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あべの雲翔楼

コンビニの袋を片手に下げながら、美咲は緑地公園の芝生へと戻ってきた。まだ胸の奥が、夏実にきつく言われたあの一言でちくちくと痛んでいる。――もう一度、ちゃんと謝らなきゃ。そう心に決めて歩いていくと、遠くから妙に元気な声が響いた。


「おーい! 美咲! 来た来たーっ!」


 十数メートルは離れているというのに、夏実の声は相変わらずの拡声器並みである。芝生で遊んでいた子どもが思わず振り向くほどだ。


〝え……? 隣に誰かいる?〟


 目を凝らすと、夏実の横に背の高い男性が立っていた。30代くらいだろうか。休日の午後だというのにきっちりとスーツ姿。公園のゆるい空気の中では、ひとりだけ場違いな異物のように見える。見覚えのない顔だ。少なくとも、美咲の知り合いではない。


 けれど、いかにも怪しい素振りがあるわけでもなく、穏やかな佇まいだ。美咲はとりあえず〝今は夏実に謝るのが先だ〟と、その存在を心の隅に追いやった。


「あのね、夏実……」

 美咲は意を決して声を出す。

「さっきはごめんね……」


 しかし、返ってきたのは意外にも豪快な笑い声だった。


「あははは! 美咲は気にしすぎだって! そんなことばっか気にしてたら、ストレスで胃に穴あくぞ?」


 美咲がもじもじ悩んでいる間に、夏実はケロリとした顔で全部を吹き飛ばしてしまう。ああ、やっぱりこの子は自分と正反対なんだ、と美咲は苦笑した。


 そして次の瞬間、夏実はニカッと笑顔を見せ、唐突に提案する。


「なーなー、美咲。やっぱダンスより昼メシにしよ! 腹が減っては踊れんしな!」


「……いいけど。夏実はどこ行きたいの?」


 問い返すと、夏実はにやりと笑い、芝生の向こうを指差した。


「あそこー❤」


 指先の先にそびえ立つのは、大阪のシンボル、超高層タワー「あべの雲翔楼うんしょうろう」。60階を誇る日本有数のビルで、駅直結の百貨店もホテルも内包している。週末ともなれば観光客や買い物客でごった返す場所だ。


「えっ……ああいうビルの中の店って、けっこう高いんじゃないの?」


 高校生のお財布事情を思えば当然の不安が口をついて出る。普段ふたりで食べるのは、せいぜいファストフードなどの格安チェーンが主。雲翔楼のレストランフロアなど、縁遠い世界である。


「大丈夫、大丈夫~」

 夏実は全く気にした様子もなく、胸を張った。

「今日の昼メシは、この人がおごってくれるんだ!」


「え……?」


 美咲はぽかんと口を開ける。誰? この人? と思っていたスーツの男性を、ここでようやく意識せざるを得なかった。


「はじめまして」

 男性は軽く会釈し、丁寧に名刺を取り出しかける。


「私は――」


「あー! 吉田さん、自己紹介はいいから!」


 ところが夏実が即座に割って入る。


「いえ、しかし……」


「いーのいーの! 美咲には、あとであたしが説明してやっから! それより腹減ったでしょ? 早く行こ!」


 そう言うや否や、夏実は吉田と名乗ろうとした男性の名刺をひょいっと奪い取り、さらに両手で彼の背中を押して歩きだした。まるで長年の知り合いのように、強引かつ自然体だ。


「ちょ、ちょっと夏実! え、どういうこと?」


 頭の中に疑問符をいくつも浮かべながら、美咲は慌てて後を追う。だが夏実は気にも留めず、青空に向かって拳を突き上げた。


「よっしゃー! あべの雲翔楼へレッツゴー!」


「待ってってばぁ!」


 結局、美咲はわけもわからないまま、夏実と吉田の後ろをついていくことになったのだった。胸の奥でざわつく予感を抱えながら――。

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