南洋ファルコンズ
「負けや。負けや。今日はうちらの出番は無しや!」
紅子さんのその一言で、控室の空気が完全に沈んだ。
まるで誰かが照明のスイッチを落としたみたいに、さっきまでわずかに残っていた熱も、期待も、音を立てずに消えていく。
モニターには、勝利を祝うファルコンズの選手たち。
こちらの控室には、ため息と、椅子がきしむ音だけ。
……このまま黙っていたら、全員、化石みたいに固まってしまいそうだ。
そう思ったは美咲は、咄嗟に視線をモニターへ戻し、ずっと気になっていたことを口にした。
「そういえば前から気になってたんですけど……」
自分でも、ちょっと不自然なくらい明るめの声だったと思う。
「観客席にいるファルコンズファンの人たちの中に、たまに緑色の帽子をかぶってる人、いますよね? あれって、なんなんですか?」
白と黒を基調にした、洗練されたファルコンズのユニフォーム。
多くのファンは、それに合わせた帽子やグッズを身につけている。
なのに、ところどころに混じる、深い緑色。
デザインもどこか古風で、心なしか、かぶっているのは年配のおじさんが多い気がした。
「なんで、あの人たち、関係なさそうなチームの帽子をかぶってるんですか?」
すると紅子が、少し意外そうな顔でこちらを見る。
「いや、美咲。あれはれっきとしたファルコンズの帽子やで」
「えっ。でも、あんな帽子、試合では見たことないです」
「そらそうや」
紅子さんは、どこか懐かしそうに笑った。
「あれはな、ファルコンズはファルコンズでも、『ダイユウ』やのうて、『南洋』時代の帽子やから」
「……南洋?」
聞き返す美咲に、紅子さんは少し姿勢を正して語り始める。
「今は福岡を本拠地にしとるダイユウ・ファルコンズやけどな、昔は大阪のチームやってん。名前も『南洋ファルコンズ』言うてな」
美咲は思わず、モニターから目を離した。
「南洋電鉄、知っとるやろ? 難波から和歌山とか、高野山のほう走っとるやつ。あそこが親会社やったんや」
「……そうだったんですか」
正直、初耳だった。
ファルコンズが“もともと大阪のチーム”だったなんて、考えたこともなかった。
「もう15年くらい前かなぁ」
紅子さんの声は、少しだけ低くなる。
「『どんなことがあってもファルコンズは身売りせえへん』って豪語しとった名物オーナーが亡くなってな。それをきっかけに、南洋電鉄はあっさり身売りを決めてもうた」
美咲は、無意識のうちに唇を噛んでいた。
「歴史も古いし、関西で初めて日本一にもなった名門や。そらファンも反対したで。署名活動もようけあった」
一瞬、紅子さんはモニターではなく、遠くを見るような目をする。
「今、難波の駅前にどデカいショッピングモールあるやろ? あそこな、もともとは球場やったんやで」
「……へえ」
思わず、間の抜けた声が出た。
どこにでもある繁華街の商業施設。そう思っていた場所に、そんな過去があったなんて。
「まあ、そういう事情もあってな」
紅子さんは、肩をすくめる。
「名前も本拠地も変わってしもて、ほとんど別モンになったけど、それでもファルコンズはファルコンズや。せやから今でも、南洋時代が忘れられへん年配のファンが、大阪にはようけおるんや」
「そうなんですね……」
私は、なんとなく、もう一度モニターに映る観客席を見た。
緑色の帽子をかぶったおじさんが、静かにグラウンドを見つめている。
――この話題を振ったのは、あくまで暗い空気を和らげるためだった。
だから、私自身はこの話を、どこか“遠い世界の出来事”として聞いていた。
球団の身売り。
本拠地移転。
長年応援してきたチームとの別れ。
どれも重たい話のはずなのに、当時の私には、いまひとつ現実味がなかった。
レッドブルズは、ここにある。
赤井寺球場も、目の前にある。
――それが、ずっと続くものだと、疑いもしなかった。
少なくとも、この時の私は。




