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マリーゴールド  作者: かかと
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第4話

「89番の方。診察室3番にお入りください。」


 女性の声が聞こえる。医師の声だろうか。引き戸の扉を開いて3番と書かれた診察室の前まで歩いていく。そのわずかな廊下があまりにも白すぎて死後の世界かと思ってしまう。3番と書かれたドアを横に引く。診察室に入ると街の医者とは違う機械がたくさんある。看護師が忙しなく動く中で医師が入ってきた。パンツスタイルの背の高い女性。化粧はナチュラルにしているようだ。スタイルはスレンダーか。おそらく動きやすいように少し緩やかなパンツにしている。パンツの色は紺色で、上着は少しピンクかかった色のシャツに白衣を着ている。


「東条さんですね。」

「はい。」

「どうも最近調子が悪いようですね。」

「ええ。」

「紹介状には書かれていますが、もう一度確認させてください。」


 彼女はそのまま足や頭や首などを触っていく。俺の表情を見ながら足を押す。指の掌で押す。少し痛みを感じる。


「少し痛いですか?」

「はい。」

「特に首や肩などに激しい痛みはありますか?」

「少し重い感じはしますが、痛むというほどではありません。」

「では首と肩を見ましょう。肩の張りを見たいので上半身の服一枚になってください。」


 服を脱いでいく。普通に考えればおかしなことだと思う。いきなり裸になれなんて。診察と言われれば服を脱ぐのが当たり前である。人前で服を脱いでいくにつれて、自分の中の羞恥心と虚栄心がなくなっていくような気がする。どうしても服で武装するという感じもある。彼女は後ろに回って肩を揉んだ。そしてゆっくりと首を揉む。


「すごく凝っているというわけではないようですね。首も大丈夫そうです。」


 彼女はパソコンにカルテを記入しながら頬を少し搔いている。彼女の中で何かが疑問なのだろうか。しかし、今の話を聞くくらいではそこまで大したことはないように見える。彼女はもう一度、紹介状をじっくりと見ている。紹介状を見ながらカルテに記入していく。看護師を呼んで小声で指示を出している。看護師はスカート。看護師は他のところへ向かっている。


「東条さん、確認ですがこの症状は少し前からで、今まで経験したことはないのですね。」

「そうです。」

「症状に関してはひどくなってはいませんか?」

「現状は良くなったり悪くなったりを繰り返しています。」

「あー、ごめんなさい。質問が悪かったですね。一番悪かった時に比べてそれ以上はひどくなったことはありませんか?」

「いえ、そのようなことはありません。」

「わかりました。内科的には今のところ、緊急を要する病気ではないように思います。ただ、しびれや震えというのは脳に障害がある場合に発生することもあります。紹介状には念のため検査をと書いていますが、どうされますか?私の所見では検査するまでかなという疑問は残ります。」


 なるほど。今までの話でなんとなく分かった。おそらく街の先生も大きな病気があると判断したわけではないのだろう。しかし、見えないところに疾患が隠れていることがあるため、大きな病院へ行かせたところだろうか。どうしてもお金がかかってくるからな。いくら三割の負担であるとは言ってもそれなりのお金がかかってくる。ただ、ここでしっかりと検査してもらっている方が良いとは思う。検査をしてきてくださいと言われた手前、しっかりと検査をしてもらった方がいいだろう。


「どうされますか?もちろん、今回の検査は保険が適用されます。震えや痺れは検査の対象になりますので。私の所見ではというだけで隠れている可能性がありますので。」


 どうしてそのようなことを言うのだろうか。保険適用と言うのが何か意味があるのだろうか。時間があるときに検索しよう。


「できれば受けたいです。大学病院まで来ることはめったにないですからね。」

「わかりました。検査はCTとレントゲン、心電図、血液検査を行います。CTは脳ですね。レントゲンは息苦しいということがありましたので肺を見てみましょう。心電図で心臓に異常がないか見ます。血液検査は全般的な検査ですね。結果はおって連絡します。あとはレントゲンでは首も見ます。割と内科によく来られる方で首の病気を持っている方が来られます。いわゆるスマホ首というものですね。」

「そうなのですか?」


 最近になって流行した言葉ではあるけど、以前からあったものらしく、本を読んだり、パソコンをしたりすると一定の角度から変わらないために首がストレートになってしまう病気であるらしい。ただ、なで肩の人が多いという話も聞いている。


