第5話
大学病院というところは非常に忙しいのだろう。外部に委託しているわけではないのだろうが、できるだけ外で対応してもらおうとしているのがよくわかる。それもそうだと思う。町医者で対応できる疾患を大きな病院で対応する意味はない。もっと検査や難しい病気に対応すべきであると分かっている。でも患者としては放り投げられたような錯覚に陥ってしまう。外部に任せようという彼らの判断は間違っていない。病気自体は自分の心の持ちようであることは分かっている。それでもすがりたいという気持ちも分かってほしい。専門的な知識がない患者はそれだけ不安と言うことだ。そして、いくら説明されても分からない部分はあるのだ。彼女はそのままパチパチとパソコンに打ち込んでこちらを見た。
「今日の検査はここまでです。また、明日来てください。」
「わかりました。」
そのまま退出する。あんなに大きな機械を使って検査を行っているのに簡単に帰される。別にいいのだけど。もう少しなんかあってもいい。でも、人間としてのぬくもりをこのような医療機関に求めるのは間違っている。やはり神経が過敏になっているのかな。あくまでも病院は医療を提供するところ。分かってはいるのだけど、なかなか割り切ることができないな。碓井がスマホをいじりながら待っていた。俺を見つけると手を振っている。少し恥ずかしいな。
「どうだった?」
「今のところ何もなかったらしい。」
「そうか。良かったな。」
何が良かったのだろうか。確かに大きな病気がなかったのは良かったかもしれない。しかし、このまま何も見つからなければこの原因不明の病気に振り回されることになる。これが一生続くのであればかなりしんどいし、まともな生活が送ることができないだろうな。
「どうした?」
「いや、何でもないよ。」
「東条さん。」
受付の女性が呼んでいる。リュックを持って受付へ歩いていく。受付の女性は手元の書類を整理しながら一枚の紙を出す。そこには明日の日付と時間が書いてある。
「明日、CT検査になります。CTがある場所はここではありませんが、ここに寄っていただいて同意書に記入していただきます。先生の同意もいりますので。」
「わかりました。」
同意しなければ検査を受けることができないので同意する以外にない。ファイルには数枚の紙が入っているだけ。
「お気をつけて。」
「ありがとうございます。」
どうしても機械的な言葉になるよな。看護師にも医者にとっても多くの患者を相手にしていれば多くの中の一人でしかないのだから。リュックをしっかりと持ち直し肩にかける。僅かにリュックの重みが違う。ファイルを持ちながら碓井の方へ向かう。
「会計か?」
「ああ。」
「ここの会計は自動的にできる。計算は受付で行うけどな。ただ、何か特殊な場合には受付で会計を払うらしいけど。」
「書いていない…。」
ファイルの中の紙を見ていく。特に書いていない様だ。
「じゃあ、受付に渡したら紙を渡されて終わりだと思うぞ。」
「受付ってどっちだ?」
「やっぱり迷うよな。ついて来いよ。明日は俺も来ることができないからさ。」
「大丈夫だよ。心配しすぎだ。」
碓井は俺の方を少し見てため息を吐いた。
「心配しすぎとは思わない。お前は今日バスで調子が悪くなったのだからな。あの様子を見て心配にならない人はいないと思うぞ。もう少し自分のことも考えろよ。」
碓井の言う通りだ。バスで寝ながら倒れていたのもソファーで倒れていたのも今日の出来事。心配するのは当たり前だと思う。医者も気にするくらいだから。でも、今は何ともない。不思議な感覚だ。
碓井の後ろを歩いていくと最初に着いた受付に戻ってきた。そのまま碓井は歩いていく。その歩き姿には迷いが全くない。本当に何回も来ているのだと感じる。受付の方へ向かうと受付の人も碓井の顔を知っているらしく、軽く会釈をしている。いや、受付をするのは俺なのだけど。
「あ、そちらの方ですか。ファイルをお持ちですか?」
「はい。」
手に持っているファイルを渡す。彼女はファイルの中身を確認しながら鉛筆で何かを記入していく。そして、ファイルを所定の場所に戻す。
「これが番号札になります。」
渡されたのはA4の番号札。先ほどと同じ89番である。目が悪くても見やすいように大きな字で書いているのだろう。しかし、そもそもディスプレイの字は小さいため見えないだろうし声も聞こえなかったら大変だ。病院でもそういった配慮を全てできるとは限らないのか。
