6、手紙と記憶の断片
レティシアはゆっくりと手を伸ばし、封を開いた。
中から現れたのは、あの第二王子____リオン・ヴァルトハイムの、端整な筆跡だった。
『この前の魔導書のこと、ちゃんと話したいと思ってる。
時間があるとき、王宮に来てもらえるかな。
もちろん、無理のない範囲で大丈夫。
……会えるのを、楽しみにしてるよ。』
簡潔でありながら、どこかあたたかさを感じさせる文面。
文字のひとつひとつに、彼らしい誠実さと柔らかさがにじんでいた。
レティシアは思わず小さく息をついた。
少しだけ、胸の奥があたたかくなるような気がして。
「マリー、支度をお願い。すぐに王宮へ向かうわ」
その声には、どこか晴れやかな響きが混じっていた。
屋敷を出た馬車が石畳を走る音の中、王宮の庭園が近づく。青空の下、涼やかな風が木々を揺らし、陽の光が芝を柔らかく照らしていた。
その一角で、偶然にも一人の青年と出くわす。
「……レティシア嬢」
振り返ったその男――エリアス・ノルベルトは、いつもの無表情のまま、しかし確かに目を見開いていた。
(……そういえば彼は、今は王宮で魔導行政を司る立場にあった。王国随一の魔法師として、その才を買われているのだという)
レティシアもまた、足を止める。
緑と白の咲き誇る庭園の中、かつて何度も顔を合わせた二人が、思いがけず言葉もなく立ち尽くしていた。
彼の視線がじっとこちらを見つめているのを感じる。何かを探るように、何かを確かめようとするような、その目が。
____どうして、そんな目をするのだろう。
今まで彼は、自分の存在すら煩わしげに扱っていたのに。こちらが変われば変わったで、その態度にもまた戸惑っている様子だった。
レティシアはそれを見て、ほんの少しだけ、心が揺れた。
けれどもう戻るつもりはなかった。彼のことを嫌いになったわけではない。ただ、今の自分は、過去のように彼にすがるだけの存在ではいられない。
先に声を発したのは、レティシアだった。
「おはようございます、エリアス様。ごきげんよう」
ごく当たり障りのない挨拶を口にして、レティシアはそのまま立ち去ろうとした。なのに。
足元が、ふと揺らいだ。
(え……?)
自分でも気づかぬうちに、身体の芯がぐらりと傾く。次の瞬間、腕が伸びてきて、彼女の肩をしっかりと支えた。
「……っ、申し訳……」
声にならない言葉を落としながら、レティシアは顔を上げた。
そのとき。
目の前の青年の姿が、ぼやけて____重なる。
(......カイル?)
あの、優しかった前世の夫。死の直前、涙を浮かべて手を握りしめてくれた人。その顔が、一瞬だけ、彼の面影の上に重なって_____。
「.........大丈夫か」
「......すみません、ありがとうございます」
レティシアは反射的に身体を離し、背筋を伸ばした。揺れる心を押し込めて、何事もなかったように礼をしてその場を離れる。
(どうして、あの人に……)
問いかけは心の中にだけ残したまま。
足早に王宮の入口へと向かう。
――そのとき。
「レティシア嬢」
静かな声が背後から届いた。
思わず立ち止まり、振り返る。
そこには、柔らかな金髪と、碧の瞳を持つ青年の姿があった。
リオン・ヴァルトハイム。王国の第二王子。
その真っ直ぐな視線が、まるで見透かすように、彼女を捉えていた。
***
一方その頃____。
庭園に残されたエリアスは、まだ立ち尽くしていた。
レティシアの背が、白い陽の光の中に消えてゆく。その様子を、ただ黙って見送るしかできなかった。
(……やっぱり、今までと違う)
ふと、こめかみに鈍い痛みが走る。無意識に額を押さえると、意識の奥底に何かがふっと浮かんだ。
ーーーー「カイル」
どこかで聞いたことのあるような、けれど思い出せない声が、耳の奥に響いた。
次の瞬間、脳裏に白い光景がよぎる。
柔らかな光の中、こちらに向かって微笑む、見知らぬ女性。
「……誰だ?」
口の中でそう呟いたときには、その映像はもう消えていた。まるで霧のように。
エリアスは目を細め、空を仰いだ。
_____レティシアが変わり始めてから、何かが変わり始めている。
そんな予感だけが、胸の奥で静かに燻っていた。
しばらく1〜2日での更新目指してます。




