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マリーゴールド  作者: かかと
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第8話

 ふと目が覚めると何もない草原に立っている。…夢か。土の感触を確かめながらその草原を歩いていく。特に何かが追ってくるわけでもない。少し歩いていると競技場のような台座がある。そこに立っているのは俺だ。空を見上げている俺はそのまま俺の方に向き直る。驚いたような顔もしていない。淡々と俺を俺自身が受け入れている。


「どうしてそんなに驚いた顔をしているのか?」

「どうしてって、驚くだろう。俺自身が夢に出てきたら。」

「驚くのがおかしい。お前を分かっているのはお前自身、つまり俺自身だ。今の状況を不思議に思っているのであればお前はお前自身を否定し続けているということになる。」

「何を言っているのだ?」


 俺自身が何を言っているのか全く分からない。彼の表情は何かを悟ったような表情だ。自分がどうしてそのようなことになっているのか分からない。そもそも過去に何かあったとも思えない。


「まあ、いいさ。分からなければ分からないで。その方が幸せかもしれん。」

「本当に何か知っているのか?」

「ああ、知っているさ。」


 風が強く吹いてくる。空は青い。その空を鳥が飛んでいる。あの鳥のようになれれば何か変わるのかな。いや、変わらないだろうな。何もかもがガチガチに固まっているような状態では自由な振りをしたところで結局不自由なことに変わりはない。むしろ、不自由だから全く意味がないだろう。思考というのは一旦、固まってしまうとその枠組みから抜け出すことができない厄介なものである。その思考を柔軟にしようといろんな人がいろんな考え方を試しているが、どこまでうまくいっているのだろうか。その思考も取り入れたら何か変わるのだろうか。付け焼刃になるのか、自分が変わることができるのか、それとも。


「悩んでいるな。」

「お前もそうだろう。」

「確かにそうだな。だが、お前と俺は一緒だが、違う部分がある。」

「ん?」

「お前は現実世界に存在している。だが、俺は存在していない。」


 目の前の男は俺のはず。どうして、現実世界に存在していないのか。存在しているはずだ。俺自身なのだから。心は共有しているはずだ。だからこそ、この夢という中で会話が成立している。


「もう少し先になるか。お前もいずれは分かることだが、俺とお前は明らかに違う。それは人間的にとか、存在していないとかそういう話ではない。この会話も全て夢でお前の現実に影響が出るわけもない。覚えていなければそれまでだ。しかし、この夢を見ると言うのはお前自身が何かを求めているから。俺が夢の中で存在いるのには理由がある。」


 何を言っているのだ。この男は…、いや、俺か。俺の表情はどこか暗いものである。哀愁が漂っている。何を感じ取っているのだろうか。その時、急に違和感が襲った。何だろう。この違和感は。


「貴様は何を知らせたいのだ?そして、何をさせたい?そもそもどうして夢に出てきた?」

「出てきたのはお前が私を欲したからに過ぎない。ただ、それだけだ。」


 上空から俺だけを照らす光がスポットライトのように当たる。これは明らかに夢から覚める現象。まだ話は終わっていない。しかし、彼はすでに目を瞑っている。漫画でよくある現実に引き戻される現象。


「まだ、話は終わっていない。」

「また、いつか会うことがあるかもな。」

「待て…。」

「待てと言われて待つ奴はいない。じゃあな。」


 そのまま光が当たり彼の姿は暗闇の中に消えていった。


 目を開けると窓の零れ陽が顔に当たっていた。体を起こす。ゴキンと首が嫌な音を立てる。iPhoneで時間を見るとすでに七時の表示。もうひと眠りしたかった。夢の内容は覚えている。自分自身ともう少し話をすれば何かわかったことがあるかもしれない。でも、もう眠ることはできないようだ。すでに目は冴えてしまっている。ベッドから体を起こすと他の箇所もかなり固まっている。腰や肩も。ベッドから降りてストレッチを始める。入念に行う。朝から診察だから無理にご飯を食べる必要もないだろう。薬をもらうかもしれないし。


