81 奴隷商人タジク
贄の王とイキシアが並んで船に乗り込んでいく。その背中を見送りつつ、サンはマントのフードを被って顔を隠す。少し離れれば”欺瞞“は解けてしまうらしいので、顔を晒したく無いからだ。
権能の力で己にかかる重力に干渉する。“飛翔”と名付けたこの“闇”の魔法は重力の方向を操る事で自在に空を舞う魔法だ。
サンの身体がふわりと浮かび上がり、船の上空へ。“欺瞞”が解け、周囲の人間たちがサンに気づいては口々に何か言葉を発する。その多くは驚きや疑問の色があった。
そして海から上がる”闇“が船を円柱状に覆い隠す。サンの権能ではこれほどの広範囲に”闇“を操ることは出来ない。贄の王が目標を逃がさないように封じたのだ。
やがて下方の船から悲鳴と戦闘音が聞こえる。甲板の上で戦闘が始まったところのようだ。
いや、それは戦闘と呼ぶにはあまりに一方的だ。贄の王が歩くたび、闇が走り人が倒れる。船乗りたちも戦うことの無意味さを悟ったのだろう。船の上は悲鳴で満たされ始める。
船の外へ逃げようと走る男たちは黒い槍に貫かれて死んだ。果敢に立ち向かった男たちは黒い剣に斬られて死んだ。物陰に隠れてやり過ごそうとした男たちは黒い衝撃に叩き潰されて死んだ。
だが、流石の贄の王も視界の外まで完璧に逃さないことは出来ないようだ。人間離れした感覚で次々と捕えていくが、稀に海へ逃亡する者が出始める。すなわち、サンの役目である。
海へ逃げた男の傍へ転移。主を真似て、権能にて作り出した”闇“の槍でその身体を貫く。贄の王ほどの威力や速度は出ないものの、逃げ惑う人間一人の命を奪うくらいならば問題無い。
一人の命を奪うと、再び船を見渡せる上空に転移。他の逃げた人々も同じように始末する。
その時、船の後方、船室の窓から飛び出した人影が目に付く。それは明らかに豪奢な衣服を纏っており、他の安い身なりの船乗りたちとは違う。
海へ落ちて、ばしゃばしゃと暴れながら溺れるように何とか泳ぐその男の下へ転移する。男は突然目の前に現れたサンに酷く驚き、危うく溺れそうになる。
「あなたが商人タジクですか?」
「がぼっ……おっ……!おっ……!」
答える余裕は無いらしいので、指輪を用いて贄の王にタジクらしき身なりの良い男を見つけた、と連絡する。ついでに、今にも溺れそうだ、とも。
男の身体が闇に飲まれて消える。贄の王の転移だ。サンも甲板に移動すると、血みどろの甲板の上、汚れ一つ無く立つ贄の王と返り血で血まみれのイキシアの前に男が四つん這いでむせていた。
「げほっ……げほっ……。くそっ……。」
イキシアが仮面の奥から男の顔をじっと見る。記憶にあるタジクの顔と照らし合わせているらしい。
「こいつだ。タジク、間違いない。」
「よくやった、サン。」
「ありがとうございます。それで、如何致しましょう。」
「殺す。」
イキシアが端的に答える。それを聞いたタジクは怒りの表情で三人を見上げる。
「お前ら……!この俺を殺すだと。ふざけるな!」
「ふざけるな、だと?こちらのセリフだ。この恥知らずめが!」
イキシアがタジクの顔を蹴り飛ばす。
「貴様が今までに殺してきた民の数!貴様が運んだ不幸の数!その醜い命一つではとても償えん!」
「……そうか、お前、サーザールだな……!このくそ共が……!」
「それが、最後の言葉でいいのだな。さぁ、己の身体に別れを告げるがいい。」
「俺を殺すって意味が分かってやがるのか?外交問題だ!ガリア中がてめぇらを追うぞ!」
「民人のためだ。我らサーザールが何を恐れようか。」
「”贄“だ!”贄“が足りない!奴隷じゃなきゃ、誰を”贄“にする!?」
「そんなもの、不要だ。“贄”など必要無い。」
「この馬鹿どもが!それでカソマがああなったんだろうが!」
