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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第一章 起

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胃袋を掴まれる

「起きてくださいませ」


 そっと肩を揺り動かされる。間違っても、実母のように、腹の上にデブ猫を落としたりはしない。やさしく、やさしーく、揺すられ、起こされているはずなのに、その振動さえ心地いいくらい。


「お時間でございます。どうか起きてくださいませ」


 しかもその声がまた、素敵ボイスだ。低すぎない柔らかな声音。でも深みもあって、いつまでも聞き惚れていたい。


「千世様」


 名前を呼ばれて、思わずぴくりと反応してしまった。呼ばれたら応えなければという、真面目で素直な自分の性格が恨めしい。

 執事が干してくれたぬくい布団の中で、まだまだ優しく起こされていたかったのに。

 しかし、狸寝入りがバレたまま起きないのは、よろしくない。かいがいしく面倒を見てくれる八島さんに、()(ぎたな)いと思われるのは嫌だった。

 だって、この前、よだれを拭き取られちゃったんだよ。しかも、ティッシュとかじゃなくて、彼の指で! すんごい恥ずかしかった!!

 だからせめて、起こされても起きる気のない、困った主だとは思われたくなかった。よだれは不可抗力だが、起きる起きないは自己責任だからね。

 それでも、意識が目覚めたばかりで、もわーんとしながら目をあけると、執事がにこやかに挨拶してくれた。


「おはようございます、千世様」

「おはようございます、八島さん」


 私はのろのろと身を起こした。すかさず背に手が添えられて、後ろにクッションが当てられる。ぼやーんと私がベッドの上に座っていると、彼がソーサーごとティーカップを差し出してきた。


「モーニングティーをどうぞ」

「ありがとう」


 礼を言って受け取り、こくりと一口飲み込んだ。ああ、おいしい。吹き冷まさなくてもいい。出されるお茶は、いつでも飲みごろだ。馥郁たる香りが鼻から脳へ抜けて、覚醒のスイッチが入った。


 その間に、彼がクローゼットからスーツとブラウスを、タンスからはシュミーズやストッキングやガーターベルトを取り出してくる。……ガーターベルトなんて、ちょっとエロくさいから気がすすまないんだけど、どうぞこちらを、と爽やか笑顔で押し付けてくるので、しかたない。

 私のパンティストッキング、全部捨てられちゃったのかなあ。三足千円の上に三十パーセント引きの特売だったから、惜しくないと言えば、惜しくないんだけど。


 ……というか、下着類も入れ代わっているのは気のせいじゃないだろう。だって、なんか見たことのないのばかり手渡されるし。なにより、上品で、着け心地がすごくいい。あからさまに高そうだ。

 初めて手渡された時、これ……、と尋ねようとしたのだけど、どうぞそちらをお召しくださいませ、と柔らか笑顔で押し切られた。それ以来聞いていない。

 だって、どの下着もあつらえたように体にフィットするんだよ。前の下着は、使いすぎでのびのびで、サイズ表示も擦り切れていたのに、どうして正確なサイズがわかったんだろう。

 八島さん、目測で女性のスリーサイズがわかるんだろうか。それも服の上から。それもちょっとせつない特技だと思うし、これの購入代金を聞くのも怖い。


 私の預貯金にもぜんぜん手をつけていないし、毎日の生活費はどうなっているのかと聞いたこともあるのだけど、主の身のまわりを整え、快適に過ごしていただくのが執事の仕事ですから、千世様がご心配なさることはなにもございません、と言われた。

