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異世界執事  作者: 伊簑木サイ
第一章 起
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後悔先に立たず

「ただいまー」


 六畳一間のアパート。鍵を開けて中に入ると、スーツ姿の男が慇懃に腰を折って私を出迎えた。


「お帰りなさいませ」


 うちの執事である。この現代に執事とかなんの冗談かと思うだろうが、うちには執事がいる。拾ったのだ。

 嘘じゃない。帰宅途中の深夜二時。街灯の下のガードレールに腰をおろし、膝に肘をついて、両の掌の中に顔を埋めていた彼の肩を、ばしいっと叩いたのがきっかけだった。


 だが、断じて、酔った勢いで男をお持ち帰りしようとか思っていたわけじゃない。ただ、あんまり深刻そうで、このまま放っておいちゃいけないと思ったのだ。翌々日あたりの新聞に、自殺の記事でも載っていたら、寝覚めが悪すぎるでしょう?


「背中まるいよ!」


 と、私は声を掛けた。明らかに悩んでそうな相手に、なんとも無神経だったと、今は反省している。だけどわかってほしい。私は酔っていた。酔っていたのだ。普段はあんなにフリーダムでもなければ、不躾でもない。酔っ払いの属性として、単に陽気になっていただけ。信じてほしい。


 男の肩がぴくりと動き、ゆっくりともたげられたその顔を見て、私は目を丸くして、ははは、と笑った。笑わずにはいられなかった。テレビかスクリーンの中でしかお目にかかったことのないような整った容貌が、それはそれは憂いに満ちた表情をしていたのだ。

 すっごく眼福だった。いやあ、いいもん見たわあ、などと考えながら、私はご機嫌でお気楽に尋ねた。


「どうしたの。悲しいことでもあったの?」


 彼は目を伏せた。言葉は無いのに、それだけで、そうだ、と言っているのがわかる仕草だった。ありていに言えば、きゅんとキタ。美形の憂い顔は、酔っ払いの母性本能を鷲掴みにしたのだ。


「そっか。それは辛いね。……ちょっと待ってて! いいもの持ってきてあげるから、絶対待ってて!」


 私は、五十メートルほど先に見えるコンビニまで走った。そのせいでよけいに酔いがまわったのだと思う。おかげで、カップ酒を一ダースも買うという暴挙に出た。愚痴には日本酒が似つかわしい、などと上機嫌で。つまみにアタリメまで買い、私は、がっさがっさと袋を鳴らして千鳥足で走って戻り、おまたせ! と彼の隣に腰掛けた。そうして、はい、とお酒を手の中に押し付けたのだった。


「飲もう! 嫌なことは、飲んで憂さを晴らして忘れるんだ! 私も付き合うから! ね!」


 彼は受け取りはしたものの、黙ってお酒に目を落としたままだった。私は焦れて、手を伸ばして、彼の手の上からカップを押さえ、ぷしっと蓋をむしりとってやった。


「かんぱーい!」


 自分の分も開け、無理矢理彼のカップにぶつけた。そうして、勢い良く、かっかっかっかと自棄酒の飲み方を実演してみせた。ぷはーっと息を吐き、口元をぬぐうところまで、完璧に。


「さあ、君もどんどんやりたまえ! たくさん買ってきたから、遠慮はいらないよ! 酔いつぶれたら、うちで面倒見てあげるからさ。酔いつぶれないかぎり、うちには上げないけどね!」


 私は、あははは、と笑った。見知らぬ男を易々と家には入れられないが、意識の混濁した人間なら保護対象だ。……と、酔っ払いの理論で、この時の私は考えたのだった。

 男は眉間の皺を、ふっと解き、まじめな口調で問い返してきた。


「私の面倒をあなたが見てくださると?」

「うん。面倒見てくださるなんて、そんなたいしたことはできないけど、袖振り合うも多生の縁って言うし、ここで会ったのも、何かの縁だからさ。ね?」

「縁」

「そうそう。縁」

「……これは誓いの(さかずき)ですか」

「うん、うん、誓うよ、見捨てないって。だから、思い切り飲みたまえ!」

「お名前は」

「いやー、礼はいらないよ! こういうときは、持ちつ持たれつだからね。でも、名前も知らない人間と飲むのもあれか。じゃ、名乗る! 私は、ちせ。高遠千世。千円札の千に、世界の世。あなたは?」

