98 隣り合わせの希望
サンが城の自室でしばらく待っていると、やがて贄の王が戻ってきた。
「主様。わがままを、ありがとうございます。」
「構わん。いくつか情報も入った。」
「情報、ですか?」
「まず、理想派のアジトが襲撃されたことだが、密告者が分かった。実現派だ。」
「サーザールの実現派ですか?でも、彼らは敵対まではしていないと……。」
「状況が変わったようだな。実現派は神官騎士団と手を組んだ。実現派は騎士団に理想派を売り、何かしらの見返りを得たはずだ。それが何かまでは分からんが。」
「そんなことが……。」
「もう少し詳しく知りたい。神官騎士団の拠点へ出向こうと思うが、来るか。」
「はい。お供します。」
パトソマイアにおける神官騎士団の拠点は太陽神殿にほど近い場所にある。
元々教会として建てられた建物は数千年の歴史を持つガリアにあっては比較的新しく、建築様式も北土の物だ。
それなりに大きい建物であり、数百人が寝泊まり出来るらしい。勿論、ゆとりのあるベッドとはいかないだろうが。
そんな神官騎士団の拠点は例に無い程の人が出入りしている。それもそうだろう。今パトソマイアには常の数倍の神官騎士が集っている。
そんな彼らを屋根の上から見下ろす人影が二つ。しかし、眼下の者たちはまるで気づく様子が無い。
それは贄の王が権能より編み出した“欺瞞”なる魔法の力である。周囲の認識を歪め自身と近い者の姿を見えないようにするこの魔法は、相手との距離が開くほどに効果を発揮する。
「随分人が多いですね、主様。」
「何かしら、動いているということだろうな。それが何か確かめたいところだ。ある種の仇敵とも言えるサーザールと手を組んでまで求める事は何なのか……。さて、誰が答えを教えてくれる?」
そう言いながら、贄の王が周囲を見回し始める。恐らく、“透視”を使っているのだろう。
サンも“透視”を使い、位の高そうな者がいないか探し始める。すると、足元の建物の一階で応接間らしき部屋に数名の人間が居るのが見えた。彼らは向かい合って座り、いかにもお話の最中といった雰囲気である。
「主様、あの応接間らしき部屋は如何でしょう。何やら集まっています。」
「ほう。なら、行ってみるとしよう。」
贄の王がサンを連れて目的の部屋まで転移する。視界が一瞬闇に染まり、それが晴れると室内の隅に並んで立っていた。
そこは実に豪華な部屋で、飾り付けられた金銀が日光を浴びて輝いている。中央にはガラスのローテーブルが置かれ、それを挟むようにソファが向かい合っている。
今、ソファには三人の男が向かい合って座っており、それ以外には誰も居ない。
「――して、例の者が疑わしい訳です。そうでなければ、あれほど熱心に――。」
「ん?いや待て、そこの隅に誰か――。」
ソファに座る三人のうち一人がサン達に気づいたような様子を見せると、贄の王の手から闇が走り三人の身体と口を縛り上げた。
「やはりこの距離、空間では気づかれてしまうか。まだまだ完成には遠いな。」
「それでも素晴らしい魔法です。完成の暁には、きっと歴史に残るほどの傑作になると思います。」
「公には出来ないがな。……さて、話を聞かせてもらおうか、貴様ら。」
贄の王が脅しつつ、サンが尋問をすれば三人のうち二人はあっさりと情報を話し出した。
曰く、三人はそれぞれ神官騎士団の区隊長、教会からの使者、サーザール実現派の一員であるらしい。当然、口を割らなかったのはサーザールの者だ。
「――つまり、神官騎士団は実現派を見逃し、実現派は“従者”の捜索に手を貸す、と。」
「手柄として、理想派を売ったということですか……。」
すると、沈黙ばかりだった実現派の男が口を開く。
「……あいつらは救いようの無い愚か者だ。最早、邪魔でしか無かった。」
「派閥争いで相手を売るなんて、誇りはどこへいったのです?」
