99 その残り香
時は過ぎ、いつしか魔境にもはっきりとした冬の気配が訪れ始めた頃。
贄の王とサンは時折パトソマイアや周辺の町々を訪れて”神託者“の姿を追い求めたが、結果は芳しく無かった。
その内、やはりガリアでの捜索は諦めて隣国ターレルにて探すべきか、などと諦観が漂い始めた頃だった。
ある日サンと共にパトソマイアを訪れた贄の王がはっきりと口にした。
「――サン。“いる”ぞ。……この都に。」
「え?それは……まさか?」
「絶対に、私から離れるな。向こうも、気づいた可能性はある。」
「……はい。」
贄の王は自身とサンに”欺瞞“の魔法をかけると、重々しく歩き出す。
「……主様、どちらへ?」
「位置までは、掴めない。だが向こうに先手を譲る訳にもいくまい。奴は旅人。旅人の訪れる場所を巡ってみようと思う。」
「分かりました。では、教会は如何でしょう。“神託者”ともあれば信心深いはずでしょうし。」
「なるほど。では教会から向かうとしよう。」
贄の王はサンを連れて教会の屋根の上に転移する。
周囲の建物から頭一つ分抜けて高いその屋根はパトソマイアを見渡すのにも都合の良い場所だった。
そこから、サンは“透視”を用いて眼下の教会内を覗き込んでみるが、それと分かりそうな人間は見当たらない。というより、大勢の人間が祈りを捧げたり歩き回ったりしている上にそもそも顔を知らないのだ。これでは見つける方が無理というものである
「……ダメです。人が多すぎて……。」
「うむ……。中に移動してみるか。」
今度は屋内、教会内部を見渡せるように吹き抜けになっている二階部分に転移する。
“欺瞞”で姿を隠したまま、今度は肉眼で眼下の信徒たちを見下ろす。
雑多な人々。着ている衣服も、肌の色も、髪の色も、何もかもがバラバラである。やはりガリアの都ともなれば各地から様々な人々が集まってくるようで、だが同じ天秤の神を奉じているという点だけは重なっているために、まるで人間のるつぼのような様相を呈している。
勿論圧倒的に多いのはガリアの民であり、それ以外は少数派である。“神託者”はまず間違いなく北土、エルメアやファーテルと言った国々がある地方の人間である。見るのは北土から来たであろう人間だけでいい。
だが――。
「――居ない、ようでしょうか。」
「……うむ。見れば分かるかとは思うのだが……。ここには居ないようだな。」
それは上手く言い表すことの出来ない感覚であったが、“神託者”であろう、というにおいを感じる人間が居ない。ここにいる人間たちはみな無関係だ。
「では……。次は……。」
「最も大きいのはここだが、他にも教会はあった筈だ。それらを巡ってみよう。」
だが、いずれの教会にも“神託者”らしき者の姿は無かった。
姿は無いのに、その気配だけははっきりと贄の王には感じ取れている。その非対称さが不気味な寒気を覚えさせる。
やがて、二人の姿は太陽神殿の屋上にあった。
都のほぼ中央に位置し、高さもあることから見渡すのに都合が良いと思われたからだ。
だが太陽神殿に着くや否や、何やら騒ぎになっているのが分かった。広大な太陽神殿のすり鉢状になっている中央部分、巨大な宝石球の辺りにたくさんの人が歩き回っている。
“欺瞞”が破られないよう気をつけつつ近づけば、辺りの様子が分かってくる。
そこは死屍累々と言うべき現場だった。
まだ回収され切っていない死体がいくつもいくつも転がっており、歩き回っている衛兵たちがそれらを運んで集めているのだ。
当然辺りは血の海の跡になっており、乾いたそれらは色濃く惨劇の気配を漂わせている。
中央に置かれた赤く巨大な宝石球も血を浴びて輝きを失っており、今は別の赤に染まっている。
「一体何が……。主様?」
サンが見た贄の王の顔は見たことも無いほどの険しさが刻まれていた。人の命すら奪えそうな鋭い眼光は現場をじっと見つめており、固く結ばれた口は何の言葉も発しない。
