97 後攻
サンからいきさつを聞いた贄の王は、サーザールから離れることを決めた。当然であろう、サーザールはイキシアの味方である。
しかし、パトソマイアにはもう少し留まることにした。
流行り病、神官騎士団とサーザール実現派の集結。あの都で何が起きるのか、確かめたいとサンが提言したためだ。
勿論、本音は違う。それが未練であることくらいはサンにも分かっていたのだが、そう言わずにはいられなかった。
贄の王は常に自分が行動を共にすることを条件にそれを許した。イキシアがこちらを狙っている以上、サンを一人にする訳にはいかない。例え不意を突かれたとしても、贄の王の力ならばサンを守ることくらいは出来るのだそうだ。
それに、“贄の王”本人とその眷属が並んでいれば本人を狙うだろう。そして“贄の王”に只人の刃など意味をなさない。
サンは折角手に入れたガリアでの情報源を失ってしまったことを謝罪した。全ては、イキシアの盗み聞きに気づけなかった自分の責任だと言った。
それに対する贄の王の答えは、ならば挽回してみせろ、というものだった。
――やはり、この主はひどく優しい。
罰を求める者には、罰を。それで心が軽くなるのならば。
見せかけだけの許しがサンの救いになどならない事が分かっていたのだ。
――「ならば、挽回してみせろ。お前の不手際だと言うのなら、お前の力でそれに代わる何かを得てこい。……待っていてやる。」
そんな主の言葉に、サンはさてどうするかと考えた。
当面の問題はいくつかある。
まず大前提としての“神託者”の捜索。
その捜索の手段を失ったこと。
それから、こちらを狙っているだろうイキシアのこと。
イキシアに関しては最早どうしようもない。こちらから見つける事は不可能に近いし、あちらからの接触を待つ以外に無い。
願わくはそれが刃で無いことだが、贄の王との同行を命じられている以上はその刃も届かないだろう。
捜索の手段を失ったことだが、これが最も手痛い。
サーザールという情報網は優秀に過ぎた。知らず、それに頼り切ってしまっていたのだ。サーザールから離れた今、どうやって捜索を進めればいいか見当もつかない。土地勘も無い上、ガリアは広いのだ。
交通の起点であるパトソマイアを通らないという事は考えにくいが、その可能性すら否定はしきれない。
サンは困り果ててしまった。“神託者”を捜そうにも手段が思いつかず、いたずらにパトソマイアを訪れることも出来ない。
自ら求めた罰だと言うのに、これでは挽回の機会など何も無い。ただ、時間だけが過ぎていく。
そんな折、何かの考えがあるらしい贄の王に連れられてパトソマイアを訪れていた。
太陽は相変わらず大地を焼くようで、立っているだけで汗が噴き出してくる暑さ。ひどく乾いた風だけが救いである。
建物の日陰で贄の王に貰った冷たい水を飲みつつ、サンはふと気になったことを問いかけてみる。
「そういえば、主様は暑くないのですか?」
「暑い、という事実は感覚的に理解出来るが、暑さそのものは感じない。汗もかかん。寒さも同じだ。」
「何だか、想像しづらいです。とても奇妙な感覚ではありませんか?」
「あぁ、実に奇妙だ。こういう時、人間らしさを懐かしく思ったりもする。」
「でも、この暑さを感じないなんてちょっとだけ羨ましいですね……。本当に、この暑さがどうも……。」
「そうだろうな。普段、寒い城に居るせいもあるだろう。……冷却する魔法が完成すれば、楽にしてやれるかとは思うのだが。」
「物を冷やす魔法なんて、とっても不思議です。でも、考えてみればどうして熱くすることは簡単なのに逆は難しいのでしょう?」
「熱くするとはエネルギーを与える事。冷やすとはエネルギーを奪う事。……そうだな、一杯の水がある。これを温めるにはどうしたらいい?逆に冷やすには?」
「温めるには……火をおこします。それか、こうして手でぎゅっと……。冷やすには……寒い場所に置いておく、とかでしょうか。」
「そう。温めるのは簡単だ。他の何かからエネルギーを与えてやればいい。ところが冷やすのは難しい。他の何かにエネルギーを与えなければならないからだ。目的の物体が受動的か、能動的かの差とでも言おうか。」
「なるほど……。何となく分かった気がします。でも、熱いものを冷ますのは簡単な気もしますね。」
「それはエネルギーとは平均化しようと動くからだな。つまり、周囲のエネルギー量から特異点的に差をつけようとするほど難度が上がる。」
「その熱い物から見れば、周囲が寒いから冷える、ということですか?」
「賢いな。その通りだ。冷えている物を放置すればぬるくなるのも同じ。その物体から見れば、周囲は暑いからだな。」
「難しいけれど、面白いですね。熱なんてものをそんなに深く考えたことはありませんでした。」
「物理学とはそういう物だ。身近にある物から、研究は始まる。」
「主様はいつもこういう事をお考えなのですか?頭が疲れそうです……。」
「残念だな。私は疲労しない。」
「そうでした……。」
どしゃぁん!!