「これが馬鹿にできないのですよ。体調不良の方がスマホ首だったという話は多いです。ひどくなるとそれこそ眩暈や頭痛、動機にまで広がっていきます。」


 そこまでに広がっていくのか。かなりの重症だけどあまり打つ手はないのだと聞いている。首の骨が動くことはまずないからである。結局は対処療法で付き合っていく病気になると。ただ、生活習慣で緩和する病気も多いから日々の過ごし方を変えた方がいいだろう。


「まあ、そんな感じで別の部位や箇所に疾患がある可能性がありますので検査を順次していきましょう。待合で待っていただいて案内します。CTは別日になるかもしれません。まずは血液検査をしますので処置室に行ってください。」


 後ろの看護師が扉を開ける音が聞こえる。


「こちらへどうぞ。」


 僅かに靴の擦れる音が聞こえる。体育館のシューズの音がする。あの音は正直苦手である。靴の擦る音が耳に入ると毛が逆立つような嫌悪感が広がる。


「どうかしましたか?」

「いえ。」


 靴の擦れる音が嫌いなのがわかったのか。いや、そんなことはないはずだ。口にも出していないし、何も出していないのだから。彼女はそのまま歩いていく。少し先に大きく処置室と書かれた扉を開ける。すぐにサイドテーブルを準備している。


「少しお待ちくださいね。」


 彼女は袋に入った注射器とテープ、ガーゼが入っている銀色の容器を出す。カチャカチャと準備する音が響く中で室内を見回す。ベッドもかなり固そうだ。柔らかいベッドが好きなのであまり寝心地は良くなさそうだ。枕も裏と表で固さが異なっているのは分かっている。枕は案外硬いのが好きだったりする。看護師は俺の方を見る。


「腕まくりをして注射していい方の腕を出してください。」


 血液検査をすると思っていなかったので長袖の厚めの服を着てきてしまった。かえって苦しくなるから脱がないといけない。


「脱がなくても大丈夫ですよ。」

「いえ、服が厚手なので袖が上げにくいので。」

「ああ、そういうことでしたか。」


 試験管みたいなものに名前を書いていく。あの試験管で俺は管理されるのだろうか。管理と聞くとあまり良いイメージがない。どうしても管理されると言われると自由がない気がする。


「では注射をします。手をグーにしてください。」


 手をグーにするとアルコール消毒をした後、注射が刺される。僅かな痛みとともに管から血が通っていく。試験管の中に血が徐々に溜まっていく。その様子を見ながらその血を見ていた。生気が失われていくような変な感覚に襲われる。人間が死ぬにはかなりたくさんの血を流さないといけないのにこのように感じるのは変である。ただ、妙な感覚であるのは確かである。


「勢いが良くて大丈夫ですね。」

「え。なかなか流れてこない人もいるのですか?」

「いますよ。どうしても年を取っていくとそうなっていくのです。仕方のないことですけど。」


 年を取るとそういったところにも影響が出るのか。看護師は新しい試験管に血を溜めていく。違う検査のためにいろいろと分けているのだろう。あと、五本あるな。かなりの量を抜かれる。


 看護師が血を試験管に移し、容器をまとめたところで採血が終わる。腕にガーゼの上にテープを貼られる。これで血液検査は終了した。次は何だろうか。


「次はレントゲンですね。レントゲンは整形外科なのでここを出られてトイレの方向のまっすぐ行っていただければ大丈夫です。」


「わかりました。」

「すみません。その前に待合でお待ちください。ファイルを受け取って行ってほしいので。」

「待っておけば大丈夫ですか?」

「はい。」


 看護師に退室を誘導される。再度席に着いた。待っている間、少し暇になる。汗を拭きながら待合で待つ。こんなに汗をかくような感じではなかった。やっぱり体質が変わったのだろう。待ちながら検索をする。先ほどの医療費の関係である。調べてみればあまりにもそぐわない場合には自費になる可能性があると。今回は大丈夫ということはそういうことだったのか。もう少し説明してくれないと分からないな。


「東条さん。」

「はい。」

「ではこちらを。このファイルを持ってレントゲン室へ行ってください。場所は分かりますか。」

「ここを真っ直ぐ行けばいいのですよね。」

「そうです。そのファイルを渡すのを忘れないようにしてくださいね。」

「わかりました。」


 看護師からファイルを受け取る。そのファイルは薄く何も書いていないような気がする。本当に俺のことを記入しているのだろうか。…少し疲れたな。どうしても大学病院のような大きな病院にいるとすごく疲れる。人も多いが待ち時間もかなりあるし。すでに五十分以上は待っている。何をしているという訳でもないのだけど。ただ、思った以上に何もしないなと思う。どうしても周りの気にしながらということもあるけど、呼ばれるかもしれないという感じではうまく集中できない。ネットの小説を呼んだがそこまで頭に入っていない。