サンをして二度声をかけることを躊躇わせるほどの鬼気迫る様子で、サンは静かに主が落ち着くのを待つ。
すると、少ししてからぽつりと贄の王が言葉を発した。
「何のつもりだ……?」
「主様……?」
贄の王は一度固く目を閉じてから、サンの方を見た。
意識的に和らげようとしている眼光はそれでも鋭かったが、落ち着きは取り戻しつつあるようだ。
「これは、“神託者”の仕業だ。このいやに濃厚な“光”と”祝福“の残り香。間違いない。ここで”神託の剣“を抜いたな。」
「“神託者”が……?しかし、何故こんな殺戮を……。」
「わからん。だがよく見ろ。殺されているのはどうも一般人では無いようだ。」
そう言われてみれば、そこに転がっている死体たちはいずれも良く鍛え上げられた肉体を持っているし、辺りには銃や剣と言った武器も転がっている。そして、ところどころに見える刺青は――。
「――サーザール……?」
「恐らく。それも実現派だろう。」
「何故彼らが……。」
実現派と“神託者”が敵対する理由が分からない。両者には一体どんな接点があったというのか。
そして現場を見る限り、逃げ出そうとしている死体が見当たらない。と言うことは、逃げる暇も無かったか、逃げる手段を絶たれたか。
さらにこれほど大量の戦士を単身で葬り尽くすとは、“神託者”の実力がよく分かるというもの。これを独力で成したというのなら、間違いなく尋常の戦闘力では無い。それこそ、贄の王とも問題無く渡り合えるほどの実力では無いか。
サンの心中に浮かび上がってきたのは恐怖だった。
”贄の王”の権能は魔境、正確には“贄の王座”から離れるほど弱まる。それでも人の身にどうにかなる存在では無いが、“神託者”が相手なら話は別だ。
超常の権能を操る”贄の王“は必ず超常の祝福を操る”神託者“に敗北して終わる。それが伝承の定める宿命である。
ならば、今ここで弱まった権能で“神託者”と遭遇すればどうなるのか。考えたくも無いが、どうしても不吉な想像が頭から離れない。
そうして、サンが贄の王に提言したのは“撤退”であった。
「――今、ここで主様が“神託者”と遭遇してしまうのが良い結果に結びつくとは思いません。どうか、私の我儘を聞いてはくれませんか。」
「……。」
「以前、話したではありませんか。“神託者”と不意に遭遇して問題なのはむしろ主様だと。だから、一度は私に“神託者”の捜索を任せて下さったではありませんか。」
「……お前なら安全という保証は無い。」
「しかし、主様であれば危険という保証があるも同然なのです。お願いします、どうか……。」
贄の王は暫し考え込んだが、やがて迷いながらも同意してくれた。苦し気に頷くと、自分は城に戻ると言う。
「分かった……。私は城に戻る。後は任せるが、決して危険に近づいてはならん。必ず、自分の身を最優先にしろ。いいな。」
「ありがとうございます、主様……。お言葉、確かに心に刻みました。」
「あぁ。気をつけろ。絶対に、無事に帰ってこい。」
その言葉を最後に、贄の王は一人転移で魔境の城に帰っていった。
当然”欺瞞”も解けてしまうため、サンも一度転移で姿の見えない場所まで移動する。
顔を隠していたフードを取りながら野次馬の一人になり、現場を遠巻きに眺める。
この惨劇についてもっと情報が欲しい。
適当な衛兵に声でもかけようかと思ったところで気づく。サンはガリアの言葉が分からない。つまり、複雑な意思疎通は図れない。
これは早速つまずいたかもしれないと思いながら、次善の策を考える。
これほどの事件ならば必ず衛兵たちが犯人を捜すはずだ。つまり、サンが何をしなくとも衛兵の動向さえ追っておけば“神託者”の捜索が進むという事に他ならない。
そして衛兵たちが情報を握っているのならば、口伝だけで捜索は進むまい。衛兵たちの詰め所かどこかに、情報が纏められるはずだ。
サンもガリアに来てから数月、必死に言葉の勉強をしていたのである。会話は難しくとも、辞書片手に文字を解読するくらいなら何とかなる。
