83 理想派
イキシアの案内で辿り着いたのは海岸近くのありふれた酒場だった。
イキシアが仮面を外して店主に顔を見せると、カウンター裏のドアに通される。そこは二階への階段に通じていて、二階がまるごとアジトになっているらしい。
イキシアが無言のまま二階の部屋へ入ると、中には二人の男がこちらを窺っていた。
二人はイキシアの顔を見ると目を丸くし、それから満面の笑みを浮かべた。
「イキシア!なんだ、こっちに来ていたのか!」
「エヘンメイアはどうだった。堕落派の奴ら、上手くやった?」
「あぁ、二人とも。先に紹介させてくれ。」
そう言って贄の王とサンを部屋に招き入れる。
「こいつらは……。あー。名前を知らん。女の方はサンだ。――男、お前名前は何というんだ。」
「名乗る名は無い。適当に呼べ。」
「じゃあ、陰気。」
「イキシアさん。あんまり失礼だと怒りますよ。――こんにちは、皆様方。サンとお呼びください。こちらの方は私の主様です。どうぞ失礼の無きよう。」
サンが贄の王の横から礼を一つする。それを見て、サーザールらしき二人の男はにっこりと笑う。
「ご丁寧にどうも。俺はガエス。」
「どうもどうも、恐ろしい旦那と美しいお嬢さん。僕はイーハブ。よろしく。」
ガエスと名乗った男はまさに筋骨隆々と言った様子で、縦にも横にもとにかく大きい。一方イーハブというアッサラ系の名前を名乗った男は若く華奢で、戦士と言うよりは学者然としていた。
「二人とも私と同じサーザールの、まぁ理想派と呼ばれる者たちだ。ガエスは強い。イーハブは賢い。」
「敢えて呼ぶなら正統派、と呼んで欲しいよ。僕たちこそが真のサーザールで、堕落しきったあいつらはそう呼ぶのにも値しない。」
そう訂正を入れてきたのはイーハブの方だ。どうも、随分なこだわりがあるようである。
厳めしい顔に優し気な笑みを浮かべたガエスが「何でもいいじゃないか。」と言えば、イーハブが何やら理論的らしい反論を繰り出す。客人とイキシアを放って議論――というには一方的だが――を繰り広げる二人に対し、イキシアは呆れたように肩をすくめる。
「こいつらはいつもこんな感じだ。実に仲が良いだろう。」
「まぁな。」「良くない。」
ぴったりと声を合わせて真逆の返事をする二人はとても息が合っていて、何とも良いコンビであるらしかった。
「それで、イキシアがなんだって客なんて連れて来たんだ。仲間になりたい訳でもなかろ。」
「当たり前に拠点を教えるんだから、信用出来る人間なんだろうね。イキシアは阿呆だから……。」
「誰がアホだ。――私は訳あってこの二人に協力している。それで、ガエスとイーハブにも協力して欲しい。」
「別にかまわ――。」
「待ったガエス。――協力。僕たちに見返りは、あるんだろうね?」
「……サン。お前が喋ったほうが早いぞ。私は説明が下手だ。」
サンは傍らの主を見上げて問いかける。自分が説明してよいのか、と。
「……よろしいですか、主様?」
「あぁ。頼んだ。」
「では。私からお話させて頂きます。」
「――端的に。主様は“接吻魔”を退治出来ます。その見返りとして、サーザールの方々に協力してもらうと。」
「あの化け物を?凄いな。」
「すぐに信じないでガエス。
……それが本当だという証明は?」
「必要を感じません。どうしてもと言うならイキシアさんにお尋ねを。」
「ほんとだぞ。この男は本物の化け物だ。私が100人居ても一息だ。」
「……イキシアは嘘をつかない。というかつけない。……けど、俄かには信じがたいな。」
「信じる必要はありません。主様が“接吻魔”を討伐する。それを確認してから、あなた方は協力してくだされば良いので。」
「……まぁ、そうだけど。」
