19、静かな朝、気づく者
後半リオン視点です
王宮の朝は、いつもと変わらず静かだった。
レティシアは薄く開いたカーテン越しに、白く光る空を見上げた。
昨夜の夢はまだ胸の奥に余韻を残していて、目覚めてからずっと、それが現実だったような気がしてならなかった。
「……夢、だったのよね」
誰にともなくつぶやく。返事はない。
ここは王宮、そしてこの部屋にマリーはいない。
枕元に置かれていた羽織を手に取ると、ゆっくりと肩にかけた。
扉の向こうに、控えの侍従の声が届く。
「レティシア様。殿下がお呼びです。エリアス様とともに、謁見室へ」
「……わかりました」
呼吸を整えて、歩き出す。
まだ心の奥に残る波の音を振り払うように、静かに。
***
王宮・謁見室。
リオンは大きな窓から差し込む朝の光を背に、椅子に腰かけていた。肘をつきながら、穏やかな顔を保っているが、内心では少しだけ考え込んでいた。
(……昨日、あれだけのことがあったんだ。様子を見ておいた方がいいよね)
呼び出した理由は、体調の確認と称したものだったが、実際はそれだけではない。
昨日の魔導書の異変。そのとき何が起きていたのか——本当は、その答えも聞くつもりだった。
先に姿を見せたのはエリアスだった。
「お呼びとのことで、参りました」
「うん。調子はどう? 顔色は昨日よりいいけど」
「……問題ありません。ご心配をおかけしました」
表情は端正で、声音も落ち着いている。けれど、どこか……静かすぎた。
普段よりずっと言葉が少なく、まるで何かを堅く閉ざしているように見えた。
(いつもより、なんか感情が薄いっていうか……)
続いて、レティシアが入ってくる。
「失礼いたします。殿下のご指示により、参上いたしました」
「うん。来てくれてありがとう。……レティシアも、平気?」
「はい。お気遣い、痛み入ります」
ふわりと微笑むその表情は、まるで何事もなかったかのようだった。
けれど、そこにも、ほんのかすかな“温度の違い”がある。
声は穏やかだが、どこか遠くにいるような気配がした。
エリアスの視線が、一瞬レティシアの方へ向けられる。
けれど、すぐに逸らされた。
その瞳の奥には、言葉にしない何かが微かに滲んでいるようにも感じられた。
リオンは二人を交互に見つめながら、胸の奥に引っかかるものを感じていた。
(……なんだろう、この空気)
二人の視線は一度も交差しない。
何かを言い合った様子もない。ただ、妙に静かで、距離が遠い。
いや、違う。
“言葉にしないことで、逆に伝わるもの”が、そこにあった。
「昨日は……ちょっと大変だったから。ちゃんと寝られた?」
リオンの問いに、レティシアは一拍置いてから頷く。
「はい。少し、夢を見ただけです」
「夢……?」
「たいしたものではありません。もう大丈夫です」
「そう。ならよかった」
レティシアはそれ以上何も語らず、エリアスも沈黙したまま立っている。
リオンはそれを咎めることもせず、ただ一度、小さく目を伏せた。
(……本当は、もっと聞くつもりだったんだけどな)
魔導書のこと、あの場で何があったのか。
でも——今のこの空気では、問いを投げかけることすら無粋な気がした。
深く追及してはいけない。
そう感じたのは、王子としての勘か、それとも……一人の男としての直感だったのか。
「うん。なら、今日はもう大丈夫。体調を崩さないようにね。エリアスも、レティシアも」
「はっ」「かしこまりました」
二人が揃って頭を下げる。
それを見届けたリオンは、軽く立ち上がり、微笑んだ。
「じゃあ、また連絡する。……おつかれさま」
エリアスが一礼して部屋を後にし、レティシアも静かに続いた。
***
二人が去ったあと、謁見室に一人残ったリオンは、長い息を吐いた。
静かだった。けれど、ただの静けさじゃない。
音も言葉もなかったのに、二人の間には何かがあった。
(……僕の知らないところで、何があったんだろう)
それが何かを、今すぐ知る必要はない。
ただ、それを“覚えておくべきこと”だという予感だけが、胸に残った。
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