そこまで考えて、衛兵の詰め所を探すことに決める。あても無く探しはしない。事件現場とのやり取りがあるはずなので、現場を出ていく衛兵を尾行すればいいのだ。
勿論、詰め所などに戻らない可能性もあるのだが、まずはそれらしい人間を求めることにする。
再び人目を避けて物陰から太陽神殿の屋上に転移。フードで顔を隠し、“透視”で現場指揮を執っている人間を探す。これにはさほど苦労しなかった。
次に、その指揮を執る人物の指示を受けたり、報告や伝言をしたりする人間を注視する。それが現場を出ていくようならば、どこか衛兵の拠点に向かう可能性があるとして、尾行をするつもりだ。
幸いなことに機会は直ぐに来た。指揮を執る者が近くに居た者を呼びつけて少し会話すると、その相手がどこかへ向けて現場を出て行ったのだ。
太陽神殿の屋上を人目につかないよう気をつけつつ、ぐるりと回りこんで出ていく衛兵を追う。
地上に降りて、気づかれないよう細心の注意を払い尾行する。所詮サンは素人だが、まさか衛兵も尾行されているなどとは思わなかったのだろう。気づく様子はまるでないまま目的地に着いた。
その建物はは衛兵たちが銃を持って見張りに立っており、明らかに厳重な場所である。高さも広さもそれなりにあり、窓には全て格子が嵌められている。
“透視”で覗き込めば、確かに衛兵たちが何人も闊歩している。
これは当たりに違いないと、人の居ない場所を探して室内に転移。
慌ただしく動いているような場所が、事件現場と関わる場所であろうと推測し、そういった場所へ細かい転移で人目を避けて近づいていく。
慌ただしく人が出入りしている一室へ近づく。
しかし、隣室まで来たところで動けなくなってしまう。常に人が動いているために、近づきようが無いのだ。
まさか贄の王ではあるまいし、即座に全員を無力化して押し通ることも出来ない。
騒ぎが必ず起きてしまうし、そうなればここは敵地も敵地だ。撤退を余儀なくされるだろう。
――さて、どうしよう。
むしろ建物内の反対側で騒ぎを起こして陽動とするか。しかし流石に上手く行くとも思えないし、二度使える手でも無い。
ならば無理を承知で室内の全員を無力化してみようか。これもダメだ。サンの実力では遅すぎる。
――さて、どうしよう……。
そんな事を考えていた時だった。
ばさり!と勢いよく紙の音が背後からした。
サンが慌てて振り返れば、いくつもの紙が視界いっぱいに広がっているさま。
思わず顔を覆う。
投げつけられたらしい紙たちが床に落ちると、閉まっていたはずの反対のドアが開け放たれているのが見える。しかも、今まさに開かれたように微妙に動いている。
開け放たれた向こう側を“透視”で見通すが、そこには誰も居ない。
周囲にも、下手人らしい人影は見当たらない。
投げつけられて散らばる紙を拾う。
“事件報告書。
太陽神殿で発見された殺戮事件について――“。
それだけ読んで再び顔を上げる。今度は、より注意深く“透視”で辺りを見通す。
例えば、物陰に潜んでいないか。例えば、衛兵に成り代わっていないか。例えば、不自然に開かれたドアは他に無いか。
しかし時すでに遅しとでも言うのか、目的の人影は見つからなかった。
発見を諦め、手元の紙を拾い集める。ラツアの言葉で書かれたそれは、まさしくサンが求めていた太陽神殿の事件についての情報をまとめている物だ。
一体、どういうつもりなのかサンには全く分からなかったが、一つ幸運な事があるとすれば直ちに命を奪うつもりまでは無いらしいというのが分かった事か。
衛兵の拠点に同じく忍び込み、サンの背後を取って追わせることもさせない。さらに、確実な情報を先んじて集めている。
何のつもりかは分からないが、こんな芸当が出来る人物をサンは他に知らない。
「どういうつもりですか?イキシアさん……。」
サンは誰にも聞こえないよう小さく呟くと、拾い集めた紙束を持って贄の王の待つ魔境の城まで転移で移動した。