「……もういい。それ以上喋らずに死ね。」
「ま、待て……!」
イキシアが剣を抜く。その切っ先をタジクに向け、その喉を一突きに貫いた。
タジクは貫かれた喉を押さえしばらく苦しんでいたが、やがて動かなくなった。
「では、結界を消す。私とイキシアは転移で先に行く。サンは少し目立ち、”従者“による行いであることを知らしめろ。」
「分かりました。お任せ下さい。」
贄の王とイキシアの姿が闇に飲まれて消える。闇の去った後には何も残っておらず、血みどろの船を覆う結界が消えたのは間もなくだった。
結界の消えた後には大勢の人々が船を囲んでいた。
桟橋から、隣の船から、沖側に回った船から、たくさんの目が血みどろの船に向けられていた。
サンは敢えて堂々と船から桟橋へ飛び降りる。不気味な沈黙の中、人々の目がサンに釘付けになっている。
桟橋を歩いて人々の集団に近づけば、どよどよとざわめきながら下がろうとしていく。
そこで、サンはなるべく多くの人間に聞こえるよう声を張り上げた。
「聞きなさい!私はとあるお方の”従者“!我が主の命により、奴隷商人タジクの命を奪った!もし私に敵対し刃を向けるならば、同じ末路が待つと知りなさい!」
そして、両手に”炎“の魔法で火炎を纏う。
自分を焼かないよう気をつけつつ、身体を包むように大きな火柱を吹き上げさせると、その影に隠れて転移した。
魔境の城、その謁見の間に戻ってくると、指輪に魔力を流して贄の王に連絡を取る。
「主様。役目を終え、一度城に戻って参りました……。」
言葉の途中で目の前に闇が現れる。そこに姿を現したのは当然、贄の王である。その横には仮面をつけたままのイキシア。
「よく目立っていたな。紛れて見ていたが、あれなら十分だろう。」
「役者の才能がある。格好良かった。」
サンはぺこりと頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございます。主様、イキシアさん。」
「さて、これからの話だが……。」
そこで口を挟んできたのはイキシアだ。おもむろに仮面を外すと、その場で片膝をついて頭を垂れた。
「二人とも。……感謝する。私一人ではタジクを始末することは出来なかった。サーザールの誇りは守られた。心より、感謝する。」
「よい。その代わり、お前には我々の協力者になってもらう。」
「無論だ。約束は守る。」
「我々はとある男を捜している。手掛かりはほとんど無い。とある古びた剣を持っていることだけが確かだが……。」
「足取りはどこまで分かっている?」
「ラツアからエヘンメイアに向かったことは間違い無い。その後、ガリアを横断してターレルに向かっている道のどこかだ。」
「なるほど。エヘンメイアにはまだいるのか?」
「いや、時期からして発った後だろうと思う。」
「ならば、次はイパスメイアだろう。そいつは一人旅か?」
「恐らく。そして砂漠の民では無い。」
「今エヘンメイアからイパスメイアに行くには陸路しかない。キャラバンがいくつか出ていたから、どれかに同道した可能性はある。」
「なるほど……追えるか?」
「イパスメイアに先回りした方が早い。この訳分らん移動で行けるか?」
「問題無い。」
「ではそうするべきだ。イパスメイアの仲間たちにも協力を願う。」
「うむ。……ところで、何故海路は使えない?」
「それだが……。イパスメイアの海には今……魔物が出るのだ。」
サンはイキシアを前と同じ客室に案内すると、贄の王の下を訪れた。
主の部屋のドアをノックすれば、返事代わりにドアが開く。中はまたうっすらと散らかり始めており、今回は書籍や文献の類が多いようだ。
「どうした、サン。」
「少し気にかかることがありまして……。」
