パラ ベラム(戦争に備えよ)/ハワードとヘンリーの場合
「ヘンリー様、ヘンリー様。起きてくださいませ。」
メイドさんに起こされて、やっと目が覚めた。
泣きすぎて目が痛い。
「あ、はい、ごめんなさい。朝ご飯ですか?」
「いいえ。ハワード様がお部屋にいらっしゃってます。」
「えーっ!!」
びっくりして飛び起きると、
お祖父ちゃんがソファーに座っている。
「もう昼だぞ。おまえはいつも、こんな時間まで
寝ているのか?」
あの声だ、低くて威厳がある、何だか背筋がのびるあの声だ。
「ああああああああ、すいません、すぐ着替えます!
ごめんなさい!」
「かまわん、そのままでよい。」
「あ、あの、レスターさんは?」
「庭師と打ち合わせ中だ。そんなに毎日手入れせんでも
構わんといっておるのに。」
「あ、そうなんですか。はあ。」
ものすごく気まずい空気だ。何を喋ったら、いいんだろう。
「おまえはチェスを知っているか?」
「チェ、チェス?西洋の将棋みたいなやつですよね?
いえ、わからないです。」
「そうか、ならちょうど良い。教えてやる。」
お祖父ちゃんはテーブルの上にチェスの盤と駒を自分で
用意しだした。
ぼくはベッドから降りると、昔、おばあちゃんから
貰ったガウンを引っ掛けて、
お祖父ちゃんの向かいのソファーに腰を下ろした。
「そのガウンは、気に入っているのか?」
駒を並べながら、お祖父ちゃんがたずねる。
「あ、はい。日本から持ってきました。大好きなんです。」
「そうか、それはメアリーも喜ぶだろう。」
「えっ、知ってたんですか?」
「おまえはわしがそんな事も気づかない間抜けだと思っているのか?」
「いいえ、とんでもないです!そんな事思ってません!」
「冗談だ。よし、やるぞ。」
お祖父ちゃんの冗談はよくわからないよ。
それからお祖父ちゃんはチェスのルールについて
説明してくれた。
「いいか、チェスとはこの6種類、十六個の駒を使い、
いかに相手のキングを
追いつめるかの勝負だが、単なるゲームではない。
ゲームであると同時に、科学的な思考とスポーツ性、
芸術性が要求され勝利を手に入れるためにはそれらを
総合的に判断する能力が要求されるのだ。」
何だか難しくなってきたぞ。
でも日本の将棋に似ているなあ。
「チェスが何に似ていると思う?」
「日本の将棋ですか?」
「違う、人生だ。局地的な事に気を取られるのではなく、
常に全体に目を向け、感情に流される事なく、
冷静な判断を下さないと勝利は手に入らん。」
お祖父ちゃんはポーンと呼ばれる駒をとり、盤外へ置いた。
「その駒は、もう使えないんですか?」
「ああ。相手から奪った駒はもう使えん。
何故そんな事を聞く?」
「日本の将棋は、取った相手の駒を、自分の駒として
使う事ができるんです。」
「なるほど。だがどちらも同じ。
小さな駒に拘っていては、勝利を得る事はない。」
何だろう、ちょっと、違う気がする。ええい、聞いてみよう!
「でも、小さな駒、弱い駒にだって意味はあるんじゃ
ないですか?」
「ほう。」
「弱い駒があるから、強い駒、大事な駒が活きる事だって
あるんじゃないですか?」
「ふむ。」
「だから、その、何ていうか。」
「では、おまえに聞こう。」
お祖父ちゃんはキングと呼ばれる駒を囲む様に
ポーンやビショップ、ナイトといった
それ以外の駒を並べ、相手方の駒がキングを詰む様に
盤面に並べた。
「さて、このままでは、敵はキングを取ってしまう。
だが、他の駒を差し出せばキングは助かる事ができる。
おまえなら、どうするのが正解だと考える?」。
「ええ、それは、キング以外の駒を差し出すのが
正解でしょうけど、でも」
「違う。不正解だ。」
「え、じゃあどうするのが正解なんですか?」
「正解はな」お祖父ちゃんは、盤面の駒を全て
払いのけて盤面から落としてしまった。
「最初から、最悪の状況にならないようにする事だ。」
ぼくは呆気にとられてしまった。そりゃそうだけど
ズルくない?