八島(やしま)と申します」

「おーけー、八島さんですね! んじゃ、もっかい、乾杯でっす!」


 私はごそごそともう一つカップ酒を取り出し、蓋を開けた。ぷしっと景気のいい音がした。


「ではでは、私たちの他生の縁を祝して、かんぱーい!」


 がちーんとカップ同士を打ち鳴らし、私たちはそれぞれのお酒を飲み干した。




 私の記憶はそこまでで途切れている。どうやら酒量をオーバーしたらしい。

 翌日の昼過ぎに、痛む頭を抱えて起きると、彼が二日酔いの薬を用意して、ベッドの傍らに座っていた。幸いなことに、彼の事は忘れていなかったので、正気に返った私は謝った。


「えと、八島さん、でしたっけ。すみません、昨夜は、もしかして、面倒見てもらってしまったんでしょうか」

「お気になさらず。それよりこちらをお飲みください」


 彼がさし出した薬を、私はありがたく受け取った。死にそうに頭が痛く、胸焼けがしてしかたなかったのだ。

 空き瓶を受け取ると、彼は穏やかに微笑んだ。


「もうしばらく眠られるとよいでしょう。何か御用があれば、済ませておきますが」

「いえ、お手数ばかりおかけしてすみません。あの、何のお礼もできませんが、よかったら、台所にあるものでも食べてってください。冷蔵庫の中のものでも、戸棚の中のものでも、なんでもいいんで。カップラーメンとか缶詰とかカップスープとか、冷凍ご飯とか冷凍エビピラフとか冷凍肉まんとかいろいろあるので。鍵は、えーと」


 私は玄関の方に視線をやった。いつもは帰ってきたら、靴箱の上に置いておく。が、今はどこにあるか記憶がなかった。


「昨夜、靴箱の上に置くように仰っていたので、そのようにしてあります」

「あ、はい、鍵は、ドアの差し入れ口から落としておいてもらえればいいですから」

「かしこまりました。お水もいかがですか?」

「飲みます。ありがとうございます。なにからなにまで、ほんと、すみません……」

「お気になさる必要はありません。さあ、横になられてください」


 かいがいしく背に手を当てられ、布団の中にそーっと戻された。ちょっと、泥棒とか詐欺だとかそういうことが頭をよぎったけれど、とにかく頭が痛くて、胸焼けが酷くて、いろいろ考えることができなくて、どうにでもなれと、ぐったりと布団の中で丸まった。


 そうして次に起きた時には、ご飯とお味噌汁とアジの開きに冷奴とほうれん草のおひたし、かぼちゃの煮つけという、疲れ果てた胃腸にやさしい夕飯が用意されていた。しかもその前に、お風呂まで焚きあがっているという完璧さ。「食事になさいますか、お風呂になさいますか」とか、どこの時代錯誤な新婚さんかと思った。


 悪い人じゃなくて、すっごい親切な人だったんだ、と、ちょっと罪悪感にみまわれた。疑ってごめんなさい、と。具合悪い女性を一人で放って出て行くことができない人だったんだな、って。


 それで、翌日も朝早くからご飯の用意してくれて、会社に送り出されて、帰ったらいなくなってるんだろうな、とか考えてたら、なぜか汚部屋がぴかぴかになっており、ご飯もできていて、一宿一飯のお礼にここまでやってくれるって、本当に義理堅い人、とか思っているうちに、……うちに、なんかずるずると、一週間もたってしまっていた。


 いや、なんかおかしいなとは思うんだけど。思うんだけど! ニッコリ笑ってお帰りなさいませとか、食事が美味しいと褒めると、嬉しそうに照れたように笑うとか、その顔が! 眼福で! 眼福で!