 私の健康が彼の命に直結するのだから、当然といえば当然なのかもしれないけれど、庶民で小心者の私には、いつかしっぺ返しがやってきそうで、心落ち着かない。

 とりあえず、この状況を当たり前のこととは思わずにいようと思っている。私は彼が新しい主を見つけるまでの、つなぎなのだから。

 でも、彼がいなくなったら、普通の生活に戻るのに、しばらく大変だろうなあ。


 彼が暖簾を隔てた廊下みたいなキッチンへ朝食の用意をしに行っている間に、服を着替えた。着替え終わったら、待たされることなく朝食がテーブルに並べられていく。

 お味噌汁にご飯、納豆にぶりの照り焼き、ひじきの煮物に、お漬物が少々。ああ、朝からなんて豪勢。


「いただきます!」


 私は手を合わせて、期待に弾んだ挨拶をした。




 お昼休み。給湯室で手を洗ってきて、自席でお弁当を広げる。

 この会社は社食がないので、事務の女の子たちは、けっこう皆、何かしら持ってきている。外に出てもいいんだけど、近場に適当な食べ物屋さんが少なく、行って、注文して、待って、食べて、戻って、化粧直して、なんてやってると、午後の始業に間に合わなかったりするから。


 私はだいたい、前日の残りおかずに、空いた所に自然解凍の冷凍食品を詰めてきていたんだけど、今はもちろん、八島さんの手作りお弁当だ。給湯室で安くてまずいお茶を淹れることすらしない。お弁当に合うお茶まで水筒に用意してくれているからね、うちの完璧な執事は!

 もう、これがお昼に待っていると思うだけで、午前の仕事もうきうきだ。ついでに、うちに帰ればおいしい夕飯が待っていると思うと、午後の仕事も苦じゃない。


 今日はどんなおかずかなー。

 私はいそいそとランチバッグを開けた。ナフキンに包まれた塊を、机の上に取り出し、結び目を解く。蓋をパカリ。おおお。燦然と輝く、我がお弁当よ!

 右のこれは、スパニッシュオムレツだろうか。その横はエビとアスパラの炒め物。その横に人参のグラッセに、ラタトゥユ。それに素敵な包み紙に包まれたロールパンが三つ。間違っても五個九十八円とかの特売品じゃない。噛むほどに美味しい、芸術品のようなパンだ。デザートはイチゴのババロア。生イチゴが中に入って、上には生クリームとミントの葉の飾りつけ。

 はああ、どこまでも手を抜いていない。プロだね、八島さん!


 さっそくオムレツから。んんん、おいしーい! このふんわり感と、絶妙な塩加減。ジャガイモやタマネギやソーセージとの見事なハーモニー。このままでも美味しいけれど、添えられたトマトソースを付けても、これまたおいしーい!!

 はああああ。幸せ。美味しい食べ物は、人を幸せにするよね。


「高遠さんのお弁当、この頃おいしそうですね。自分で作っているんですか?」


 あまりの美味しさに、落ちそうなほっぺたを押さえながら夢中になって食べていたら、隣の加藤さんに声を掛けられた。


「え? う、うん。ちょっと、お料理できるようになりたいなーなんて思って。今、頑張っているところ」

「えー、そうなんだー。彼氏でもできました?」


 ふふふ、と笑われる。


「え? ぜんぜん、ぜんぜん! そんなの、欲しいですけど、いないですよ!」


 見れば、まわりの女の子が皆、含み笑いしている。ぎゃー。


「そういうことにしておきましょーか。でも、最近、肌も髪もツヤツヤですよね。それにそのストッキング、日本にまだ輸入されていない、××の○○シリーズですよね。アメリカのセレブ男子が彼女の贈り物にするっていう」

「え!? 違う違う、知らない、そんなの。お姉ちゃんに、サイズ合わないからもらっただけで!」


 私はとっさに嘘を吐いた。八島さん、そんなもん、どうやって手に入れた!?



「そうなんですか? じゃあ、お姉さんが、お金持ち男子に交際迫られているのかもしれませんね。丸投げってことは、嫌がっているんでしょうか。……もったいない」

「お姉さんって、美人なんですか?」


 今度は反対隣の岡山さんに聞かれる。


「えーと、普通」

「……ですよね」


 人の顔見て、判断したな! 私は普通より地味だよ。それがどうした!

 私は小学校の時に悟ったよ。参観日に来るお母さんたちの中に、美人さんなんて、一学年に一人か二人しかいなかった! それでも結婚できるんだから、男性はちゃんと、外見以外のものでも判断してくれているんだ、私もそのおこぼれにあずかるべく、中身を磨くんだ、と!