「番号がディスプレイに表示されます。基本的に番号が終わったところまでの番号が表示されますが、場合にはよっては終わっていない場合もありますので、表示をよく確認してください。」
「わかりました。」
その番号札を取り、大人数が座れそうな少し硬い椅子に腰かける。碓井も隣に座った。
「どうしても大学病院は時間がかかるよな。」
「病院は基本的に待つものだから。」
「急ぐ必要はないのだけど、待たせて当たり前とは思ってほしくないよな。忙しいのはよくわかっているけど、甘えが出てくるからさ。」
「ああ。でも、その会計で何をやっているのか分からない俺が文句を言うのもおかしな話だけど。」
何かの文句があるときにはその人のことをできるだけ考えるようにしている。自分の主観だけではなく他人の目線を考えることで本当にその人が悪かったのか確認している。人間生活を営む上でその人だけが一方的に悪いことは少ないと思っている。だからこそ、他人の目線に入って判断しないといけない。主観は大事だが主観に頼りすぎると周りが見えなくなる。
「さてと、そういえば大学の通知を見たか?」
「何の話?」
「ああ、調子が悪かったものな。今回通知がネットで来ていた。多分、お前のスマホに登録をしなくちゃいけないのだが。」
「俺はiPhone。」
「ああ、そうなんだ。iPhoneでもできるから。その通知で明後日か、パソコンで講義の選択があるらしい。一年生と二年生では限度いっぱいまで講義を入れる。三年生の後半からは就職活動が始まるからな。」
そうだよな。大学の後は就職活動。いつまで経っても試験を受け続けることになる。最近はネットで大学の講義も申し込むのか。なんでもかんでもネットになってすごく便利になったけどますます人との距離が機械によって離れてきているように感じる。ネットを通じて距離が近くなったのにも関わらず、人との心の距離は開ききっている。今ではもう人との会話も少なくなってきたと感じている。
「じゃあ、iPhoneを出してくれ。実際に見た方が早いだろうから。」
iPhoneを開きSafariを起動させる。
「じゃあ、そこに帝福大学と打って、空白を空けてログインと打って検索。」
言う通りにすると専用サイトにログインする画面が出てきた。その下に新規登録という画面がある。
「新規登録に進んでその後に講義を選択できる前までの画面に行けば大丈夫だ。」
新規登録に進んでいき情報を記入していく。最後に学生番号と言うのがある。財布から学生証を取り出した。S564951。その番号を入力する。登録しますか?のボタンを押す。そうすると画面が少し暗くなり、登録中という画面が出てきた。
「ああ、その画面が出てきていれば大丈夫だ。」
いつの間にか碓井がiPhoneの画面を見ていた。碓井の方を見て、iPhoneの画面に戻ると画面が遷移している。画面の遷移先に科目の選択についてというリンクが貼ってあり、明日の日付が書いている。
「そこの画面から入るらしい。ブックマークしておけよ。」
その画面をブックマークしておく。入り口から見つけようとすればまた時間がかかるだろう。大学に講義を選ぶために行くのは面倒だけど、ここまでして無駄を省くのはまた違うような気がする。
「これでここから入るのか?」
「そうそう。これで登録は完了だから、明日ログインして登録するようになる。」
「ありがとな。自分一人だと忘れるところだった。」
「あとで救済制度もあるみたいだが、結構申請が面倒から忘れないほうがいい。」
確かにそうだな。そもそも申請が遅れるのはその人のせいだから申請が面倒なのは仕方ない。大学にも迷惑をかけているわけだし。そういえば全員が希望する講義を取ることができるわけではないよな。ログインの下にあるQ&Aを見る。どうやら登録したメール宛に受講結果が表示されるらしい。もし、漏れていた場合には再度、二日ほどの間に別の講義を取り直すことになる。二週間後から講義が始まる。
「そういえば、匠はSNSをやるのか?」
「LINEぐらいはやっているけど、それ以外はやっていない。」
碓井は少し迷ったような顔をしている。
「もしかして、匠の学校は終日、スマホとかiPhoneの使用はできなかった感じ?」
「そうだな。流石に意味がないから。」
少し碓井はため息を吐いた。どうしたのだろうか?
