朝。天王寺公園
ある晴れた日曜日の朝だった。
大阪の真ん中に広がる緑地……天王寺公園は、ビルの谷間にぽっかり浮かんだ島みたいに静かで、人影も少なかった。冬の冷たい空気がまだ残っているのに、差し込む光はどこかやわらかくて、芝生をきらきらと照らしている。
――あの時のことが、どうしても頭から離れない。
思い出すだけで、胸の奥がざわざわして、呼吸まで速くなる。
「それでね、その人、ほんっとすごく綺麗だったの! ダンスも、もう、息をのむくらいで! なんていうか……最高に『華』があったんだよ! 今思い出しても鳥肌立っちゃうんだから!」
気がつけば、声が大きくなっていた。
けれど、目の前の友人・岩田夏実は、相変わらず気のない顔をしていた。
「ふーん。そうなんだ」
まるで天気予報でも聞いてるみたいな淡々とした返事。
「ちょ、なんでそんなにシラけてんの!?」
美咲はぷくっと頬を膨らませるが、夏実は微動だにしない。
「だって美咲、その話、今日で3回目じゃん」
「……ぐっ」
うう、言い返せない。確かに美咲は、さっきから同じことを繰り返している。だって、忘れられないんだもん。偶然見かけたあの人の踊り。音楽もないのに、身体ひとつで世界を作っちゃうみたいな姿。何度思い出しても胸が震える。
「……でもね、夏実」
美咲はパーカーのポケットから、小さな赤いハンドタオルを取り出した。
「証拠があるんだから!」
それをひらひら掲げると、夏実はようやく眉を上げた。
「それ、その人が忘れてったやつ?」
「そう! 踊ったあとに汗を拭いて、水飲んで……そのままベンチに置いていっちゃったんだよね」
指先で布の端を撫でる。角に描かれた、見たこともない赤い帽子をかぶった男性キャラクターの笑顔が妙に愛おしい。
「もう、これって絶対、運命だよね」
思わず顔がにやける。
けど、夏実は冷静そのもの。
「いや、普通に落とし物だから」
ぐさっ。
正論すぎて何も言えない。でも、これを交番に届けちゃったら、そこで全部終わっちゃう気がするんだ。もう一度あの人に会えるかもしれない、なんて……バカみたいな期待を、どうしても手放せない。
「ま、いいや。とりあえず踊ろうや。今日はその約束だろ?」
夏実が小さなスピーカーを取り出して、再生ボタンを押す。
軽快なイントロが広場に広がった瞬間、私はぱっと飛び上がった。
「きゃー! 『星乃すみれ』の新曲だ! 最高!」
あのリズムを耳にするだけで、身体が勝手に動き出す。冬の空気なんて関係ない。足が芝生を蹴るたびに、心臓まで弾むみたい。私は夏実と一緒にその曲が終わるまでダンスを踊っていた。
「ねえ夏実! もう一回最初から踊ろ! 」
「はぁ!? まだ踊るんかい!」
夏実の呆れ顔。でも、美咲は全然引かない。
「あと一曲だけ! ねっ、ねっ!」
両手を合わせてお願いすると、夏実は大きくため息をついた。
「……しゃあねえな。ほんと、美咲は推しのことになると無敵だな」
「でしょ❤」
思わず頬が緩む。
その後も、しばらく踊り続け、ようやく休憩。お茶を飲んで一息ついたとき、不意に夏実が言った。
「なあ、美咲。そんなに好きだったら、オーディション受けてみたら?」
「えっ……?」
心臓が跳ねた。顔が一気に熱くなる。
「顔も可愛いし、歌もうまいし、ダンスも好きなんだろ? 美咲が前まで住んでた東京と尖って数は少ないけど、大阪にも芸能事務所くらいあるし、ワンチャンあるだろ?」
さらっと言う夏実に、美咲は慌てて首を振った。
「も、もういいから! 絶対受けない! その話はおしまい!」
バッと立ち上がり、パーカーの裾を翻す。
「ちょ、美咲! どこ行くんだよ?」
「コンビニ!」
振り返ることもなく足を速める。胸の中はぐちゃぐちゃだった。
――だって、私は知ってる。好きなだけじゃどうにもならない世界があることを。
芝生を駆け抜ける冷たい風が、頬をひやりと撫でた。