重い物が地面に叩きつけられる音がして、サンは思わず跳び上がって驚く。手にしていた水が跳ねて少し手にかかった。冷たい。
一体何事かと音の方を見れば、男が地面に倒れ、贄の王の闇がそれを押さえつけていた。
「え、な、何事ですか……?」
「襲撃だ。さて、お前は何者だ?」
驚いたせいでちょっと心臓が早まっているサンと、実に落ち着き払っている贄の王が対照的である。
贄の王は淡々と倒れている男に何者か問うた。
しかし、男は憎らし気にこちらを見ているばかりで、答えようとしない。
「答えんか。身のこなしからしても素人では無いな。」
男とサンの目が合う。その時、サンの脳裏に閃くものがあった。
「主様。この人……見覚えがあります。もしかして、理想派の……。」
サンには男の顔を見た記憶があった。それは、サーザールの理想派、そのアジトの中で見た顔だ。
「なるほど。奴の手が回ったか。それで我々を狙いに来たな?」
そこでようやくサーザールらしい男が口を開く。
「……裏切り者どもめ……!」
「裏切り者?我々は何も裏切ってなどいない。裏切ったとすれば、それはお前達であり、あの女だ。」
「ふざけるな!貴様達のせいで、仲間たちは……!」
「仲間?……ふむ。どうやらすれ違いがあるな。お前の仲間がどうした。」
「とぼけるな!アジトの場所を教えたのは貴様らだ!この、クソどもめ!」
「ふむ?アジトの場所など、誰に教えた覚えも無いが……。サン?」
「私も覚えがありません。と言うより、貴方方に何があったのですか?」
そこで、男の顔は困惑を浮かべる。
「お前達では無い……?いや、そんな筈は無い。お前達意外に居ない。」
「主様も私も無関係ですよ。それで、何があったのですか。」
「……アジトが襲撃された。どこかの誰かが、その場所を密告したせいでな。」
「襲撃……?」
サンは贄の王の顔を見る。主も何のことか分からないらしい。
つまり、何か想定外の事が起こったようだ。
「その話。詳しく聞かせてもらおう。」
サーザールの男は多くを語らなかったが、彼が言うにはサーザール理想派のアジトが神官騎士団の襲撃を受けたということらしい。
完全な不意打ちに加え数の差もあり、理想派の面々は殆どが死んだか、散り散りに逃げたのだそうだ。
アジトの場所は部外者には基本的に知らされない。つまり、その数少ない例外であったサンたちが疑われるのはある意味当然の流れだった。
だが、無論サンも贄の王もアジトの場所を口外などしていない。つまり、真相は別にある。
二人は男を道端に眠らせて放置するとアジトまで向かう。途中贄の王が“欺瞞”を使い、姿を隠しながらである。
やがて辿り着いた理想派のアジト周辺は酷い有様になっていた。死体こそ片付けられているものの、あちこちに広がっている弾痕や血の跡。アジトの建物自体は今も神官騎士団に占拠されており、中には入れない。
「ひどい……。」
「ほぼ、皆殺しか。徹底的だな。」
サンは別に理想派の者たちと仲が良かった訳では無い。だがそれでも、彼らが笑う様、怒る様、生きている様を見ていた。
この光景は、衝撃と言って余りあるものだった。
何度かくぐった入り口のドアは強引に打ち破られており、外を眺めた窓は血の跡を垂らしている。
「……サン。“透視”は使うな。」
「……もしかして、まだ中に……。」
「見るな。見ていいものでは無い。」
「……分かりました。」
まだ中に生存者が居るとしたら、どんな扱いを受けているのか。想像に難くは無かった。
「……主様、その人たちを助ける事は出来ませんか……?」
「……さて、救いを与えることくらいは出来るかもしれんな。お前が望むなら、あそこの神官騎士を殲滅してやってもよいが。」
「……お願い、出来ますか。主様……。」
「容易い事だ。お前は城に戻っておけ。終わり次第私も戻る。」
「ありがとうございます……。」
主に一つお辞儀をしてから、サンは転移で城の自室に戻っていった。
それから、贄の王はゆっくりとアジトに向かって歩き出した。




