ファンの民度
そして、わたしは目の前の試合に集中しようと努めた。ちょうど1回ウラが終わり、2回に突入したところらしい。けれど、生まれて初めての野球観戦は……まあ、分からないことだらけである。
「ねえ、今、守備してるのがレッドブルズなんだよね?」
「ああ。あの赤と白のユニフォームがそうだ」
夏実の説明を聞きながら、わたしは選手たちの格好をまじまじと観察する。白地に燃えるような赤の肩口、胸には紺色で「Red Bulls」のロゴ。帽子には牛のツノをあしらったマーク。なるほど、それっぽい。――でも、色合いが紅白まんじゅうにしか見えないのは気のせいだろうか。なんだか「おめでとうございます!」って祝福されてる気分になって、ひとりで笑いをこらえる。
「それで、相手の攻撃してるのがファルコンズ?」
「そうそう」
「……え、でも一塁と二塁に選手がいるんだけど、これってレッドブルズ、めちゃ押されてない?」
「まあ、よろしくないな」
夏実の言葉通り、状況はどんどん悪化していく。打者はバットを振りもしないのに歩いて一塁に進むし、あっという間にランナーでベースが埋まっていく。
「なんでヒットも打ってないのに一塁に行けるの?」
「あれはフォアボールだな。ピッチャーがストライク入れられないと、タダで歩かせてもらえるんだ」
「……タダ乗りチケットみたいなもの?」
「まあ、そんな感じ」
わたしでも分かる。これは相当まずい。しかも次の瞬間、バットが乾いた音を立てたかと思えば、白球はセンターとレフトの間をすり抜けてフェンス直撃。ランナーが二人も帰ってきて、あっさり二点先取。
「典型的なノーコンの自滅パターンだな……」
夏実が顔をしかめる。
でも、わたしが一番びっくりしたのはその後だ。
『このアホンダラ! なに先取点とられてんねん!』
『フォアボールでランナー溜めて、ストレートを狙い撃ちされるって、去年からなんも成長しとらんやんけ! おのれ、宮崎のキャンプでなにしとったんや?』
『おまえなんぞ、秋になったらクビや!』
……外野席から、地鳴りのような怒号が飛んできたのである。いや、怒号というより暴言? いやいや、暴言というより呪詛?
〝え、えええ……なに、この人たち?〟
わたしの知ってる応援って、ピンチのときこそ「がんばれー!」って背中を押すものだと思っていた。けれど、外野のおっさんたちは真逆だった。応援じゃなくて口撃。バズーカみたいな罵声がマウンドに降り注ぐ。
その姿は……そう、例えるなら「推しのコンサートで歌が外れた瞬間に『下手くそ! 音痴!』って叫ぶファン」みたいなものだ。そんなのファンって呼んでいいの? わたしには理解不能だった。
しかも服装もユニフォームの上にヨレヨレのジーンズ。清潔感ゼロ。遠目でも分かる生活感。……いや、悪い意味での生活感。わたしにとっては未知との遭遇だった。
同じスカウト組の女の子たちもドン引き。なかには「臭いがこっちまで漂ってきそう……」とでも言いたげに鼻をつまんでいる子までいる。
「ははは。あのオヤジたち、口わっるいなー!」
ただひとり、夏実だけはケラケラと笑っていた。ほんと、この子、メンタル強すぎ。
結局、この回だけで4点も取られたレッドブルズ。そして、今度はレッドブルズの反撃のターン……と期待したら、1番バッターは初球でポップフライ。外野のおっさんたちが再び荒ぶる。
『なにやっとんねん! 四点も取られてるんやから、粘って塁に出ようっちゅう気概もないかい! ボケ!』
『おのれ、ゴミみたいな成績なくせして、意識だけは4番バッターのつもりかい! ドアホ!』
あまりの剣幕に、隣の女の子たちは次々に席を立つ。「トイレ」「ジュース買ってくる」「電話」……まるでドミノ倒しみたいに1人、また1人。
そして、10分、20分……誰も帰ってこない。
「誰も戻ってこないね」
「そうだな」
広大な赤い座席を、わたしと夏実だけで独占する羽目に。足だってめちゃくちゃ伸ばせる。でも――その快適さは、あまりに虚しいものだった。