93 学の街に別れを告げて
翌朝。サンはイパスメイアに取った宿でマーレイスを待っていた。作戦成功後はここで会合を持つことになっているのだ。
非常識なほど早くは来ないだろうと読んで、すでに昼前である。
待つ間暇が無いように、贄の王から本を借りてきある。以前購入した“贄の王の呪いとその関連する事実全般についての調査と結果またその考察”という長い表題の本である。
以前まで読んでいた続きを開く。今は魔物についての章であり、特に習性に関する記述の部分である。
“さて、魔物の習性についてである。彼らが人間を見つけた場合、どうするか。無論襲い掛かり、その命を奪いにくるであろう。彼らは例外なく人類に対し攻撃的である。彼らの習性を理解する際に、最も根本的な部分は人類に対する攻撃であると念頭に置いておくことが重要である。というよりも正確には、人類に対する攻撃性以外の共通的な習性を魔物に見出す事が難しいというのが実情と言うべきだろう。――”
そんな書き出しで始まった記述は、“毒花”という魔物を例にとって習性を語り始めた。何でも、その”毒花“は火を極端に恐れる魔物だったのだが、著者の知る魔物の中では他に火を恐れる個体など居ないという。
魔物というものが持つ習性の多様さをつらつらと語った後で、ならば、と方針が変わる。それは、”人に攻撃しない“習性に焦点を当ててみるというものだ。
“ここでも先の‘毒花’を例にとろう。この魔物には老人を襲わないという習性があったのだ。――”
“毒花”という魔物は老人を襲わない。そう聞いて思い出すのは、“接吻魔”が幼い子供を殺そうとしない、という情報である。
“――特定の共通点を持った人間を襲わないという魔物は時折見られる。他にも、子どもを襲わない魔物。女を襲わない魔物。貧乏人は襲わない魔物。実に様々な例がみられる。――”
だが、だからと言ってその魔物が理性的とかそういう事は無く、その共通点を持たない人物であれば惨たらしく殺すのだともいう。
そこまで読んでサンは疑問に思う。
――まるで“人間”を理解しているようではないか、と。
特に注目すべきは“貧乏人は襲わない魔物”だ。人間の資産など人類にしか関係無い。それがどうして、魔物が人を襲う基準になるだろうか。資産という基準が一体魔物にとってどんな意味を持つというのか。
――それこそまるで、“人間”のような――。
コンコン。
サンの思考がノックの音に中断される。“透視”の魔法でドアの向こうを見てみれば、そこに居るのはマーレイスである。
ドアを開けて迎え入れる。適当に座らせて待たせ、贄の王を呼びに行く。
城の書斎前に転移してノックをすれば案の定そこに居たらしく、勝手にドアが開く。
「主様。マーレイスさんがお見えになりました。ガリアまでお越しいただければと思います。」
「分かった。すぐに行こう。」
贄の王は立ち上がり、サンと共にイパスメイアの宿まで転移。マーレイスに権能を見せるわけにはいかないため、部屋のドアの前である。
サンがドアを開け、贄の王が中に入る。マーレイスは立ち上がってお辞儀をしてきた。
「お二人とも。まずはお疲れ様でした。想定以上の結果でありました。」
「それはこちらとしても幸いだ。無事“接吻魔”を退治出来た。我々としてはそれだけでいい。……座るといい。サン。茶か何かを頼めるか。」
「はい。主様。」
言われるまでも無くそうするつもりだったのだが、直接命じられると一層奮起するタイプである。気合と共に台所に向かうと、至高のお茶を淹れるべく全神経を集中し始めた――。
そして何やかんやでお茶が入り、主とマーレイスの前に置いた。サン本人は部屋の隅で控える。全力を出し切った後の心地よい疲労感に一人包まれながら。
「――では、事前の通り今後は必要が無い限り互いの連絡は取らない。お前がガリアをどうするのも自由で、それが我々の邪魔をしない限りは関知しない。それでよいな。」
「結構です。欲を言えば、今後も協力を仰げればと思わないでも無いですが……。私にはもう差し出せるものが無いようですので、諦めましょう。」
「賢明だ。我々に俗世の権力や財力は価値が無い。」
「残念ですが、あなた方は私の最も欲しい機会を下さった。英雄の肩書は今後大きく活用させてもらいます。」
「好きにするがいい。……さて、用件は終わったが折角茶も入ったことだ。雑談とでもいこうか。」
「雑談ですか。構いませんとも。」
贄の王はお茶を啜りながらマーレイスに聞く。今後何をするつもりか、と。
「今後……。まずは、結社パラスキニアをイパスメイア全体に広げます。それから、党として確立。各地に広げていき、最終的には平和的に政権を獲得します。」
「ほう……。可能か?」
「可能です。問題があるとすれば、既得権益層が持つ私兵でしょう。彼らとの軍事的衝突は避けなければ。」
「なるほど。内乱などにならなければよいが。……そもそも、最終的に目指す場所はどこなのだ。」