 レントゲン室へ歩いていくとファイルボックスに入れるような看板が掲示してある。時間がないのだろうな。どうしても人数が必要になってくるため、受付の事務員も手伝うことがあるのだろう。待っている人の数は少ないが、多くの技師が動いているのが見える。そして、各科に入っている事務員の女性も見えた。椅子に腰を下ろす。ふくらはぎを少しもむ。ずっと座っているわけではないけど足が疲れている。手も確認したが震えは来ていない。

少し水を飲む。唇が渇いている。どんなに落ち着かせようとしても緊張しているのだろう。


 受付に女性が戻ってくる。中年のふくよかな女性だが、髪は少し乱れており額をハンカチで拭いている。走ってきたのだろうか。それにしても人数が足りていないと思う。看護師はよく辞める。夜勤などもあって激務だから。


「東条さん。」

「はい。」


 まさか呼ばれるとは思っていなかった。上ずった声が出てしまう。体温が上がることを感じながら受付に歩いていく。よく見れば少し化粧が崩れている。大変なんだな。


「すみません。問診票に記入していただけますか?今回の検査は部位が確定していませんので、体調が悪い部位を確認していきます。書けましたら持ってきてください。あと、時間をお待たせしますので、次回のCT検査の問診票にも記入をお願いいたします。最終的な確認は主治医の内科の久保田先生に行ってもらいます。説明は大丈夫ですか?」

「はい。」

「では、少し席を空けるかもしれませんのでまたこの中に入れておいてください。私がいれば直接お渡しください。」

「わかりました。」


 問診票を記入していく。先ほどの内科の問診票と同じだ。記入してファイルボックスに入れる。スマホを開く。LINEニュースは特に変わっていない。Kindleアプリを開き電子書籍を読み始める。漫画などでも無料お試しがあるため、十分に楽しむことができる。しかし、どうしても電子のものを見続けていると目の奥が疲れていく。十分ほど読んでスマホをポケットに入れる。少し目を瞑った。


 闇の中を歩いている俺が見える。これは夢であると分かっている。自分が自分を客観視できるような状況は基本的に夢である。ただ、自分の視点としても生きているので少し気持ち悪くなる。少し進んでいくと壁が見える。壁まで近づいていくが、その壁がどんなものかは見ることができない。周りが暗すぎるせいである。手で恐る恐る触ってみる。その壁からは少しぬくもりと弾力を感じる。

 少し気持ち悪い。普通の壁であれば冷たいはずである。その冷たさとは別の感触が俺の中の常識を否定している。そして何かが手に触れる。液体である。その液体は粘っこく鉄の匂いがする。足に何かが当たる音が聞こえる。地面に顔を近づけてみると懐中電灯があるようだ。その懐中電灯を拾って、壁を照らす。懐中電灯に照らされた壁は人間の死体で作られた壁である。無造作に人間で作られた壁は生きている。触ると脈動を感じる。そして無数の手が少しずつ動いている。その場にうずくまって吐いた。その吐しゃ物が血であることに気が付くまでに少し時間を要した。

 手が小刻みに震えている。血でもなく壁の気持ち悪さでもなく、自分が血を吐いたということに震えている。その震えは体にまで浸透してくる。まるでその震えは自分の一部であるかのうように脈動を開始する。自分の中に何かの種でも埋め込まれたのだろうか。

 懐中電灯を手にし、その壁から逃れようと離れていく。しかし、壁はどこまでも近づいてくる。ふと、視点が切り替わる。遠くから見た自分の姿は滑稽だ。壁から逃げた滑稽で愚かな人間であるように映っている。暗いせいか、その壁が何か全く分からない。ただ、その壁が普通でないことしか分からない。

 視点が戻り、懐中電灯を照らし続ける。両側は何もない。一本道の橋の上に俺はいた。だから、壁が迫ってくれば自ずと後ろに下がるしかない。その下がった先には崖が待っている。両足に力を込めてそのまま立ち止まった。しかし、何に恐れているのだろうか。夢の中の恐れは現実世界での何かを表していると聞いたことがある。何に怯えているのか。

 壁はいきなり歩みを止める。一体、どうしたのだろうか。止まると止まるシステム…。それは考えられない。壁に近づいていくとすべての人間が血を流している。その血は体から流れるものではなく目から流れている。全ての人たちの目が死んでいる。目は見えているけど、何の希望もないような焦点の合っていない目をしている。一人の顔を撫でる。彼は同じように血の涙が流れているが、少し安心したように目を閉じる。そうすると彼の体が透明になっていき、やがて消えた。最後の涙は透明なものであった。

