優しさってなんだろう
その後は講義室の前に戻り、出てきた希魅と共にお礼参り。そして時間になればまた講義。それを繰り返して、一日の授業を終えたスカートには皺を残し、希魅には些かの疲れが見える。
「はぁあああ……どの教授も、話がほぉんとつまらない!」
「お疲れ様、希魅。それでも講義を受ける希魅は、やっぱり僕の愛する頑張り者の良い子だね」
「えへへぇ、でしょでしょ、ご褒美にちゅうしてぇ」
希魅がキスを求めれば、僕は人目を憚らずそれを捧げる。それが僕の個性で、どんなに小さい世界でも前向きに生きている。
授業の後には、サークルの活動が控えている。希魅もこれが楽しみなようで、先までの疲れはどこへやら。浮き立つ足で真っ先に、代表の下へと走って行った。
「木下さぁん、うちのテニサーに紹介したい人がいるんだけど!」
「いいけど、うちの大学? それとも他校?」
「どっちでもないよぉ」
「え、それはちょっと……規則は守ってもらわないと」
「まあまあ、話はここから。奏真ぁ、こっちに来てぇ!」
呼ばれて希魅の横に並び、周囲はやにわにざわつきを見せはじめる。
「おお……男の俺から見てもイケメンだなぁ」
「でしょでしょ! サークルの顔になってくれると思うの」
「まあねぇ、でも一度例外を作っちゃうと……」
「もう、代表は欲張りさんなんだから」
「え?」
財布の紐は希魅が握るが、呈としてプレゼントした一流ブランドのヌメ革のバッグ。それをまさぐる希魅の手には、分厚い札束が握られる。
「はいこれ、奏真は金持ちの生まれなの」
「ま、まじ? ざっと百万はあるように見えるけど」
「いいのいいの! ね、奏真」
「うん、希魅が望むように使っていいよ」
「ね?」
「そ、そうだよね! 何事にも例外はあるからね! 入会を認めるよ」
希魅から金を受け取ると、そそくさと懐にしまう木下という男。でも、これは悪いことではない。認めるだけで貰えるお金なら、欲しいと思っても仕方がない。彼は決して悪人ではない。それを疑えば、僕は嫌な奴になってしまい、それは希魅の理想ではない。
「なになにぃ、超イケメンがいるんだけど!」
人集りを掻き分けて、声に違わぬ派手めの女性が現れる。金の巻き髪にマイクロミニ、僕の好みではないけれど、世間一般では魅力的なのだと思う。
「君さ、うちのサークルに入るの?」
「そうですよ、これから宜しくお願いします」
「よろしくしちゃうぅ、さっそく私とあっちでやろ――」
「あ、えぇと。申し訳ないのですが、僕は希魅とやろうかなって」
「希魅と?」
「ええ、僕は希魅の彼氏なんで」
直後に希魅は身を寄せると、胸を押し当て腕を絡ませた。
「な……希魅……ごときが……」
「奈津子せんぱぁい、私には奏真がいるからぁ、元カレなんて忘れましたぁ。奏真に比べれば駄男ですし、どうぞよろしくやってくださぁい!」
奈津子という女は言葉を失くし、それを差し置き腕を引く希魅。コートの隅へと連れていかれ、振り返る顔には悪戯が塗れる。
「さいっこぉおおお! 見た見た? あのブサ顔! 豚みたいに鼻の穴ひろげちゃって、あひゃひゃ」
希魅が喜んでくれて、僕は嬉しい。嬉しくなくては駄目なんだ。無理やり笑顔を作り出し、だけれど何かひとつ、しこりが残る。
その後は着替えてテニスに興じる。僕には過去の経歴もないのだから、テニスの経験などないけれど、希魅がスポーツ万能を望んで、だからプレーは経験者顔負け。対して希魅は上手とはいえない。けれど、そんなたどたどしい姿も愛らしく、僕は優しく、希魅の打ちやすいところに球を運ぶ。
そうして幾度かラリーを繰り返す内に、希魅の打った球が柵を越え、あらぬ方向へと飛んでしまった。
「あちゃあああ」
「気にしないで、僕が取ってくるからさ」
「あぁ、大丈夫だよ、奏真。ボール係に任せればいいから」
「え? 試合でもないのに?」
「そうそう、うちのサークルにはそれがいるの」
きょろきょろと辺りを見回す希魅は、ある一点に視線を止めると、ぐにゃりと醜い――いや、小悪魔的な笑みを浮かべて、大声でその者の名を呼んだ。
「妙子ぉおおお! 飛んでったボール、探しといてぇえええ」
「は、はいぃぃぃ」
それは講義の終わりを待つ間、医務室に連れた女の子。希魅に言われた以外にも、せっせとボールを集めては、忙しなくおさげが揺れている。
「希魅……これは……」
「妙子はサークルのパシリなんだぁ。陰気な奴だから文句も言わない。奏真も気にしなくて大丈夫だよ」
「そ、そうなんだね。でも僕らの飛ばしたボールだし、やっぱり僕が取ってくるよ」
「そう、奏真はいつも優しいね」
優しさ、それが希魅の望む、僕への理想の一つだ。だけどなんだろう、このもやもやとした気持ちは。