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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第四章 またまた転

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教うるは学ぶの半ばなり

 そ、そりゃあ、もちろん、そこから始まる愛や恋もあるとは聞いている。主にドラマや小説の中で。けれど、彼氏いない歴イコール年齢な私には、想像もつかない雲の彼方のお話だ。


「あ、あの、ですね、」


 とにかく、それは私には無理だと何とか説明せねば、と口を開いて、八島さんを見上げた。……のが失敗だった。

 至近距離から覗きこむ憂いを秘めた熱いまなざしに、これ以上上がらないと思っていた心拍数と体温が、ぐいーんと上がってしまったのだ。おかげで、途中まで頭の中で形になりかけていた言葉が、きれいさっぱり霧散した。

 ぽかーんと間抜けに口を半開きにしたままで、私はどうしようもなく彼に見惚れた。

 高級磁器みたいに白くてすべすべでシミ一つない肌。芸術的な曲線を描く鼻。美しい弧を見せる唇。

 そして何より、出会った時から心を鷲掴みにして離さない、痛みと弱さを宿した瞳。思わず、大丈夫だよって、手を差し伸べたくなる……。


 彼が上半身をかがめてくる。目を閉じることすら忘れて凝視してしまう。八島さんの綺麗な顔がじょじょに迫ってきて。

 あれ? もしかして、いきなり教えるの? えええええ? ちょっと待った、まだ心の準備ができてないよ!

 私、初心者なんだよ、教えるとか無理、無理。って、無理って言いたいのに、いきなりすぎて、声が出ない、動けないー!!

 うわあ、近い、近い、近いよ、待って、待って、待って、八島さーんっ!!

 んぎゃーっ、と心の中で叫んだところで、八島さんの顔が、どこもかすめずに斜めにそれていった。

 おやあ? と気を抜いた瞬間、耳元に、ふっと息がかかる。びくん、と体が反応し、その硬直の一瞬をついて、かすれた色っぽい声が、耳の中に吹き込まれた。


「千世様」


 背筋から腰に震えがかけぬけた。がくん、と腰が落ちかける。それを、ぐ、と八島さんが腰を引き寄せることで、支えてくれたけど。

 なに、なに、どうして、どうなってるの!? 足腰に力が入らないって、どういうこと!?

 そのせいで彼の足と足が絡まって、膝下の内側がこすれあっていた。熱くて硬い筋肉質な彼の足の感触が生々しく感じられ、かあっと恥ずかしさが体中に広がる。

 こ、これは、いたたまれない!

 なのに、なんとか体勢を立て直そうと足掻けば足掻くほど、力なくもだもだとさらに触れ合ってしまうのだ。

 ど、どうしよう。どうすれば。

 必死に体をたてなおそうとしているところへ、はあ、と吐息が耳元で聞こえ、私は再び、びくりと震えた。


「ちょ、ちょっと、すみません、そこはっ、」


 弱いんです、駄目なんです、体が勝手に震えちゃうから、やめてほしいんですぅっ。

 いたたまれなさに追い打ちをかけられ、押しのけようとしつつ、しどろもどろに訴えている途中で、のそ、と八島さんが動いた。私の耳元から頭をもたげて、すごく、すごくすごく近くから、私の目をのぞきこんでくる。

 息を、吞んだ。まっすぐな強い瞳に心臓を撃ち抜かれて、言葉を失くす。

 そうして、私の視線をとらえて交わらせたまま、八島さんは甘く切ない声で囁いた。 


「どうかお願いです。私に愛を教えてはいただけませんか?」


 っっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!

 破壊的な素敵ボイスに、体の芯がゾワッとしてカッと熱くなった。脳内が真っ白に沸騰する。ひーっという悲鳴が、声にすら出せず、頭の中でエコーした。

 そうして、昇天しかけて意識が遠くなっている私を、八島さんは、ぎゅうと抱きしめた。

 頬が彼の服の布地に押しつけられ、その奥の温かく弾力のある大きな体をダイレクトに感じた。広い胸と太くて長い腕で、他の何からも守るように包み込まれているのが強く意識され、心臓が最早限界を超えて、ギシギシきしみながら全力疾走をはじめる。


 なになの、この恋愛もののクライマックスみたいな状態!!

 まったく違うってわかっているけどね!! どう考えても、これ、弟子入り志願だし!! しかも恋愛って、八島さん、先生のチョイスを間違えてるよ!! これは笑うしかないところだよね!!