「……そんな単純な物か。それにな、誇りがなんだと言うんだ?そんなもので誰が救えると言うんだ?誇りなど、自己満足でしか無い。あいつらはそれが分かっていない。」
「しかし――。」
なおも続けようとするサンを贄の王が手で制する。
「我々はこいつらの信条を計りに来たわけでは無い。そこまでだ。」
「……申し訳ありません。」
「それで、そうまでして”従者“を……つまり、”我々“を追う理由を聞いておこうか、教会の者。」
「……ら、ラツアであの盗人を保護しただろう。盗まれた物をお前らが持っているはずだと、上は判断したんだ……。」
「確かにあの“本”は我々の手元にある。なるほどな、あれが目的だったか。」
「や、やはり……。返す気は……。」
「ある訳が無い。少なくとも、解読が終わってからだな。」
「きょ、教会を敵に回すつもりか……!?」
「何を今更な事を。貴様らなど、恐れるに足りん。」
「ばかな……。」
「折角だ。貴様らに教えておこう。どのような手を尽くしたとて、我々を捕らえる事は出来ん。討つことも、近づくことさえ、出来はしない。……それが、尋常の手段である限りな。
さて、聞きたい事はおおよそ聞けた。我々は去ろうと思うが……他に何かあるか?」
そうサンに問うてくる。サンはかぶりを振って無いと答える。
「ならば、貴様らとはここでお別れだな。殺しはしない。精々無駄にあがくといい。
……ではな。」
贄の王が三人に背を向ける。サンは捕らえられたままの三人にお辞儀をしてから背を向け、贄の王の傍に寄る。
転移の闇が二人の姿を覆い隠し、それが掻き消えた後にはもう姿は無かった。
「さて、これで理想派、実現派、神官騎士団と教会が我々を追っていることになるだろう。パトソマイアで“神託者”の足取りを掴んでおきたかったが……そろそろ面倒になってくる頃合いだな。」
魔境の城、贄の王の書斎に二人の姿はあった。
サンはいつも通りお茶を淹れて主の前に置きながらその言葉を聞く。
「“神託者”はパトソマイアからどう進むでしょう。陸路か、海路か……。」
「私は陸路だと考えている。パトソマイアまでも陸路であった以上は、同じ陸路を選ぶだろうと。」
「でしたら、パトソマイアほど人の往来が多い場所で捉えるのは難しいでしょうか……。」
「そうだな……。だが、私とお前だけでは何にせよ手が足りない。ガリア内での捕捉は困難かもしれんな。」
「難しいものですね……。せめて、何か手掛かりがあれば……。」
しばし、二人とも考えこんでしまう。
だが根本的にガリアという土地の知識が無い上に、伝手も失った。あの広い砂漠の大地からたった一人の人間を捜すなど、それこそ砂漠から砂粒一つを探すような物ではないか。その途方も無さに、二人ともこれといった解決が見出せないのである。
「……そういえば主様。教会から盗まれた本を持っているとおっしゃっていましたが……。」
「あぁ、言っていなかったか。」
贄の王はどこかから人の胴体ほどもある大きな本を転移で取り寄せると、“動作”の魔法で宙に浮かべて見せる。
「これのことだ。あのカールという男に盗みを依頼した人間を知っていてな。頂いてきた。」
「そ、そうだったのですか。……しかし、随分大きな本ですね。何が書かれているのです?」
「まだ、ほとんど読み進めていない。だが、これは教会が俗世にひた隠す何かの一端に違いない。……一体何が書かれているやら、実に楽しみじゃないか。」
「それは確かに、楽しみです。」
――中身が、希望であればいい。主様の宿命を変える何かの。
サンが内心でそう思う一方、贄の王もまた似たような事を考えていたのだが、口に出さなかった以上サンが知る由も無い。
主従揃って、きっとこの本には何か希望があるに違いないと、どこかで思っていたのかも知れなかった。
ところで、絶望とは希望と隣り合わせの物だ。希望が無ければ絶望は存在しない。
希望とは、常に絶望と共にあるのだ。




