。

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