 ……それも、忙しい毎日に流されて、うやむやになっちゃってたんだけどさ。


「それにしても、その鳥の唐揚げ、おいしそうですね。一ついただいてもいいですか?」


 鳥の唐揚げ? 加藤さん、言い間違えてるよ、と思ったけれど、私は笑顔でお弁当を差し出した。食べ物に執着するのはみっともないからね、本当は一口だってあげたくないんだけど。


「どうぞ」


 と勧めると、エビのソテーを持っていった。あああ、私のエビ。がまんがまん。

 加藤さんが目を見開き、おいしーい! と叫ぶ。ほほほ。そうだろうそうだろう。うちの執事は優秀だよ!


「私も、私も食べていい?」


 岡山さんが、箸をわきわきさせながら言った。


「ええ、どうぞ」


 気を良くした私は、彼女にもお弁当箱を差し出した。今度は人参のグラッセ。私のグラッセ! が彼女の口の中に消える。


「わー、おいしい! これなら、彼氏の胃袋、がっちり掴めますよ!」

「うん、うん、これは、手料理ふるまうべきですよ! もう家に呼びました?」

「え、え、だから、いないって」

「なに言ってんですか、チャレンジですよ! いけますって、大丈夫ですって!」


 きゃあきゃあと囃したてられる。

 それを聞いた他の人たちも、私も一口、私も、と摘まれて、結局私のお昼は、デザートしか残らなかった。デザートは死守したよ! これだけはね!

 その代わりにもらった彼女たちのおかずは、冷凍食品の味だった。ああ、味気ない……。




「ただいまー」


 家に帰ると、お帰りなさいませ、と言った八島さんが、いつもの笑顔ではなく、ためつすがめつ私を見た。その目がちょっと怖い。体にぶすぶすと穴があきそうです。


「な、なんでしょう?」


 鳥の糞でもくっついているのかな。それとも、悪い霊でも連れてきちゃったとか。もしかして、八島さん、霊感まであるんだろうか。すごい。ってことは、私のスリーサイズも、私の背後霊に聞いたとか?

 と、私は一瞬であらぬことを考えた。


「千世様」


 重々しい声で、名を呼ばれる。私は緊張して、はい、と答えた。


「お弁当はお口に合わなかったのでしょうか」

「いえ、とっても美味しかったです! 会社の人たちも、美味しいって言ってました!」


 私は勢いこんで言った。笑顔で、握り拳で。


「今日、美味しそうだから食べさせてほしいって言われて、おすそわけしたら、大騒ぎだったんですよ。すっごく美味しいって! 八島さん、本当にお料理上手ですね!」

「……そうでございましたか」


 あれ? 褒めたのに、こころなしか、八島さんが肩を落としているような。

 あ、ひょっとすると。


「あの、八島さん、私、けっして、他の人のお弁当が美味しそうだから交換して食べたいって思ったんじゃないです! 本当は私、一口だって八島さんの作ってくれたお弁当をあげたくなかったんですけど、お付き合いであげるしかなかったんです。交換した他の人のおかず、どれもこれも味気なかったです。八島さんのお弁当が一番でした。いつも、八島さんのお弁当があると思うから、会社に行くのも楽しみなんです」

「そう言ってくださって、ほっといたしました。……ただ、千世様に食べていただきたくて創ったものでしたので……、いえ、なんでもございません」


 うわああああっ。そっと視線をはずし、淋しそうに言う表情に、キュンときたー!!!


「ご、ごめんなさい。もうけっして、誰にもあげたりしません! 絶対そうします! 八島さんの作ってくれたものは、全部私の胃袋におさめます!」


 彼の視線が戻り、ほんのりと嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます、千世様」

 

 にゃーっ、眼福だーっっ。

 私は仕事疲れなんだか、彼の魅力にやられたんだか、へろへろになった足で、家に上がった。

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