95 黒い病
それから、しばらくの間はパトソマイア周辺で出入りする者を見張るだけの日々が過ぎた。勿論、サーザール理想派の者たちと協力してのことだ。
理想派の面々から協力を取り付けるのは実に簡単だった。イキシアがいきさつを話し、協力するよう要請するとたちまちのうちに動いてくれたのだ。
意外と言うべきかイキシアは理想派の中でも一目置かれているらしく、その彼女が誇りに懸けて真実を誓えば最早反論の余地は無いようであった。
サーザールとは闇に生きるようになって長い戦士たちの集団。主流を実現派に奪われたとは言え、彼らの情報網は素晴らしいと称賛すべきものだ。
時に疑わしいと思われる者がいれば、即座に名前や身分まで調べ上げてくるのだから恐ろしさすら覚えずにはいられない。
今パトソマイアで注目すべき情報は大きく三つ。
一つ、流行り病。
命を落とす事は稀と言ってもやはり病とは嫌がられるもので、人々は外を出歩いて他人と接触することを避けている。感染の仕組みがまるで分かっていない事もそれに拍車をかけた。
黒ずんだ血管が体表に透けて見えるところから黒病などと呼ばれるこの熱病は、その出所が東の方にあるらしいという事以外何も分かっていない。
二つ、神官騎士団の集結。
かつてファーテルでサンが討ったブルートゥを長とするこの騎士団は、大地中に広がって活動している。しかし、ここ最近ガリア中の神官騎士がここパトソマイアに集結してきている。
往々にしてサーザールと敵対してきたこの組織の活動が活発になれば、理想派としても目を離す訳にはいかないようである。
三つ、実現派の集結。
サーザールにおいても理想派と分かたれるこの者たちもまた、パトソマイアに集結してきている。
神官騎士団の集結に呼応するようなこの動きに関連性の無さを見出す方が無理と言うべきだろうか。理想派には何の情報も入ってきていないことが余計にきな臭さを漂わせる。
総じて、今のパトソマイア、特に闇側に生きる者たちにとっては“何か”が起きる予兆のような、漠然とした不穏さを感じずにはいられないのだ。
ガリアやパトソマイアにおいては客人に過ぎないサンすらもはっきりと感じられる不穏さの中、さらに暫くの時が過ぎる。
病などにはかからない贄の王はともかく、サンが黒病に罹る可能性はあるという事で、こっそり楽しみにしていた観光も全く出来ないままだ。
数千年の歴史を持つガリアの都だけに、その見所はたくさんある。悠久の日々、人類が紡いできた壮大な歴史に触れられる史料の数々。が、完璧にお預けである。サンは内心ちょっと落ち込んでいた。
それはともかく、病なぞ知らんとばかりに活動していた理想派の中から黒病に罹った者が出るのは当然である。
一応の約束を果たすため、贄の王がその者を診ることになった。
自身は全くいつも通りの恰好ながら、サンには厳重な“感染予防装備”なるモノを着せて、贄の王が黒病の者と対面する。
その男は熱に浮かされて酷く苦しそうに眠っていた。
だが、やはり目を引くのはその全身、露出している肌の部分。趣味の悪い刺青のような、黒い網を纏っているような、頭から黒い雨に打たれて雫が流れたような、酷く不気味な黒い血管の浮き出たさま。
事前に聞かされていたサンですら、怖気が走るような姿だ。
贄の王はまるで気にした様子も無く男の手を取ると脈やら熱やらを確かめ始めたようだが、知識の無いサンには何をしているのか良く分からない。
「……如何でしょう、主様。」
「……うむ……。」
気の無い返事からして、声をかけるには早かったらしい。黙って待つ。
まもなくして、贄の王から口を開く。
「……サン。辺りには誰も居ないな?」
「はい。誰も居ない筈です。」
贄の王が患者を診るにあたって、看病の者などの一切を部屋に近づかないよう指示していた。そのため、この個室にはサンと贄の王、眠る患者の他には誰も居ない。
「……ならば、聞け。これは普通の病では無い。いや、病というべきかも怪しい。」
「病では無い……?」
「あぁ。これは“贄の王の呪い”。このパトソマイアを覆う“呪い”が病という形で発現しているのだ。」
「“呪い”が……?」
「まだこの都を覆う呪いは軽微だ。本来、このような形に現れるとは考えにくい。都の外の畑も豊かであるようだったしな。その原因はもう少し探る必要があるが……。」
「では……この病には手の打ちようが無いという事ですか?」
「対症療法が精々だな。呪いが軽微ゆえ、病も軽い熱病で済んでいるというところが幸いか。根本的な対処は――“贄捧げ”をして呪いを祓うほか無い。」
「そんな……。」
「そういう意味では、お前がこの病に罹る可能性は無い。仮にもこの”贄の王”の眷属。呪いがお前に牙むく恐れは無視して良い。」
「そう、ですか……。」
重々しい空気が部屋を満たす。
このおぞましい流行り病を無くす手段がある。しかし、それはあの忌々しい”贄捧げ“が唯一であるという。
“贄捧げ”によって親友たるエルザを失った身として、“贄捧げ”は徹底的に嫌いだ。
だが、他の手段は無い。
”贄捧げ“をただ避け続ければ、この流行り病もいつか死病となって人々を襲うのだろう。
それでも、“贄捧げ”など許容したくない――。
「……主様。主様にも、”贄の王“であらせられる主様でも、どうにもならないのですよね?他の手段は、絶対に無いのですよね?」
「無いな。無いと断言するべきだ。“神託者”であれば何かしらの手段を持つ可能性はあるかもしれんが……。望み薄だな。」
「この病は、東から来たというそうです。つまり、東の方は……?」
「そうか。呪いの強い東の地で病が生まれ、こちらに流れて来たのか……?病自体は別に存在し、呪いがそれに作用しているだけ……?いやしかし……。」
「主様?」
「あぁ、いや。そうだな。東から病が来たというのなら、東の方ほど呪いが強まっているのだろう。そちらでは、もっと病も重いかもしれん。」
「……イキシアさんに、何と言いましょうか……。」
「分からないと言う他無いだろう。そもそも、私は医学を正しく修めている訳では無い。分からない方が自然だ。」
「……分かりました。」
贄の王は立ち上がってサンを見る。すると、サンの頭に手を乗せながら不器用に気遣う声音で言う。
「そんな顔をするな。お前が悪い訳では無いだろうに。」
「しかし……。」
「しかし、は無い。誰かが悪いとすればそれは”贄の王“であり、根源たる”贄の王座“。そしてそれを生み出した神か何かだ。お前では無い。」
「主様……。」
「……ならば、笑え。これは命令だ、サン。笑うまで、許さん。」
そう言いながら、サンの頭をわしわしと撫でる。
「……命令、ですか。」
「そうだ。」
「……ふふっ。命令ならば、仕方ないです。」
そう言って、サンは笑みを浮かべる。
「それでいい。お前は笑っている方が似合う。」
「……ぇ。ありがとう、ございます……?」
「……あぁ、いや、忘れろ。さぁ、行くぞ。」
贄の王はさっと顔を背けて部屋を出て行く。
「……わ、忘れられませんから……。もう……。」
それから、サンもゆっくり主の背中を追った。