 二十分ほどストレッチを行った後、シャワーを浴びる。お湯を浴びると体が徐々にほぐれていく。本当はシャワーを長く浴びると風呂に入っているのと同じなのだけど、ついつい長くなる。それでも気持ちいいし、体の調子が良くなるから続けているけど。シャワーから上がると少し暑い。長く浴びすぎたかな。裸で冷たい牛乳を飲む。少し落ち着いた。テレビを点けると天気予報と気温をやっている。最高気温が十七度。中途半端だな。羽織るかどうかも迷うくらいの気温である。外に出て寒かったら羽織るか。


 少しまどろみながら窓の外を見る。まだ、七時四十分ほどであるためか歩いている人は少ない。…人を見ると面倒くさいと思ってしまう。今は別に一人で生きていくことができる時代だ。本当に大したことない。でも、部屋を見ると寂しい気がする。それは気のせいである。自分が寂しいだけ。仕方ない。そういった意味で人間は一人では生きていくことができないということだろう。


 テレビからは芸人の笑い声が聞こえた。なぜかその声が耳の中で響く。テレビのチャンネルを変える。こういう風に日常生活は場面を変えることができない。変えようとするのであれば逃げるか、その場を壊してしまう。これが手っ取り早い。失敗なんて数をこなせば経験になるというけど、その後のことを考えていない。失敗できないこともあるし、その失敗を生涯引きずる可能性もある。失敗が全て良いことであるというのは考え方であって失敗しないほうがいいに決まっている。


 体が冷えてきたところで服を物色する。最初の印象が重要だと思っている。どうせ普段から持っている印象は拭いきれなくても、少しくらいは良く見せたいものだ。少し明るい服を着て行こうか。薄い青のシャツと紺のメンパン、下着はバンドのTシャツでいいか。羽織るものは厚手のジャンバーを着ていく。自転車で行くし、そのまま買い物を行くので手袋も忘れないように。…、よし、これでいいか。二十分ほど時間があるな。少し漫画を読もう。スポーツ漫画を手に取る。気分を上げたり、調子を上げるときにはスポーツ漫画を読む。体が熱くなるので寒い時には良い塩梅になる。


 エレベーターで降りて自転車のカギを外す。


「おはようございます。」

「おはようございます。」


 以前会った女の人だ。今日は少しラフな格好をしている。


「お出かけですか?」

「はい。」


 まさか病院に行きますとも言えない。


「そうなんですね。今日は天気もいいですしね。」


 そう言っている彼女の顔色は少し曇っている。何かあったのだろうか。でも、それを聞いている時間もない。


「お名前を教えてもらっても?」

「東条匠です。あなたのお名前は?」

「島田優衣と言います。もうお出かけですよね?引き留めてごめんなさい。」

「いえ。では、失礼します。」


 自転車をこぎながら彼女の名前を覚えた。一週間後には忘れてそうだけど、それなりに覚えておかないと失礼にあたる。彼女は小柄だった。150センチくらいか。少し胸が大きかった。どうしても胸に目が行ってしまうのは男だからかな。ただ、その他の顔のパーツについては印象的なところが少ない。顔立ちは綺麗だったと思うのだけど。


 気が付くと病院の前まで来ていた。確か裏手に自転車置き場があったはず。後ろの回ると年配の男性が自転車を移動させている。


「自転車を置いても構いませんか?」

「おう。大丈夫じゃぞ。ここの病院に来られたのかい?」

「ええ。」

「若いのに大変じゃの。そこに置いてもらっていたら良いぞ。儂があと綺麗に置いておくからの。」


 …、高校時代に同じような事務員さんがいて綺麗に置きすぎて大変だった覚えがある。置き場のスペースは限られているので綺麗に入れた方がいいのだけど、取り出すことを考えずに横から詰めて置かれてしまうと取り出す時には横から順々に取り出すわけではないので自転車が取り出すことができなくなる。…言うのもどうかと思うな。何もしないようにしよう。


