ニナ、黒い森から来た女3
黒い森から来た女・ニナに魅入られたルーパスは、
手に入れた強大な魔力を使い、
一族への復讐のために立ち上がる。
「ルーパス様。」
誰かの呼ぶ声がする。
泣きながら目を開けると、黒髪の女がルーパスに跨り、
優しく微笑んでいる。
女はルーパスに覆いかぶさると、その目を見つめ頬を
長い指でそっとなぜながら囁く。
「あなたの悲しみは、私の悲しみ。私だけがあなたの理解者。」
「あなたはあの年老いたハワードに替わり、ウォルズリーを
継ぐ力を持つ者。」
「む、無理だ。に、兄さんたちにはかないっこない。」
「大丈夫。私があなたに力を貸してあげる。
あなたを鋼鉄の勇者にしてあげる。」
「お、お、おまえは、わしを助けてくれるのか。」
「私とあなたが組めば、愚かな兄弟たちはもちろん、
一族の者をひれ伏させ、統べることなど造作もないこと。
あなたを傷つける者など、もう誰もいない。」
女の言うことをおうむ返しのように、ルーパスは呟く。
「あなたは強い。」
「わしは、強い。
「あなたは誰も恐れない。」
「わしは、誰も恐れない。」
「あなたに歯向かう者などいない。」
「わしに歯向かうやつなど、いない。」
ルーパスの両目が黒い影で満たされていき、
完全な漆黒へと変化して行った。
「おまえの名前は。」
「私の名はニナ・ヒルデガルト。黒い森からきた女。」
「さあ、ルーパス様。あなたは生まれ変わるのです。
そして、あなたを不当に苦しめ、悲しませた者たちに
その力を見せつけるのです。」
階下にいるルーパスのお供をしていた男たちは、
馬鹿騒ぎに疲れ皆眠りこけていた。
コツ、コツ、コツ。二階からルーパスが
ニナを連れてゆっくりと降りてくる。
周りをゆっくりと見回す。そこかしこに積み上げられた
空になった酒瓶、娼婦たちが身につけていたであろう、
きらびやかなだけで安っぽいアクセサリーや下着が
散らばっている。ルーパスは娼婦のドレスを引っ掛けて
ソファーでだらしなくイビキをかく男の頭をステッキで
小突いた。
「ん、んん?あ、ルーパス様!」
男は飛び起きた。
「も、もうお済みでーいや、よろしいんでしょうか?」
男は他の酔いつぶれている男たちを起こしながら、
ルーパスに愛想笑いで話しかける。
「うむ。もうよい。もう充分だ。」
「それは結構ですな!それで、その女はいかがでした?
お気に召されましたか?」
他の男たちも媚びた態度でニヤニヤと笑う。
「わしはもう、ここを出る。」
ルーパスは無表情で、目も合わさず答えた。
「ええ?まだ真夜中ですよ?朝までごゆっくりされては。」
「かまわん。」
取りつく島もない。
男は、ルーパスの態度に違和感を覚えたが、
「それでしたら急いで車の手配をさせます。それと、
この店の主人がこれを。」
男は店の主人に書かせた、倍ほどの金額が書かれた
請求書を懐から取り出す。これでまたひと稼ぎできる。
まったくマヌケ貴族様々だぜ。
「マヌケ貴族。か。」
「ル、ルーパス様?」
心の内を見透かされ、男は顔色を伺う。他の男たちも
異変に気付く。
男から請求書を取り上げグシャッと握り潰したかと思うと、
拳自体が一瞬で炎に包まれ、再び手のひらを開くと
ひとつまみの灰しか残っていなかった。
「あ、ああ、なんて事を!」
男は慌ててその灰を触るが、もろくも崩れて消えてしまった。
「おまえたちともここまでだ。」
ルーパスはニナと腕を組み、出て行こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ旦那!」
男は二人の前に立ちふさがった。
「あんた、その淫売に何を吹き込まれたのか
知らないけど、俺たちなしでどうすんだ?」
「世間知らずの貴族様が、いかがわしい歓楽街で
面白おかしく遊び惚けることができたのは、
顔の効く俺たちのおかげじゃないのかい?」
「なあ、考え直してくれよ、あんたは楽しく遊べる、
俺たちはそのおこぼれをほんの少しいただく。
お互いハッピーでいいじゃねえか。」
男たちの口調が荒々しくなっていく。
「やはり、な。」
ルーパスは蔑みの眼差しで男たちを見渡した。
「下衆は所詮、下衆でしかないと言うことか。」
「なんだ、てめえ?俺たちが下衆だと?