 だけど。だけど、だけど、だけど。わかってるのに、わかってても、男性に免疫のない私には刺激が強すぎるんだよ、トキメイちゃうよーーーっっ。

 このハイスペック執事、ほんとに無駄能力の権化だ。なんって迷惑なんだろう。素面の乙女(私!! 今日は酔ってないよ!!)を素で惑わすなんて、罪深すぎるでしょー!!


 私は必死にずれたことを考えて、このトキメキを追い出そうとした。

 ……追い出そうとしているというのに。

 さわり、と頭に大きな掌が触れる。

 今度はなんだ、何が始まる、と警戒して固まった私の頭を、普通にそっと撫でてくる。

 子供の頃に、褒められて大人に頭を撫でられて嬉しかった感覚が蘇る。ちょっといいかも、と、ついじっとしていたら、頭からくだった手が、すう、と背中まで撫でおりてきた。

 ……とても穏やかなそれに、止めはぐった。……気持ち良かったというのもある。

 変な意味じゃないよ! だって、彼の掌から、大切だって思っているのが、すごく伝わってくるんだもの。

 おかげでそのまま、頭から背中まで、何度も何度もゆっくり撫で下ろされて。

 一撫でされるごとに、安心と満たされた気持ちが、体のすみずみまで広がっていった。はにゃーんて感じだ。十回を数えるころには、心も体もふにゃふにゃになり、私は自分から八島さんの胸に体をあずけていた。

 無心に心地よさを享受する。頭の中がぼんやりとして、彼の温かさと気持ちよさだけしか考えられなくなる。


「教えていただけますね?」


 唐突に耳元で囁かれて、私は首を傾げた。深みのある艶やかな声に陶然としつつ、ぼんやりと声の意味することを反芻した。

 何を?

 なんだかぼうっとしてぜんぜん頭が回らず、問いかけるために顔を上げた。八島さんと目が合って、大好きな笑顔でにこりとされる。幸せな気分になって、私も同じように笑い返した。

 ああ、こんなふうに八島さんが笑ってくれるなら、もう、何でもいい気がするなあ。

 ぼんやりながらも心の底からそう思い、はい、なんでも教えますよ、喜んで!(何を教えるのかわからないけれど!)、と答えようと口を開きかけた。

 その時だった。


「ちせーっ」


 どこかで聞いたことがあるようなないような、男性の声が聞こえた。八島さんが、すうっと無表情になって、私の背後に視線を向ける。

 その冷たいまなざしにドキリとして、急速に夢から覚めていくかのような感覚に陥った。


「おれも、ぎゅーしてーっ」

「あれ。カイちゃん?」


 急に頭の中がクリアになって、はっと我に返ったような感じになった。

 振り返ろうとすれば、頭に添えられた手で動きを止められる。


「そのままに。お目が汚れます」


 目が汚れる? ちょっと考え、まわりを見て庭にいることに気付き、そこから芋づる式に、犬小屋での衝撃的な事件を思い出した。

 あ。うん。カイちゃんたら、まだ裸のままなんだね。

 私は、じっと八島さんの胸元を眺めていることにした。


「千世様はおまえを呼んでおられない。小屋で控えていろ」

「やだっ。おれも、ぎゅーする!」

()れ者が。思い上がるのも、いいかげんにしろ」


 八島さんの聞いたことのない低く硬い声に、私まで緊張した。彼が右腕を軽く一振りすると、どん、という空気のはじける音がして、きゃん、というカイちゃんの悲鳴が聞こえた。


「ああああの、酷いことしないでください! カイちゃんはまだ子供なんです!」

「ご安心を。殺してはおりません。人狼の頑丈さ、回復力は彼岸でも随一を誇ります。分をわきまえない未熟者に、本性に戻るきっかけを与えてやったまで。躾けただけでございます」


 八島さんは取りつく島もなくそう言うと、少し身を離して屈み、ふわっと私を抱き上げた。


「わぁ、なにするんですか!」

「足腰が立たれないようですので。お屋敷までお連れいたします」


 私は恥ずかしさに顔が赤らむのを感じた。

 そ、そうかもしれないけど、それって、無駄能力を惜しげなく使った八島さんのせいだよねっ!?

 上目遣いで思わず睨めば、それを受け止めた八島さんは、華やかに微笑んだ。


「そのような顔をされると、また怒らせるようなことをしたくなってしまいます」


 そのしゃあしゃあとした言い様に、むかーっとした。目が吊り上がって唇が尖るのが、自分でもわかる。なのに、八島さんったら、ますます楽しそうにするんだもの。

 もう降ろしてください! そう叫ぼうとしたら、


「ですが」


 と一拍早く言われて、出かかった言葉が喉の奥で宙ぶらりんになった。


「やはり、去っていく背を見送るよりも、駆けてきて抱きついてくださる方が、よいものでございますね」


 うわぁぁーっっ!! 謝るの、忘れてたーっ! 

