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上を向いて

 初回に5失点。


 正直、あの瞬間に試合の趨勢は半分決まっていたようなものだった。けれど、その後は両チームとも意地を張り合って無得点のまま――

 ――「もしかして、ここから奇跡の逆転が……!」なんて、スタンドの誰もが一度は夢を見た。


 だが7回表。

 現実は、残酷なくらいハッキリと突きつけられる。

 相手チーム・ブレイヴスの4番打者が、空気を読まないどころか粉砕するようなスリーランホームランを打ち放ち、スコアは8対0。

 ジ・エンド。

 希望という名の風船が、ぷつんと弾けて宙に消えた瞬間だった。


 わずかに残っていた勝機が、完全に息絶えたことで、スタンドの雰囲気は一気に地獄絵図へ。

 怒号が飛び交い、メガホンが宙を舞い、紙コップが無重力状態で飛散する。

 紅子さんが、思わずぼやく。

「こら、またキツいなぁ……」

 いや、ほんと、キツい。

 だって――これ、よりにもよって“ラッキーセブン”のタイミングなんですけど!?


 7回裏。球団公式チア「スカーレット・フレア」の出番。

 試合を盛り上げるために、グラウンドに笑顔で駆け出す――はずだった。

 でも、今のこの空気で“笑顔”とか、正直ハードモードもいいところだ。


 おじさんたちの野次はもはやBGMと化し、私たちの登場を待っていたファンの声援なんて、怒鳴り声とペットボトルの着弾音に完全にかき消されている。

 せっかくのダンスミュージックも、もはや悲壮な行進曲に聞こえてくる始末。


 ――ホーム開幕戦の、あのきらびやかな空気はどこへ行ったんだろう。

 照明が眩しくて、ファンの笑顔がまぶしかった試合前のあの時と同じグラウンドとは、とても思えない。

 今は、ただ怒りと失望の熱気で、まるで空気が焼けているみたいだった。


 それでも、プロとしての意地だけでステップを踏む。

 いつも通りの動き、笑顔、リズム。

 ……のつもりが、心の奥底にこびりついた怯えが抜けきらない。

 あがり症を克服したはずだった美咲だが、こんな最悪な雰囲気の中では、また少しだけ震えていた。


 ダンスが終わる。拍手は――ない。

 静寂と、紙くずが風に転がる音だけが耳に残る。


 自分でも分かっている。

 こんなの、納得のいくパフォーマンスじゃない。

 どんな状況でも、ベストを尽くしてこそプロ。

 そう思っていたのに、体が、心がまったく追いつかなかった。


 私はうなだれたまま、グラウンドの端へと歩き出した。

 その肩を、ぽん、と軽く叩かれる。


「下を向いてたら、あかん」

 紅子の、いつもの低くて芯のある声。

「こういう時こそ、胸を張って上を向くもんや」


 〝あぁ、やっぱりこの人、リーダーなんだ〟

 美咲の心に、ほんの少しだけ灯りがともる。


「そうですよね!」

 美咲は思わず顔を上げる。

「たとえ不本意なパフォーマンスでも、落ち込んでちゃダメですよね!」


 紅子は、一瞬きょとんとした顔をして――次の瞬間、微妙な笑みを浮かべた。


「ちゃうちゃう。うちはな、物理的に上を向けって言ったんや」

「えっ?」

「スタンドから物、飛んでくるやろ。顔上げとかんと、避けられへん」


 その直後、美咲の足元にペットボトルが転がってきた。

 ……なるほど、そういう“上向き”ですか。


 それでも、少し笑えた。

 投げ込まれる怒りのペットボトルの雨の中で、

 紅子は胸を張って、堂々と歩いていく。

 そして美咲も、ほんの少しだけ、顔を上げて歩いた。


 こうして、美咲の初の公式戦でのパフォーマンスは幕を閉じたのだった。

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