サンはおずおずと話し出す。気になったこととはつまり、奴隷商人タジクの言葉だった。
「あの者はあの者なりの考えがあって行動していたように思います。カソマがああなった、という発言も……。」
「そうだな。ただ金銭に目を眩ませた者では無いと感じた。サーザールとは逆に、”贄”を捧げる事に賛同していたのだろうな。」
「……カソマ、というのが何かは分かりませんが、何か実際に問題が起きたことのあるような口ぶりでした。」
「それがガリアに広がりはしないか、と。……以前、した話は覚えているな?“贄の王の呪い”について。」
「はい。覚えております。」
「ならば“贄”を捧げなければこの先ガリアがどうなるか想像は難くないはずだ。病魔がはびこり、大地は飢え、風は死を運ぶ。カソマ、というのは街か地方の名前ではないだろうか。”呪い“が進行しすぎて人が踏み入れなくなった土地、私はそう推測した。」
「……。」
「ならば、お前は“贄捧げ”をするべきだと思うか?大多数の繁栄のため、大地を血に濡らすことに賛成か?」
「そんなことは……!私は、”贄“なんてものには反対です!エルザのような悲劇なんて……!」
「……私には分からん。繁栄のため犠牲を強いる事。愛ゆえに大地全てが腐っていく事。どちらを選ぶのか、など。
……お前も、だから気がかりなのでは無いか?どちらも間違っている。犠牲を強いる事も、犠牲無くば繁栄も無い事も。何か、何かが、おかしいのだ。この世界は。」
「どちらも選ばないなんて、そんな事……。」
「“天秤”の神、そういう由縁であろうな。このおかしさを納得させるための方便から生まれた神話だ。」
「犠牲の左皿と、繁栄の右皿……。」
「犠牲が無ければ繁栄出来ない。それは本当に必然なのか。私には、納得出来ん。
――ゆえに、今回タジクとやらを殺すことに反対しなかった。犠牲を選ぶか、平等な死か、選ぶのは我々では無い。ガリアの人々であるべきだ。
だが、ガリアの民たちは選んですらいない。知っているか?ガリアでは“贄捧げ”はほとんど日常と化している。他のどの国よりも気軽に“贄”を捧げ、それはごく一部の人間――政府によってのみ為される。つまり民たちは”呪い“を味わった事など無く、”贄“を選んだことも無い。それは、どこかから運ばれてくる奴隷が宛がわれている。
自分たちの繁栄が血に塗れているなら、それを自らの意志で選ばねばならない。他人事では許されない。目と耳を塞ぎ、誰かがその”役目“を果たすことを怠惰に待つばかりの民――。
サン。私は少なくともガリアにおいて、”贄捧げ“を極力妨害するつもりだ。その果てに彼らがどちらを選ぶのか、突きつけてみたい。」
「主様……。」
「我ながら傲慢な事だ。そう思うだろう?」
「そんなことはありません。だって、主様は――。」
「――”贄の王“。……ならば選択を突きつけるのは、私でこそあるべきかもしれんな。」
「……はい。きっと、主様にのみ出来るのです。この、広い大地の上でただ一人。」
「ならば、精々お役目を果たすとしようか。仮にも”王“であることだしな。」
「お手伝い致します。私は、“王”の”従者“ですので。」
「ふふっ……。」
贄の王はサンの頭にぽふっといささか勢いよく手を置く。そのまま、ぐりぐりと撫でてくる。
「ぅあうっ。……主様、最近よく撫でて下さいますね。」
「嫌か?」
「いいえ。……もっと、して欲しいです……。」
「……そうか。」
ぐりぐり、わしわし……。
サンは頭の上の大きな手に撫でられる心地よさに目を閉じてみる。サン的にはかなりの勇気を振り絞った言葉だったので、褒美でも与えられているようで嬉しい。
「あるじさま……。」
「何だ?」
「ぁ、いえ。何でもありません……。」
「ふむ?」
ぐりぐり、わしわし……。




