21、灯る夜、遠ざかる影
お祭りの当日、屋敷の中はどこかそわそわとした空気に包まれていた。
クラウゼ公爵家の広い庭園は、昼下がりの陽射しを浴びて穏やかに輝いている。
街でお祭りの準備が進んでいると聞いても、この静寂の中ではそれが嘘のように感じられた。
「……やっと、外に出られるのね」
レティシアはそっと自分に言い聞かせる。
この数日、屋敷に閉じこもるようにしていた自分を思うと、胸がどこか落ち着かなかった。
けれど___。
リオン様の笑顔を思い出すと、ほんの少し勇気が湧いてくる気がする。
あの優しい声を、もう一度聞けると思うと。
鏡の前でマリーに髪を整えてもらいながら、レティシアはそっと深呼吸をした。
青みがかった上品なドレスに身を包むと、少しずつ気持ちが引き締まっていく。
「レティシア様、お顔が少し赤いです」
マリーが小さく笑うように言った。
「大丈夫……。少し緊張しているだけ」
レティシアは微笑みながらも、自分の頬が確かに赤くなっているのを感じる。
お祭りの夜___。
それがどんな時間になるのか、まだ分からない。
でも、心の奥に小さな期待が灯るのを止められなかった。
「お待たせしました、レティシア様」
マリーの言葉に、レティシアはそっと立ち上がる。
廊下を抜けた先に、リオン殿下が待っている。
胸が高鳴る音を抑えるように、深く息を吐いた。
扉の向こうにある未来に、そっと手を伸ばすように___。
屋敷の玄関を開けると、外にはリオン様が待っていた。
夜空の下に立つ彼は、黒いマントを肩に羽織り、普段の王子らしい威厳とはまた違う、どこか親しみやすい雰囲気を纏っている。
「こんばんは、レティシア」
その声は優しく、微笑みを湛えている。
「こんばんは……リオン様」
レティシアは小さく頭を下げた。
胸の奥で小さく震える想いを、どうにか隠そうとするように。
リオンはそっと手を差し出す。
その指先に触れた瞬間、レティシアの心臓がまた一つ早く打った。
街の喧騒は遠く、屋敷の庭には穏やかな静寂が広がっている。
けれど、その静寂の中でリオンの瞳がレティシアを真っ直ぐに見つめていた。
「ふふ、まるでデートみたいだね」
リオンがいたずらっぽく笑う。
そして、少しだけ照れくさそうに目を細めた。
「……今日は、とても楽しみだ」
その声に、レティシアは咄嗟に視線を落とし、胸の奥が熱くなる。
けれど、その頬だけでなく耳まで赤くなっているのが、自分でも分かる。
恥ずかしさに言葉が出せないまま、胸の奥で高鳴る音を必死に抑えようとする。
そんなレティシアを見て、リオンはふっと微笑んだ。
「……行こう?」
リオンは柔らかく手を差し出し、自然な仕草で彼女を馬車へと導く。
冷たい夜風がレティシアの頬を撫でるが、胸の中の熱は消えなかった。
リオンの手に触れると、不思議と心が落ち着く。
その温かさに、そっと微笑み返しながら馬車に乗り込んだ。
***
王都を遠く離れた山間の村へ向かう道を、エリアスは馬で駆けていた。
黒い外套の裾を風に翻しながら、瞳は鋭く前を見据えている。
ふと、エリアスは王宮に再び呼び出された日のことを思い返していた。
あの日は、レティシアと共に呼び出された日とは別で、殿下から改めて王宮へと招かれていた。
殿下は魔導書の件や地下空間での出来事を淡々と尋ねられたが、その背後には、僅かな躊躇いと優しさが滲んでいた。
話の中でそっと名前を口にした彼の瞳が、レティシアへの想いを隠しきれないように揺れていた。
(やはり……リオン殿下は……)
冷たい風が頬を撫でるたび、エリアスの心は不安に揺れた。
自分の手をすり抜けるように、レティシアが遠ざかってしまう気がして。
あの優しい瞳が、殿下の隣で笑っている光景を思い浮かべると、どうしようもない焦燥に駆られる。
けれど、それでも。
この任務を果たさずに帰るわけにはいかない。
今は魔法師としての使命を全うするしかない。
「俺は、戻る。必ず……」
低く呟いた言葉は、夜風にさらわれて消えた。
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