「すみません。お願いいたします。」

「おう。しっかり体を治しな。」


 彼は決して悪い人ではない。自分の思うことを実行しているだけである。自分のやるべきことがあるのはとても良いことだと思う。自分にはそのような譲れないものがあるのだろうか。いや、ないな。


「すみません。」

「東条さんですね。こんにちは。月が変わったので保険証を提出していただけますか?」

「はい。」


 財布から保険証を取り出す。保険証を渡す時に知った顔だと思った。名札を見れば四葉と書いている。どうしてここに…。


「どうかしましたか?」

「いや、どうかしましたかではなくて、大学病院におられたと思いますが。」

「転職しまして。どうしても大学病院はしがらみも多いですし、勉強もかなりしなくてはいけません。結婚はまだですが、休職するとその分遅れをとってしまいますのでしんどいですし。」

「そうですか、出すぎたことを聞きました。」

「いえ、おかけしてお待ちください。」


 彼女は受付の業務に戻る。世界とは意外と広くて意外と狭いものであると思う。こんな近くに昨日会った人が来るなんて思いもしない。待つのは長いから家から持ってきた本を開く。


 その場で立ち尽くした。先ほどの看板がまたある。戻ってきたのだ。ハイエナに食われて。…、一体、何なのだろうか。両方の道は全て意味がない。どちらに行っても死ぬことになるのだから。そうなればどうする。…後ろからは蛇が迫っていることだろう。考え続けられるほどの悠長な時間は残されていない。ならば行くしかないか。道のない道を…。看板をどけて真っすぐと進む。虫が纏わりつくが全て払い落とす。後ろを見ても蛇は追ってくる気配がない。歩いていくと森を出た。その瞬間に止まることができた。そこは絶壁の場所で会ったのだ。しかし、考えている暇はない。何とか降りることができないか崖を見る。僅かだが石が点在している。ちょうど俺の身長に届くような点在の仕方をしている。そのまま足を下ろしながら石を掴む。見てみるとかなりの高さである慎重に足を掛けていく。僅かに足がずれと砂が落ちた。手が少し汗ばんでいる。死ぬかどうかの瀬戸際だ。かなり怖いに決まっている。降りていると崖の上から蛇が顔を出している。


「東条さん、中にお入りください。」

「はい。」


 本を収めて診察へ行く。先生は険しい顔で画像を見ている。レントゲン写真とCTの写真である。その二つを見ながらパソコンに記入している。


「東条さん、お座り下さい。」

「はい。」

「まずは検査お疲れさまでした。最近はうつ病や統合失調症の判断は厳しくなっています。患者を固定観念で薬を投与してしまう可能性がありますし、長期化する場合には医療費の負担と国の負担も大きくなりますので双方にとって良くありません。」

「それは私としても勘弁してほしいです。」

「それはそうでしょう。さて、今回の診察の結果ですが、特に異状はありません。それは身体的なものに関してです。」

「やはり、そうなのですね。」

「完璧ではないかもしれませんが、運よく内科の先生と外科の先生が見てくれています。外科の先生は本来見ないのですが、気になったので見たようです。所見に書いていますが、待合で倒れたのですよね。」

「はい。私は眠っていると思っていたのですが。」

「そうですか…。日中眠くなることはありますか?」

「あります。」

「どのような感じですか?」

「どのような感じ…、そうですね。普通に眠くなる感じです。」

「急に目の前がブラックアウトするような感じではありませんね?」

「はい。ないと思います。」

「ならば普通の眠気でしょう。倒れた日はよく眠ることができましたか?」

「よく眠れていなかったと思います。」

「…、ならば大丈夫かな?二日ほどは眠ることができていますか?」

「よくかどうかはわかりませんが、それなりに眠ることができています。」

「わかりました。では、念のため心音を聞きます。」


 一通りの診察を行ってそのまま触診も行う。彼女は特に何かを言うわけではなかった。


「…、特に問題はありません。本来は内科の薬の処方も見送ります。この状態の薬の効果はありません。」


 彼女は大きな本を取り出した。薬と書かれていない。漢方薬と書かれた本である。


「精神的なものもあると思います。ただ、体の調子が悪くとも無駄な薬は出せません。まずは漢方薬で様子を見ていきます。漢方薬であればそこまで害があるものは少ないです。ただ、効き目は薬に比べて劣ります。例えば腸を整える漢方薬であればじんわりと効いていくイメージです。」


