一寸の虫にも五分の魂
八島さんの発した言葉、『神語』と呼んでいた響きが私まで届いたとたん、鼓膜だけでなく体全体を揺らした。私はラジオのチューニングを思い出した。雑音だらけだったものが、周波数が合った瞬間にクリアに響き渡る。あるいは、音叉の共鳴。あれと同じことが、私の体にも起こっていた。
響きは、体の中でさまざまな意味を載せて波紋状に広がっていった。そして外と肌の境界で、外に抜けていかずに跳ね返り、そのたびに干渉が起こって増幅していく。私には、うわんうわんとまるで呻りをあげているかのように感じられ、そのうねりごとに豊かになっていくイメージに、他の何も考えられなくなっていった。
『執事』
『僕』
『契約者』
『主に仕えるべきモノ』
『強大な力の器』
『神の力の発露を制限するモノ』
『神の力の代行者』
『神の形代として代理戦争をするモノ』
意味と音が乱舞し、ハレーションを起こした。真っ白な中で為す術もなく立ちすくむ。けれどそれは、あふれて零れそうになった一点から一転、今度は一定の波紋へと集束していき、やがて鮮明なイメージが脳内で形成された。
『 』。それは、世界が必要に迫られて生み出した種族。神々の争いによって世界が崩壊してしまわないように、神に仕え、その力を体に降ろし、神々の代理として戦うモノ。
神々の形を象りながら、神にあらず、ましてや人でなどあるわけがない。生き物と呼べるのかすらあやしい。それは、むしろ。
ふっと引っ張られるように、後ろを振り返った。飾られた剣へと目が引き寄せられる。どうしてかわからない。だけど、どうしてもそれが気になった。
「千世様、それにばかりまなざしをくれてやらないでくださいませ。それならば、どうか私に」
繋がれた手に力がこめられる。その感触に、急速に現実が戻ってきた。焦れたような八島さんの声に、はっきりしない頭で彼に視線を戻す。微笑みのない彼の表情を、まるで嫉妬しているみたいだとぼんやりと思いながら、何も考えず思い浮かんでくるままに言葉を口にのせた。
「どうして、駄目なんですか」
「あれを打ち壊してやりたくなってしまいますので」
彼は少し剣呑に目を細めて、剣を見やった。それは、ただの剣に向けるものというより、あたかも対等の意識あるものに対しているかのようで、私は急にこれ以上何かを聞くのが怖くなって、唇を引き結んだ。
「何を恐れておいでなのですか?」
八島さんは柔和な笑みに戻って、優しく問うてきた。それに、弱々しく横に首を振って、何でもないのだと示してみる。なのに。
「私は、あのようなものに変じたりはいたしませんのに」
実はやっぱりなんでもお見通しな八島さんは、私が直面したくなかった不安を見事に言い当てた。そして、捧げ持っていた私の手の上にもう片方の手を重ねて、守るようにして閉じ込めた。
「あのようなものになってしまっては、千世様をこの手でお守りできなくなってしまうではありませんか。どうかお疑い召されますな。私はこの命あるかぎり千世様にお仕えし、お守りするとお約束いたしました。千世様はそれをお許しくださいました。そうであるからには、私は千世様のお傍を離れたりいたしません」
私はじっと八島さんの目を見た。真っ直ぐな視線は揺らがない。そこに嘘はなかった。なにより、今の私は『 』がどんな種族か理解している。彼らはけっして嘘をつかない。彼らは真理の器なのだ。嘘や偽りとは馴染まない。彼らの言葉は、どんなものであれ、本物以外のなにものでもないのだった。
私はほっとして、一つ小さく頷いた。そうして、八島さんの手の中に温かく包まれている指に力を入れて、自分からきゅっと彼の手を握った。八島さんには、このままの八島さんでいてもらいたかった。心許ないながらも、そうして彼を捕まえておいてから、気になることを尋ねた。
「……八島さんとあの剣は、同じモノなんですね」
「はい。いくつか世代が離れておりますので、だいぶ能力は違っておりますが。種族的には同じモノでございます」
「世代で違うんですか?」
「はい。もっとも原始的なものは今もたくさんおり、神々に仕え身の回りの世話をしております。その中から、神の力を多く身に宿し、その意を具現することができるものが出ました。それが初期の『 』です。それらのほとんどは神器になりました」
「あれですね」
私はちらりと剣へと目をやった。
「そうでございます。神器を得た神々はその力を制御できるようになりましたが、神が振るえば威力は絶大なのに変わりありません。過ぎた力による世界の崩壊の危機は、何度もあったようでございます。そこで次に現れたのは、神のひな形となるものでございました。神々はその人形で代理戦争をはじめました。人形でございますから、力を込めすぎても壊れますし、争わせた末に負けても壊されます。その頃は、『 』は消耗品であったのです。幾億幾兆の『 』が生じ、壊されていく中で、稀に自我を持つものが現れました。それが私たちでございます。我々は神に従うことはありませんでした。己が主を己で選び、定めたのでございます。やがて人形が生まれなくなり、神域の争奪は、神々の手を離れた我々のものとなりました」
「八島さんも争うんですか?」
無意識に強く彼の指を握っていた。共鳴によって得られた神々の争いのイメージは荒々しく恐ろしいもので、そんな危ないことを八島さんがするのかと思うと、怖くてたまらなかった。心臓が嫌な感じにドキドキする。
「はい。それが我等の存在理由ですから」
「だめ、だめです!」
私は思わず彼の手を膝元へ引き寄せ、両手でしっかりととらえていた。手を引かれて前のめりになった八島さんの瞳を見据えて、訴える。
「危ないことをしないでください。怪我したり、し、死んじゃったりしたら、どうするんですかっ」
八島さんは、そんな私を見て、どこまでも優しく、そしてとんでもなく甘やかに微笑んだ。それは、これまでで最も極上にして、そのせいで最も凶悪なものだった。心配でたまらなくて指先が冷たくなるようなドキドキを味わっていたというのに、一瞬にして熱くて息苦しい鼓動に置き換わってしまうほどに。
「危ないことはいたしません。永遠に千世様にお仕えする、それ以上に大切なことは、私にはございませんから」
彼の瞳は何一つ変わらなかった。一直線に私を見つめて、私だけを映していた。
迷いなく言われた言葉に嘘偽りはないのだと信じられた。彼の言葉は、全部どれも、本心からのものなのだ。その事実が真実味を持って胸に迫り、胸の奥の方、どこだかわからない深い場所が震えた。
私はなんだか熱いものがこみあげてきて、勝手にうるんでくる瞳の水分を散らすために、鼻をすすりながら、忙しなくぱちぱちとまばたきをした。