「匠はもしかしてあまりクラスにはなじめなかった?」
「ああ、そうだけど。」
どうしてそのことを知っているのだろうか。あまり会話も好きではなかったし、誰と誰が付き合うと言うのも興味がなかった。好きならばそれでいいと思うような性格だから。そういえばLINEでは繋がっていたけど他のものでは繋がっていない。まあ、昔みたいにメールを使わなくなったのもあるけど。
「そうか。実はな、みんなSNSでつながっている。それこそ、最近はやりのインスタやTIKTOKなどでな。そうやって友達を作っているんだ。」
「ん?それは事前にということか?」
「そうだ。俺はあんまり好きじゃないからつながる友達はいないけど、アプリぐらいは入れている。」
友達作りにかなり遅れているということか。でもな、あんまりそういうの好きではないし、わざわざそんなもので友達を作ろうとは思わないし、できるとも思わない。
「しかしな…。」
「まあ、無理には言わないよ。俺だって好きではないし。ただ、そうやって友達を作っていく人もいるというのを覚えておけ。なんでこの人とこの人が…、みたいなこともあるからな。」
そう言われるとかなり不味い気がしてくるがそこまでのことではないと思っている。SNSでのつながりがあってもそれなりに出会いがあるのだから知り合いはできるだろう。
「お前は変わっているな。」
「そうか?」
「まあ、いいさ。俺もそんな関係が嫌いだからな。匠も友達になったことだし、別に多くの友達がいたらいいとは思っていない。むしろ、そこまでの関係を望むことも少なくなっていくだろう。」
そうだな。碓井も俺と同じように感じているようだ。全ての人がSNSでつながりたいとは思っていない。どのようにしてというのはある。どうしても人間関係の多さが有利になることも多いから。でも、そこまで無理して人との交流を続けるのはどうなのだろう。別に一人で居たいときもあるからSNSでつながる必要もない。
ふとディスプレイに目を向ける。89の番号が表示されている。
「呼ばれたから行ってくるぞ。」
「本当だな。ここで待っているから行って来いよ。」
立ち上がった時に何か違和感があった。リュックが体に引っ付いてこないというか、リュックに引っ張られるという感覚。少し後ろに仰け反ったがそれでも踏みとどまった。三半規管に影響が出ているのだろうか。しかし、それにしてはかなり強く後ろに仰け反ったな。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。」
番号札を持って会計機の前に進む。会計では何かしゃべっているが小さすぎてよく聞こえない。指示に従って番号を入力する。隣にいる職員がこちらを見ていてやりにくい。番号を入力すると少しして金額が表示される。5700円。安いのか高いのかよくわからない。6000円入金する。清算ボタンを押すとそのまま300円の100円玉三つが出てくる。隣の男性の職員が頭を下げる。
「ありがとうございました。」
うーん。何に対してのありがとうございました何だろうか。病院に来てくれて?それとも自動の会計機を使ってくれて?よくわからないな。でも、あの男の人はしっかりと禿げていた。きっと苦労してきているのだろうな。
「さあ、帰ろうぜ。」
「ようやく終わった。長かった。」
「明日もあるのだよな。」
「ああ、CTが明日ある。」
バスの乗り場を確認しながら歩いていく。碓井も同じように少し目線を上げながら歩いていく。よく覚えておかないとな。迷うことがあるだろうから。
「明日は俺も用事がある。」
「いや、来なくていいよ。今日も十分助かったよ。」
「そうは言ってもな。かなり心配だ。バスでも調子が悪そうだったし。」
碓井には心配かけたなと思う。バスでの出来事は本当に申し訳ないと思っている。あそこまで心配されるとは思っていなかった。以前も心配かけていたから今更かもしれないけど。動機は起こっていないし、震えも起きていない。だいぶ体が良くなっている。
「すまんな。でも以前よりはよくなっていると思っている。」
「…確かにな。顔色は以前より良くなっている。」
分かってくれてよかった。このままであれば一緒に住むとか言いかねないな。
「何かあったら連絡しろよ。」
…、よほどのことがあれば電話させてもらおう。しかし、それでもかなり不安だ。この体調が悪いのはいつ起きるか分からないから。そのままバスに乗り込む。バスの運転手は変わっていた。良かった。また同じ運転手だったら心配されていたし、乗ってほしくないと思っていただろうな。
「とりあえず何もなくてよかった。」
「でもこの意味不明の体調不良が治らないとどうもな。」
「明日のCTで分かれば一番いいのだが、怖いところでもあるよな。」
碓井が言う通りで、分かったら分かったで怖くなってしまう。外を見ながら烏が飛んでいるが見えた。悠々と飛んでいる鳥を見ていいなと思う。ただ、何かを考えるのが人間の特徴だけど、その人間としての特徴で悩んでいたら意味がないな。周りの風景を見ながらバスは前へと進んでいく。
「じゃあな。気をつけろよ。」
碓井はまだ先のバス停らしい。
「ありがとう。じゃあ、また今度な。」