「一言で言うならば、ガリアに栄光を取り戻す、でしょうか。今やガリアは北土のエルメアやファーテルに後れを取るばかりの巨人です。ガリアを再生させる。そのためには強烈な一撃が必要でしょう。既得権益層の破壊。カビの生えた秩序の刷新。ガリアを大地一の国家にする。それが目的です。」
「大地一の国家、か。意味するところは、対外戦争だな?」
「……流石、ですね。ガリアが発展するためには土地が足りない。北のラツアに頭を押さえられ続けていては、内海を手にすることすら出来ない。ガリアは広大ですが、その大半はただの砂漠。豊かな大地が必要なのです。」
「他国を侵す事の是非を問うつもりは無い。それが人の歴史でもあるなれば。ただ、成算くらいは聞いておきたいものだ。」
「悪くは無いつもりです。大陸利権と引き換えにエルメアを同盟に引き込み内海を封鎖する。そして、ラツアを叩き内海を手にする。ゆくゆくは、北土を敵とするでしょう。」
「壮大だな。ラツアを叩けるかどうかが分岐になるだろう。」
「その通りです。故に平和的な革命である必要がある。ターレルを併合するという腹案もありますが……。」
「難しいだろうな。かの国は自負が強い。」
「えぇ。名目上は、同盟になるやもしれませんが。」
「なるほどな。……さて、今回も有意義な時間であった。そろそろ、お開きにするとしようか。」
「はい。……ありがとうございました。お会い出来たことはまさに神の思し召し。この運命に感謝を。」
「ふっ……。それはどうかな?あるいは、悪魔の思し召しかもしれんぞ。」
「それならそれで、上等ですとも。」
「やはり面白い奴だ。……では、行くと良い。その大望、私も眺めているとしよう。」
「必ずや。……では、またお会いできる日を神、いや悪魔に祈っておきます。」
マーレイスが去った部屋で、サンは贄の王に問いかける。
「……よろしいのですか、主様。あの者を放っておいても?」
「構わんだろう。どこまでやれるのか、興味も無いでは無い。」
「主様がそうおっしゃるなら……。」
「後はサーザールどもと話さねばな。……“神託者”。今どこにいるのやら。」
「イキシアさんたちが何か掴んでいればいいのですが……。」
「そうだな。早速向かうか。」
「分かりました。」
贄の王は立ち上がると、サンを傍に置いて共にサーザールのアジトへと転移で向かった。
サンと贄の王がサーザールのアジトに入ると、中にはイキシア、ガエス、イーハブの三人が揃っていた。
サンたちに気が付くと、ガエスはにっこりと笑みを浮かべ、イーハブはばつが悪そうにそっぽを向き、イキシアは仮面で分からないが、真っ先に声をかけてくる。
「サンとサンの主人。聞いたぞ。”接吻魔“が討伐されたそうじゃないか。アレは当然お前たちだろう?」
「あぁ。私とサンだ。」
「感謝する。心より、感謝する。ありがとう。イパスメイアは救われた。」
イキシアが片膝をついて礼を示すと、ガエスも真面目な顔になって感謝を口にした。そして、横にいるイーハブをつつく。
「……分かったってば。疑って悪かったよ。それと、ありがとう。」
「感謝など不要だ。取引を守っただけのこと。……それで、そちらの首尾はどうだ。」
「流石にピンポイントでは見つけられてないよ。ただ、可能性のある外国人はいくらか見つかった。今後は警戒線を張りつつ、マークした数名を念入りに調べてみるって感じかな。」
「ふむ。今最も居る可能性があるとすれば、どこだ。」
「そうだね……。マークした外国人が一番数多くいるのはイパスメイアからパトソマイアへの道中だ。可能性って意味ではそこが一番高いんじゃないかな。」
「なるほど。では、次はパトソマイアで待ち構える形で捜すのがよいか。お前たちの仲間はパトソマイアには?」
「いるよ。それなりの数がいる。都だからね。既に連絡の使者を走らせているよ。」
「では、我々もパトソマイアに向かうとしよう。いいな、サン。」
「もちろんです。主様の御心のままに。」
「分かった。じゃ、イキシアも行くんでしょ。そっちを任せるよ。」
「うむ。任せろ。」
「向こうの仲間たちとの連絡はイキシアを使って。船で行くよね?用意するよ。」
「いや、船はいい。他の移動手段がある。」
「ほか……?まぁ、いいならいいけど。」
「では何も無ければ我々は行く。世話になったな。」
「ん。じゃ、またね。」
「おう。ほんとに、俺からもありがとうな。こっちから出来る協力は惜しまんさ。」
ガエスとイーハブに別れを告げると、贄の王はさっさと背を向けてアジトを出ていく。サンは二人に丁寧に礼をすると主の後を追って部屋を出た。
外で待っていると、少し遅れてイキシアも出てくる。
「一度城に帰る。行くぞ。」
「はい、主様。」
「はいはい。」
次の瞬間には、もう三人の姿はどこにも無かった。転移の闇がほんの少しだけ漂ってから、どこともなく消えていった。