 どこからか、声が聞こえる…。徐々に光が橋全体に広がっていく…。



「東条さん、東条さん。大丈夫ですか?」


 周りを見渡すと男性と女性が来ている。男性は看護師ではない。おそらく医者である。首筋に手を当てられながら、心臓の音を聞いている。二人で体を起こしてくれた。座ると体が楽になった。体はかなり汗で湿っている。額の汗を拭う。


「大丈夫ですか?」

「…はい、大丈夫です。少し怖い夢を見ました。」

「そうですか…。何かあればおしゃってください。もうレントゲンかい?」

「はい、そうです。」

「早めに入ってもらおう。」

「わかりました。」


 看護師はすぐさま別の患者の方へ走っていく。おそらく順番が変わることを言いに行くのだろう。申し訳ない。男性の医師が俺の顔色を確認している。


「立てますか?」

「はい。」


 ソファーからすんなり立つことができた。少し怖かったが。医師は俺の脇に手を入れた。医師の顔を見たら医師の顔は笑顔だった。しかし、目が笑っていない。目の奥先に心配の感情が見えている。寝ていただけではなかったのか。


「無理しないでくださいね。」


 彼の匂いは少し加齢臭がする。顔はすごく若そうだが、割と年を取っている。やはりそれなりに医者としての経験があるのだろう。


「僕はどうしたのですか?」

「うん。流石にあの場では良くないと思ったから、ここまで連れてきた。君は周りが見ることができるはずだよね。ちらっと見た時にそう感じたから。でも、あの待合で何も感じなかった。それがどういうことかわかるかい?」

「…、余裕がなかった。」

「そう。だから私に介助されている。」


 彼はそれから一切しゃべることはなかった。レントゲン室に連れてきて、簡易ベッドの上に寝かせられる。言われるままに体を動かしていく。彼はそのまま足や太ももなどを触っていく。触診で首や背中を触っていくが、彼の表情に変化はない。看護師が帰ってきた。


「特にこれといったものはないね。」

「結局、どうなっていたのですか?」

「ああ、ごめん。説明していなかったな。君はあのソファーでうつらうつらと寝ていたのだけど、いきなりソファーから落ちて倒れた。しかもそのまま君は寝ていた。いかに疲れていてもここは病院で家ではないからね。おかしいと思って看護師が僕を呼んだということ。分かった?」


 看護師も頷いている。そうか。俺は倒れたのか。しかも病院で…。深刻だな。これでは日常生活も厳しいだろう。これから大学に通うのだが大丈夫だろうか。


「君は車の運転をするのかい?」

「いえ、まだ学生なので。」

「わかった。自転車の運転でも気をつけてね。先程のように急に睡魔が襲ってきた場合、かなり危ないから。」

「わかりました。」

「では、レントゲンを撮りましょう。」


 彼は看護師に指示しながら機械を動かしている。レントゲンが胸と首を照らしている。そそのまま刳り貫かれるような光を見ている。バキンと大きな音が聞こえてゴウンと何かが揺れる。技師と一緒にレントゲンの画像を見ているのだろう。その画像を見ているシルエットを見て、体の内面まで覗かれているような気分になる。なんか気分が良くない。


「東条さん、もう一度、別の角度から撮ります。」


 その後、三枚ほどのレントゲンを撮った。彼は頷きながら別のところへ向かった。医者は忙しい。他の患者が待っているから。技師の人がパタパタと音が聞こえて俺の方に向かってくる。


「これで全て終わりましたので内科に行ってください。受付でファイルを忘れずに受け取ってください。」


 ファイルが科の懸け橋になっているのか。こんなに小さなものだけど重要な物。受付に行ってファイルを受け取る。鞄をソファーに下して、少し水を口に含む。喉が潤う。ファイルを持って内科に向かった。


 待合で待ちながらLINEニュースを見てみる。一時間たったけど何一つ変わっていない。一時間と時間が過ぎているが、世の中は何も変わっていない。しかし、そう考えればすごいことなのかもしれない。この一時間でおおよその病気の見当がつくということだ。医療もかなり精度が良くなっていく。


「よお、元気か?」


 後ろに来たのは碓井。少し表情が晴れているように見える。先ほどのよりも雰囲気がやわらかである。


「ああ、大丈夫だよ。」


 嘘を吐いた。まさか病院で倒れたなんて言えるはずない。碓井に心配かけてしまうから。それでも彼は気づくかもしれない。それこそ、彼には状況を共有できる看護師がいる。その看護師が変なことを言わなければいいが、絶対に言うと思う。仕事がひと段落ついていればだけど。