調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「俺たちが下衆なら、てめえはどうなんだよお!
何にもできねえ能無しが、親の名前で遊び歩いてる
だけじゃねえか!」
「俺たちはなあ、てめえと違って頭ってもんを使って
稼いで生きてるんだよ!てめえみたいな簡単に引っかかる
ボンクラばっかりじゃねえから、大変なんだよ!」
「ホントだ、おめえみてえなマヌケ相手だと楽して
稼げるのによお!」
ここが潮時と悟ったのか、男たちは口々に
遠慮容赦なく罵りだす。
「まあ、もういいや。とりあえずこの店の代金と、
今までおめえに付き合った手間賃、
それと手切れ金として有り金全部出しな。
ついでにその女も置いていってもらおうか。」
リーダーらしき男は睨みをきかせて言い放った。
「ルーパス様。ご自分の力をお試しになられては。」
ニナが低い声で囁いた。
「うむ。」
ルーパスはステッキをリーダー格の男に向けた。
先端からものすごい勢いで炎が吹き出し、
男はあっという間に炎に包まれた。
「ぎゃあああああああ!」
男は悲鳴を上げ、床を転げ回ったが、やがて静かになった。
「あ、兄貴!」
「てめえ、何しやがる!」
ステッキを持っていない反対の手のひらを別の男に向ける。
突風を受けたかのように男は壁に叩きつけられ、
潰れたトマトのようになってしまった。
「な、なんだこいつ!バケモンじゃねえか!」
最後の男が懐から銃を取り出そうとするが、
ニナが、そちらを向くと同時に真っ黒な目から
放たれた黒い影が男を包み込んだ。
「!!!」
声にならない悲鳴が上がり、影が引くと
ミイラのような死体が転がり落ちた。
「ルーパス様。生れ変わったご気分はいかがですか?」
ニナは静かに微笑んだ。
「うむ、悪くない、悪くないぞ。力がみなぎってくるようだ。」
ルーパスは手を開いて閉じてを、繰り返す。
初めて世界を認識した赤ん坊の仕草のように。
「ニナ、お前のおかげだ。」
「まだまだ、始まったばかりです。」
「まずは、ウォルズリー家を手に入れること。
そしてイギリス政府、ひいてはイギリス王室も
配下に収める事ができるでしょう。
そうすればこの国はあなたのもの。」
「わしがイギリスの真の王になると言う訳か。」
「はい。そのために、ドイツにルーパス様に
力を貸してくれる人間もおります。」
「ドイツに?それは楽しみだな。さて、行くとするか。おい!」
ルーパスは一部始終を物陰で震えながら目撃している宿の
主人に声をかけた。
「は、はい!い、命だけは、なにとぞ!」
床に頭をこすりつけながら懇願している。
「実に楽しませてもらったぞ!さらばだ!」
ルーパスが手を大きく振ると、店の主人は一瞬でカエルの
様に叩き潰された。
舞台は再びルーパスの屋敷に戻る。
メイド頭のメリッサはある決意を胸に、
ルーパスの部屋を訪ねていた。
「旦那様、ルーパス様。メリッサでございます。」
声をかけ、ノックをする。返事はない。
「旦那様、旦那様。大事なお話がござます。」
コンコンコン、やはり返事は返ってこない。
「ルーパス様なら、お休みよ。」
いつのまにそこにいたのか、黒いナイトドレス姿の
ニナが後ろに立っていた。
「ニ、ニナ様。」
メリッサはニナの姿に目を見張った。
ナイトドレスの胸元は大きく開いており、
今にも乳房がこぼれ落ちそうに見える。
ごくごく薄い生地は体のシルエットを
全裸よりも強調し、同じ女性の目から見ても
妖艶と言う言葉が子供騙しに思える妖しさに満ちていた。
「ついつい頑張りすぎる方だから、お疲れみたい。」
ニナはクスクス笑いながら、廊下に飾られた
大きな花瓶に生けられているバラの一輪を手折り、