 そりゃあ、ちょっとは、新手の押しかけヒモとかなんだろうか、とか考えたりもしたわけだけど、それにしては何もないし。ほんとーに、なにもないし! うちの食材に手を付けた痕跡もないので、食費出しますと言ってお金を渡そうとしたら、必要ありませんと断られるし。なにが困るって、私の下着まで干してくれてたりすることぐらいで、それも三日で、うん、まあ、慣れた。むしろ、家事の一切合財をやってくれるんだから、ありがたい。


 でも、さすがに、これ以上は。一つ屋根の下で親兄弟でもない男性と一緒に暮らすとか、どうなんだと思わなくもないわけで。

 私は休日のその日、すっかり朝食が出来上がった食卓に着いて、いただきますをする前に、恐る恐る聞いてみた。


「あのー、八島さん、いつまでこちらにいらっしゃるご予定ですか?」

「どういったお話でしょうか。申し訳ございませんが、わかりかねるのですが」

 

八島さんは申し訳なさそうに目を伏せた。


「謝らないでいいんです! 私の説明が悪いだけだから! ええええええと、いつまでこの家で暮らすのかなって」

「この住処(すみか)がご不満でしたか。さようでございましょう。少々狭苦しゅうございます。承知いたしました。すぐに適当なものを見繕ってまいります」

「ええええええっとー、私はここで満足してます! その、なんていうのか、八島さん、いつ帰るのかなって」

「ご安心ください。(あるじ)の千世様を置いて帰ったりいたしません」

「は?」


 今、この人、帰らないって言った?

 ていうより、


「あるじ、って何」


 あるじの千世様って言ったよね? その冠詞、私知らない。


「私ども執事のお仕えする方です。私の場合は、千世様でいらっしゃいます」

「執事!?」


 初耳だよ、それ! 押しかけヒモじゃなくて、執事だったの!?

 あああ、違う違う。たぶんあの日、酔っ払った勢いで、私が何かしちゃったのだ。


「え、いや、あの、すみませんが、困ります。私、執事さんを雇うほど、稼いでないんです。酔っ払ってる時に契約しちゃったんでしょうか。だったら、たいへん申し訳ないんですけど、お金払えないんで、クーリングオフお願いします。今までのお金も、……あー、お勉強してくださるとありがたいんですが。駄目なら分割払いでお願いします」


 私は頭を下げた。悪いな、申し訳ないなと思っても、賃金が払えないんだからしかたない。小さな会社の事務員の安月給では、執事を雇うなんて分不相応なのだ。

 ところが八島さんは、沈鬱な面持ちで謝罪してきた。


「報酬はいただいておりますので、お金などというモノで払っていただかなくてけっこうです。それより、私の何がご不興を買ったのでしょう。見捨てないとまでおっしゃってくださった千世様をそこまで怒らせるとは、よほどのことでございます。大変申し訳ございませんでした」


 深々と下げられる頭に、私の方が恐縮した。


「違う! 違うの! 八島さんがしてくれたことで嫌なことなんて、一つもなかったよ! 八島さんが来てから、うちの実家でダラダラするより過ごしやすかったです!! いつも美味しいご飯を用意してくれて、家の中綺麗にしてくれて、洗濯物きっちり畳んでくれて、ありがとうございます!! でも、私、貧乏だから、執事は雇えないだけなんです!」


 八島さんは私をじっと見て、何事か考え込むような顔をした。しばらくしてから、少々お尋ねしたいのですが、と口を開いた。


「もしかして、こちらでは執事とは雇われるものなのですか?」

「え、はい。そうです。というか、いまどきの日本で執事がいるお家が本当にあるかどうか、ちょっとわかりません」


 この人、帰国子女なんだろうか。そうかもしれない。ヨーロッパのどこかの国の執事養成学校を出たとか。それでなんとなく、浮世離れした雰囲気があったのか、と私は勝手に納得した。こんな小娘であろうと、契約したら手抜きをせずに仕えちゃうって、プロだよねえ、と。


「そうだったのですか。私の故郷では、執事とは主にお仕えして尽くす代わりに、生気をいただくものなのです。私たちはそれで命を保つのです」

「せ、生気!?」

 

 って、なにそれ!? 命奪われてるの、私!?