「先に私たちへの協力というのも内容を明かしておきましょう。
――主様と私はとある人間を捜しています。その捜索について、あなた方の出来得る全ての手段を尽くして頂きます。」
「……それなら、“接吻魔”の討伐より先に動き始めるべきだ。うーん……。」
「あらかじめ言っておきますが、主様にわざわざ“接吻魔”を討伐する必要性はありません。これは、イキシアさんの頼みから始まった話です。」
「……本当?イキシア。」
「ほんとだぞ。今この男に頼るのが、“接吻魔”を退治する貴重な機会。私は逃したくない。」
「……政府もまるで手が出せていない。そこの旦那は、軍よりも強いと?」
「主様は強力な魔法使いであり、戦士でもあります。軍など、敵ではありません。」
「……イキシア?」
「ほんとだって。ガエス100人でも一息だぞ。」
「俺が100人か。部屋に入れんな!はっはっは。」
「うるさいガエス。――わかった、わかった。信じるよ。取引をしよう。旦那が”接吻魔“を討伐。僕たちはそれに必要な情報を提供する。それから、旦那たちの人捜しに協力する。こんなところ?」
「サーザールの理想派とはどれくらいの仲間がいるのですか?」
「“正統派”、ね。……正直、そんなに多くは無い。西ガリアにいるのはこの三人の他に、11人。中央や東にいるのも全部含めて……100は居ないよ。」
「人捜しですが、どういった協力が出来るでしょう。」
「舐めないで欲しいね。僕たちはサーザール――ガリアを陰から守る戦士。張り巡らされた情報網は伊達じゃないよ。」
「なるほど。……如何致しましょう、主様。」
サンは傍らの贄の王を見上げ、取引の是非を問う。決定権は主に。当然のことである。
贄の王は既に思考を終えていたらしく、悩む様子も無しに頷いた。
「よかろう。それで取引成立だ。」
「ん。お互い、利益のある取引になると良いね。」
イーハブは贄の王に近寄ると、その華奢な右手を差し出して握手をしようとした。贄の王も右手を出して握手を返そうとして――。
突然、イーハブが後ろに飛び退る。
膝を曲げて着地し、混乱を顔に浮かべながら自分の右手と贄の王を交互に見やる。
「イーハブ、どうした?」
ガエスが驚きに目を丸くしながらイーハブに問いかける。イキシアも不思議そうな顔をして様子を窺い、サンもやや驚きながら贄の王を見上げる。
贄の王ただ一人が僅かほども動じず、静かに上げていた右手を下げた。
「いや……。すまない。――何だ、今のは……?」
「……構わない。――それよりも、“接吻魔”とやらの情報をもらおうか。」
イーハブたちからもたらされた情報は既にサンたちが手にしているものに加え、その習性や行動の予測が含まれていた。
一つ。“接吻魔”は最初に、船底から船に取り付いてその動きを止める。次に無数の触腕で船体をバラバラにしつつ、船員たちを嬲るように蹂躙していく。船はそのまま沈められ、海に投げ出された人々も執拗に海の底へ引きずり込んで命を奪う。
二つ。“接吻魔”の全貌は知れないが、無数の触腕と竜のような頭を持つ。
三つ。イパスメイアの浅瀬に居る間は襲われないが、それを少しでも離れるとどこからともなく現れる。
四つ。その遊泳速度は異常であり、水平線上反対の船がたちまちに沈められる。
五つ。その体表は柔らかく武器が通る。ただし、巨体ゆえにダメージは無いに等しい。
六つ。唯一、幼い子供の命は奪おうとしない。むしろ船の残骸に乗せて助けた例すらある。
そういった情報に基づいて、贄の王とサンはイキシアを連れつつ空の船を海に流して“接吻魔”を呼ぼうとしたのであった。
だが、結果は空振り。“接吻魔”の情報に人の存在を察知しているらしい、というものが加えられたに留まった。




