たとえ過去が消えなくても(リオンside)
風が、優しく花の香りを運んできた。
昼下がりの野原。陽だまりの中、満開の花々に包まれながら、僕たちは肩を並べて腰を下ろしていた。
レティシアは膝を抱えて、うとうとしている。ときおり、まぶたがふわりと落ちては、ふるえるように持ち上がる。
そして――とうとう、彼女は僕の肩にそっと頭を預けて、静かに眠りはじめた。
――幸せだ、と思った。
こんな風に、彼女と何気ない時間を過ごせる日が来るなんて。
昔の彼女を知っているからこそ、なおさら。
僕はそっと、彼女の髪に手を伸ばす。
陽に透けた一房を指に絡め、そっと唇を寄せる。
柔らかくて、あたたかくて、少しだけ甘い花の香りがした。
「……好きだな、君の全部が」
言葉にするたび、胸がいっぱいになる。
けれど、その裏側に――ふと影が差す。
――エリアス・ノルベルト。
彼女の前世の夫。今も彼女の記憶の奥底に残る、深くて消せない絆の名残。
「エリアス様は、前世で私の夫だったの」
そう言ったときの彼女の表情は、どこか遠くを見ていた。
優しく、懐かしむような、少しだけ苦しそうな目をしていた。
もちろん、いま隣にいるのは僕だ。
彼女が“選んだ”のは、僕だ。
それは間違いのない事実。誇っていいはずのこと。
でも……それでも。
消せない影に、どうしようもなく胸がざわついてしまう。
あの絆には、一生敵わないんじゃないか。
彼女の心の片隅には、きっとこれからもずっと、あの記憶が生き続けていく。
――僕は、その影に怯えながら生きていくのかもしれない。
そんな自分が、情けないと思う。
「ん……」
レティシアが、小さく身じろぎする。
薄く目を開け、眠たげに瞬きをして、僕を見上げた。
「……あれ? 私、寝てました?」
「うん、気持ちよさそうだったよ」
レティシアは照れたように笑う。その無防備な笑顔が、胸に染みるほど愛おしかった。
さっきまで胸を締めつけていた感情が、光に溶けるようにほどけていく。
――そうだ。
彼女がどんな過去を持っていても、いま隣にいる彼女を、僕は全力で支えたい。
未来は、彼女と僕のものだ。もう、迷わない。
ずっと、隣で。
彼女の未来に、僕がいられるように。
たとえ、過去が消えなくても。
たとえ、彼女の心の奥底に前世の記憶が残っていても――
僕は、君の“これから”になりたい。
そう思った瞬間――気づけば、手が彼女の頬に伸びていた。
驚いたように瞬きをするレティシアに、そっと囁く。
「……少しだけ、目を閉じてくれる?」
戸惑いながらも、彼女は言われた通りに、ゆっくりとまぶたを閉じた。
僕はそっと身体を傾け、彼女の唇に、自分の唇を重ねる。
触れるだけの、柔らかなキス。
それでも、胸が焼けるほど、愛しくて仕方なかった。
やがて唇を離すと、レティシアは頬を赤く染めながら、はにかんだように笑った。
その笑顔が、胸に刺さるほど愛おしくて――思わず、彼女の手をそっと握る。
「……大好きだよ、レティシア」
一瞬きょとんとした彼女は、すぐに恥ずかしそうに目を伏せ、でも――そっと手を握り返して、囁く。
「……わたしも、です。大好き……」
――この笑顔を、何があっても守りたい。
そう強く思った。
花の香りが揺れる昼下がり。
僕たちは、ただ静かに寄り添っていた。
もう、二度と離さないと誓いながら。
現在は、新作としてエリアスのスピンオフを鋭意構想中です!
番外編は今後もちょくちょく更新予定ですので、引き続きお楽しみください♪
ちなみに、次回の番外編は“うたた寝”とリンクした【レティシア視点】のお話になります。
明日、投稿予定ですので、ぜひそちらも覗いてみてくださいね♪