「そうか。」

「そっちはどうだった?」

「いや、いつも通りだよ。話せるのか話せないのか分からない感じだ。でも、何か表情は見ることはできるんだ。目の奥が少し光るようなさ。その光を見るために会いに行っているだけさ。」


 素敵な理由だ。それだけその人のことを思って行動しているのだから。彼は立派だ。しかし、彼はいったい、誰の見舞いに来ているのだろうか。母親だと言っていたが、何か違うような気がしている。もし、母親であるならばあの看護師がもう少し彼のことを知っているはず。


「良い理由だな。普通は来てくれるだけで嬉しいものだよ。」

「そんなものか。全く反応がないからさ。俺も不安なんだ。来るのは難しくないけど嬉しい、悲しいとかそういったことを想ってくれているのか?」


 そうだろうな。相手の反応がないというのはかなり不安な部分である。人間は一人で生きることができないのはこういったコミュニケーションがどこまでできているか。それによって人生が変わってくる。友達が多くない俺はおそらくコミュニケーションが少ない。だから夜に寂しくなることや人が恋しくなるのはそういうところだろう。しかし、いきなりどうにかできるわけでもないのだけど。周りの人を見ていればどれだけ会話をしていないかよくわかる。碓井は不安そうに思っているのだろうがちゃんと見る人は見ている。顔にも不安そうな感じが出ているな。


「大丈夫だよ。」

「そうか…。すまないな。気を使わせてしまって。」

「本心だからな。」


 ディスプレイの表示が変わる。少し森の映像が流れて番号の表示の画面に戻る。そこには89の番号が記載されていた。


「東条さん、中にお入りください。」


 少しくぐもった声が聞こえる。先ほどの女性の先生だ。


「呼ばれているじゃないか。早く行け。」

「ああ。」


 リュックを肩にひっかけて歩き出す。碓井は背中越しに話しかける。


「待っているからな。」

「わかった。」


 流石に二度目ともなれば大体の場所は分かる。そのまま診察室に入っていく。そこには悩んでいる女医がいる。腕を組んでレントゲンの静止画を見ている。白黒の箇所を見ながら何かをパソコンに打ち込んでいく。その作業は非常に怖かった。あまりにも淡々としすぎている。そのことが自分の命と考えれば怖すぎる。医者と言うのは人の心を持っていないかと思ってしまう。しかし、医者は感情移入しないようにしていると聞いている。感情移入しすぎると判断を迷ってしまうからである。…死刑宣告される患者というのはこういったものか。


「お待ちしていました。」

「はい。」

「正直、今のところ病気はありません。健康体です。」

「え?」

「驚くでしょうね。この後、血液検査やCTなども行いますが、今のところ本当に健康です。先ほど倒れておられたと整形外科の先生がおっしゃられていましたが、そのことが不思議なくらいです。それぐらい健康であるということです。ただ、あなたは少し神経が過敏すぎます。」

「どういう意味でしょうか?」


 彼女は真剣に頷いた。後ろを看護師が通って何かを落とした。ペンを落として右のポケットに入れる。そのままペンは少し見えている。透明なペンでミッキーマウスのキーホルダーが付いている。


「様々な所に神経を張り巡らせすぎていることです。」


 彼女は俺の方を見ながらパソコンへ向かう。少しパチパチと打った後、俺の方へ向き直った。


「今も看護師の方を目で追っていますね。」


 頷いた。大したことではないと思う。少し先から音が聞こえた。看護師が何かを落としたらしい。そこにはかわいらしいペンが見えた。


「彼女は今、何を落としましたか?」

「ミッキーマウスのキーホルダーが付いた透明なペンです。」


 女医はそのまま後ろを振り返る。看護師が驚いたように頷いた。彼女はパソコンにまた記入していく。


「普通の人はそこまで見ません。見たとしても少し見て終わりです。私の様子も逐一見ていましたね。」

「ええ。」

「神経が過敏すぎるのです。HSPと言いますが、これは病名ではありません。心理学的な分類です。これは性格によるものや家庭環境によって形成されることもあります。今すぐには難しくても少しリラックスして物事を見るようにしてください。」

「はい。」

「今回は検査でいらしていますから、薬は出せません。病名がつくような疾患ではありませんから。まだ眩暈の薬はありますよね?」

「はい。あります。」

「運よく明日CTの検査を受けることができます。明日、もう一度検査をした後に疾患が分かるかもしれません。血液検査は結果が出るまで時間がかかるため主治医の先生へ届けます。ただ、今日見た限りでは何か重大な疾患があると思えません。安心して大丈夫かと思いますよ。」


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