「よいか。リーダーに求められる事。人の上に立つ者に
求められる事はただ一つ。そんな世界を造らないように
する事なのだ。そのために、常に思考し、すべての
時間と、持てる物すべてを捧げる必要があるのだ。」
「でも、そう考えていても、さっきみたいな場面に
なったらどうするんですか。」
「足掻くのだ。簡単に判断して仕方なかったじゃなく、
足掻いて精一杯考えてこれしかないといった方法を選ぶ。
そして選べなかった方の責任を取る事だ。」
何だか、わかった様なわからない様な気がする。
「おまえは優しい。だが、優しいだけではだれも救えない。」
ドキッとした。あの黒い森の少年の事を思い出した。
たしかにあの時、ぼくは泣いているだけで、
何もできず、あの子を救う事はできなかった。
「おまえは、ウォルズリー家の人間としては、
優しすぎる。ルーパスもそうだった。」
「ええ、ルーパスさんも優しい人だったんですか?」
「ああ。」
お祖父ちゃんはルーパスさんの想い出をポツリポツリと
語り出した。
「あれは、可哀想な子だった。今でも思い出す。
わしが十歳の時だ。両親が跡継ぎがわし一人では、
万が一のためにと父親が他所で生ませたルーパスを
母親から強引に買い取って連れてきたのだ。
まだほんの三、四歳の頃だ。」
「母親が恋しい年頃で、毎日泣いてばかりだった。
わしも学業以外に学ばなければいけない事が多すぎて、
なかなか構ってやる事ができなかった。
たまに遊んでやると、本当に喜んでいだ。
恥ずかしがりやで、繊細で、小さな虫すら殺す事ができず、
夕焼けの空の美しさに心を震わせ、花が散るのをみて
涙を流す様な子だった。」
お祖父ちゃんの口調が昔を懐かしむ様な、
優しい口調に変わっていく。
「そうこうする内に予想外な事に弟が続けて二人生まれた。
下の弟たちはウォルズリー家の血統らしく、魔力を持ち、
怖い物知らずの性格だったために、
引っ込み思案な性格で魔力を持たないルーパスを
ひどく虐める様になってしまった。」
「お祖父ちゃんは止めなかったの?」
「止めてはいたが、ルーパス自身が心を閉ざして
しまったのだ。逃げ出さず強くならなければ、いつか
自分自身に滅ぼされてしまうと言っておいたのだが。」
「それでルーパスさんをウォルズリー家から
離していったの?」
「あの優しすぎる性格では、内外に敵の多いわが家では
生きていくのも大変だろうから、いらぬ重圧のかからない
自由な人生を生きてくれればいいと思っていたのだが、
そこをあの魔女につけ込まれてしまった。」
「おばあちゃんや弟さんたちもルーパスさんの犠牲に
なってしまったんだよね。」
「そうだ。気がついた時には、既に手遅れだった。
最悪の状況になっていたわけだ。
この責任はすべてわしにある。わし自身がルーパスと
決着をつけなければならん。
ヘンリー。おまえはルーパスと同じ道を歩んではいかん。
強くならなければならない。
弱い物、可哀想な物に心を奪われ、悲しみに溺れすぎて
しまってはいかんのだ。
おまえには、わしを超えて初代当主に匹敵する
巨大な力が眠っている。
だが、大きな力を持つ物には、大きな責任が伴うのだ。
その力を活かすためにおまえは厳しい決断を迫られる事に
なるだろう。だが、逃げ出してはならないのだ。」
お祖父ちゃんは話し終えると出て行った。
ぼくはお祖父ちゃんが残していった
チェスの駒を眺めながら考えていた。
大きな責任って?厳しい決断って何だろう。
親族会議はいよいよ明日だ。
まだ何の準備もできていないのに。