 …、漢方薬か…。おじいさんみたいだな。どうも、そんなもので効くのだろうか。


「疑っていると思いますが、効く方はいらっしゃいます。何が原因か分からなくて不調を訴える方は近年多くなっています。その中で最適な治療をと言いますがなかなか難しいのが現実です。私はいきなり劇薬を使う気はありません。唯一の例外は睡眠薬です。本当に眠れない時には週に一回服用していただいています。場合によっては命に関わります。」


 それこそソファーで寝た時の話だろう。ソファーであったから良かったけど、歩いている時に眠気が来れば大変なことになるだろうことは分かっている。運転している時に眠気が来て寝てしまえば人を巻き込むことになる。どちらにしても悪いことになるな。薬の効果も効きすぎるのも良くない。


「そういうことで東条さんには漢方薬を処方します。期間は二週間。大事なのは継続です。どうしても効かなくて止めてしまう方もいます。途中でやめてしまっては意味がありません。分かりましたね?」

「わかりました。」

「診察の予約を二週間後にとっていただきたいと思います。お仕事はされています?」

「いえ、大学生です。」

「大学生ならばある程度時間を空けることができると思うので、ちゃんと来るようにしてください。診察を受けてくださいね。薬だけをお渡しすることはできませんので。」

「わかりました。」

「診察は以上です。分からないところはありませんか?」

「いえ、ありません。」

「お大事にして下さい。症状が悪化する場合、もしくは漢方薬を飲んで体調を崩すようであれば早めに来て下さい。」

「わかりました。」


 根気よく飲めと言っているのに体調の変化をどのようにしてわかるのだろうか。まあ、なんとなくわかるか。そんなに悠長なことも言うこともできないのだけど。今は大学が始まっていないので自由に休むことができるが、大学が始まればそんなに休むことはできない。そのことは怖いな。いつ調子が悪くなるから。


「根気よくです。少しずつ治していきましょう。」


 彼女は真剣な面持ちで話している。確かにその通りだろうな。でもそこまで待てないと言うのが本音。病気がすぐに治るのが普通だと思っているから自分がそのようなことになるとは思ってもみなかった。待合のソファーに座り少しぼーっとしていた。これからずっと病院に通うことになるのだろうか。…、人生の中で病院という予定がかなりの時間組み込まれることになる。そうなった場合、本当に普通の人の人生を歩むことができるのか。もちろん、幼少期から病院に通わなくてはならない人がいることは知っている。しかし、病院にほとんど行ったことがない人は少し絶望を感じる。普通ではないと言われているようだ。


「東条さん。お待たせしました。」

「はい。」


 四葉さんは袋に漢方薬を出した。


「今回は漢方薬を処方されました。朝晩、飲んでください。水かもしくは白湯でお願いいたします。」

「わかりました。」


 同時に三千円を出す。彼女から漢方薬が入った袋を手に取ってリュックに入れた。


「…大丈夫ですか?」


 思わず彼女を見た。彼女は心配そうに俺の方を見ている。どうしてそんなに心配しているのか分からない。もしかしたらかなり優しい人なのだろうな。


「ええ。」

「その…、今回のような病気に関しては根気よくというよりも折り合いをつける人もいれば本当に治る人もいます。まずは薬で調整して減らしていくような感じになります。」

「はい。」

「何かあればすぐに来てくださいね。」

「はい。」


 はい以外に言うこともない。病気のことを知らないということもあるが、それ以上に調子を整えるのが最初でそれ以外のことをできるとは思えない。新学期まで十日ほどある。この期間に何とか調子を管理できるようになる必要がある。


「お大事に。」


 四葉さんの言葉を背に病院を出た。少し疲れたな。…帰って休もう。


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