花びらをゆっくり二度、三度と指でなぞる。
「で、お話って?お目覚めになられたら私の方から
伝えておくわよ。」
「いえ、結構です。また旦那様のご都合の良い時間に
出直します。失礼いたしました。
メリッサは頭を下げ、立ち去ろうとした。
「ねえ。」
ニナは呼びかけた。
「私に関係があるんじゃないの?」
振り向くとニナは両手を広げて誘うようにしている。
「せっかくの機会よ。ゆっくりお話でもしない?」
黙り込むメリッサに背を向けると、バルコニーの方へ
誘い出した。
「ここなら誰に見られることもなく、
ルーパス様にも聞こえない。いかが?」
メリッサは決意を固めた。
「旦那様に、関わらないでください。」
「へえ、なぜ?」
ニナはバルコニーの手すりにもたれながら微笑んでいる。
「あなた様と関わって、ルーパス様は変わってしまった。
地位や権力に無頓着で、あんなに優しく、
分け隔てのなかった方だったのに。」
「ふうん。分け隔てなく、ねえ。」
手に持ったバラに、口づけをする。
「多くの使用人も辞めてしまいました。お願いいたします。」
頭を下げるメリッサに対して、ニナが笑いながらささやく。
「あら、あなたにとっては、その方が
都合がいいんじゃないの?」
「ど、どう言う意味でしょうか。」
「ルーパス様と若いメイドの逢瀬を盗み見して、
身悶えしなくて済むじゃない。」
「わ、私は決してそんな!」
メリッサは恥ずかしさで顔が熱くなった。
「あなたも若い時はルーパス様と楽しんだでしょう?
自分だけは、他の遊び相手とは違う、
特別な相手かもしれないと思っていたんでしょう?
残念!あの方はねえ、誰でもいいの!」
ニナはクスクス笑いながら話を続ける。
「なのにそんなことにも気づかず、
わずかな逢瀬の思い出を胸に慕い続けるなんて、
まあなんて美しく健気なんでしょう!」
青ざめるメリッサを前に、ニナは歌うように話し続ける。
「でもねえ、さすがのルーパス様も、お婆さんには
興味がないみたいよ?」
「うふふふふ。何てかわいそうなの?
ああ、ほんとうにかわいそうなメリッサ婆さん!」
ニナは笑いながらバルコニーでくるくるくると回る。
その度に豊かな乳房や美しい脚がドレスから覗く。
やがて、メリッサに背を向けてバルコニーにもたれかかった。
「なんで、そんな、あなたは、なんて、
なんて酷いことを言うんですか!」
気づくとメリッサは震えながら、大粒の涙を流していた。
ささやかな、秘めた思いすら暴き出して笑い者にする。
やはり、この女は許せない。
この女と一緒にいるからルーパス様は変わってしまった。
溜まっていったどす黒い感情が、遂に限界点を迎え
メリッサの心と体を塗りつぶした。
こ の 女 さ え、い な く な れ ば!
メリッサはバルコニーにもたれるニナを思い切り突き
飛ばした。
声も上げずにニナは二階のバルコニーから転落した。
下はちょうど敷石が敷き詰められている。あの女も
たとえ死ななくても、ただでは済まないだろう。
あの高慢ちきな顔がどうにかなれば。構わない。
メリッサはバルコニーから恐る恐る下をのぞいた。
いない。どこにも落ちた形跡がない。どういうことか
動揺するメリッサの肩をポンと叩き、
「なあに、勇気あるじゃないの。」
落下したはずのニナが肩に手を回してきた。
「ひいいい、こ、こんな事って!」
「ふふふ、不思議よねえ。」
ニナの目が真っ黒に塗りつぶされ、黒い影がぞろり、
ぞろりと流れ出してきて足下からメリッサに
這い上がっていく。
「あなたも、私の手駒のひとつになってもらうわ。」
黒い目のニナが微笑みながら呟く。
「ああああああああ、いやああああ」
メリッサが完全に影に飲み込まれ、
屋敷はまた不気味な静けさに包まれた。




