手紙に隠された秘密のメッセージ
母親から来た手紙に、入念に隠されたメッセージ。
それは驚きの事実で、ヘンリーやママを巻き込んでいく。
さかのぼること、二ヶ月ちかく前。
ここは日本の広島、おだやかな瀬戸内海と山に囲まれ、
風光明媚な町として有名な町。
港を見下ろす山の中腹に建つ一軒の建物がヘンリーが両親、妹と暮らす家だ。
瀬戸内の伝統的な日本建築にバウハウスやアールデコといった
西洋式の建築様式を取り入れた一風変わった外観は、建築家である
ヘンリーの父親が自ら設計したもので、地元でも評判の建物であった。
現在、吉岡は流行り病で入院しており、妻であるアンが夫が経営する
建築事務所の仕事を代わりにこなしていた。
「ふう、やっと一段落ついたわね。」
毎日、夫の入院する病院と自宅の行き来をしながら仕事と子供たちの
面倒におわれ、心安らぐのは深夜になってからだった。
その日も子供たちを寝かしつけた後、自室でやっと一息ついたところだった。
「ノーラ、おいで。あなたにもご褒美をあげなきゃね。」
オッドアイが印象的な白猫が、アンの足元にすり寄った。
「今日も私の代わりに子供達二人を見守っていてくれたんだものね。」
ノーラに瀬戸内海でとれた小魚をやり、自分はお気に入りのフォートナム・
アンド・メイソンの紅茶を飲みながらイギリスの母からの手紙を開封しようとしていた。
「だんだんとイギリス製品が手に入りにくくなってきたわね。
この先どうなるのかしら…あら?」
数日前に届いていたのを忙しさのあまり放ったらかしにしていたのだが、
封を切ろうとして、アンは違和感を覚えた。実家であるウォルズリー家では
手紙の封をするのは伝統的に鮮やかな真紅のシーリングワックスと
決まっているのだが、その手紙に使われているのは、
赤色に黒がマーブル模様に溶け合った、深い赤褐色のワックスだったのだ。
違和感の理由はそれだけではない。ワックスに押す家紋のスタンプが
右へきっちり四十五度傾いている。
「これは、まさか。」
色違いのシーリングワックスと刻印の角度は、親族内で何かあった際、
他人に気づかれることなく連絡をとるための符牒なのだ。
紺色のワックスは経済、緑色は健康、黒色は親族を表し、
赤色のワックスにそれらの色を混じり合わせることで、手紙の内容が封を切らずとも
一目でわかるようになっている。
そして角度。左方向への傾きは過去の事柄について、
右方向への傾きは近い将来起こるであろう事柄を表し、
刻印の角度は十五度刻みで三段階、最大四十五度までで重要性を表している。
赤褐色のワックスに右四十五度ということは、ウォルズリー家の家族に
緊急の事態が迫っているということだ。
事態の重要性に気づいたアンは、精緻な装飾が施された
銀製のペーパーナイフで封を切り、急いで手紙を取り出した。
薄い黄色の便せんに、ほぼ黒色としか思えない濃紫のインクで
綴られているのは、見覚えのある母メアリーの美しい文字だ。
「親愛なるアンへ。
日本での暮らしはどうですか。ヘンリー、いえ太郎に妹のジョディー
こちらは華子ですねーや吉岡さんも変わらずお元気ですか。
こちらは、相変わらずです。あなたのお父様ハワードは昔のままの
ワンマンぶりで、みんな大変です。私はすこし体調を崩していますが、大丈夫です。
最近、ヨーロッパもあちこちで紛争が起こり不安定になって来ている
ことからお父様はそろそろこの家の後継者選びを考えており、
近いうちに候補の親族を集めようとしています。
おそらく後継者の発表は二ヶ月後、初代当主が時のイングランド王によって
爵位を授けられた八月三十日になると思われます。
本来でしたら太郎もその一人ですが、日本でのんびりと過ごす方がいいのかも知れません。
私はまだ早いのではと思うのですが、お父様も引退してのんびりとしたいのでしょう。
そうなったら、あなたたち家族を尋ねて日本を訪れるのもいいかも知れませんね。
また落ち着いたら連絡します。あなたの母、メアリーより愛を込めて。」
文面だけを見ると、拍子抜けするくらい普通の手紙だ。
だが、この便箋とインクにも家族のものにしかわからない仕掛けがある。
アンは机の引き出しから小さな小瓶を取り出した。
中には黄金色に輝く液体が入っている。この家の庭に咲く
イングリッシュローズの、朝一番に開いた花から抽出したオイルだ。
小皿にゆるりとひと回し分満たすと、別の引き出しから
小さな紙包みを七つほど取り出した。ニガヨモギの粉末、カエルの脳
、紅水晶、カタツムリの角、そのほか諸々の品。伝統的な魔法使いの材料だ。
正確に規定量分を小皿に加えると、火打ち石で火をつけた。
ポウッと小さな炎と薄紅色の煙が立ち昇ったのを確認すると
室内の明かりを消し、カーテンを開いた。幸いな事に今日は
満月に近い月が出ており、室内に月光が差し込んでくる。
アンは便箋を小皿の炎と煙にかざした。チリチリと
やけつく寸前まで炙ると、便箋に書かれた文字に変化が起き出した。
熱と煙を嫌がるように、まるで小さなオタマジャクシのように
文字が動き出し、紙面のあちこちに散らばっていったのだ。
アンは小皿にフタをして火を消すと便箋を窓から入り込む月の光にかざした。
すると文字がふたたび動き出し、先ほどとは全く違う配列で並び始めたのだ。
「親愛なるアンへ。この手紙が届く頃には、私はもうこの世にいないでしょう。」