 羞恥で顔が引きつった。酷いことをしたのに謝りもせず、さらなる問題解決を依頼するって、社会人として失格だ!


「……先ほどは、すみませんでしたっ。せっかくピクニックに連れていってくださったのに、あんな態度をとって、本当に申し訳ありませんっ」


 お姫様抱っこで運ばれつつ頭を下げるって、深く下げようとすればするほど不出来な腹筋運動みたいになるって気付いたけど、このさいそれはいたしかたない。とにかく誠心誠意頭を下げる。


「謝られることなど、なにもございません。私の不徳のいたすところです」

「いいえ、私がいけなかったんです! 八島さんは、いつもこれ以上ないほどに良くしてくださっているのに」

「そう仰っていただけると、嬉しゅうございます」


 にこ、とされ、私も、おずおずと、にこ、と笑い返した。謝り足りないけれど、執事の鑑な八島さんは、これ以上謝罪を受け取ってくれそうになかった。

 八島さんが歩き出す。いつもながらの完璧なお姫様抱っこである。お屋敷の最高級ベッドの中よりまだ心地いいとかいう。一歩ごとの揺れが、また何とも言えない振動となって眠気を誘うというプレミアムオプション付きだ。

 ……眠くなってきた。いやいや、運んでもらっているのに寝るなんて、いけない。せめて起きてないと。ちゃんと起きてて、降ろしてもらう時に、お礼を言わなきゃ……。

 そのうち私は、いけない、いけない、と思いつつも、うつらうつらとしはじめた。


 眠くてすっかり理性のゆるんだ頭の中を、もわーんととりとめのない考えがよぎっていく。やっぱり八島さんの腕の中は好きだな、と。世界のどこよりも一番好きかもしれない、と。

 私の知っている世界なんて、ちっぽけなものだけれど。此岸では海外旅行もしたことなかったし、彼岸だって一度ピクニックに行ったきりだし。二十数年しか生きていないし。

 だけど、その中で、こんな素敵な人、他に見たことも聞いたこともなかった。きっと、此岸でこんな人に愛を教えてくださいなんて言われたら、舞い上がって二つ返事でお付き合いしてしまうだろうと思う。


 ……でも。この人は、人ではないから。人間の男の人とは、まったく違うモノだから。

 私には、愛の影も形もぜんぜんわからないモノに、愛を教えるなんて、どうすればいいのかわからない。……ううん。それは私自身も同じなのかもしれない。愛がどんなものなのか、本当はよく知らない。ずっとよく知っていると思っていたけれど、少なくとも、愛を教えてくださいと請われて、一言も返せないくらいには、何もわかっていなかった。

 愛って、実際はどんなものなんだろう。これだよって、見てわかるものなら、簡単だったのに。こんなに欲しがっている八島さんにも、あげられたのに。


「八島さん」


 私は深呼吸をして新鮮な酸素で意識を浮上させてから、躊躇いがちに呼びかけた。

 あんなに真剣に請われて、何も答えないのは、いけないと思ったから。


「はい。なんでございましょう?」

「あの、ですね、……その、すみません。私、本当は、あ、愛、がどんなものか、よく知らなくて。……その、男の人と、お、お付き合い、とかしたことがないんです。あ、あ、愛してるとかっ、まだ、経験したことが、なくてですねっ」


 なんだか言ってて恥ずかしい言葉の羅列に、つっかえつっかえ説明する。


「さようでございましたか」


 そうかそうかというように頷かれて、ほっとした。どうやらわかってくれたらしい。優しく微笑みかけられて、私はそれ以上続かなくなっていた説明を打ち切り、体の力を抜いた。呑気に八島さんの胸元に頭をあずける。体を動かした分だけもっと楽になるように抱えなおされ、その心地よさに吐息をついた。

 静かに抱えて歩かれ、またもやだんだん眠くなってくる。

 ピクニックでは、はしゃいでいっぱい走ったし、それだけじゃなくて、怒ったりびっくりしたり、どぎまぎさせられたり、いろいろあったから……。


 しかし、私は忘れていたのだ。彼に私の常識は通じないということを。

 後日、何を考えて黙って八島さんが歩いていたのか思い知らされることになるのだが、とにかくこの時の私は疲れてた。

 安心しきった私は、彼の腕の中で、めくるめく居眠りの世界へ旅立ってしまったのだった。

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