 私は思わず後退った。小さなテーブルに膝をぶつけて、お皿ががたがたと音をたてた。零したかとひやりとしたが、それよりなにより、とにかく彼から離れたかった。


「……生気を分け与えるのがお嫌なのですね」


 彼は悲しそうに、あの夜に見たのと同じ表情をして言った。あの時と同じに絆されそうになるが、いやいやいや、と目をつぶって首を振って、躊躇ったらおしまいだと、勢いよく言い放った。


「まだ、若死にしてもいいやって思うほど、人生に絶望してないって言うか、長生きしたいんで! すみませんけど、そういうのは、人生を投げ出したい人とか、元気有り余ってすごく長生きしそうな人のところに行ってください!」


 静かだった。物音一つしなかった。呼吸音も聞こえなかった。私は彼がどうしているかと、恐る恐る目を開けた。

 彼は目の前にある小さなテーブルの向こう側に相変わらずいて、また考え込むように私を見ていた。


「生気をいただいても、主様は早死にしたりなさいませんが」

「え、そうなの?」

「はい。誓いの(さかずき)で命をつなぎ、生気を共有させていただいているだけなので」


 ちょっと待った、生気取られるよりもっと聞き捨てならないのがでてきたー!!


「命をつなぐ?」

「はい」

「って、どうやって?」

「それが執事というものですので、私もどんな原理なのかは説明しかねるのですが」

「い、命をつなぐと、どうなるの、かな?」

「千世様の体をめぐる生気をそのまま私の方まで流していただき、千世様が生きる限り、私も生きることができるようになります」

「それって、私から、こう、あなたに行って」

 

 と、自分の胸元に当てた手を、彼に向かって差し出す。


「あなたの中を巡って、私に戻るってこと?」


 差し出した手を自分の胸元に戻し、そう尋ねる。


「さようでございます」

「そうすると、その生気って、何か影響あるのかな? ほら、二人分巡るわけだし」

「いいえ、特には、千世様には自覚できるものはないかと」

「って、あなたは何かあるの?」

「はい。執事の力の源ですから。もちろん、千世様の体調もよくわかりますので、千世様に健康に快適に過ごしていただけるよう、尽くさせていただきます」


 ということは、もしかして、あの日もバレるってことだろうか。……いいや、聞くまい。そこまでは知りたくない。

 ……というなけなしの抵抗は、数日後、こちらをお持ちください、本日のお昼ぐらいからでございますと、女性専用のブツを出掛けに渡されて、轟沈した。


 まあ、それで。執事は主を持たないと、力が使えなくなって没落して死ぬって言うから、じゃあ、新しい主が見つかるまでってことで、契約は続行することにした。

 だって、死ねって言えないじゃん、やっぱり。一緒にいれば、情もわくし、八島さんに嫌なことされたわけじゃないんだし。


 それどころか、胃袋をがっちりつかまれちゃったというか、八島さんの作るご飯は、ほんっとうに美味しくて、とうとうお昼のお弁当まで作ってもらうことにしちゃった。えへ。

 とりあえず、客用布団は買い換えたよ。彼、身長高くて、普通サイズのは足の先がはみ出てたから。




 それで……、実はこの人が人間でもなければ、この地球上の生き物でもなく、異世界からの来訪者だったというのは、うっかり者の私は、このときはぜんぜん気付かなかったのだ。あれだけの会話をしたっていうのに。

 そう。異界の食べ物を毎日朝昼晩食べさせられた挙句(だから食費いらなかったんだよ!)、私もなんか人間の枠からはみ出しはじめてしまうまで。

 あの時、きっぱり断っておくべきだったと深く後悔することになるのだが、やっぱり後悔は先には立たないものなのだった。

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